■第67話「雨の日のギルド」
雨が降ると、ギルドの空気は少し変わる。
冒険者というのは、基本的に外へ出る仕事だ。
道を歩き、森へ入り、山を越え、洞窟へ潜り、街道を見張り、魔物を探す。
だから雨の日は、単純に動きづらい。
足元はぬかるみ、視界は悪くなり、荷物は重くなり、体力は余計に削られる。
小雨ならまだいい。
多少濡れながらでも動ける。
だが、その日の雨は違った。
朝から空が真っ黒だった。
雲が低く、風が湿っていて、屋根を叩く雨音がずっと途切れない。
道はすでに泥になり、荷車の轍には水が溜まり、通りを歩く人間もほとんどいない。
こういう日は、依頼も止まる。
商人は出発を延期し、村人は街まで来ない。街道の護衛も、緊急でなければ翌日に回る。
つまり。
ギルドは暇になる。
そして、暇になったギルドほど危険なものはない。
⸻
「……暇ですね」
リオが言った。
昼前だった。
受付前には誰も並んでいない。
掲示板の前にも人はいない。
酒場側には数人いるが、全員だらけている。
雨音だけがやたら大きかった。
「言うな」
ガルドが椅子に沈みながら言う。
「言うと暇が濃くなる」
「なんですかそれ」
「暇ってのは認識すると重くなる」
「分かるような分からないような」
「分かれ」
ガルドは足を投げ出して、完全に休む体勢に入っていた。
しかし目は開いている。
寝ているわけではない。
たぶん、本当に暇なのだ。
⸻
「今日は外回りは無理ですね」
ミレナが窓の外を見る。
「この雨だと、出ても危ないだけです」
「依頼も来ないだろうな」
アルが奥の机で書類を閉じた。
「街道側は水が増えている」
「え、アルさんも仕事終わりですか?」
リオが聞く。
「今日やれる分はな」
その言葉に、ギルド内が少しざわついた。
アルの仕事が止まる。
それはかなり珍しい。
普段なら、どこからともなく書類が出てきて、静かに処理している男だ。
そのアルですら手が空くほど、今日は何もないらしい。
「……本当に暇なんですね」
リオが言う。
「だから言うな」
ガルドがまた言った。
⸻
「暇なら何かします?」
ナナが酒場側から声をかける。
カウンターに肘をついて、完全に面白がる顔だった。
「その言い方が一番危ないです」
リオが言う。
「何か、って言い出すと絶対ろくなことにならないんです」
「でも何もしないと退屈じゃない」
「退屈でいいんですよ」
「若いのに守りに入ってる」
「経験です」
リオは真顔だった。
このギルドで“暇だから何かする”は、だいたい騒動の始まりである。
⸻
「カードでもやるか」
ガルドが言った。
リオは少し驚いた。
「普通ですね」
「なんだその反応」
「いや、ガルドさんから普通の暇つぶし案が出るとは」
「俺をなんだと思ってる」
「問題の中心です」
「失礼だな」
否定はしなかった。
⸻
「カードならありますよ」
ナナが嬉しそうに取り出す。
「店に置いてるやつ」
「賭けは禁止です」
ミレナが即座に言った。
「えー」
「禁止です」
「ほんのちょっとだけ」
「禁止です」
「飲み物一杯くらい」
「禁止です」
ミレナが強かった。
「じゃあ何を賭けるんだ」
ガルドが聞く。
「賭けないでください!」
「やる意味半分減るな」
「遊びです!」
⸻
「負けた人が片付けとかは?」
セリアが提案する。
「それなら健全ですね」
ミレナが言う。
「健全か?」
ガルドが言う。
「片付けを賭ける時点で結局罰だろ」
「罰ではなく役割です」
「言い方変えただけだな」
でも、それくらいなら許されることになった。
⸻
参加者は、ガルド、リオ、ナナ、ライル、カイン。
見学にセリアとミレナ。
アルは最初、遠巻きに見ているだけだった。
「ルールは簡単」
ナナがカードを切る。
「同じ数字を揃えて出していくやつね」
「分かる」
ガルドが言う。
「勝ったことある」
「ズルしたんじゃないですか?」
リオが聞く。
「したことはある」
「あるんですか」
「昔だ」
「便利に使わないでください、その言葉」
⸻
「俺はこういうの強いぞ!」
ライルが胸を張る。
「なんでですか」
リオが聞く。
「勢いがあるから!」
「カードに勢い関係あります?」
「ある!」
「ないと思います」
実際なかった。
一戦目。
ライルは最初に強いカードを全部出し、後半何もできなくなって負けた。
「なんでだ!」
「考えなしだからです」
リオが即答した。
「ひどくないか!?」
「でも合ってる」
カインが短く言った。
「カインまで!?」
⸻
二戦目。
ナナが勝った。
当然のように。
「なんでそんな強いんですか」
リオが聞く。
「人の顔見てるから」
「怖いですね」
「リオくん、分かりやすいよ」
「えっ」
「いいカード来ると眉がちょっと動く」
「嘘ですよね?」
「本当」
リオは自分の眉を押さえた。
その様子を見て、ガルドが笑う。
「お前、戦闘中よりカード中の方が隙あるな」
「カードで命懸けてないので」
「それが甘い」
「何の話ですか」
⸻
三戦目。
カインが勝った。
淡々と。
まったく顔が変わらない。
「強いですね」
リオが言う。
「普通だ」
「その普通が強いんですって」
ナナも少し悔しそうだった。
「読めない相手はつまんないな」
「勝負だろ」
「それはそう」
⸻
「ガルドさんは?」
ミレナが聞く。
「さっきから中途半端ですね」
「様子見だ」
「負けてるだけでは?」
「様子見だ」
だが四戦目で、ガルドは急に勝った。
しかも、妙に嫌な勝ち方だった。
相手に出させて、最後にまとめて落とす。
「うわ、性格悪い」
ナナが言う。
「勝てばいい」
「ガルドさんらしいですね」
リオが言う。
「褒めてます?」
「半分くらい」
「残り半分は」
「呆れてます」
⸻
何戦かやっているうちに、見学していたセリアも混ざった。
最初は弱かった。
だが、三回目くらいから急に勝ち始めた。
「セリアさん、覚えるの早いですね」
リオが言う。
「人の出し方を見ると、少し分かってきますね」
「さらっと怖いこと言ってますよ」
ナナが笑う。
「セリアさん、意外と勝負事向いてるかも」
「そうでしょうか」
「優しい顔して逃げ道塞ぐタイプ」
「そんなことしませんよ」
そう言いながら、セリアはリオの逃げ道を綺麗に塞いで勝った。
「しましたよね!?」
「偶然です」
「絶対偶然じゃない!」
⸻
その頃、ライルは五連敗していた。
「納得いかねえ!」
「考えろ」
カインが言う。
「考えてる!」
「足りない」
「ひどい!」
「カードにも突っ込むなよ」
ガルドが言う。
「いや、悔しいだろ!」
「悔しいなら次勝て」
「勝つ!」
そして負けた。
「なんでだぁぁぁ!」
雨音に負けない声だった。
⸻
「うるさいです」
ミレナが言う。
「外まで聞こえます」
「雨で消えるだろ!」
「消えません!」
その言葉通り、入口近くにいたドーガが顔を出した。
「声が外まで漏れている」
「ほら!」
ミレナが言う。
「すみません!」
ライルが頭を下げる。
「でも悔しい!」
「悔しさは小声でお願いします!」
⸻
カードに飽きた頃、今度は腕相撲が始まった。
なぜそうなるのか、リオには分からなかった。
たぶんライルが言い出した。
「カードがダメなら腕だ!」
「発想が単純すぎます」
「腕なら負けねえ!」
「それ前も聞いた気がします」
ガルドが言う。
「今回は違う!」
「何がだ」
「気合がある!」
「またそれか」
⸻
最初はライル対リオ。
「え、僕ですか」
「お前からだ!」
「なんでですか」
「ちょうどいい!」
「失礼じゃないですか?」
だがやることになった。
結果。
リオが勝った。
「えっ」
ライルが固まる。
「……勝ちましたね」
リオも少し驚く。
「嘘だろ!?」
「いや、たぶんライルさん、力の入れ方が下手なんです」
「腕相撲で!?」
「全部勢いで押そうとしてます」
カインが言う。
「だから軸がずれる」
「腕相撲で軸とか言われた!」
「大事だぞ」
ガルドが言う。
「お前、全身うるさいからな」
「全身うるさいって何だよ!」
⸻
次はリオ対カイン。
リオは瞬殺された。
「ですよね」
「まだ早い」
カインが言う。
「分かってましたけど、手加減もう少し」
「した」
「してこれですか」
現実は厳しかった。
⸻
カイン対ガルド。
ギルド内が少しざわつく。
「見たい」
ナナが言う。
「これは見たいですね」
セリアも言う。
「机壊さないでくださいね」
ミレナが言う。
「なんで先にそれ言うんだ」
ガルドが言う。
「前科です」
「あるな」
カインが認めた。
⸻
始まる。
静かだった。
派手な力比べではない。
動かない。
腕も、肩も、顔も。
ただ、机が少しだけ嫌な音を立てる。
「……やっぱり机が負けそうです」
リオが言う。
「止めた方がいいんじゃ」
「まだ大丈夫」
ガルドが言う。
「その台詞が一番大丈夫じゃないです」
数秒後。
机が、みし、と鳴った。
「終了!」
ミレナが叫ぶ。
「引き分けです!」
「えー」
ナナが不満そうに言う。
「もっと見たかった」
「机を買い替える予算はありません!」
それで終わった。
⸻
昼を過ぎても雨は止まなかった。
むしろ強くなった。
窓の外は白く煙っている。
通りの向こう側も見えにくい。
こうなると、もう誰も外へ出る気にならない。
「本当に一日このままですね」
リオが言う。
「そういう日もある」
ガルドが酒ではなく茶を飲みながら答える。
「珍しく酒じゃないんですね」
「雨の日は茶もうまい」
「意外ですね」
「俺をなんだと思ってる」
「酒だけで動いてる人」
「失礼だな」
少し間を置いて。
「半分くらいは合ってる」
「合ってるんですか」
⸻
午後になると、今度は即興勝負が始まった。
きっかけは、ナナだった。
「じゃあさ」
「嫌な予感」
リオが先に言う。
「まだ何も言ってない」
「ナナさんが“じゃあさ”って言った時点で危ないんです」
「偏見だなあ」
「経験です」
「じゃあ、雨の日っぽい話を一人一個ずつ」
「話?」
「面白いやつ」
「基準が雑!」
⸻
「じゃあガルドから」
ナナが言う。
「嫌だ」
「早い」
「面倒だ」
「雨の日の話、一個くらいあるでしょ」
「あるが話したくない」
「じゃあそれにしよう」
「なんでだ」
最悪の流れだった。
⸻
「昔、雨の日に依頼で山に行った」
ガルドが渋々話し始める。
「帰り道、崖が崩れて足止め」
「大変ですね」
リオが言う。
「三日野宿」
「重い!」
「飯は湿った干し肉」
「嫌ですね」
「隣にいた奴がずっと歌ってた」
「誰ですか」
「レイナ」
「ああ……」
全員なんとなく納得した。
「それで?」
「うるさかった」
「感想それだけですか?」
「それだけだ」
ガルドらしい雨の日の話だった。
⸻
「次、セリアさん」
ナナが言う。
「私ですか?」
「雨の日の話」
「そうですね……」
セリアは少し考える。
「昔、旅の途中で大雨になって、みんなで小さな宿に泊まったことがあります」
「いい話っぽい」
リオが言う。
「その時、全員分の靴を乾かそうとして、バルドレイさんが魔法を使ったんです」
「嫌な予感がします」
「全部縮みました」
ギルド内に笑いが起きた。
「賢者なのに!?」
ライルが叫ぶ。
「本人は“乾いたから良い”って言ってました」
「よくないですね」
「翌日、全員少し変な歩き方でした」
珍しくセリアが思い出し笑いしていた。
⸻
「アルは?」
ナナが聞く。
「ない」
「あるでしょ」
「ない」
「絶対ある」
「……」
アルはしばらく黙った。
「雨の日に、ガルドが泥道で転んだ」
ガルドが即座に顔を上げる。
「言うな」
「派手に転んだ」
「言うな」
「剣だけは汚さなかった」
「言うな!」
全員笑った。
「そこ守るのすごいですね」
リオが言う。
「体より武器か」
カインが言う。
「昔はそうだった」
ガルドは少しだけ不機嫌そうに茶を飲んだ。
⸻
雨の日の話は、思ったより続いた。
ナナは雨の日に客が全員来なくなって、仕方なく一人でスープを飲んでいたら、ガルドがずぶ濡れで入ってきて無言で三杯食べた話をした。
ライルは雨の日に告白しようとして、花束が泥まみれになった話をした。
誰も聞いていないのに本人が勝手に傷ついていた。
カインは雨の中で敵を見失わない訓練の話をしたが、あまりにも実用的すぎて皆が黙った。
ドーガは「雨の日は門が滑る」とだけ言った。
短すぎた。
⸻
夕方近く。
雨はまだ止まない。
だが、ギルドの中は妙に温かかった。
火が入っている。
茶がある。
くだらない勝負で騒いで、昔話で笑って、誰も外へ出られないからこそ、全員が同じ場所にいる。
リオはふと、窓の外を見た。
白い雨。
濡れた石畳。
静かな街。
その向こうにあるはずの依頼も、街道も、森も、今日は遠い。
「こういう日も悪くないですね」
リオが言う。
「何がだ」
ガルドが聞く。
「雨で動けない日」
「暇なだけだろ」
「そうですけど」
リオは笑う。
「なんか、ギルドっぽいなって」
「お前最近、何でもギルドっぽいって言ってるな」
「そうですか?」
「言ってる」
ガルドは茶を飲む。
「でもまあ」
少し間。
「こういう日があるから、外出る日もあるんだろ」
珍しく、それっぽいことを言った。
「いいこと言いましたね」
「忘れろ」
「嫌です」
リオは笑った。
⸻
夜。
雨はようやく弱くなった。
帰る者は帰り、残る者は残る。
床にはカードが一枚落ちていて、ライルが負けた罰の片付けをしている。
ナナはカウンターで杯を洗っている。
ミレナは今日ほとんど使われなかった受付机を、なぜかいつもより丁寧に拭いていた。
アルは書類を一枚だけ読み直し、静かに閉じた。
セリアは治療棟の灯りを落とした。
ガルドは椅子で半分寝ていた。
リオはその光景を見て、思った。
今日、大きなことは何も起きなかった。
依頼もない。
戦闘もない。
大きな事件もない。
ただ雨が降って、みんながギルドにいて、暇つぶしをしただけ。
それだけなのに。
妙に記憶に残る日だった。
雨音が少しずつ遠くなる。
ギルドの中の灯りが、雨に濡れた窓にぼんやり映っている。
その光景が、リオには少しだけ心地よかった。




