■第41話「休めと言われた日に限って、だいたい周りが休ませてくれない」
大きい戦いのあとには、だいたい二種類の人間がいる。
一つは、とにかく寝たい人間だ。
体力も気力も使い切って、もう何も考えたくない。椅子でも床でもいいから横になって、起こされるまで意識を切りたい。そういう、ごくまっとうな反応をする人間である。
もう一つは、逆に妙にそわそわしてしまう人間だ。
あれは大丈夫だったか、これを片付けないといけない、今のうちに確認した方がいい、ついでに報告もしないと、傷の手当ての順番はどうする、あの道具を戻しておかないと――そうやって、戦いが終わった瞬間から“次のこと”を始めてしまう人間だ。
そして、厄介なのは後者の方がだいたい周囲も巻き込むということである。
東の旧街道での一件から一夜明けたその日、ギルドの空気は妙に静かだった。
静かといっても、死人が出た家のような重苦しい静けさではない。
ただ、皆がいつもより少しずつ動きが遅く、声が低く、余計なことを言う気力だけが足りていない感じの静けさだ。
そんな空気の中で、一番最初に響いたのはミレナの声だった。
「今日は休養日です!」
朝一番、受付前で言い切った。
しかもかなり強い口調で。
リオはそれを聞いた瞬間、嫌な予感と安心感が同時に湧くのを感じた。
「休養日、ですか」
「そうです」
ミレナが腕を組む。
「昨日動いた人は、今日は基本的に軽作業か休みです。無理に依頼を入れません。勝手に動くのも禁止です」
そこで、一拍置いた。
「特にガルドさん」
「なんで名指しなんだ」
壁際の椅子に沈んでいたガルドが、片目だけ開けて言った。
「分かりきってるからです!」
ミレナは即答した。
「あなた、こういう日に限って“傷も浅いし暇だから見回りでも行くか”とか言い出すでしょう!」
「言わねえよ」
「言います!」
「今日はまだ言ってねえ」
「言う気はあるんですね!?」
ひどい会話だった。
だが、だいたい合っている気もする。
「俺はちゃんと休むぞ」
ガルドはそう言って、椅子の背にもたれた。
「ほら」
「信用できません」
ミレナが即答する。
「それ、今までで一番失礼じゃないですか」
リオが言うと、ミレナは真顔で返した。
「経験に基づいています」
反論しづらい。
⸻
「休養は必要だ」
カインが言った。
その声もいつもより少し低い。昨日の消耗が残っているのだろう。
「無理して動くと鈍る」
「お前が言うと説得力あるな」
ガルドが言う。
「実際ある」
カインは真顔だった。
珍しく、今日は無駄な張り合いの気配もない。
たぶん本当に疲れているのだ。
「セリアさんも今日は治療棟からあまり出ないでくださいね」
ミレナが言う。
「昨日から働きっぱなしなんですから」
「はい」
セリアは頷いた。
だが、その返事が少しだけ怪しい。
この人は“分かりました”と言いながら普通に他人の世話を焼きに来るタイプである。
リオはそう思ったが、口には出さなかった。
言っても変わらない時は変わらない。
⸻
「じゃあ俺は帰る」
ガルドが言った。
「待ってください」
ミレナが即座に止める。
「なんでだ」
「休む場所を管理します」
「管理?」
「はい」
ミレナは本気だった。
「今日はギルド内で休んでください」
「なんでだよ」
「どこで何してるか分からなくなるからです!」
「監視前提だな」
「その通りです!」
もう隠さないらしい。
ガルドは心底嫌そうな顔をしたが、否定しきれないあたりが悲しい。
「俺、家で寝たい」
「ダメです」
「なんでだ」
「絶対途中でどこか寄ります」
「寄らねえ」
「酒場」
「……」
「ほら!」
ミレナの勝ちだった。
⸻
こうして、その日は“ギルド内休養日”というよくわからない一日になった。
依頼の受注は最小限。外回りは昨日動いていない若手中心。昨日の主力は、酒場側の長椅子や治療棟の空き椅子、受付裏の机周辺にそれぞれ散らばって、妙に行儀よく休まされることになった。
そして、それが平和に終わるはずもなかった。
⸻
最初に問題を起こしたのは、やはりガルドだった。
「暇だな」
長椅子に寝転がったまま言う。
「休養ですからね」
リオが向かいの椅子で答える。
「暇でいいんです」
「暇すぎる」
「それが休みです」
リオ自身も、体は重い。腕も脚も、昨日の疲れが芯に残っている。
それでも、何もしないでいると落ち着かない気持ちも少しある。
その気持ちはよく分かる。分かるが、今日は乗ってはいけない流れだ。
「何かしようぜ」
ガルドが言った。
「ダメです」
リオが即答する。
「なんでだ」
「休養日だからです」
「休養ってのは、好きなことして休むもんだろ」
「あなたの好きなこと、大体面倒の入口じゃないですか」
ものすごくまっとうな返しだった。
「じゃあ面倒じゃないこと」
「それが一番信用できないんですよ」
⸻
「ガルドさん」
セリアが横から声をかける。
「傷が開くと困るので、本当に大人しくしててくださいね」
「はいはい」
「返事が軽いです」
「返事は軽くても内容は重い」
「意味が分かりません」
だがセリアの声は柔らかいのに、妙に逆らいにくい。
ガルドもそれ以上は言わず、また椅子に沈んだ。
少しだけ本当に寝る気になったのかもしれない。
そう思ったのが甘かった。
⸻
「おーい!」
入口から響いたのはライルの声だった。
すでに嫌な予感しかしない。
「今日暇だろ!? 何かやろうぜ!」
「帰れ」
ガルドが寝たまま言った。
「なんでだよ!」
「今一番来ちゃいけないやつだからだ」
まったくその通りだった。
だがライルは気にしない。
気にしたことがない。
「休みならちょうどいいじゃねえか!」
「ちょうどよくないです!」
ミレナが受付から言う。
「今日は静かに休んでもらう日です!」
「静かに遊べばいいだろ!」
「遊ばないでください!」
真っ向からぶつかっていた。
そしてその会話が、すでに全然静かではない。
「何しに来たんですか」
リオが聞く。
「差し入れ」
ライルが言った。
その瞬間、空気が少し変わる。
「差し入れ?」
セリアが言う。
「珍しいですね」
「だろ?」
ライルが胸を張る。
「疲れてるだろうと思ってな」
言いながら、背負ってきた布袋を机に置く。
中から出てきたのは――
大量の焼き芋だった。
「なんで焼き芋なんですか」
リオが聞く。
「うまいだろ」
「そこはそうですけど」
「あと腹にたまる」
「方向性は優しいんですよね……」
セリアが少しだけ笑う。
ライルの差し入れが焼き芋というのは、微妙に想像できるのが困る。
そして、香りが普通にいい。
「これくらいなら……」
ミレナが少しだけ態度を緩めた瞬間だった。
「ついでに裏庭で焼いてきた」
ライルが言う。
「今?」
リオが聞く。
「うん」
「火を使ったんですか」
「うん」
「誰の許可でですか」
「……勢い?」
「ダメです!!」
やっぱりダメだった。
ミレナが頭を抱える。
「なんで差し入れの話がそのまま違反報告に変わるんですか!」
「でも焼けたぞ!」
「そういう問題じゃありません!」
善意と違反が同時に存在していた。
⸻
だが、焼き芋自体は普通にうまかった。
そこが最悪だった。
「……おいしいですね」
リオが言う。
「だろ?」
ライルが得意げに言う。
「悔しいですが……」
ミレナも言う。
「おいしいです」
「勝ったな」
「勝ってません!」
だが、疲れた体に温かい焼き芋は思った以上に効いた。
ガルドも一つ取って、半分ほど黙って食べてから言った。
「これなら許す」
「許してません!」
ミレナが反射で言い返す。
でも、その勢いは最初より少し弱い。
食べ物が関わると空気が丸くなるのは、だいたいどこでも同じらしい。
⸻
そこへ、さらに別の来客があった。
今度はナナだった。
「はいはい、休養日組のための飲み物持ってきたよー」
盆に載せているのは、冷たい果実水のようなものだ。
「珍しいですね」
リオが言う。
「今日はちょっと優しくしようと思って」
ナナが言う。
「みんな昨日ひどい顔してたし」
「今も大概だと思いますけど」
「今はまだマシ」
そう言って、杯を配っていく。
「ありがたい……」
セリアが小さく息を吐いた。
「助かる」
カインも短く言う。
ガルドは一口飲んでから、眉を上げた。
「うまいな」
「でしょ?」
ナナが笑う。
「ちょっとだけいい葉っぱ使った」
「酒は入ってねえだろうな」
ミレナがじろりと見る。
「入ってない入ってない」
「本当ですか?」
「本当だって」
その辺は、さすがに信用できる。
たぶん。
⸻
ここまではまだ“少し騒がしい休養日”で済んでいた。
問題は、そのあとだった。
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「そういや」
ライルが焼き芋を食べながら言った。
「昨日、一番働いたの誰なんだ?」
誰もその話題に触れない方がよかった。
本当に、心の底からそうだった。
だが、もう遅い。
「やめてください」
リオが言った。
「絶対めんどくさくなります」
「なんでだよ」
「なります」
断言できる。
「いや、普通に気になるだろ」
ライルが言う。
「誰が一番働いたんだ?」
「全員ですよ」
セリアが言う。
「それで終わりにしましょう」
「きれいすぎる」
ライルが言った。
「もっと具体的に」
「やめてくださいって!」
だが、こういう時に限って乗る人がいる。
「俺じゃねえの」
ガルドが言った。
寝たまま。
「やっぱり!」
リオが叫ぶ。
「乗らないでください!」
「実際そうだろ」
「いや、最後の場面は確かにそうですけど!」
「最後だけじゃねえぞ」
ガルドは焼き芋をもう一口かじる。
「最初の駒見つけたのも俺だし、核の一つ切ったのも俺だし、最後の胸元割ったのも俺だ」
「でも位置を押さえたのはカインさんたちですし」
「そこもいる」
「“いる”で済ませないでください!」
雑だ。
あまりにも雑だ。
「私は何もしてませんよ」
ナナがあっさり言う。
「位置言って、足引っ張られそうになって、石投げただけ」
「それ、十分やってますよ」
リオが言う。
「いや、でも戦場の中心ではないし」
こういう引き方がうまいのがナナである。
「俺は普通だ」
カインが言った。
「必要なことをやっただけだ」
「それが一番強い言い方なんですよ」
リオは思ったまま言った。
実際そうだった。
変に自己主張しない方が、逆に目立つ。
「じゃあアルだろ」
ライルが言う。
「頭領のとこ、最後決めたのほぼアルだし」
その瞬間、空気がまた少しだけ変わる。
アルヴェイン本人は奥の机で、戻ってきた報告の確認をしていた。
聞こえているはずだが、顔を上げない。
「いや」
ガルドが言った。
「最後の一本なら俺だ」
「そこ張ります?」
リオが聞く。
「張る」
ガルドは即答した。
「なんでだ」
「大事だろ」
「子どもじゃないんですから!」
だが、こういう“しょうもないところで譲らない”のがガルドである。
⸻
「そもそも、そういうの決める必要あります?」
セリアが言う。
「みんな無事に戻って、それでよかったじゃないですか」
やさしい。
正しい。
そして、この場において一番効き目が薄い。
「それもそうだが」
ガルドが言う。
「でも決めたい時もあるだろ」
「どんな時ですか」
「今日みたいに暇な時」
「最悪の理由です」
リオは即答した。
⸻
そこへ、さらに悪い流れが来る。
「じゃあ採点するか」
カインが言った。
全員が止まる。
「えっ」
リオが言う。
「カインさんが乗るんですか」
「客観的に整理するだけだ」
「その客観、絶対変な方向行きますよ!?」
「項目ごとに分ければいい」
まるで冷静な提案みたいに言うのが悪質だった。
「探索、対応、戦闘、支援、判断」
「やめてくださいって!」
だが、もう止まらない。
「探索はナナとドーガだろ」
ガルドが言う。
「戦闘は俺とアル」
「支援はセリアさんですね」
リオが言ってしまった瞬間、自分で失敗したと思った。
「ほら、まとまるじゃねえか」
ガルドが言う。
「だからです!」
「いや、でもリオくんは?」
セリアが聞いた。
「囮に近い位置にもいたし、駒を二体は落としてますよね」
「いや、僕は……」
「そうだな」
カインが頷く。
「お前は“補完”だ」
「補完ってなんですか」
「空いたところを埋めていた」
「地味に一番説明しづらいやつですね……」
しかも妙に正しいから困る。
「じゃあガルドさんとアルさんは?」
ナナが面白そうに聞く。
「どっちが上?」
「俺」
「俺だ」
ほぼ同時だった。
最悪である。
「揃ってるじゃないですか!」
リオが言う。
「なんでそこだけ息ぴったりなんですか!」
ガルドとアルヴェインが、ようやく同時に顔を上げる。
「核を割ったのは俺だ」
ガルドが言う。
「止める一瞬を作ったのは俺だ」
アルヴェインが言う。
どちらも間違っていない。
それが一番面倒だった。
⸻
「じゃあ勝負ですね」
ライルが言った。
誰も言っていないのに言った。
「今日休養日ですよね!?」
リオが叫ぶ。
「だから軽く」
「軽くの意味を説明してください!」
「腕相撲とか」
「なんでそうなるんですか!」
だが、ライルのこういう一言に変な説得力が出る時がある。
だいたい、疲れていて正常な判断力が落ちている時だ。
「まあ、それでもいいか」
ガルドが言った。
「なんで乗るんですか!」
「簡単だろ」
「簡単の意味が違います!」
アルヴェインは無言だったが、拒否はしていない。
つまり乗っている。
「やめましょうよ……」
リオが心から言う。
「そこ張り合うとこじゃないでしょう」
「でも気になるし」
ナナが言う。
「私も見たい」
「見たいんですか!?」
「ちょっとだけ」
セリアまで困ったように笑っている。
だめだ。
止まらない。
⸻
結局、酒場側の丸机が急遽“勝負台”になった。
何をしているのか本当に分からない。
当事者はガルドとアルヴェイン。
外野はライル、ナナ、リオ、セリア、カイン。
ミレナは頭を抱えている。
ドーガだけは少し離れたところで、呆れたように見ていた。
「なんでこうなるんですか……」
ミレナが言う。
「休養日ですよ……?」
「だから暇なんだろ」
ガルドが言う。
「暇の使い方がひどいです!」
「三秒で終わる」
「終わりません絶対!」
机に肘をつく二人。
ガルドは少し前のめり。
アルヴェインは妙に姿勢がいい。
「では――」
ライルが仕切ろうとした。
「お前は黙ってろ」
ガルドとアルヴェインが同時に言った。
「また揃った!」
リオが叫ぶ。
⸻
「始め」
結局、カインが言った。
そして、始まった。
瞬間、机が嫌な音を立てた。
「ちょっと待ってください!」
ミレナが叫ぶ。
「机が先に負けそうです!」
たしかにそうだった。
両方とも本気ではない。
ないはずなのに、木の机がみしみし言っている。
「……強いですね」
セリアが言う。
「そうですね……」
リオは真顔だった。
何の感想なんだろうか、これは。
勝負は動かない。
ガルドの腕も、アルヴェインの腕も、ほとんど角度が変わらない。
「膠着ですね」
ナナが言う。
「こういう時どうなるんだろ」
「体重ですね」
ライルが適当に言う。
「お前は黙ってろ」
今度はリオも混ざった。
さすがにそうなる。
⸻
じり、と。
ほんの僅かに、ガルドの手が押される。
「おっ」
ライルが声を上げる。
「アルか!?」
だが次の瞬間、逆にアルヴェインの手が戻された。
「……本当に嫌ですね、この人たち」
リオが言う。
「真面目に見てる自分が嫌になります」
「でも気になるでしょう?」
ナナが言う。
「それはそうですけど……」
悔しいが、そうなのだ。
なんだかんだ言って、皆少しだけ見たいのだ。
「ここ、休養所じゃなくて見世物小屋でしたっけ」
ミレナがぼそっと言った。
誰も答えられなかった。
⸻
その時だった。
ユーンが入口から入ってきた。
「……何してるんですか?」
すごくまっとうな反応だった。
「腕相撲」
ライルが言う。
「なんでですか?」
「暇だから」
「なるほど……」
納得するな。
だがユーンは少し考えたあと、普通に言った。
「だったら、どっちが強いかは分からないですよね」
全員が少しだけそちらを見た。
「どういうことだ」
ガルドが聞く。
まだ腕相撲中なのに聞くな。
「腕の力だけじゃなくて、反応とか、動きとか、そういうのもありますし」
「正論ですね」
リオが言う。
「今すごく嫌ですけど」
「じゃあ総合的にやるか」
ガルドが言った。
「待ってください!!」
ミレナが本気で叫ぶ。
「なんで腕相撲が総合戦に発展するんですか!!」
「確かに」
アルヴェインが言う。
「腕だけで決めるのは不公平だ」
「乗らないでください!」
終わった。
完全に終わった。
⸻
「じゃあ三本勝負ですね!」
ライルが勝手に盛り上がる。
「なんでそうなるんですか!」
リオが叫ぶ。
「腕相撲、反射、あと――」
「もうやめてください!」
だが、ここで意外な人物が止めに入った。
「くだらん」
ドーガだった。
全員がそちらを見る。
「……ですよね!」
リオが心から同意した。
ドーガは一歩だけ近づいて、机の上の二人を見た。
「どっちも強い」
それだけだった。
「だから終わりでいい」
あまりにもまっとうな一言だった。
静かで、短くて、でも妙に重い。
「……まあ」
ガルドが少しだけ力を抜いた。
「それはそうか」
アルヴェインも手を離す。
「そうだな」
決着は、つかなかった。
つかなかったが、むしろそれでよかったのかもしれない。
「最初からそうしてくださいよ……」
リオが深く息を吐く。
ミレナも同じような顔をしていた。
「本当に……休養日なんですよ今日は……」
心からそう思っているのが伝わってきた。
⸻
その後は、ようやく本当に少し落ち着いた。
焼き芋はきれいに消え、果実水の瓶も空になり、治療棟の方からは薬草の匂いが少し流れてきた。
カインは結局、隅の椅子に座ったまま目を閉じていて、たぶん本当に少し寝ていた。
セリアは最初こそ他人の世話を焼いていたが、自分も途中で休ませられていた。
ナナは酒場へ戻ったが、行く前に串の皿だけはまた置いていった。
ユーンは「運ぶものありますか」と二度聞いて、二度とも全員に止められていた。
ライルは途中から本当に静かになり、壁際で焼き芋の残りを食べながらぼーっとしていた。
ガルドはというと、長椅子に深く沈み込んだまま、ようやく本当に寝たらしい。
アルヴェインは少し離れた机で書類を見ていたが、その手が途中で止まり、気づけば視線だけが窓の外へ向いていた。
誰も“終わった”とは言わない。
誰も“日常に戻った”とも言わない。
だが、さっきまでの張りつめ方とは違う空気が、確かにそこにあった。
リオは椅子の背にもたれながら、受付の方を見る。
ミレナが帳簿に何かを書き込んでいる。
たぶん報告の整理だ。
それでも、昨日までみたいな追い立てるような速さではなく、今日は少しだけ筆の動きが遅かった。
「リオくん」
セリアが小さく呼ぶ。
「はい?」
「少し顔色よくなりましたね」
「そうですか?」
「はい」
そう言われてみると、体の重さはまだあるが、朝みたいな変な芯の冷たさは抜けていた。
「そっちもです」
リオが言う。
「セリアさんも」
セリアは少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
その会話も、そこで終わる。
長く続けるほどのことでもないし、それで十分だった。
酒場側から、ナナの笑い声が少しだけ聞こえる。
誰かが椅子を引く音がする。
外では荷車が一台、ゆっくり通っていく。
風が開けっぱなしの窓を少し揺らす。
ガルドが寝返りを打って、片腕を長椅子から落とした。
その向かいで、アルヴェインがようやく書類を閉じる。
ミレナはそれを見て、何か言いかけて、結局何も言わなかった。
そういう、誰にも拾われない小さな動きだけが、いつもより少し多かった。




