■第50話「“夜間警備を強化しよう”って言い出すと、なぜか一番怪しい動きをするのは中の人間になる」
夜というのは、昼と同じ場所でも別の顔を持つ。
人通りは減り、音は遠くなり、灯りがある場所とない場所の差がはっきりする。視界は狭くなり、気配は広がる。だからこそ“夜は危ない”と言われるし、だからこそ“夜の警備”というものが必要になる。
理屈としては簡単だ。
夜は見えにくいから、見張る。人が少ないから、巡回する。何かあった時にすぐ動けるように、準備しておく。
……のだが、“夜間警備を強化しよう”と話し始めた瞬間、なぜか一番怪しい動きを始めるのは、だいたい外から来る誰かではなく、中にいる人間だったりする。
その日のギルドは、まさにそれだった。
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「最近、夜の見回りを強化したいんです」
ミレナが言った。
夕方、受付の閉め作業をしながらのことだった。
「なんでだ」
ガルドがいつもの椅子で伸びながら聞く。
「理由はあります」
ミレナは帳簿を閉じる。
「夜に物音がするって報告が増えてるんです」
「外から?」
リオが聞く。
「中です」
短い答えだった。
空気が少しだけ変わる。
「中?」
「はい」
ミレナは頷く。
「酒場の裏、倉庫のあたり、あと資料室の近く」
「……誰かいるんじゃないですか」
リオが言う。
「いるならいいんです」
ミレナが言う。
「問題は、“誰か分からない”ことです」
それはたしかに問題だった。
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「盗賊か?」
カインが壁にもたれたまま言う。
「その可能性もあります」
ミレナが言う。
「でも、物が減ってるわけじゃないんです」
「じゃあ何してるんだ」
ガルドが言う。
「分かりません」
「一番嫌なやつですね」
リオが言う。
何かが起きているが、被害はない。
だからこそ正体が分からない。
そして分からないものは、だいたい厄介だ。
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「だから、夜の見回りを増やします」
ミレナが言う。
「交代で巡回して、何が起きてるか確認します」
「誰がやる」
ガルドが聞く。
「全員です」
ミレナが即答した。
「順番に!」
「嫌だ」
ガルドが言う。
「夜は寝る」
「普段から寝てるでしょう!」
「夜はちゃんと寝る」
「昼も寝てます!」
でも、その主張は分かる。
夜に動くのは面倒だ。
寒いし、暗いし、眠い。
できればやりたくない。
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「順番決めます」
ミレナが紙を出す。
「一晩に二人」
「二人ですか」
リオが聞く。
「一人だと危ないので」
「まあ、それはそうですね」
「俺はいい」
ドーガが言う。
「門のついでに見る」
「助かります!」
ミレナが言う。
「じゃあもう一人と組んでください」
「誰でもいい」
ドーガは短く言った。
この人は本当にブレない。
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「じゃあ今日は――」
ミレナが紙を見る。
「ドーガさんと、リオくんで」
「え?」
リオが固まる。
「僕ですか」
「はい!」
「なんでですか」
「順番です!」
逃げ場がなかった。
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「いいか」
ドーガが言う。
「無理はするな」
「はい」
リオが頷く。
「無理はしません」
「怪しいと思ったら呼べ」
「誰をですか」
「誰でもいい」
「雑ですね」
だが、それが一番現実的だ。
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夜。
ギルドの灯りは最低限だけ残り、酒場も閉まり、静かになる。
昼の喧騒が嘘みたいに消える。
「……静かですね」
リオが言う。
「こんなに違うんですね」
「違う」
ドーガが言う。
「夜は別だ」
短いが重い言葉だった。
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「まずは酒場の裏から」
ドーガが言う。
足音はできるだけ抑える。
木の床がきしむ音がやけに大きく感じる。
「……」
何もない。
いつも通りの空間。
「次」
ドーガが言う。
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倉庫。
扉を開ける。
暗い。
ランプを少しだけ上げる。
「……」
特に変わった様子はない。
「何もないですね」
リオが言う。
「まだだ」
ドーガが言う。
慎重だった。
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その時だった。
カタ、と小さな音がした。
「……!」
リオが止まる。
「今、音しましたよね」
「した」
ドーガも言う。
音の方向。
棚の奥。
ゆっくり近づく。
「誰かいるんですか」
リオが小声で言う。
返事はない。
だが――
「……」
何かいる気配はある。
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「出ろ」
ドーガが言う。
低い声。
静かだが、逃げ場を与えない。
数秒。
沈黙。
そして――
「……あー」
聞き覚えのある声だった。
「バレたか」
「……ガルドさん?」
リオが言う。
棚の影から出てきたのは、完全にガルドだった。
「何してるんですか!」
「別に」
「別にじゃないです!」
夜の倉庫で“別に”は通らない。
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「見回りだ」
ガルドが言う。
「あなた休みの日ですよね!?」
「呼ばれてねえが、様子見だ」
「怪しいのあなたじゃないですか!」
完全にそうだった。
「酒探してただけだ」
「なお悪いです!」
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「音の原因はこいつか」
ドーガが言う。
「多分そうですね」
リオが言う。
「報告していいですか」
「やめろ」
ガルドが言う。
「怒られる」
「当たり前です!」
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「とりあえず次」
ドーガが言う。
切り替えが早い。
「はい」
リオもついていく。
だが、もう一つ問題があった。
「……」
ガルドもついてきている。
「なんで来るんですか」
「見回りだ」
「あなたは見回られる側です!」
だが止まらない。
こういう人だ。
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資料室。
ここも報告があった場所だ。
扉を開ける。
「……」
静か。
紙の匂い。
埃の匂い。
変わった様子はない。
――はずだった。
「……」
ドーガが止まる。
「どうしました」
「気配がある」
短い言葉だった。
リオの背筋が少し冷える。
「さっきと違う」
「……」
たしかに。
さっきのガルドの時とは違う、“知らない感じ”の気配。
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「出ろ」
ドーガが言う。
今度は少し強い声。
数秒。
そして――
「……すみません」
小さな声。
棚の影から出てきたのは――
マルクだった。
「なんでいるんですか!」
リオが言う。
「いや……」
マルクが頭を掻く。
「昼に片付けきれなかった資料、ちょっとだけ整理してて」
「夜にやらないでください!」
「でも明日だと忘れそうで……」
「忘れていいです!」
むしろ忘れてほしい。
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「……これ、もしかして」
リオが言う。
「“誰か分からない物音”って」
「中の人間だな」
ドーガが言う。
結論が出た。
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「あと一箇所」
ドーガが言う。
「はい」
リオが頷く。
もうほぼ答えは見えているが、一応確認する。
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治療棟の近く。
ここも報告があった。
静かに近づく。
そして――
「……」
中から声がする。
「うーん……」
これは。
嫌な予感しかしない。
扉を開ける。
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「……セリアさん?」
リオが言う。
中にいたのはセリアだった。
「どうしました?」
セリアが振り返る。
「どうしました、じゃないです!」
リオが言う。
「夜ですよ!」
「はい」
「何してるんですか」
「薬の調整を少し」
「少しじゃないです!」
もう分かってきた。
このギルドの“夜の物音”の正体。
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「……」
リオは少しだけ空を見た。
夜の空気が冷たい。
「ドーガさん」
「なんだ」
「これ」
「なんだ」
「全部中の人ですよね」
「そうだな」
短い答えだった。
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結局、その日の見回りで分かったことは一つだった。
夜に物音を出しているのは、外から来る誰かではなく――
中にいる人間たちだった。
しかも全員、“ちょっとだけ”のつもりで動いている。
ちょっとだけ整理。
ちょっとだけ確認。
ちょっとだけ探し物。
その“ちょっとだけ”が重なって、正体不明の物音になっていた。
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「……どうしますこれ」
リオが言う。
「報告しますか」
「する」
ドーガが言う。
「そのまま」
「怒られますよ」
「そうだな」
だが、それが一番正しい。
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翌朝。
「……つまり」
ミレナが言う。
静かに。
「夜の物音の正体は、全員ですか」
「そうなります」
リオが言う。
「……」
ミレナはしばらく黙った。
そして――
「夜間、作業禁止です!」
机を叩いた。
「全部です!」
「だろうな」
ガルドが言う。
「お前もだぞ」
「分かってる!」
珍しく素直だった。
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「“夜間警備を強化する”って言ったら」
ナナが笑う。
「中の人間が一番怪しかったってやつね」
「笑い事じゃないです!」
ミレナが言う。
「でもまあ」
セリアが言う。
「原因が分かってよかったですね」
「……そうですね」
ミレナは少しだけ肩の力を抜いた。
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夜というのは、外だけが危ないわけじゃない。
中にいる人間の“ちょっとだけ”が、一番予想外の動きをする。
その日から、ギルドでは夜間の作業が禁止された。
だがたぶん――
しばらくしたら、また“ちょっとだけ”が始まる。
そういうものなのだ。




