表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
栄光の中年、ただ生きる  作者: vastum


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/54

■第29話「合図をちゃんと決めようとすると、だいたい途中から遊びになる」

 合図というのは、本来とても真面目なものだ。


 始まりを知らせるとか、終わりを知らせるとか、危険を知らせるとか、集まれと伝えるとか、そういう“言葉より先に状況を動かすためのもの”だから、曖昧だと困る。


 聞いた瞬間にわからないと意味がないし、聞き間違えるようでも困るし、いざという時に鳴らせないものでも話にならない。


 だから本来は、もっと無骨で、もっと機能的で、余計な遊びが入る余地なんてないはずなのだ。


 ――にもかかわらず、複数人で「より良い合図を考えよう」と話し始めると、だいたい途中からおかしくなる。


 どうせ決めるなら格好いい方がいいとか、どうせ鳴らすなら気持ちいい音の方がいいとか、目立つ方がいいとか、面白い方がいいとか、そういう本来不要な要素がじわじわ混ざってきて、気づけば“ちゃんと伝わること”より“なんとなく楽しいこと”の比率が増えていく。


 その日のギルドは、朝からまさにそれだった。



「今日は大事な話があります」


 朝一番、受付の前でミレナがそう言った時点で、リオは少しだけ背筋を伸ばした。


 ミレナが朝から「大事な話」と言う時は、本当に大事な時と、本人にとってだけ切実な時がある。だが、そのどちらにしても軽く聞いていいことはほとんどない。


「なんですか」


 リオが素直に聞くと、ミレナは一枚の紙を机に叩きつけるように置いた。


「苦情です」


「苦情?」


「はい。しかも三件」


 それはたしかに大事そうだった。


 紙には、見慣れない几帳面な字でこう書いてあった。


 『昼の集合鐘と緊急招集鐘がわかりづらい』

 『酒場の呼び鈴と受付の呼び鈴が紛らわしい』

 『誰かが勝手に訓練開始の合図を鳴らしていて混乱した』


「……ああ」


 リオはだんだん事情が見えてきた。


 ギルドでは日常的に、いくつかの音が使われている。


 昼の集合を知らせる鐘。


 緊急時に鳴らす大鐘。


 酒場で人を呼ぶための小さな鈴。


 受付の裏にある確認用の卓鈴。


 訓練場の開始と終了を知らせる金属板。


 それぞれ意味は違うのだが、たしかに外から聞くと少し似ているものもある。


「つまり……合図が整理されてないってことですか?」


「そういうことです!」


 ミレナが頷く。


「しかも、昨日なんて酒場の呼び鈴が鳴ったのに、訓練場の新人が全員集合しましたからね!」


「なんでですか」


「知らないですよ!」


 その時点でだいぶひどい。


 だが、確かにありそうでもある。


 ギルドは騒がしい場所だ。人の声、足音、笑い声、報告、文句、木剣のぶつかる音、食器の音、樽を引く音。そういう雑多な音の中で、鈴や鐘だけで全員に正確な意味を伝えるのは、思っているより難しいのかもしれない。


「で、どうするんですか」


 リオが聞くと、ミレナは机を指で叩いた。


「見直します」


「何を」


「全部です」


 その瞬間、椅子にだらけていたガルドが顔を上げた。


「嫌な予感がするな」


「しますね」


 リオも即座に同意した。


「今日は、ギルド内の合図を整理します」


 ミレナはきっぱり言った。


「用途ごとに音を分けて、誰が聞いても間違えないようにします」


「それは大事ですね」


 リオが言うと、ミレナは力強く頷いた。


「でしょう?」


「でも」


 一拍置いて、リオは正直に聞いた。


「それ、どうやって決めるんですか」


 ミレナは少しだけ胸を張った。


「実際に鳴らしてみます」


 やっぱり嫌な予感しかしなかった。



「帰るか」


 ガルドが言った。


「なんでですか!」


 ミレナが即座に反応する。


「どう考えても面倒だろ」


「面倒でも必要です!」


「必要なのはわかるが、なんで俺がいる」


「あなたが一番勝手に合図を増やしそうだからです!」


 それはかなり正しい気がした。


「増やさねえよ」


 ガルドは言った。


「昨日、机叩いて“集合”とか言ってませんでした?」


 リオが聞く。


「言ったな」


「それを増やしてるって言うんです!」


「机ならいつでも鳴らせる」


「だからダメなんです!」


 たぶんミレナは、前から相当溜まっていたのだろう。


 今日はその不満が、ようやく“改善”という形で爆発したらしい。



「……何だ」


 ちょうどその時、カインがギルドに入ってきた。


 空気の流れがいつもと違うのを感じ取ったのか、入口で一瞬だけ足を止める。


「朝から騒がしいな」


「合図の見直しです!」


 ミレナが即答した。


「今から?」


「今からです!」


 カインは少しだけ眉をひそめた。


「必要なのか」


「必要です!」


「昨日の集合、二回間違えただろ」


 ガルドが横から言った。


 カインが一瞬だけ黙る。


「……一回だ」


「二回だ」


「一回半だ」


「半分ってなんだよ!」


 リオが突っ込んだ。


 どうやら本当に困っていたらしい。


「ならやるべきだな」


 カインはあっさり頷いた。


 真面目な人間は、こういう“運用の改善”みたいな話に弱い。


「そういう意味では、今日は味方が多そうですね」


 リオが呟くと、ガルドが本気で嫌そうな顔をした。


「最悪だな」



「手伝います」


 治療棟の方からセリアがやってきた。


「何をすればいいですか?」


「音の聞こえ方の確認をお願いします!」


 ミレナが言う。


「場所によって聞こえ方が違うので、治療棟側、酒場側、受付裏、それぞれでどのくらいわかるか見たいんです」


「わかりました」


 セリアは素直に頷いた。


 そして、そこへさらにライルが入ってきた。


「おっ、なんか楽しそうだな!」


「帰れ」


 ガルドが条件反射のように言う。


「なんでだよ!」


「お前が来ると“楽しそう”が増える」


「いいことじゃん!」


「今日はいらん」


 だがミレナは少し考えたあとで言った。


「……いえ、いてください」


「えっ」


 リオが思わず声を漏らす。


「いいんですか?」


「必要です」


 ミレナは真顔だった。


「一番余計な音を出しそうな人がいるかどうかで、運用の限界が変わります」


「言い方ひどくない!?」


 ライルが叫ぶ。


「でもたしかに、ライルさんがいると想定して決めた方が、事故は減りそうですね」


 リオが言うと、ライルは少し複雑な顔になった。


「褒められてないよな?」


「褒めてません」


 ミレナが即答した。



 こうして、朝から「ギルド合図再編会議」が始まった。


 会議といっても、机の上に今使っている道具が並べられただけである。


 大鐘、小鐘、卓鈴、酒場鈴、金属板、木槌、木製の打ち鳴らし板、そしてなぜかガルドがどこからか持ってきた口笛用の骨笛。


「なんでそれ持ってきたんですか」


 リオが聞く。


「使えるかと思ってな」


「使えません」


 ミレナが即答した。


「なんでだよ」


「誰でも同じ音で鳴らせないからです!」


 ごもっともである。


「でも気分は出るぞ」


「いりません、その気分!」


「緊急時に“気分”入れないでください」


 完全にその通りだった。



「まず現状確認からです」


 ミレナは紙に表を書いた。


 用途

 今の合図

 問題点

 代替案


「妙に本格的ですね」


 リオが言う。


「本気ですから」


「本気なのは知ってます」


「昼集合は小鐘一回、緊急招集は大鐘三回、酒場は卓上鈴、受付確認は小卓鈴、訓練開始は金属板一回、訓練終了は金属板二回」


「多いな」


 ガルドが言う。


「だから混乱するんです」


「じゃあ減らせばいい」


「減らします!」


 それで済めばいいのだが、現実はもっと面倒だった。



「では、まず昼集合の確認です」


 ミレナが小鐘を手に取る。


 ちりん、と鳴らす。


 軽い、きれいな音だ。


「これです」


「普通ですね」


 リオが言う。


「普通です」


「でも、酒場の卓鈴も似てませんか?」


 セリアが言う。


「似てます」


 ミレナは重く頷いた。


 次に、酒場用の卓鈴を鳴らす。


 ちりん。


「……似てますね」


「似てるな」


 カインも頷く。


「しかも距離があると、どっちかわからん」


 ガルドが言った。


「やっぱりですか」


「この前も間違えた」


「あなたもですか!」


「一回だけだ」


 思ったより被害が広い。



「では、大鐘」


 ミレナが次に示したのは、壁際に吊るしてある大きな鐘だ。


 これをガン、と鳴らす。


 小さなギルド全体に響く、重い音。


「これはさすがにわかりますね」


 リオが言った。


「緊急感あります」


「だが重い」


 アルが奥から言った。


 いつの間にかいた。


「毎回鳴らすには手間がかかる」


「アル、いつからいたんだ」


 ガルドが言う。


「少し前からだ」


 絶対もっと前からいた顔だった。


「まあ、緊急時だけなら大鐘でいいと思います」


 リオが言う。


「問題は、それ以外ですね」


「そうです」


 ミレナが頷く。


 そこまでは平和だった。



 混乱が始まったのは、「じゃあ代替案を試しましょう」からである。


「まず、昼集合の候補として木槌+板」


 ミレナが木板を立てる。


 こん、こん、と二回鳴らす。


 悪くない。


 乾いた音で、鈴よりは判別しやすい。


「どうですか?」


「わかりやすいですね」


 リオが言う。


「悪くない」


 カインも頷く。


「酒場の鈴と混ざらん」


「いいですね」


 セリアも微笑む。


 ここまでは良かった。


「じゃあ、もっと派手でもいいな」


 ガルドが言った。


「待ってください」


 リオは嫌な予感しかしなかった。


「何をする気ですか」


「これと鐘、両方で鳴らす」


「なんでですか!」


「わかりやすくなる」


「音が増えるだけです!」


「一発で集合だってわかるだろ」


「大きな音がした、くらいしかわかりません!」


 ライルが面白そうに手を上げた。


「じゃあ俺、板叩く係やる!」


「やらなくていいです!」


 ミレナが叫ぶ。


 だがもう遅い。


 ガルドが鐘を持ち、ライルが板を構え、なぜか二人とも妙に息を合わせていた。


「せーの、でいくか」


「いくぞ」


「やめてくださいって!」


 ガンッ、コンコン、ガンッ、コンコン!


 大きい。うるさい。意味がわからない。


 ギルドの外を歩いていた通行人が一瞬こちらを見たくらいには騒々しかった。


「……何の合図ですか今の」


 リオが真顔で言う。


「集合」


 ガルドが答える。


「戦争です」


 リオは即答した。


「昼ですよね?」


「昼だな」


「なんで昼集合でこんなに命の危険を感じなきゃいけないんですか!」


 ミレナが板を取り上げた。


「ダメです! 次!」


 こうして一つ目の案は消えた。



 次は訓練開始の合図だった。


 今は金属板を一回叩いているだけらしい。


「これがまた微妙なんです」


 ミレナが言う。


「昼に食器を落とした音と似てるって苦情が来ました」


「細かいですね……」


 リオが言う。


「細かいですが、本当にあったんです!」


 わりと切実だった。


 ミレナが金属板を鳴らす。


 キィン、と少し高い音が響いた。


「ああ……」


 セリアが言う。


「たしかに食器っぽいかもしれません」


「でしょう?」


 だから見直しているのだ。


「なら三回でいいだろ」


 ガルドが言う。


「一回だと紛らわしいなら、三回鳴らせばいい」


「三回鳴らすと緊急っぽくなりませんか?」


 リオが言う。


「じゃあ二回」


「終了と被ります!」


「面倒だな」


「だから今整理してるんです!」


 完全にその通りである。



「いっそ声でいいんじゃないか?」


 ライルが言った。


「“始め!”って」


「お前が言うと遊びになる」


 カインが即答した。


「ひでえな!」


「事実だ」


「でも声は確実かもしれませんね」


 セリアが言う。


「聞き取りやすければ……」


「いや、毎回誰が言うんですか」


 ミレナが言う。


「訓練担当がいない時もありますし、声だと個人差が出ます」


「じゃあアルが言えばいい」


 ガルドが適当に言った。


 奥からアルの声がした。


「断る」


「聞いてたんですね」


 リオが言う。


「必要なところだけな」


 絶対もっと聞いていた。



 そこへ、ドーガが門番の交代ついでに入ってきた。


「何してる」


「合図の見直しです」


 リオが答える。


「……なるほど」


 一瞬で全てを理解した顔になった。


「じゃあこれだろ」


 ドーガはそう言って、入口近くに立てかけてあった木の棒を手に取ると、床を三回、規則正しく叩いた。


 ドン、ドン、ドン。


 低くて、響く。


 鈴とも鐘とも違う。


「おお」


 リオが言う。


「わかりやすいですね」


「床鳴らしは案外使える」


 ドーガが言う。


「門でも合図に使う」


「たしかに混ざりにくいです!」


 ミレナが目を輝かせた。


「これなら訓練開始にも使えそうです!」


「ただし中でしか使えん」


 ドーガが言う。


「外では土だと響かない」


「それはそうですね……」


 惜しい。


 だが、候補としてはかなり良かった。


 思わぬところでまともな案が出て、少しだけ場が落ち着いた。


 ――この落ち着きも、長くは続かなかったが。



「じゃあ緊急招集はこれだな」


 ライルがどこからか角笛みたいなものを持ってきた。


「なんであるんですかそんな物!」


 ミレナが叫ぶ。


「倉庫の奥」


「余計なことしないでください!」


 それは見た目からして危険だった。


 先が少し曲がった古い笛で、吹く方も鳴らす方も、まともに使われることを前提にしているとは思えない。


「これなら一発でわかるだろ」


「そりゃそうでしょうけど!」


「緊急って感じだ!」


「感じだけで採用しないでください!」


 だがライルは吹いた。


 ブォオオオオオ……!


 音がでかい。


 そしてひどい。


 ギルドの空気が揺れた気がした。


 セリアが耳を塞ぎ、リオが思わず身を引き、ガルドですら少し眉をひそめた。


「うるせえ!」


 カインが本気で言った。


「だろ?」


 ライルが得意げに言う。


「そういう意味じゃない!」


 ドーガが笛を取り上げた。


「没だ」


「早いな!」


「門が壊れる」


「門じゃなくて鼓膜です!」


 リオが叫ぶ。


 だが、このひどい音のおかげで一つだけはっきりしたことがある。


 “わかりやすい”と“使いたい”は別問題だ、ということだった。



 結局、午前いっぱいかけて、いくつもの案が出ては消えた。


 木槌と板。没。

 鐘と板の同時打ち。没。

 角笛。論外。

 床鳴らし。条件付き保留。

 卓鈴の回数違い。紛らわしい。

 ガルドの骨笛。ミレナが机の下へ没収。

 ライルの「大声で叫ぶ」。全員一致で却下。


「こんなに難しいとは思いませんでした」


 リオが昼前に言った。


「簡単な話じゃないんですね」


「だから最初からそう言ってるでしょう!」


 ミレナはすでにだいぶ疲れていた。


 たしかに、合図というのは“鳴らせるか”だけではなく、“誰が鳴らしても同じか”“どこで聞いてもわかるか”“他の音と混ざらないか”まで考えないといけない。


 思っていた以上に条件が多い。


「こういうのは、実際に使う場所で試すしかないな」


 アルが言った。


「理屈だけでは決まらん」


「つまり、移動ですか」


 リオが言う。


「そうだ」


「面倒だな」


 ガルドが言った。


「お前が言うな」


 カインが即座に返す。


 珍しく即答だった。



 午後は“聞こえ方確認”になった。


 これは要するに、候補になった合図を場所ごとに鳴らして、どれが一番わかりやすいかを確認するという地味で疲れる作業である。


 酒場側にセリア、訓練場寄りにカイン、門の近くにドーガ、受付裏にミレナ、中央にアル、そして鳴らす係としてガルドとライル、記録係としてリオ。


 並べてみると不安な布陣だった。


「なんで鳴らす係がその二人なんですか」


 リオが真顔で聞く。


「一番勝手なことをしそうな人が鳴らせた方が、事故を想定しやすいからです」


 ミレナが言った。


 納得はできる。


 でも心は納得したくなかった。


「俺は真面目だぞ」


 ガルドが言う。


「今その台詞、一番似合わないですね」


 リオが返す。


「お前、だいぶ遠慮なくなったな」


「環境です」


 そういうことにしておく。



 最初に試したのは、昼集合用の「木槌+板」だった。


 コン、コン。


 適度に軽い音。


 悪くない。


「受付裏、聞こえます!」


 ミレナが言う。


「酒場側も大丈夫です!」


 セリアの声。


「門もぎりぎり聞こえる!」


 ドーガ。


「訓練場は少し弱い!」


 カイン。


「じゃあ三回か?」


 ライルが言う。


「回数増やす前に場所調整です!」


 ミレナが怒鳴る。


 だが、そこそこ感触は良かった。


 少なくとも、鈴よりはわかりやすい。


「昼集合はこれでよさそうですね」


 リオが紙に書く。


「……普通だな」


 ガルドが言う。


「普通でいいんです!」


 ミレナが返す。



 問題は訓練開始と終了だった。


 候補は「床鳴らし」と「木板三回」。


 訓練場で鳴らすとどう聞こえるかを確認する。


 ここでも面倒が起きた。


「始めるぞ」


 ガルドが木棒を持った。


「待ってください、まだカインさん位置についてません!」


 リオが言った瞬間にはもう遅い。


 ドン、ドン、ドン。


「やめろ!」


 遠くからカインの声が飛ぶ。


「早い!」


「お前が遅い!」


「まだ立ってもいない!」


 開始前から開始してしまった。


「だからこの二人を鳴らす係にしたくなかったんですよ!」


 リオが叫ぶと、アルが少しだけ笑った。


「だが、こういう事故も想定には入る」


「前向きですね……」


 もはやそう言うしかない。



 何度か試した結果、訓練開始は「床鳴らし二回」、終了は「床鳴らし三回」が案として有力になった。


 木槌と板は昼集合、床鳴らしは訓練用、卓鈴は酒場専用、大鐘は緊急招集。だいぶ整理されてきた。


「形になってきましたね」


 リオが言う。


「そうですね……!」


 ミレナの目が少しだけ明るくなった。


 ようやく出口が見え始めたのだろう。


「では最後、緊急招集の確認を――」


 その瞬間、外から本物の大きな物音がした。


 ガタン! と何かが倒れる音。


 全員が止まる。


「何ですか!?」


 リオが入口を見る。


 その直後、外から青年の声が飛び込んできた。


「す、すみません! 荷車が! 車輪が!」


 見れば、ギルドの前に停まろうとした小さな荷車の片輪が外れ、荷台が斜めになっている。


 行商の青年らしい。荷は布束が中心で、大事には至っていないが、本人はかなり焦っていた。


 全員の動きが一瞬で変わった。


「リオ、荷を押さえろ」


 ガルドが言う。


「はい!」


 飛び出す。


 カインは荷台の反対側へ回り込み、ドーガが車体を支える。アルは青年に落ち着くよう指示し、ミレナはすぐにギルド前の人をどかし、セリアは怪我人がいないか確認に走った。


 その一連の流れが、あまりにも自然で、あまりにも早かった。


 ライルが何か言いかけたが、「黙って持て!」とガルドに一喝されて素直に従っている。


 数分後、荷車は応急的に安定し、青年も落ち着きを取り戻した。


「す、すみません……」


「怪我がなくてよかったです」


 セリアが言う。


「車輪の留めが甘い」


 ガルドが軸を見て言う。


「このままだともう一回外れる」


「直せますか?」


 青年が不安そうに聞く。


「仮ならな」


 ガルドが道具を借り、カインとドーガが荷台を支える。アルが青年に状況を聞き、ミレナが周囲を仕切る。リオは外れた輪留めを拾い、ライルは「押さえる係」として珍しくまともに役立っていた。


 少しして、荷車は最低限走れる状態に戻った。


「街の修理屋までなら持つ」


 ガルドが言う。


「ありがとうございます!」


 青年は何度も頭を下げた。


「無事ならいい」


 アルが短く言う。


 青年は礼を言いながら、ゆっくりと去っていった。


 騒ぎが収まる。


 ギルド前に、いつもの空気が戻る。



「……今の」


 リオがぽつりと言う。


「完璧に連携してましたね」


「まあな」


 ガルドが言う。


 汗を拭きながら、しかし特に誇るでもない顔だった。


「だいたいこういう時は体が先に動く」


 カインも無言で頷く。


 セリアが少しだけ息を整えながら言う。


「何の合図もなかったのに、ちゃんと動けましたね」


 その言葉に、全員が少しだけ止まる。


 ミレナが視線を落とした。


「……たしかに」


 アルが言った。


「必要な時は、音がなくても動ける」


「じゃあ今までのは無駄だったんですか!?」


 ミレナが少しだけ悲鳴混じりに言う。


「そうは言ってない」


 アルが答える。


「日常の運用は別だ」


「そうですよね!?」


「ただ」


 ガルドが言った。


「本当に緊急な時は、音の種類より、周り見て動く方が早い」


 それもまた事実だった。


 さっきの小さな事故では、誰も鐘を鳴らしていない。だが、それぞれが勝手に必要な場所へ入っていた。


 合図がなくても、体でわかる状況というのはある。


 そして、その時はおそらく、誰も迷っていなかった。


「じゃあ合図いらないじゃん!」


 ライルが言う。


「それは違います!」


 ミレナが即座に切り返す。


「何も起きてない時に、全員を動かすには必要なんです!」


「たしかにな」


 ドーガが言う。


「今のは“見えた”から動けた」


「でも、集合とか開始とかは見えませんもんね」


 リオが言う。


「だから合図は必要、か」


 ガルドが少しだけ納得した顔で言った。


「そうです!」


 ミレナが力強く頷く。


「だから続きやります!」


「まだやるのか」


「当然です!」


 ここまで来たら、もう途中でやめるわけにはいかないらしい。



 結局、その後一時間ほどかけて、ギルドの合図はようやく決まった。


 昼集合は木槌と板を二回。

 訓練開始は床鳴らし二回。

 訓練終了は床鳴らし三回。

 酒場の呼びは卓鈴そのまま。

 受付確認は小さな呼び鈴ではなく、窓口横の木札を鳴らす方式に変更。

 緊急招集は今まで通り大鐘三回。


「……これでだいぶわかりやすくなりましたね」


 リオがまとめた紙を見る。


「やっと終わった……」


 ミレナが本気で疲れた顔で言った。


「終わったな」


 ガルドも言う。


「長かった」


「途中で余計なことばっかりしたからです!」


 ミレナが言ったが、さっきの荷車の件で少し気勢が削がれているのか、最初ほど強くはなかった。


「でも、たぶん前より良くなりましたよ」


 セリアが微笑む。


「これなら間違えにくいと思います」


「だといいな」


 カインが腕を組んで言う。


「次に誰かが卓鈴で集合しなければな」


「やらん」


 ガルドが即答した。


 少し間を置いて、ライルが言った。


「……じゃあ俺が」


「やるな!」


 全員に近い勢いで止められた。


「なんでだよ!」


「一番危ないからだ!」


 ガルドが本気で言った。


 今日の中で一番正しい台詞だったかもしれない。



 最後に、新しい合図の使い方を紙にまとめ、掲示板の横へ貼った。


 昼集合:木槌+板 二回

 訓練開始:床鳴らし 二回

 訓練終了:床鳴らし 三回

 酒場呼び:卓鈴

 緊急招集:大鐘 三回


 書き終えたところで、ミレナが深く息をつく。


「これでしばらくは平和になるはずです」


「なるといいですね」


 リオが言う。


「なるだろ」


 ガルドが言った。


「よっぽど変なやつが勝手な音を出さなければ」


 その瞬間、ライルが床の棒を持ち上げた。


「こうか?」


 ドン、ドン、ドドン。


「何をしたんですか!」


 ミレナが叫ぶ。


「いや、試しに」


「試さなくていいです!」


「今の何の合図だ?」


 カインが冷たく聞く。


「なんかこう……やる気が出る感じ?」


「捨てていいか、その棒」


 ガルドが真顔で言った。


「ひでえ!」


 だが、全員だいたい同じ気持ちだった。



 合図をちゃんと決めようとすると、だいたい途中から遊びになる。

 でも、その遊びの中で、本当に必要なことと、いらないことの境目が少しずつ見えてくる。


 その日の話題は、その日で終わった。

 翌日からは、新しい合図がちゃんと運用されるかどうか、それだけだ。


 板を二回鳴らせば昼集合、床を二回なら訓練開始。

 それで十分だった。

 少なくとも、卓鈴で新人が全員集まるようなことは、たぶんもうない。


 ……たぶん。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ