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栄光の中年、ただ生きる  作者: vastum


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■第68話「失敗する日」

 失敗というものは、突然大きな顔をして現れるとは限らない。


 むしろ、最初は小さい。


 少し寝不足だった。


 少し急いでいた。


 少し確認が甘かった。


 少し声をかけるのが遅れた。


 少し、自分なら大丈夫だと思った。


 そういう小さな“少し”がいくつも重なって、気づいた時には、取り返しのつかないものの手前まで来ている。


 その日、リオはそれを知った。



 朝から、妙に歯車が噛み合わなかった。


 何か大きな問題があったわけではない。


 寝坊したわけでもないし、体調が悪いわけでもない。雨も降っていない。空はよく晴れていたし、風も穏やかだった。


 ただ、少しだけ、全部がずれていた。


「リオくん」


 ミレナが受付から声をかける。


「今日の依頼、こちらです」


「はい」


 リオは依頼書を受け取る。


 内容は簡単だった。


 南の林道で、最近小型の魔物が増えているらしい。荷運びの邪魔になるため、軽く調査して、必要なら追い払ってほしい。


 危険度は低め。


 討伐というより、確認と巡回。


 同行は、リオ、カイル、エイン、そして新人二人。


 ガルドは行かない。


「ガルドさんは?」


 リオが聞く。


「別件です」


 ミレナが答える。


「北門側で、少し確認が必要な件があるそうです」


「そうですか」


 少しだけ、不安がよぎった。


 でも、すぐに消した。


 いつまでもガルドに頼っているわけにはいかない。


 自分ももう、説明する側になってきている。


 新人に先輩と呼ばれるようになった。


 簡単な調査依頼くらい、問題なく回せなければいけない。


 そう思った。


「大丈夫です」


 リオは言った。


「行ってきます」


 ミレナは少しだけリオの顔を見た。


「無理はしないでくださいね」


「はい」


「危険だと判断したら、すぐ戻ってください」


「分かってます」


 そう答えた。


 本当に、分かっているつもりだった。



 出発前から、小さなずれはあった。


「エインは水袋持ったか?」


 リオが聞く。


「持ちました!」


 エインが元気よく答える。


「ロープは?」


「あります!」


「火打ち石」


「あります!」


「よし」


 リオは頷く。


 だが、その横で新人の一人、ルーカスが荷袋を探っていた。


「あれ……?」


「どうした?」


 カイルが聞く。


「予備の布が……」


「ないのか」


「すみません、忘れました」


 ルーカスが顔を青くする。


 リオは一瞬だけ迷った。


 予備の布。


 傷の応急処置や荷物の補助に使うが、今日の依頼なら絶対に必要というほどではない。


「ギルドに戻るか?」


 カイルが言う。


「いや」


 リオは言った。


「僕の予備を分けます。今日は軽い調査ですし」


「大丈夫か?」


「大丈夫です」


 大丈夫。


 その時は、そう思った。


 最初の小さなずれだった。



 南の林道は静かだった。


 荷車が通る道だが、今日は人影が少ない。


 木々の間から光が差し込み、足元には落ち葉が溜まっている。空気は悪くない。


 新人二人は、少し緊張していた。


 ルーカスは剣を握る手に力が入りすぎている。もう一人のメイナは弓を背負っていて、周囲を真面目に見ているが、目線があちこちに飛びすぎていた。


「そんなに力を入れなくていい」


 リオが言う。


「はい!」


 ルーカスが返事をする。


「返事も少し小さく」


「はい」


「緊張するなって方が無理かもしれないけど、緊張しすぎると視界が狭くなる」


 自分でも、少し先輩らしいことを言っていると思った。


 エインが横で頷く。


「そうだぞ。リオ先輩の言う通りだ」


「お前もまだ新人寄りだろ」


 カイルが言う。


「なっ」


「事実だ」


 少しだけ空気が軽くなった。


 それは良かった。


 ただ、その軽さが、後になって思えば少しだけ油断にもなっていた。



 最初の魔物は、小型の牙兎だった。


 林道の脇から二匹。


 危険というほどではないが、放っておくと荷車の馬を驚かせることがある。


「前へ出すぎるな」


 リオが言う。


「メイナは後ろから。ルーカスは右、エインは左」


「はい!」


 動き出しは悪くなかった。


 エインが左から牽制し、ルーカスが正面に立つ。


 メイナが弓を構える。


 だが、そこで一つ目のミスが起きた。


 ルーカスが、前へ出すぎた。


「ルーカス、下がれ!」


 リオが言う。


 その声が、ほんの少し遅れた。


 牙兎が跳ぶ。


 ルーカスが焦って剣を振る。


 剣は空を切り、体勢が崩れる。


 牙兎の角が腕を掠めた。


「っ!」


 浅い。


 血も少ない。


 だが、怪我だ。


「下がれ!」


 今度はカイルが動いた。


 牙兎を一匹斬り、もう一匹を蹴り飛ばす。


 エインが止めを刺した。


 戦闘はすぐ終わった。


 ほんの数秒。


 でも、リオの胸の奥に嫌な重さが残った。


「すみません!」


 ルーカスが頭を下げる。


「大丈夫です! 僕が前に出すぎて」


「いや」


 リオは言いかけて、止まる。


 違う。


 全部ルーカスのせいではない。


 前へ出すぎるのは予想できた。


 緊張している新人が、最初の魔物を見て焦ることくらい、分かっていたはずだ。


 自分がもっと早く止めるべきだった。


「傷を見せて」


 リオは言った。


 予備の布を出そうとする。


 そこで思い出した。


 布は、ルーカスへ分けた。


 自分の手元には残りが少ない。


 応急処置はできる。


 でも余裕はない。


 セリアがいれば、もっと綺麗に処置できた。


 ガルドがいれば、そもそも前へ出る前に声をかけていたかもしれない。


 そんな考えが浮かび、リオはすぐに振り払った。


 今ここにいるのは自分だ。


 自分がやるしかない。


「浅いです。血を止めます」


 リオは処置した。


 手は動いた。


 でも、胸の奥の嫌な重さは消えなかった。



「戻るか?」


 カイルが聞いた。


 リオは迷った。


 ルーカスの傷は浅い。


 歩ける。


 依頼内容は軽い巡回で、ここで戻れば、報告としては“軽傷者が出たため中断”になる。


 それは別に悪くない。


 ミレナも怒らないだろう。


 むしろ戻れと言うはずだ。


 でも。


 リオは、ここで戻ると、新人達に不安だけを残す気がした。


 自分自身も、何も確認できないまま戻ることになる。


「もう少しだけ進みます」


 リオは言った。


「ただし、次に何かあれば戻ります」


 カイルは少しだけリオを見た。


「分かった」


 その返事は短い。


 けれど、完全に納得したようには見えなかった。


 二つ目の小さなずれだった。



 進むほど、林道の空気が少し変わっていった。


 小型の魔物が増えているという話だったが、足跡は予想より多い。


 牙兎だけではない。


 小型の爪猪。


 それから、何かが地面を掘った跡。


「……少し多いですね」


 メイナが小さく言う。


 彼女はよく見ていた。


 視線が飛びすぎると思っていたが、それだけ広く見ようとしているということでもあった。


「そうだね」


 リオは頷く。


「でも大型の跡はない」


 そう言った瞬間。


 カイルが低く言った。


「リオ」


「はい」


「こっち」


 道の脇、倒木の下。


 そこに、毛が絡まっていた。


 黒くはない。


 茶色。


 だが、硬い。


「……牙猪?」


「若い個体なら」


 カイルは言う。


「ただ、さっきの爪猪の跡より大きい」


「親がいるかもしれませんね」


「ああ」


 戻るべきだった。


 今ならまだ戻れた。


 ルーカスは軽傷。


 情報も十分。


 “想定より魔物が多く、やや大きい個体の痕跡あり。追加調査または上位者同行推奨”。


 そう報告すればよかった。


 けれどリオは、少しだけ進んだ先を見た。


 林道の奥。


 そこに、荷車の轍があった。


 新しい。


「誰か通った?」


 エインが言う。


「この先に?」


 メイナの声が不安そうになる。


 リオは息を呑んだ。


 もし、今朝か昨日のうちに荷車が入っているなら。


 この先に、まだ誰かいるかもしれない。


「確認します」


 リオは言った。


 カイルが眉を寄せる。


「慎重に行くぞ」


「はい」


 三つ目のずれだった。


 もう戻るべきだったのに、戻らなかった。



 轍を追うと、すぐに荷車が見つかった。


 林道の脇。


 車輪が片方、泥に沈んでいる。


 荷台には木箱が積まれていた。


 人はいない。


「誰か!」


 エインが声を上げる。


「待て、声を抑えろ」


 カイルが止める。


 リオは荷車に近づく。


 荷台の横に、血があった。


 多くはない。


 けれど確実に血だ。


「まずいな」


 カイルが言う。


 その声が、今までより重い。


「人を探します」


 リオが言う。


「リオ」


「分かってます。分かってますけど、ここで放っておけません」


「……」


 カイルは少しだけ黙った。


「二手には分かれない」


「はい」


「全員で動く」


「はい」


 そこまでは間違っていなかった。


 だが、焦っていた。


 リオ自身が、それに気づいていなかった。



 荷車から少し離れた場所で、商人が一人倒れていた。


 中年の男だった。


 左脚を怪我していて、木の根元に身を寄せている。


「生きてる!」


 メイナが叫びかけて、慌てて口を押さえた。


 リオが駆け寄る。


「大丈夫ですか!」


「う……」


 男が目を開ける。


「魔物が……荷車を……」


「何が出ました?」


「猪みたいな……でも、でかい……」


 牙猪の大型。


 リオの胸が冷える。


 小型魔物の調査ではない。


 もう完全に別の案件だ。


「戻ります」


 リオは今度こそ言った。


「この人を連れて戻る」


 判断は正しい。


 少し遅かったが、それでも正しい。


 だが。


 その時、林の奥で枝が折れた。


 低い唸り。


 土を掻く音。


「来る」


 カイルが剣を抜く。


 大型の牙猪が、木々の間から姿を見せた。


 普通の牙猪より一回り大きい。


 額に傷。


 片方の牙が欠けている。


 怒っている。


 おそらく荷車にぶつかり、傷を負い、興奮しているのだ。


「下がれ!」


 リオが叫ぶ。


 新人達が動く。


 商人を動かそうとする。


 だが、怪我人がいる。


 動きは遅い。


 牙猪が突っ込んでくる。


「リオ!」


 カイルが叫ぶ。


「僕が止めます!」


 言った瞬間、自分でも分かった。


 違う。


 一人で止める相手じゃない。


 でも、もう牙猪は来ている。


 リオは前に出た。


 剣を構える。


 正面から受けない。


 少し斜めにずれて、突進を流す。


 ガルドに何度も見せられた動き。


 理屈は分かっている。


 だが、現実は違った。


 重い。


 速い。


 怖い。


 牙猪の体が横を掠めただけで、リオの体勢が崩れる。


「っ!」


 足が滑った。


 地面が少し湿っていた。


 踏み込みが甘い。


 牙猪が方向転換する。


 早い。


 リオが体勢を戻すより先に、横からカイルが入った。


 剣を叩きつける。


 牙猪の顔が逸れる。


「一人で止めるな!」


 カイルが怒鳴った。


「すみません!」


 謝る声が、自分でも情けないくらい震えていた。


 牙猪が再び突っ込む。


 今度はカイルへ。


 カイルは避ける。


 だが、その後ろには商人と新人達がいる。


「まずい!」


 エインが盾代わりに荷台の板を構える。


 ルーカスも前に出ようとする。


「出るな!」


 リオが叫ぶ。


 しかし遅い。


 牙猪が進路を変え、ルーカスの方へ向かう。


 ルーカスは固まる。


 足が動かない。


 その瞬間、メイナの矢が飛んだ。


 牙猪の鼻先を掠める。


 わずかに軌道が逸れる。


 ルーカスの横を突っ切り、木に激突した。


 木が揺れる。


 葉が落ちる。


「今だ!」


 カイルが叫ぶ。


 リオは走った。


 足元を確認する余裕はない。


 でも、今度は一人で止めない。


「エイン、左!」


「はい!」


「メイナ、目じゃなく鼻先!」


「はい!」


「ルーカスは下がって商人さんを!」


「はい!」


 声が出た。


 ようやく。


 遅すぎるくらい、ようやく。


 リオとカイルが左右から挟む。


 カイルが前足を狙い、リオが横腹へ浅く刃を入れる。


 牙猪が暴れる。


 エインが注意を引く。


 メイナの矢が鼻先を掠める。


 完全な連携ではない。


 むしろバタバタだった。


 でも、少しずつ牙猪の勢いが削れていく。


「倒すな!」


 カイルが叫ぶ。


「追い払う!」


「はい!」


 討伐ではない。


 今の人数、怪我人、新人の状態で深追いすれば危険だ。


 牙猪が後ろへ下がる。


 怒りはまだある。


 だが、鼻先と足に傷を負い、こちらが複数だと理解したらしい。


 最後に一度、低く唸る。


 そして林の奥へ走っていった。


 追わない。


 誰も追わなかった。


 それだけは、正しかった。



 ギルドへ戻った頃には、全員泥だらけだった。


 ルーカスは腕に浅い傷。


 商人は脚を負傷。


 リオは肩と膝を打っていた。


 カイルも袖が裂けている。


 死人はいない。


 大怪我もない。


 依頼は、一応達成した。


 小型魔物の増加を確認し、実際には大型の牙猪が絡んでいたことも報告できる。怪我人も連れ帰った。


 結果だけ見れば、最悪ではない。


 だが、ギルドに入った瞬間、ミレナの顔を見て、リオは分かった。


 これは、成功じゃない。


「治療棟へ」


 セリアがすぐに動いた。


「全員、順番に見ます」


「商人さんを先に」


 リオが言う。


「もちろんです。でもリオくんも後で来てください」


「僕は」


「来てください」


 セリアの声は静かだった。


 逆らえなかった。


 ミレナは報告を聞く前に、まず全員の顔を確認した。


 数えるように。


 誰がいて、誰が歩けて、誰が怪我をしているか。


 それから、ゆっくり息を吐く。


「報告は、治療が終わってからでいいです」


「でも」


「治療が先です」


 その声に、怒りはなかった。


 だからこそ、リオは胸が苦しくなった。



 治療が終わった後、報告は静かに行われた。


 ミレナ、アル、ガルド、セリア、カイル、リオ。


 新人達は休ませた。


 リオは最初から最後まで話した。


 予備布を分けたこと。


 最初の牙兎でルーカスが怪我をしたこと。


 戻る判断をしなかったこと。


 大きい個体の痕跡を見つけたこと。


 荷車の轍を追ったこと。


 商人を見つけたこと。


 大型の牙猪と接触したこと。


 そして、自分が前へ出すぎたこと。


 話し終えた時、部屋は静かだった。


 最初に口を開いたのは、アルだった。


「死人が出なかったのは良かった」


 その言葉に、リオは少しだけ顔を上げる。


「だが、戻る判断は二度あった」


「……はい」


「一度目はルーカスの負傷時」


「はい」


「二度目は大型の痕跡を見つけた時」


「はい」


 反論はなかった。


 できなかった。


 全部、その通りだった。


 次に、カイルが言った。


「俺も止めきれなかった」


「カイルさんは」


「俺も同行者だ。リオだけの判断じゃない」


 その言葉はありがたかった。


 でも、逃げ道にしたくなかった。


「でも、指示を出していたのは僕です」


 リオは言う。


「僕が、進む判断をしました」


 カイルは黙った。


 ガルドが椅子に座ったまま、ずっと黙っていた。


 それが一番怖かった。


「ガルドさん」


 リオが言う。


「何か言ってください」


「何をだ」


「怒ってください」


「嫌だ」


「……え?」


「面倒だ」


 いつもの言い方。


 でも目は笑っていなかった。


「怒られたいならミレナに頼め」


「ガルドさん」


 リオは声が少し強くなる。


「僕は失敗しました」


「ああ」


 ガルドは即答した。


「失敗したな」


 胸に刺さった。


 分かっていたのに、はっきり言われると痛かった。


「判断が遅い。戻るところで戻らなかった。新人の状態見えてねえ。自分で止めようとしすぎ。あと、焦ってた」


「……はい」


「でも、最後は戻った。商人も新人も死んでねえ。牙猪も深追いしなかった」


 ガルドは続ける。


「全部駄目だったわけじゃねえ」


「でも」


「でもじゃねえ」


 その声だけ、少し低くなった。


「失敗を全部真っ黒にするな。次に使えなくなる」


 リオは黙る。


「いいか」


 ガルドは言う。


「失敗した日は、反省しろ。でも、自分を潰すな」


「……」


「潰れたやつは次を見れねえ」


 それは、重い言葉だった。


 ガルドが過去に見てきたものが、少しだけ混ざっているような。


「余裕なくなった時が一番危ねえ」


 ガルドは言った。


「今日はお前、途中から余裕なかった」


「はい」


「だから視野が狭くなった」


「はい」


「次は、余裕がなくなったことに気づけ」


 リオは拳を握る。


「……はい」


「それができれば、今日の失敗は無駄じゃねえ」


 優しくはなかった。


 でも、突き放してもいなかった。


 リオはその言葉を、黙って受け取った。



 夜。


 ギルドはいつもより少し静かだった。


 新人達は早めに帰した。


 商人は治療棟で休んでいる。


 ミレナは報告書を書いている。


 カイルは壁際で腕を組んでいた。


 リオは酒場側の椅子に座って、手元を見ていた。


 自分の手。


 少し震えていた。


 今になって怖くなっている。


 あの時、ルーカスが牙猪に突っ込まれていたら。


 商人がもう少し深い傷を負っていたら。


 自分が倒れていたら。


 考え出すと止まらない。


「リオくん」


 セリアが温かい茶を置いた。


「ありがとうございます」


「飲んでください」


「はい」


 茶は少し熱かった。


 でも、その熱さで少しだけ戻ってくる感じがした。


「怖かったですか」


 セリアが聞く。


 リオは少し黙った。


「はい」


 正直に答えた。


「今、怖いです」


「それでいいと思います」


「いいんですか」


「怖くなくなったら、たぶん危ないです」


 セリアの声は優しかった。


「怖かったことを忘れずに、でも怖さに潰されないようにするんだと思います」


「難しいですね」


「はい」


 セリアは少し笑う。


「難しいです」


 その笑顔に、少しだけ救われた。



 しばらくして、ミレナが報告書を書き終えた。


 リオのところへ来る。


「リオくん」


「はい」


「明日、ルーカスくんとメイナさんにも改めて話をします」


「はい」


「あなたも来てください」


「……はい」


 叱責かと思った。


 だが、ミレナは少しだけ表情を緩めた。


「失敗した時の話は、みんなで共有した方がいいです」


「僕の失敗を?」


「はい」


 少しきつい。


 でも、必要だ。


「恥ずかしいです」


「でしょうね」


 ミレナははっきり言う。


「でも、隠すよりいいです」


「……はい」


「今日、全員帰ってきました」


 ミレナは言う。


「それは、本当に良かったです」


 その言葉が一番刺さった。


 怒られるより、ずっと。


「すみませんでした」


 リオは頭を下げた。


 ミレナは少しだけ息を吐く。


「次は、もっと早く戻ってください」


「はい」


「それだけです」


 それだけ。


 でも、その“それだけ”が重かった。



 ガルドはいつもの椅子にいた。


 酒を飲んでいる。


 でも、いつもより静かだった。


「ガルドさん」


 リオが近づく。


「なんだ」


「今日、ありがとうございました」


「何がだ」


「ちゃんと言ってくれて」


「礼言われることじゃねえ」


「でも」


「次、同じことすんな」


「はい」


 それだけだった。


 でも、それで十分だった。


 リオは少しだけ笑う。


「ガルドさん」


「今度はなんだ」


「失敗って、減りますか」


 ガルドは少し考えた。


「減る」


「本当ですか」


「同じ失敗はな」


 それは、少しだけ怖い答えだった。


「違う失敗はする」


「しますか」


「する」


「……ですよね」


「だから覚えとけ」


 ガルドは酒を飲む。


「今日のこと」


「はい」


 リオは頷いた。


 忘れられないと思った。


 たぶん、忘れてはいけない。



 その日のギルドは、最後まで大騒ぎにはならなかった。


 誰かが笑い飛ばすこともなかった。


 でも、重く沈みきることもなかった。


 ナナが少しだけ軽い話をして、セリアが茶を淹れて、ミレナが報告書を片付けて、カイルが新人達の荷物を確認して、アルが静かに次の対策を考えていた。


 ガルドは椅子で酒を飲み、リオはその横で冷めかけた茶を飲んだ。


 失敗する日というのは、ある。


 どれだけ気をつけても。


 どれだけ準備しても。


 それでも、小さなずれが重なって、失敗する日がある。


 大事なのは、たぶん。


 その日をなかったことにしないことだ。


 リオは、そう思った。


 そして、次はもっと早く戻ろうと決めた。

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