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栄光の中年、ただ生きる  作者: vastum


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■第47話「“記録に残す”って言い出すと、だいたい残したくない顔をしたやつから騒ぎ始める」

 記録というものは大事だ。


 誰が何をしたのか、どこで何が起きたのか、何を持っていて、何を失くして、何を終わらせて、何をまだ残しているのか。そういうものを残しておかないと、あとで必ず困る。


 帳簿もそうだし、依頼記録もそうだし、物品管理表だってそうだ。


 そして、人間の顔もまた、本来は記録しておいた方が便利なものである。


 新しく来た人間が誰なのか、久しぶりに来た依頼人が以前と同一人物なのか、門番に伝えておくべき顔はどれか、万が一問題が起きた時に“誰だったか”を曖昧にしないためにも、顔の記録があるに越したことはない。


 理屈だけなら、何も間違っていない。


 だが、その“人の顔を記録する”という発想が現実に持ち込まれた時、どういう騒ぎになるのかについては、誰も深く考えていなかった。


 その日、ギルドに持ち込まれたのは、剣でも魔法でもなく、絵筆だった。



「本日は、肖像記録を作成します!」


 ミレナが言った。


 朝一番、受付前で、やけに晴れやかな声で。


 リオはその瞬間、嫌な予感と“また知らない地雷が来た”という感覚を同時に覚えた。


「……しょうぞう、きろく?」


 思わず聞き返す。


「はい!」


 ミレナは頷く。


「簡単に言うと、皆さんの顔を記録しておきます!」


「なんでだ」


 壁際の椅子に沈んでいたガルドが、いつものように片目だけ開けて言った。


「記録に必要だからです!」


 ミレナは力強く答える。


「門番への共有、依頼人への説明、あと新しく入った人の把握――色々あるんです!」


「言いたいことは分かるけど、嫌な予感しかしませんね」


 リオは正直に言った。


「なんでですか?」


「顔を残すって聞いて、素直に進む光景が見えないからです」


「そんなことありません!」


 ミレナは真っ直ぐ言った。


「今日は絵師さんにも来てもらってます!」


 入口の方を見る。


 そこには見慣れない男が立っていた。


 細身で、三十代くらいだろうか。背はそこそこ高く、髪は後ろでざっくりまとめている。服は質素だが筆や木炭、紙筒なんかをまとめた革鞄だけは妙に年季が入っていた。


 いかにも“見る仕事をしてます”という顔で、こちらを静かに観察している。


「街の絵師、フェルドさんです」


 ミレナが紹介する。


「依頼人の特徴を記録したり、商会の記録画を描いたりしてる方で、こういうのに慣れてます」


「よろしくお願いします」


 フェルドは軽く会釈した。


 声は低めで、思ったより柔らかい。


「そんなに堅いものではありません。簡単な胸上の記録絵を順番に描いていくだけですので」


「いや、それが堅いんですよ」


 リオが思わず言う。


「顔残るんですよね?」


「残ります」


「嫌ですね」


「素直ですね」


 フェルドは少しだけ笑った。


 だがその穏やかさが逆に怖い。こういう人は、変に達観していて何が起きても「よくあります」で流しそうな気がする。



「俺はやらん」


 ガルドが即答した。


「やってください」


 ミレナが言う。


「嫌だ」


「やってください」


「嫌だ」


「やってください!」


 もういつもの流れだった。


「なんでそんなに嫌がるんですか!」


「顔が残るからだ」


「今さらでしょう!」


「今さらだからだ」


 妙に理屈っぽい。


「ガルドさん」


 セリアが治療棟の方から出てきて言った。


「別に悪いことじゃないですよ?」


「そういう問題じゃねえ」


「じゃあどういう問題なんですか」


「なんか嫌だ」


「子どもですか」


 リオが言う。


「うるせえな」


 でも、その“なんか嫌だ”は少し分かる。


 絵や写真みたいな“固定されるもの”って、普段の自分とは別に扱われる感じがして、妙に落ち着かないのだ。



「ちなみに、順番は決めてあります」


 ミレナが紙を見せる。


「まずは協力的な人からです」


「その言い方、後ろの方ほど面倒って意味ですよね」


 リオが言う。


「その通りです」


 ミレナは即答した。


「最初はセリアさん、次にリオくん、そのあとカインさん、ナナさん、ドーガさん――」


「俺だいぶ後ろだな」


 ガルドが言う。


「当然です」


「納得いかねえ」


「さっきから一番ごねてるじゃないですか!」


 そりゃそうだ。



「では、最初の方」


 フェルドが部屋の明るい側を見ながら言う。


「この窓際をお借りします。自然光がある方が、特徴を取りやすいので」


「ちゃんとしてるな……」


 リオが小さく言う。


「そこに感心するな」


 ガルドが返す。


「相手は本職だろうが」


「そうですけど、ちゃんとしてる人が来ると逆にこっちのぐだぐだが際立つんですよ」


「今さらだろ」


 それもそうだった。



 最初に座ったのはセリアだった。


「そんなに緊張しなくて大丈夫です」


 フェルドが椅子の位置を少し調整しながら言う。


「真っ直ぐこちらを向いて、少しだけ顎を上げてください」


「こうですか?」


「ええ、そのままで」


 セリアは言われた通りに静かに座る。


 背筋が自然に伸びていて、視線も柔らかい。こういうのが様になる人はずるい、とリオは思った。


「……もう完成しそうですね」


「まだ線です」


 フェルドは木炭を走らせながら答える。


 手が速い。無駄がない。


 紙の上にするすると輪郭が出てくる。


「うわ」


 リオは思わず声を漏らした。


「すごいですね」


「本職ですから」


 ガルドが言う。


「だからそこに感心するな」


「いやでも、本当にうまいですよ」


 セリア自身も少し驚いているようだった。


「そんなに私、こういう顔してるんですね」


「してるだろ」


 ガルドが言う。


「どういう意味ですか」


「優しそうな感じだ」


「雑ですね」


 リオが言う。


「でも合ってはいます」


 セリアが少し笑った。


 こういうところがこの人は本当に穏やかだ。



 セリアはあっさり終わった。


 しかもすごくそれっぽく描かれた。


「よし」


 ミレナが頷く。


「これなら誰が見てもセリアさんですね」


「そうですね」


 リオも納得する。


 問題はここからだ。


「次、リオくん」


「はい」


 嫌だった。


 だが断る理由もそこまでない。


 リオは椅子に座る。


「少し肩の力を抜いてください」


 フェルドが言う。


「そんなに警戒しなくていいです」


「警戒してます?」


「していますね」


「バレますか」


「顔に出ます」


 それは地味に恥ずかしい。


「もう少し普段通りで」


「普段通りって難しいですね……」


「いつものように困っている顔でいいんじゃない?」


 ナナが横から言った。


「それっぽい」


「やめてください」


 リオが本気で言う。


「それ絵に残るんですよ」


「いいじゃない、リオくんっぽいし」


「嫌です!」


 だが、その会話の最中にフェルドの手は止まっていなかった。


「……あ」


 リオは途中で気づく。


「今の会話してる間に進んでません?」


「進んでいます」


「怖いですね」


「早いだけです」


 いや、十分怖い。



 完成したリオの記録画は、驚くほど“それっぽかった”。


「……なんか」


 リオが言う。


「自分で見ると複雑ですね」


「分かる」


 セリアが言う。


「自分なのに、自分じゃない感じですよね」


「そうです、それです」


 まさにそれだ。


 ナナは絵を見て笑った。


「ちゃんと“気苦労多そう”な顔してる」


「だからやめてください!」


 ひどい評価だった。


 だが、間違っていないのがさらにひどい。



 三人目のカインは、思った以上に難しかったらしい。


「……もう少し目線を柔らかく」


 フェルドが言う。


「これでも柔らかい」


 カインが答える。


「そうですか……」


「どう見えてるんだ」


「少しだけ“今から誰かを黙らせる人”っぽく」


「怖っ」


 リオが思わず言った。


「黙れ」


「ほらそれです!」


 やっぱり怖い。


 だが、最終的に描かれたカインはかなり精悍で、妙に“ちゃんとしていた”。


「ずるいですね」


 リオが言う。


「なんでだ」


「ちゃんとして見えるので」


「ちゃんとしてるだろ」


 たしかにそうなのだが、なんとなく悔しい。



 ナナは逆に乗り気だった。


「私、ちょっとよく描いてね」


「記録ですので」


 フェルドが落ち着いて返す。


「じゃあ“感じよく”」


「それは元からです」


「うわ、そういうこと言うんだ」


 ナナが笑う。


 この二人、妙に相性がいいかもしれない。


 ナナはポーズまでつけようとしたが、フェルドに「顔の向きがずれるので普通で」と止められていた。


「記録画って自由ないわね」


「自由にした結果、別人になったら意味がないので」


 ごもっともだった。



 ドーガは早かった。


 ものすごく早かった。


「もういい」


 フェルドがまだ下描きの段階で言う。


「え?」


 ミレナが聞き返す。


「特徴がはっきりしているので」


 たしかにそうだった。


 寡黙で、実直で、何より輪郭が強い。


 描かれたドーガは、説明がなくてもドーガだった。


「門に貼るならこれで十分だな」


 本人もそう言った。


「なんで門に貼るんですか」


 リオが聞く。


「抑止力になる」


「絵でですか」


「なるだろ」


 ちょっと分かるのが悔しい。



 ここまでは比較的平和だった。


 比較的、である。


 問題はこのあとから始まった。



「次、ガルドさん」


 ミレナが言った。


「嫌だ」


「来てください」


「嫌だ」


「来てください!」


 まるで子どもの呼び出しだった。


「なんでそんなに嫌なんですか!」


「なんか残るだろ」


「だから記録です!」


「記録が嫌だ」


「哲学みたいに言わないでください!」


 だが、ここで別方向から面倒が湧く。


「じゃあ俺が先でいいぞ」


 ライルが手を挙げた。


 誰も呼んでいないのにいた。


「なんでいるんですか」


 リオが言う。


「面白そうだから」


「それは知ってます!」


 もう本当に勘弁してほしい。


「ライルさんは後です!」


 ミレナが言う。


「後かよ!」


「後です!」


「なんでだ!」


「絶対にじっとしてないからです!」


 これもまたごもっともである。



「ガルドさん、さっさと終わらせてください」


 ミレナが言う。


「終われば解放です」


「そこまで言うなら……」


 ガルドは嫌そうな顔のまま立ち上がった。


 椅子へ向かう。


 座る。


 だが、その瞬間からもうおかしかった。


「もっと普通に座ってください」


 フェルドが言う。


「普通だ」


「普段からだらけてる人の“普通”は困ります」


「ひでえな」


「本当です!」


 ミレナが言う。


 たしかに、肘をかけ、足を投げ出し、椅子に半分沈んでいる姿は、“その人らしい”といえばそうだが、記録としてはかなりどうなんだろうという感じではある。


「もう少し上体を起こして」


「こうか」


「それだと今度は不機嫌すぎますね」


「不機嫌だ」


「知ってます!」


 フェルドは初めて少し困った顔をした。


 つまり、描きにくいのだ。


 たぶんこの人の顔は、動かない時の方が逆に難しいのだろう。


 普段は雑で、だるそうで、でも気を抜くと妙に鋭くなる。そこを紙の上で固定するのは厄介だ。


「普通の顔してください」


 ミレナが言う。


「普通ってなんだ」


「いつもの感じです!」


「今がそうだ」


「違います!」


 全然噛み合っていない。



「少しだけ質問してもいいですか」


 フェルドが言った。


「なんだ」


「嫌いなものは?」


 突然だった。


「は?」


 ガルドが眉を寄せる。


「表情が固いので、少し動かそうと思いまして」


「ああ……」


 リオは少しだけ納得した。


 話しながらの方が“その人らしさ”が出ることはある。


「嫌いなものか」


 ガルドは少し考えた。


「めんどくさい契約」


「具体的ですね」


「あと無駄に長い説教」


「分かりやすいですね」


「それと、酒を隠されること」


 ミレナがぴくっと反応する。


「誰のせいですか」


「お前だ」


「仕事中に出すからでしょう!」


 そのやり取りの間に、フェルドの手がかなり進んでいた。


「あ」


 リオが言う。


「今、ちょっとそれっぽいです」


「だろ?」


 ガルドが言う。


「そういう“話してる時の感じ”が一番それっぽいんです」


 たしかに、だらけているだけでも、不機嫌なだけでもない。


 妙に力が抜けていて、でも芯がある。


 普段近くにいるからこそ気づかないが、こうして輪郭にされると、ガルドという人間の変な存在感がよく分かる。


「……ずるいな」


 リオがぼそっと言う。


「何がだ」


「ちゃんとそれっぽいです」


「そりゃそうだろ」


 ガルドが言う。


「俺なんだから」


 そこは堂々としていた。



 そして完成したガルドの記録画は、妙に“いい感じ”だった。


「なんでですか」


 リオが言う。


「なんでちょっと格好いいんですか」


「格好いい?」


 ガルドが言う。


「いや、“妙にそれっぽい”って意味です」


「褒めてるな」


「褒めてません!」


 だが、ミレナも少しだけ悔しそうに絵を見ていた。


「……これなら、記録としてはすごくいいです」


「だろ?」


「そこを得意げにしないでください!」


 完全に想定外だったらしい。


 もっと“だらしないおっさん”になると思っていたのだろう。


 だが、絵師が描くと、そういう雑さも含めて“顔”になるらしい。



「次、アルヴェインさん」


 ミレナが言った瞬間、空気が少し変わった。


 アルヴェイン本人は、奥の机で書類を見ていたが、その声で顔を上げる。


「俺もか」


「当然です」


 ミレナが言う。


「必要です」


「……」


 少しだけ間があった。


「アルでいい」


 静かに言う。


「え?」


 リオが聞き返す。


「記録に書く名前だ」


 アルヴェインは立ち上がりながら言う。


「アルヴェインは長い」


「いや、そこですか」


 リオが思わず言う。


「そこだ」


 それ以上は何も言わないが、それがこの人なりの線引きなのだろう。


 勇者と騒がれるのを嫌って“アル”と呼ばせているのは知っていたが、こういう“記録に残るもの”でもそこを通すのか、と少しだけ思った。


 でも、そういう人だ。


「分かりました」


 ミレナもそこには逆らわなかった。


「記録名はアルで」


「助かる」


 短い返事だった。



 アルの絵は、予想通り難しくなかった。


 というより、完成度が高すぎて腹が立つ類だった。


「……ずるいですね」


 リオが言う。


 また言ってしまった。


「なんでだ」


 アルが聞く。


「なんでこんなにそのままなんですか」


「そのままだからだろう」


 正論すぎた。


 絵の中のアルは、静かで、整っていて、でも冷たすぎず、ちゃんと“今のアル”だった。


 勇者っぽいというより、今このギルドで立っている人間としての顔になっている。


 そこがまた厄介だ。


「この人たち、絵になるのずるくないですか」


 リオが本気で言う。


「誰に文句言ってるんですか」


 ミレナが返す。


「世界です」


 わりと本気だった。



 そして、問題児が来た。


 ライルである。


「よし!」


 椅子に座るや否や、勝手に胸を張る。


「なんでそんなやる気なんですか」


 リオが聞く。


「残るんだろ?」


「残りますけど」


「なら、強そうに描いてくれ」


 フェルドが少しだけ目を伏せた。


「記録ですので」


「じゃあ“強そうな記録”で」


「そういうジャンルはありません」


 ばっさりだった。


 だが、ライルはへこたれない。


「この角度の方が良くないか?」


「動かないでください」


「剣持った方がいいか?」


「いりません」


「炎とか足せないか?」


「足しません」


 会話が全部予想通りで、逆に安心感すらあった。


「普通にしてください」


 ミレナが言う。


「普通ってなんだよ!」


「あなたの場合それが一番難しいんです!」


 たしかにそうだ。



 しかもライルはじっとしていない。


 口も動くし、肩も動くし、勝手に表情を変える。


「止まってください!」


「止まってる!」


「心が動いてます!」


「それは止められねえ!」


 もう何の会話か分からない。


「じゃあ質問に答えてください」


 フェルドが言った。


「今一番欲しいものは?」


「勝利!」


 即答だった。


「具体的に」


「皆からの尊敬!」


「……」


 全員が少し黙った。


「それは難しいですね」


 ナナが言う。


「難しいな」


 ガルドも言う。


「そこまで言う!?」


 ライルが叫ぶ。


 その瞬間の顔が一番それっぽかった。


「今です」


 フェルドが静かに言う。


「そのままで」


「え?」


 ライルが固まる。


「今の顔で」


「どの顔だよ!」


「その“なんでだよ”って顔です」


 あまりにも的確だった。


 そして、完成したライルの記録画は、なんとも言えず“ライル”だった。


「すごいなこれ……」


 リオが言う。


「うるさそう」


 ナナが一言で言った。


「顔なのに分かる」


「ひどくないか!?」


 だが、褒め言葉でもあるのだろう。


 たぶん。



 その後も、カイル、マルク、ユーン、ナナの補助で来ていた酒場の子、ついでにロッドまで描かれることになった。


 ロッドは最初断ったが、「鍛冶場に出入りする顔も記録しておきたい」とミレナに押し切られた。


「仕事の顔でいい」


 それだけ言って座る。


 描かれたロッドは、思った以上に職人で、思った以上に怖かった。


「鍛冶場の前に貼ったら泥棒減りそうですね」


 リオが言う。


「それはいいな」


 ロッド本人が頷いたのが少し面白かった。



 ここまで来ると、もう最初の目的はほぼ達成されている。


 必要な顔はだいたい描けた。


 あとは整理して、門や受付で共有すればいい。


 本来なら、そこで終わりのはずだった。


 だが、終わらなかった。



「せっかくだから、集合画も描きません?」


 ナナが言った。


 最悪の一言だった。


「なんでですか」


 リオが聞く。


「せっかくこれだけ揃ってるんだし」


「記録で十分でしょう!」


「でも面白そうじゃない」


「その理由で増やさないでください!」


 だが、フェルドが少しだけ考え込む。


「……時間はかかりますが、できますね」


「乗らないでください!」


 リオが叫ぶ。


「本職の人が乗ると止められないんです!」


「集合画か」


 ガルドが言う。


「やらん」


「でしょうね!」


 安心した。


 だが次の瞬間。


「まあ、見てみたい気もするな」


 アルが言った。


 全員がそちらを見る。


「なんでですか!?」


 リオが本気で聞いた。


「記録として面白い」


「アルさんまでそういうこと言うんですか!」


「ただし、自然な形でな」


「自然ってなんですか」


「普段の空気だ」


「それが一番難しいんですよ!」


 その通りだった。


 普段の空気なんて、誰かが“普段でいてください”と言った瞬間に消える。



 結局、やることになった。


 なぜか。


 理由は誰にも分からないが、なったものはなった。


「じゃあ、いつもの感じで」


 フェルドが言う。


「誰がどこにいても構いません。無理に整列しなくていいので」


「整列の方が楽じゃないですか?」


 リオが聞く。


「記録画ならそうです」


 フェルドが答える。


「でも“この場の空気”を残すなら、整列すると嘘になります」


 その言い方は少しだけ格好よかった。


 悔しいが、たしかにそうだ。



「俺ここ」


 ガルドはいつもの椅子に戻った。


 当然のように。


「動かねえぞ」


「動かなくていいです」


 フェルドが言う。


 そこはありがたい。


「じゃあ私はカウンターの中ですね」


 ミレナが言う。


「いつも通りだし」


「俺はここか」


 アルは奥の机の近く。


「私は治療棟の入口あたりで」


 セリアが言う。


「それもいつも通りですね」


 リオが言う。


 それぞれの場所が、自然に決まっていく。


 こういう時の方が、逆に“普段の位置”がはっきりするのが少し面白い。


「僕は?」


 リオが聞く。


「その辺で困っててください」


 ナナが言った。


「やめてください!」


「でも一番それっぽい」


「だから嫌なんです!」


 ひどい評価なのに、否定しきれない。



 だが、集合画の本当の問題は、“全員が静かにしていられるか”だった。


「じっとしてろってことか?」


 ガルドが聞く。


「いえ、多少は会話していても大丈夫です」


 フェルドが言う。


「その方が自然なので」


「じゃあ楽だな」


 ガルドが言った、その瞬間。


「おーい」


 新しい声が入口からした。


 最悪の間の悪さだった。


 入ってきたのは、ベルクだった。


 大きな体に、いつものように乱暴そうでいて実は気のいい顔。


「なんだこれ」


「やめてください!」


 リオが言う。


「増やさないでください!」


「何も言ってねえだろ!」


「言います絶対!」


 もはや反射だった。


「絵か?」


 ベルクが聞く。


「そうだ」


 ガルドが言う。


「記録です」


 ミレナが訂正する。


「へえ、面白そうだな」


「だからです!」


 リオが本気で叫ぶ。


 だが、もう遅い。


「俺も入るか?」


 ベルクが言う。


「ダメです!」


 ミレナとリオが同時に言った。


「なんでだよ!」


「予定外だからです!」


 もうこれ以上は増やせない。


 画面にも、話にも。


「そうか……」


 ベルクは少し残念そうだった。


 しかし、その直後にドーガが入口の方へ歩いてきた。


「お前、ちょうどいい」


「何がだ」


「外で立ってろ」


「なんでだよ」


「増えるからだ」


 妙に正当な理由だった。


 ベルクは少しだけ考えてから「まあ、それもそうか」と引き下がった。


 珍しく空気を読んだ。


 助かった。



 ようやく描き始める。


 全体の線が取られていく。


 受付の位置、酒場側のカウンター、窓から入る光、そしてそこにいる人間たち。


「……なんか」


 リオがぼそっと言う。


「これ、ちょっと恥ずかしいですね」


「なんでだ」


 ガルドが聞く。


「普段の自分たちが外から見えるからです」


「今さらだろ」


「今さらなんですけど」


 でも、少し分かるだろうか。


 いつも中にいると、それが“風景”になってしまう。だがこうして絵にされると、風景の中の自分たちが妙にくっきりする。


 自分がどこにいて、誰の近くにいて、どういう顔をしているのか。


 そういうのが、隠せない。


「いいですね」


 セリアが小さく言う。


「何がだ」


 ガルドが聞く。


「こうして見ると、ちゃんと“ここ”って感じがするので」


 それは少しだけ、リオにも分かった。



 描き上がるまでには、意外と時間がかかった。


 その間に何人かが動きそうになり、何人かが勝手に喋りすぎ、ライルが「俺もうちょっと前でよくないか」と言ってミレナに戻され、ナナが「私、もう少し感じよく見える角度ない?」と相談してフェルドに「もう十分です」と切られていた。


 それでも最後には、ちゃんと一枚になった。



 完成した絵を見た時、最初に声を漏らしたのは意外にもミレナだった。


「……あ」


 それだけ。


 でも、それで十分だった。


 絵の中には、ギルドがあった。


 壁際でだるそうに座っているガルド。

 その近くで、何か言いたそうなリオ。

 受付に立っているミレナ。

 奥の机にいるアル。

 治療棟の入口近くにいるセリア。

 横で何か企んでいそうなナナ。

 ちょっと前に出すぎているライル。

 静かすぎて逆に目立つカイン。

 入口近くのドーガ。


 整いすぎてもいない。

 きれいすぎてもいない。

 でも、確かにこの場所だった。


「……すごいですね」


 リオが言う。


 素直にそう思った。


「やっぱりそういう顔してるんですね、みんな」


「どういう顔だ」


 ガルドが聞く。


「その人の顔です」


 リオが答えた。


「そのまんまですね」


 ナナが笑う。


「でもまあ、正しいんじゃない?」


 たぶん、そうなのだろう。



「これ、どこに置きます?」


 ミレナが聞く。


「受付裏でいい」


 アルが言う。


「門には個別の記録画だけ回す」


「そうですね」


 ミレナは頷いた。


「集合画まで貼ったら、なんか違う気がしますし」


「違うな」


 ガルドも言う。


「なんか嫌だ」


「そこは分かるんですね」


 リオが言う。


「最初から言ってるだろ」


 その通りだった。



 フェルドは道具を片付けながら、静かに言った。


「面白い場所ですね」


「そうですか?」


 セリアが聞く。


「はい」


 フェルドは少しだけ笑う。


「描きやすいです」


「それ褒めてるんですかね……」


 リオが言う。


「褒めてるんじゃない?」


 ナナが言う。


「少なくとも退屈ではなかったでしょ」


「ええ」


 フェルドは頷いた。


「退屈ではありませんでした」


 それはもう、十分すぎる評価だった。



 記録に残す、と言い出すと、だいたい残したくない顔をしたやつから騒ぎ始める。

 でも結局、残ったものを見れば、その騒ぎごとその人らしさだったりする。


 その日の絵は、ただの記録画のはずだった。

 だがそこには、顔だけじゃなくて、距離感や空気や、普段は言葉にしないものまで少しだけ残っていた。


 それを誰も大げさに言わないまま、絵は受付の奥に置かれた。

 見ようと思えば見えるし、見なくてもそこにある。


 たぶん、それくらいがちょうどよかった。

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