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栄光の中年、ただ生きる  作者: vastum


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■第42話「“ついでに頼む”が積み重なると、だいたい最初の用事が一番どうでもよくなる」

 “ついで”という言葉は、便利なようで危ない。


 ついでにこれも。ついでにあれも。どうせ行くならこっちも。どうせ持つならもう一つ。そうやって小さな追加が積み重なっていくと、最初に何をしに行くつもりだったのか、だんだん分からなくなってくる。


 しかも厄介なことに、“ついで”で増えた用事ほど断りづらい。


 ちょっとしたことだから頼みやすいし、頼まれた方もその場では「それくらいなら」と思ってしまう。だが、その“それくらい”が五つも六つも重なると、最終的には最初の目的が一番軽く見えるくらい話が膨らむ。


 その日のギルドは、朝からまさにそれだった。


⸻


「ガルドさん、悪いんですけど」


 受付前で、ミレナが一枚の紙を差し出した。


 声の調子はいつも通りだが、内容次第では絶対に面倒なやつだとリオは感じ取っていた。


「なんだ」


 ガルドは椅子にだらけたまま片目だけ上げた。


「東門の外にある道具小屋に、予備の帳簿を届けてきてもらえますか」


「嫌だ」


 即答だった。


「なんでですか!」


「軽い用事ほど嫌だ」


「意味が分かりません!」


「重い用事なら諦めるが、軽い用事は“誰でもいいだろ”感がある」


「誰でもいいですけど、今いる中ではあなたが一番手が空いてるんです!」


「リオでいいだろ」


「僕は今、依頼票の整理やってます!」


 リオは反射的に言い返したが、その瞬間に“やらかした”と思った。


 こういう時に名前を出したら巻き込まれる。


「じゃあ一緒に行けばいい」


 ガルドが言う。


「ほら」


「ほら、じゃないです!」


 ミレナが机を叩く。


「なんで二人まとめて増やそうとするんですか!」


「効率だ」


「その言い方をした時のあなたは信用しません!」


 もう学習されている。


⸻


「それくらいなら、すぐ終わりますよね」


 セリアが治療棟の方から顔を出して言った。


 その一言が、地味に危険だった。


「セリアさん、そうやって簡単って言うと絶対増えますよ」


 リオが言う。


「え?」


「こういうのは“すぐ終わる”って言われた瞬間に終わらなくなるんです」


「そんなことないだろ」


 ガルドが言う。


「大体あるんですよ」


 リオは真顔だった。


 これまでの経験が物を言っている。


「とにかく!」


 ミレナが紙と帳簿の束を押しつけるように差し出した。


「東門の外の道具小屋に、これを届けるだけです! 寄り道禁止! 追加禁止! 誰かに何か頼まれても引き受けない!」


「先に禁止事項が多いな」


 ガルドが言う。


「それだけ信用がないんです!」


「ひでえな」


「経験則です!」


 ひどくはない。事実だ。


⸻


 結局、ガルドとリオが行くことになった。


 道具小屋は東門を出て少し歩いた場所で、距離としては大したことはない。


 本当に“届けるだけ”の用事だ。


 だからこそ嫌な予感がする。


「絶対何か増えますよ」


 東門へ向かいながら、リオは言った。


「増えねえよ」


 ガルドが答える。


「帳簿届けて終わりだ」


「その“終わりだ”が終わらないんです」


「心配性だな」


「経験です」


 まったく同じ会話を何度もしている気がした。


⸻


 東門の前では、ドーガがいつものように立っていた。


「どこへ行く」


 短く、必要なことだけ聞く。


「道具小屋に帳簿届けるだけだ」


 ガルドが言う。


「それだけか」


 ドーガの目が少しだけ細くなる。


「それだけです!」


 リオが先に言った。


「今日はそれだけです!」


「強く言うな」


 ドーガが言う。


「強く言わないと増えるんです」


「そうか」


 短い返事だったが、妙に納得された感じがあった。


 つまりドーガも、そう思っているのだろう。


「帰りに門番用の油、倉庫から受け取ってきてくれ」


 ほら来た。


 リオは心の中で言った。


「ついでだ」


 ドーガが言う。


「ほらぁ!」


 思わず口に出た。


「始まりましたよ!」


「門の帰り道だろ」


 ガルドが言う。


「ついでだ」


「それです!」


 リオが指をさす。


「その“ついで”が危ないんです!」


「油くらいならいいだろ」


「今の時点では、ですね!」


 結局、追加一件。


 まだ少ない。だが、少ないうちほど危険なのだ。


⸻


 東門を出て少し歩く。


 空は晴れているし、風も穏やかだし、本当にただの雑務日和みたいな空気だった。


「こういう日が一番危ないんですよね」


 リオが言う。


「なんでも危ないって言ってるな、お前」


「実際危ないじゃないですか」


「今日は危なくねえよ」


 ガルドが言った、その直後だった。


「おーい!」


 前方から声がした。


 荷車を押しながら、トーマがこちらへ向かってくる。


「ほら!」


 リオが言う。


「まだ何も起きてねえだろ」


「起きますよ絶対!」


 トーマは汗だくで、しかし妙に明るい顔をしていた。


「ちょうどよかった! ガルドさん!」


「何だ」


「道具小屋の方行くなら、これも一緒に持ってってもらえません?」


 出た。


「ほらああああ!」


 リオが叫ぶ。


「だからです!」


「そんなに嫌がるなよ」


 トーマが苦笑する。


「木箱一つだけですって。中身、縄と杭だから軽いし」


「“一つだけ”って言葉、信用できないんですよ」


 リオが真顔で言う。


「でも本当に一つだけだぞ?」


「今は、ですよね?」


「今は?」


「増えるんです!」


 だがトーマは悪意ゼロだ。


 こういう“善良なついで依頼”が一番断りにくい。


「持つか」


 ガルドが箱を持ち上げる。


「軽いな」


「持たないでください!」


「ついでだろ」


「だからです!」


 リオの悲鳴は、誰にも止められなかった。


⸻


 道具小屋が見えてきた。


 小さな木造の建物で、周囲には予備の樽や棒材、修繕用の板なんかが積んである。


「ほら、着いたぞ」


 ガルドが言う。


「はい」


 リオは少しだけ安心した。


 ここで帳簿を渡して、木箱も置いて、帰りに油を回収すれば終わる。


 まだ巻き返せる。


 そう思った瞬間に、小屋の中から顔を出したのはマルクだった。


「助かった! ちょうど人手欲しかったんだよ!」


「増えた!」


 リオが叫んだ。


「絶対そうなると思いました!」


「何がだ」


 ガルドが言う。


「分かってるでしょう!」


 マルクは事情を知らないまま、こちらへ走ってくる。


「帳簿持ってきてくれたの助かる! ついでに棚の上の箱、下ろすの手伝ってくれない?」


「ダメです!」


 リオが先に言った。


「今日はついで禁止なんです!」


「えっ、でもすぐ終わるぞ?」


「“すぐ終わる”も危ないんです!」


「お前、今日はやたら警戒してるな」


 ガルドが言う。


「いつもです!」


 リオはもう半分やけくそだった。


⸻


 だが、棚の上の箱というのが、見た目に明らかに危なかった。


 高い位置に傾いたまま置かれている。


「……あれは下ろした方がいいな」


 ガルドが言う。


「そうだけど今じゃないです!」


「今だろ」


「今じゃないです!」


 しかし、マルクは本当に困っている顔をしていた。


「あとで一人でやると逆に危なくてさ……」


 その言い方は、実にずるい。


 正論だからだ。


「……少しだけですよ」


 リオが折れた。


「一つ下ろすだけですからね」


「だろ?」


 ガルドが言う。


「だからこうなるんですよ!」


 自分で自分に突っ込むしかない。


⸻


 棚の上の箱は、思ったより重かった。


「なんでこんな重いんですか!」


 リオが下で支えながら言う。


「釘と金具だ」


 マルクが言う。


「もっと先に言ってください!」


「言う前に持ち上げたから……」


「息ぴったりで作業しないでください!」


 だが、何とか下ろした。


 これで終わり――のはずだった。


「助かった! じゃあついでにこっちの――」


「ダメです!」


 今度はガルドとリオが同時に言った。


 マルクが少し引いた。


「え、そんなに?」


「そんなにです!」


 リオが言う。


「今日はもう“ついで”に殺されかけてるんです!」


「大げさだな」


 ガルドが言う。


「事実です!」


⸻


 なんとか小屋を出る。


 帳簿は渡した。

 トーマの箱も置いた。

 棚の箱も下ろした。


 これで十分だ。


「……帰りますよ」


 リオが言う。


「油もあるぞ」


 ガルドが言う。


「そうでした……」


 まだ終わっていない。


⸻


 帰り道、今度は道端でカイルに会った。


「何してるんですか」


 カイルが聞く。


「雑務だ」


 ガルドが言う。


「軽い用事です」


 リオが言う。


「もう全然軽くないですけど」


「そうか?」


「そうです!」


「そういえば」


 カイルが言った。


「ギルド戻るなら、ロッドさんにこれ渡してもらえます?」


 小さな革袋を出してくる。


「またかあああ!!」


 リオが叫んだ。


「なんでですか!」


「いや、鍔の留め具が……」


「事情は分かるんです! でも増えるんです!」


「お前、今日おかしいぞ」


 カイルが少しだけ引いていた。


「今日だけじゃないですよたぶん」


 ガルドが言う。


「うるさいです!」


 だが革袋は受け取られた。


 ガルドが当然のように。


「持つんですか!?」


「軽い」


「軽さの問題じゃないです!」


 もう完全に荷物持ちになっている。


⸻


 東門に戻るころには、


 帳簿、

 門番用の油、

 トーマの木箱、

 カイルの革袋、

 そしてなぜか道具小屋から借りた釘袋の予備まで増えていた。


「なんで増えてるんですか」


 リオが死んだ目で聞く。


「マルクが“これも戻しといて”って」


 ガルドが言う。


「受け取らないでくださいよ!」


「ついでだろ」


「それです!」


 もはや怒る元気も削れてきた。


⸻


 門のところでドーガに油を渡す。


「助かる」


「一件です!」


 リオが言う。


「これは一件で終わったやつです!」


「何の話だ」


「今日の戦いです!」


 ドーガは少しだけ考えたあと、短く言った。


「増やしたな」


「でしょう!?」


「お前もだろ」


 ガルドが言う。


「僕は止めてました!」


「でも持ってる」


「不可抗力です!」


⸻


 ギルドに戻ると、ミレナが待ち構えていた。


 その目が、最初から荷物の数を数えている。


「……増えてますね」


 低い声だった。


「違うんです」


 リオが反射で言う。


「全部理由があるんです!」


「理由があるのは分かります」


 ミレナが言う。


「でも増えてます」


「増えたな」


 ガルドがあっさり認めた。


「認めないでください!」


 だが、もう隠しようもない。


 カウンター前に並べると、最初の帳簿が一番地味なくらいだった。


「なんで木箱があるんですか」


「トーマさん」


「なんで革袋があるんですか」


「カイル」


「なんで釘袋まで」


「マルク」


「なんで受け取るんですか!」


「頼まれたからだろ」


「断ってください!」


「断りづらいだろ」


 ひどく真っ当なことを言う。


 それが余計に腹立たしい。


⸻


「つまり」


 ナナが酒場側から顔を出して言った。


「頼まれやすいってこと?」


「そういう問題ですかねこれ」


 リオが言う。


「そういうことでもあるでしょ」


 ナナは笑った。


「どうせ行くなら、って顔してたんじゃない?」


「してねえよ」


 ガルドが言う。


「してます」


 リオとミレナが同時に言った。


 珍しく息が合った。


⸻


 そこへロッドが来た。


 革袋を見て、無言で受け取る。


 中身を確認する。


 それからリオではなく、ガルドを見る。


「ついでにこれも持ってけ」


 小さな金具袋を差し出した。


「もう増やさないでください!!」


 リオが本気で叫んだ。


 ギルド中が少し静かになった。


 ロッドは少しだけ目を細める。


「……明日でいいか」


「明日でお願いします!」


 ようやく止まった。


⸻


「ほらな」


 ガルドが言う。


「明日でよかった」


「その“よかった”に至るまでが長いんですよ!」


 リオは机に手をついた。


 疲れていた。

 戦闘の次の日の休養日の次の軽作業日のはずなのに、なぜこんなに疲れているのか分からない。


「最初は帳簿だけだったんですよね……」


 ぼそりと呟く。


「そうだな」


「それがどうしてこうなったんですか……」


「ついでだろ」


「その言葉もう禁止にしません!?」


 ミレナがすぐに紙を出した。


「いいですね、それ」


「増やさないでください!」


 だがもう遅い。


 ミレナはさらさらと書き始める。


 “ついで”は一件まで


「ルール増やさないでください!」


 リオが言う。


「必要です!」


「絶対また増えますよ!」


「その時考えます!」


 ひどい話だった。


⸻


 昼過ぎには、結局全部片づいた。


 帳簿は小屋に届いたし、油はドーガに渡ったし、トーマの木箱も置かれたし、カイルの革袋もロッドに届いた。


 最初の目的は達成されている。


 されているのだが、どう考えても“ついで”の方が多かった。


「で」


 ガルドが言う。


「終わったな」


「終わりましたけど」


 リオが疲れた顔で言う。


「これ、最初の用事なんでしたっけ」


 少し間があった。


「帳簿だな」


 ガルドが言う。


「そうですよね……」


 本当に忘れかけていた。


 最初の用事が一番薄くなっている。


「だから言ったんです」


 リオは心から言った。


「“ついで”が増えるって」


「増えたな」


「増えましたね」


 セリアがいつの間にか近くまで来ていて、小さく笑った。


「でも、全部必要なものではありましたよね」


「そこが嫌なんですよ」


 リオが言う。


「断れないんですよ」


「それはそうですね」


 セリアは穏やかに頷く。


 否定できないのがつらい。


⸻


 酒場側から、ナナが盆を持ってくる。


「はい、お疲れさん組」


 置かれたのは冷たい果実水と、小さな焼き菓子だった。


「差し入れですか?」


 リオが聞く。


「今日はただの善意」


 ナナが言う。


「ついでじゃない」


 リオは一瞬だけ疑ったが、今日はもうそれ以上突っ込む気力がなかった。


「ありがとうございます……」


 素直に受け取る。


 飲む。


 冷たくて、やたらうまかった。


「……うまい」


 ガルドが言う。


「でしょ?」


「ついでに酒――」


「ダメです」


 リオが即答した。


 ミレナも同時に「ダメです」と言った。


 また息が合った。


「息ぴったりですね」


 セリアが少しだけ笑う。


「不本意です」


 リオが言う。


「こっちもです!」


 ミレナが言った。


 でも、そのやり取り自体が、もう少しいつも通りだった。


⸻


 “ついでに頼む”が積み重なると、だいたい最初の用事が一番どうでもよくなる。

 しかも厄介なのは、その追加分にもちゃんと理由があって、断れないことだ。


 その日の話題は、その日で終わった。

 帳簿も油も木箱も革袋も、ちゃんと届けられた。


 ただ一つだけ確かなのは――

 このギルドの人間に“ついで”という言葉を許すと、帰ってくる頃には最初の一件では済まないということだった。

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