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栄光の中年、ただ生きる  作者: vastum


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■第61話「噂の中の人」

 噂というものは、歩く。


 人の口から人の耳へ。


 酒場の隅から商会の荷台へ。


 門番の退屈な時間から、旅人の暇つぶしへ。


 そして歩いているうちに、少しずつ姿を変える。


 最初はただの事実だったものが、誰かの驚きで大きくなり、誰かの笑いで変な尾ひれがつき、誰かの怖がり方で怪物みたいになる。


 だから、噂の中の人間というのは、たいてい実物とは違う。


 良くも悪くも。


 その日、ギルドにやってきた三人組も、そういう“噂”を抱えていた。



「ここか……」


 昼前。


 ギルドの入口の前に、三人の若い冒険者が立っていた。


 一人は背の高い槍使い。


 一人は短剣を二本腰に下げた少年。


 一人は大きな鞄を背負った少女。


 全員、まだ若い。


 装備は新しいが、傷も汚れもある。まったくの新人ではない。けれど、ベテランというには立ち方が少し固い。


「本当にここにいるのか?」


 槍使いの青年が言う。


「噂ではそう」


 短剣の少年が答える。


「“元勇者一行の影”がいるギルド」


「影って言い方、胡散臭くない?」


 少女が言う。


「でも商人のおじさんも言ってたよ。勇者本人が“あいつがいなければ邪神は倒せなかった”って言ったって」


「それ盛ってないか?」


「盛ってるかも」


「じゃあなんで来たんだよ」


「見たいから」


 短剣の少年は即答した。


 少女も頷く。


「分かる。見たい」


 槍使いの青年はため息をついた。


「俺たち、依頼の相談に来たんだよな?」


「ついで」


「出たよ、ついで」


「でも見たいでしょ?」


「……少しな」


 結局、全員同じだった。


 彼らは依頼相談を口実に、噂の人物を見に来ていた。


 勇者の裏にいたという男。


 表には出ず、名も残さず、それでも“あいつがいたから勝てた”と言われた男。


 噂の中では、黒い外套をまとい、無数の武器を使い、敵の策をすべて見抜き、戦場の流れを一人で変えた怪物のような冒険者。


 その名は、ガルド。


 あるいは、人によっては、昔の別名で語る者もいるらしい。


 けれど三人は、まだそれを知らなかった。


「よし」


 槍使いの青年が息を吸う。


「入るぞ」


 扉を開けた。



 中は、想像と違った。


 もっと張り詰めた空気を想像していた。


 歴戦の戦士たちが静かに酒を飲み、壁には魔物の頭骨が並び、受付嬢も目つきが鋭く、少しでも無礼を働けば追い出されるような場所。


 そういうものを、勝手に思い描いていた。


 だが実際は。


「ガルドさん! それは昨日片付けるって言ったやつです!」


「今日片付ける」


「昨日も今日片付けるって言いました!」


「なら今日で合ってるだろ」


「合ってません!」


 受付で、若い受付嬢が怒っていた。


 怒られているのは、椅子に沈んだ小太りのおっさんだった。


 無精ひげ。


 少し腹の出た体。


 だらしない姿勢。


 片手には干し肉。


 もう片方の手には、なぜか小さな木箱。


「……」


 三人は入口で止まった。


「あれ?」


 少女が小さく言う。


「思ってたのと違う」


 短剣の少年も固まっている。


「どれが噂の人?」


「まだ出てきてないんじゃないか」


 槍使いの青年が言った。


 そう思いたかった。


 だが。


「お客さんですよ」


 リオが気づいて声をかける。


「あ、はい!」


 槍使いが慌てて背筋を伸ばす。


「依頼の相談で来ました!」


「相談なら受付へ」


 リオが言う。


 ミレナがすぐに営業用の顔になる。


「いらっしゃいませ。ご相談内容を伺います」


 すごい切り替えだった。


 さっきまで怒っていたのに、もう普通に受付嬢だ。


 三人はカウンターに近づく。


 だが視線は、どうしても椅子のおっさんへ行く。


 おっさんは木箱を見ながら、干し肉を食べている。


 まったく強そうに見えない。


 いや、よく見れば体の軸は妙に安定している気もする。だが、全体的にはどう見ても“酒場にいる面倒なおじさん”だった。


「どうしました?」


 ミレナが聞く。


「あ、いえ」


 槍使いが慌てる。


「実は、北の小道で魔物の気配があって」


「種類は分かりますか?」


「足跡だけです。たぶん牙猪か、少し大きめの獣系だと思います」


「被害は?」


「まだありません。ただ、近くの村の人が不安がっていて」


「なるほど」


 ミレナはすぐに紙へ書き込む。


「調査依頼ですね。討伐の可能性もあり、と」


「はい」


「人数は?」


「僕たち三人で向かう予定ですが、もし危なそうなら助言をいただきたくて」


 そこで、短剣の少年が我慢できずに言った。


「あの、ここにガルドさんって方がいるって聞いたんですけど」


 ギルド内の何人かが、微妙な顔をした。


 ミレナは一瞬だけ目を細める。


 リオは「ああ」と顔をした。


 ナナは酒場側で笑いをこらえている。


 セリアは少し困ったように微笑んだ。


 そして、おっさんが干し肉を噛みながら顔を上げる。


「なんだ」


 三人は固まった。


「……え」


 短剣の少年が言う。


「ガルドさん?」


「そうだが」


「……え?」


 二回目だった。


 槍使いの青年が露骨に動揺する。


 少女は目をぱちぱちさせる。


 リオは内心で少し同情した。


 分かる。


 初見だと、そうなる。


「何だその顔」


 ガルドが言う。


「い、いえ!」


 槍使いの青年が慌てて首を振る。


「想像と違った、とか思っただろ」


「思ってません!」


「思ったな」


「……少しだけ」


 正直だった。


 ガルドは特に怒らなかった。


 むしろ面倒くさそうに笑った。


「噂なんてそんなもんだ」



「いや、でも」


 短剣の少年はまだ諦めていない顔だった。


「勇者の裏で戦ってたって」


「裏ってなんだ」


 ガルドが言う。


「なんか暗そうで嫌だな」


「え、でも」


「だいたい勇者の裏って言い方、アルが聞いたら嫌がるぞ」


 奥の机にいたアルが、書類から目を上げずに言った。


「嫌だな」


 短い。


 それだけで、三人がさらに固まる。


「……え」


 少女が言う。


「今の方って」


「アルだ」


 リオが答える。


「元勇者のアルヴェインさんです」


「……ええ!?」


 三人の声が揃った。


 ガルドは耳を塞ぐ。


「うるせえ」


「いや、うるさくもなりますよ!」


 リオが言う。


「初見の人からしたら、噂の人が椅子で干し肉食べてて、元勇者が奥で書類読んでるんですよ!」


「普通だろ」


「普通じゃないです!」


 三人は完全に混乱していた。


 勇者の裏方最強と噂される男が、だらけたおっさん。


 元勇者が、静かに事務仕事。


 受付嬢が、普通に二人を叱る。


 想像していた英雄譚の世界とは、あまりにも違った。


「で」


 ガルドが言う。


「北の小道だっけか」


「あ、はい」


 槍使いが慌てて戻る。


「牙猪かもしれないって」


「足跡は?」


「これです」


 少女が紙を出す。


 泥に残った足跡を写し取ったものらしい。丁寧に描かれている。


 ガルドは椅子から動かず、それを見る。


「牙猪じゃねえな」


 即答だった。


「え?」


「丸すぎる。あと爪が浅い」


「じゃあ何ですか」


「土潜り熊の若いやつ」


 三人の顔色が変わった。


 リオも少し驚く。


 土潜り熊は、牙猪よりずっと厄介だ。


 地面に潜るように巣を作り、音に敏感で、刺激すると地中から飛び出してくる。


「若いならまだ小さいが」


 ガルドは続ける。


「親が近くにいる可能性がある」


「親……」


 短剣の少年が顔を引きつらせる。


「じゃあ僕らだけで行くのは」


「やめとけ」


 ガルドはあっさり言った。


「様子見るだけならまだしも、近づいて巣穴踏んだら終わる」


 三人が黙る。


 その表情に、さっきまでの憧れや興味は少し薄れていた。


 代わりに、現実的な緊張が浮かぶ。


「ただ」


 ガルドは干し肉を置いた。


「村に近いなら早めに追い払った方がいい」


「討伐ですか」


 槍使いが聞く。


「場合による」


「場合」


「子連れじゃなけりゃ、煙と音で逃げることもある。子持ちなら無理に追うな。親だけ暴れさせると被害が増える」


 言っている内容は、淡々としている。


 だが、妙に具体的だった。


 短剣の少年が、少しだけ目を見開く。


 噂の英雄らしい大げさな言葉ではない。


 けれど、現場を知っている人間の言葉だ。


「……すごい」


 思わずそう呟いた。


 ガルドは嫌そうな顔をした。


「何がだ」


「見ただけで分かるんですね」


「全部じゃねえ」


「でも」


「外れる時もある。だから見に行く」


 ガルドは立ち上がった。


 ミレナがすぐに反応する。


「行くんですか?」


「放っといたら面倒そうだ」


「ですよね」


 リオが言う。


「言うと思いました」


「リオ」


「はい」


「行くぞ」


「僕もですか」


「お前、足跡見た方がいい」


「勉強ですか」


「そうだ」


 珍しくはっきりそう言われた。


 リオは少しだけ背筋を伸ばす。


「分かりました」


「セリアは」


「行きます」


 セリアがすでに準備を始めていた。


「言う前に準備するな」


「必要でしょう?」


「まあな」


 ガルドはそれ以上止めなかった。


 三人の若い冒険者たちは、まだ戸惑っていた。


「あの、僕たちも」


「来るなら後ろ」


 ガルドが言う。


「勝手に前へ出るな」


「はい!」


 槍使いが返事をする。


 短剣の少年も頷く。


 少女は少し緊張した顔で鞄を背負い直した。


 噂の人を見に来たはずが、気づけば一緒に現場へ行くことになっている。


 まったく想像と違う展開だった。



 北の小道は、街からそれほど遠くない。


 森へ入る手前の、村と村をつなぐ細い道だ。


 普段は荷運びや農夫が使うが、ここ数日、人の通りが減っているらしい。


 三人組は、思ったより真面目だった。


 歩きながら余計なことは言わず、ガルドの後ろを一定の距離でついてくる。


 槍使いの青年は警戒がやや広すぎて疲れそうだが、怠けてはいない。


 短剣の少年は足音を殺そうとしているが、少し力が入りすぎている。


 少女は地面や草の倒れ方をよく見ている。記録係か、探索役なのだろう。


 リオはそれを見ながら、自分が少しだけ“見る側”になっていることに気づいた。


 少し前までは、自分もああだった。


 いや、今もそうかもしれない。


 ただ、ガルドの横にいる時間が増えたせいで、見えるものが増えた。


「リオ」


 ガルドが言う。


「はい」


「これ」


 地面を指す。


 浅い足跡。


 紙に写されていたものと同じ。


「土潜り熊ですね」


「なんでだ」


「爪が深くないのに、足跡の外側が沈んでます。体重が外に逃げてる感じです」


「まあまあだ」


「まあまあですか」


「若いやつならな」


「親だと?」


「もっと深い。あと土の削れ方が違う」


 ガルドは歩きながら説明する。


 若い三人も聞き耳を立てている。


「足跡だけで魔物を見るな」


 ガルドが言う。


「周りも見ろ。草、枝、土、匂い、鳥の声。全部合わせて見る」


「はい」


 リオは頷く。


 短剣の少年も、つられるように頷いていた。


 ガルドがちらりとそちらを見る。


「お前らもだ」


「はい!」


 三人の声が揃った。


 ガルドは少し嫌そうな顔をする。


「声でけえ」


「す、すみません」


 さっきまで噂の英雄を見る目だった三人は、今は完全に現場で指導を受ける若手の顔になっていた。


 リオは少しだけ笑いそうになった。


 これが実物だ。


 噂の中の英雄は、たぶん格好いい。


 でも実物のガルドは、面倒くさそうに干し肉を食べ、若手に声がでかいと文句を言いながら、必要なことをちゃんと教える。


 それは噂よりずっと変で、ずっと信用できる。



 しばらく進むと、空気が変わった。


 森の手前。


 小さな斜面の下に、土が盛り上がっている場所がある。


「巣穴ですね」


 少女が小さく言う。


「たぶん」


 リオも見る。


 地面が不自然に崩れている。


 穴は一つではない。


 小さな入口が二つ、奥にもう一つ。


 しかも、周囲の木に爪痕がある。


「若いのだけじゃねえな」


 ガルドが言う。


「親もいる」


 三人の顔が強張る。


「どうしますか」


 槍使いが聞く。


「まず、近づくな」


 ガルドが言う。


「音に反応する。巣穴の上に立つな。落ちるぞ」


「落ちる?」


「下が空洞になってる」


 そう言って、近くの長い枝を拾う。


 地面を軽く突いた。


 ぼこ、と鈍い音がする。


 見た目より中が空いている。


「うわ……」


 短剣の少年が小さく言う。


「知らずに踏んだら」


「足取られる。そこへ親が来る」


「終わりますね」


「終わる」


 淡々と言われると余計怖い。


 ガルドは煙玉を取り出した。


「追い出す」


「倒さないんですか」


 槍使いが聞く。


「この位置なら逃がせる。村と逆に向けて追えばいい」


「でも戻ってきたら」


「その時は討伐だ」


 判断が早い。


 けれど雑ではない。


 まず被害を避ける。


 必要以上に殺さない。


 ただし、必要なら迷わない。


 その線引きがある。


「お前ら」


 ガルドが三人を見る。


「村側に回るな。逆に追い込むと危ない。リオは右。セリアは後ろ。お前ら三人は俺の合図で音を鳴らせ。ただし近づくな」


「音?」


 少女が聞く。


「鍋でも板でも何でもいい」


「あります!」


 少女が鞄から小さな金属板を出した。


「何それ」


 短剣の少年が言う。


「野営用の簡易板」


「そんなもの持ってたのか」


「持ってるよ。私を誰だと思ってるの」


「すごいな」


 リオが素直に言った。


 少女は少しだけ得意げになった。


「ありがとうございます」


「調子乗るなよ」


 槍使いが小声で言う。


「乗ってない」


 少しだけ緊張が和らぐ。


 だが、すぐにガルドの声で戻る。


「やるぞ」


 全員が構える。


 煙玉が巣穴の入口へ転がされる。


 数秒。


 煙が穴の中へ入る。


 森が静かになる。


 そして。


 地面が揺れた。


「来る!」


 リオが叫ぶ。


 一つ目の穴から、小さめの土潜り熊が飛び出した。


 若い個体だ。


 毛は茶黒く、鼻先に土がついている。目は興奮している。


 ガルドが手を上げる。


「今!」


 三人が金属板を叩く。


 甲高い音が森に響く。


 若い土潜り熊が驚いて方向を変える。


 村と逆側へ。


「いい!」


 ガルドが言う。


 だが次の瞬間、奥の穴が大きく崩れた。


 親だ。


 地面を割るように、巨大な土潜り熊が現れた。


 想像より大きい。


 肩が高い。


 前足が太い。


 鼻面に古い傷がある。


「下がれ!」


 ガルドが叫ぶ。


 三人が下がる。


 だが短剣の少年が、焦って一歩横へずれた。


 その足元が沈む。


「あっ」


 地面が崩れた。


 少年の片足が空洞に落ちる。


「カイ!」


 槍使いが叫ぶ。


 少年が体勢を崩す。


 親熊がそちらを見る。


 まずい。


 リオが動くより早く、ガルドが走っていた。


 速い。


 普段のだらけた体からは想像できない速度。


 少年の襟首を掴み、強引に引き抜く。


 そのまま投げるように後ろへ放る。


「うわっ!」


 少年は転がりながらも穴から離れた。


 次の瞬間、親熊の前足がガルドのいた場所を叩いた。


 土が爆ぜる。


「ガルドさん!」


 リオが叫ぶ。


「騒ぐな!」


 ガルドは土煙の中から出てくる。


 無事だ。


 ただし、服の袖が裂けている。


「追い出すの失敗ですね」


 リオが言う。


「だな」


 ガルドは剣を抜いた。


「こいつは止める」


 空気が変わる。


 討伐ではなく、排除。


 必要になったから、迷わない。


「お前ら三人、後ろへ」


 ガルドが言う。


「でも!」


 槍使いが言う。


「邪魔だ」


 はっきり言った。


 三人の顔が固まる。


 だが、その直後。


「見るなら見ろ」


 ガルドは続けた。


「ただし、前へ出るな」


 それは突き放しではなかった。


 ちゃんと学べ、という言葉だった。


 三人は黙って下がる。


「リオ」


「はい!」


「右足。あいつ、少し引きずってる」


「見えました」


「狙って止めろ。斬りすぎるな。怒って突っ込ませる」


「はい!」


「セリア」


「はい」


「後ろの三人見とけ。特に足元」


「分かりました」


 親熊が唸る。


 土を掻く。


 突進の前動作。


「来るぞ」


 ガルドが低く言う。


 親熊が突っ込む。


 リオは右へ走る。


 正面に立てば潰される。


 狙うのは右足。


 ガルドが前で視線を引く。


 親熊の爪が振り下ろされる。


 ガルドは避ける。


 避けながら、剣の腹で鼻先を叩く。


 怒らせるため。


 親熊の意識がガルドへ向く。


 その瞬間、リオが横から入る。


 右足の腱の手前。


 深くではなく、浅く。


 動きを鈍らせる位置。


 刃が入る。


 親熊が唸る。


「下がれ!」


 ガルドの声。


 リオはすぐに下がる。


 遅れれば、次の一撃で吹き飛ばされる。


 親熊の前足が横を薙いだ。


 風圧が頬を叩く。


「怖っ……!」


 思わず声が出る。


「今の良かったぞ!」


 ガルドが言う。


「褒める余裕あるんですか!」


「余裕はねえ!」


 あるのかないのか分からない。


 だが、その声で少しだけ体が動く。


 ガルドが次に動く。


 親熊の突進を誘い、巣穴から遠ざける。


 村と逆方向。


 森の奥へ。


「殺さないんですか!」


 槍使いが後ろから叫ぶ。


「殺すより追う方がいい時もある!」


 ガルドが答える。


「覚えとけ!」


 戦いながら教えている。


 リオはそれを見て、改めて思った。


 この人は噂の中では英雄なのかもしれない。


 でも実物は、こうだ。


 泥の中で走り、若手を怒鳴り、魔物の足を見て、殺すか逃がすかを選びながら、ちゃんと後ろにいる人間に覚えさせる。


 派手ではない。


 でも、ずっと役に立つ。


 親熊は二度目の音に反応して、森の奥へ逃げ始めた。


 子もそちらへ走る。


 ガルドは追わなかった。


「終わりだ」


「追わないんですか」


 短剣の少年が聞く。


「巣を捨てて奥へ行った。村には近づきにくくなった。今はそれでいい」


「でもまた戻ったら?」


「その時は、今度は討伐依頼だ」


 ガルドは剣を拭う。


「一回で全部解決しようとするな。余計壊す」


 少年は黙って頷いた。


 さっきまでの噂を見る顔ではない。


 ちゃんと“聞く顔”になっていた。



 帰り道、三人は静かだった。


 行きのような浮ついた空気はない。


 けれど、落ち込んでいるわけでもない。


 むしろ、何かを整理しているようだった。


「ガルドさん」


 槍使いの青年が言う。


「なんだ」


「僕たち、噂を聞いて来ました」


「知ってる」


「でも、全然違いました」


「だろうな」


「悪い意味じゃなくて」


 青年は言葉を探す。


「もっと、戦場で全部壊すような人だと思ってました」


「昔は近かったかもな」


 ガルドが言う。


 リオは少しだけガルドを見る。


 ガルドは前を見たままだ。


「今は違うんですか」


 少女が聞く。


「壊さずに済むなら、その方が楽だ」


 ガルドは答える。


「楽、ですか」


「後片付けが少ねえ」


 いつもの言い方。


 でも、その中に少しだけ別の意味があるのを、リオは知っている気がした。


 短剣の少年が言った。


「僕、さっき足を取られて」


「ああ」


「死ぬかと思いました」


「死ななくてよかったな」


「はい」


 少年は真剣に頷く。


「次から、地面も見ます」


「そうしろ」


「あと、声も抑えます」


「それは最初からやれ」


「はい」


 少しだけ笑いが起きた。


 ギルドに戻る頃には、三人の中でガルドの噂は別物になっていた。


 たぶん、前より少し地味で。


 前より少し面倒くさくて。


 でも、前よりずっと本物に近いものへ。



「戻りました」


 リオが言うと、ミレナがすぐに顔を上げた。


「どうでした?」


「土潜り熊でした。親子。巣は放棄させました。今後戻るようなら討伐判断です」


「分かりました」


 ミレナが記録する。


 ガルドは椅子に座り、また干し肉を探し始めた。


「まだ食べるんですか」


 リオが聞く。


「腹減った」


「戦った後ですしね」


「そうだ」


 三人の若い冒険者たちは、その姿を見て少し笑った。


 最初に見た時とは違う笑いだった。


「ありがとうございました」


 槍使いの青年が深く頭を下げる。


「助かりました」


 少女も頭を下げる。


 短剣の少年も続く。


「また教えてください」


「面倒だ」


 ガルドが即答する。


 でも。


「依頼料持ってくるなら考える」


 三人は顔を見合わせて笑った。


「はい!」


 返事が大きい。


 ガルドが嫌そうに耳を押さえる。


「だから声がでけえ」


「すみません!」


「それもでけえ」


 今度はギルド中で少し笑いが起きた。


 噂は、また歩くだろう。


 今日の三人も、どこかで話すかもしれない。


 あのギルドには、噂とは違う男がいた。


 小太りで、だらけていて、干し肉を食べていて。


 でも、足跡を一目で見抜き、魔物を殺さず追い払い、若手を助け、必要なことだけを残していく男がいたと。


 そしてその噂もまた、きっと歩きながら姿を変える。


 それでもいいのだと思う。


 実物は、ここにいる。


 椅子に沈んで、面倒くさそうに欠伸をして、ミレナに「食べかす落とさないでください」と怒られている。


 それがガルドだった。

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