■第19話「変わってる最中は、自分ではだいたい気づかない」
人は、自分が変わっている最中にはあまり気づかない。
大きな出来事があれば別だが、ほとんどの場合、変化はもっと緩やかで、日常の中に紛れ込んでいる。
昨日より少し慣れたとか、前より少し迷わなくなったとか、同じ場面で少し違う選択をしたとか――そういう小さな積み重ねは、その瞬間には“変わった”とは認識されない。
後になって振り返ったとき、ようやく「ああ、あの頃とは違うな」と気づく程度だ。
だから、変わっているかどうかを気にしすぎても、あまり意味はない。
たぶん、人は気づかないまま変わっていく。
⸻
「今日はどうする」
珍しく、ガルドの方から聞いてきた。
朝のギルド。
空気はいつも通りだ。
昨日の噂もだいぶ落ち着いてきて、視線もほとんど気にならなくなっている。
「……任せてもいいですか?」
リオが言う。
「いいぞ」
「珍しいですね」
「たまにはな」
ガルドは椅子にだらけながら答える。
だが、どこか“完全に任せている”というより、“様子を見ている”ような雰囲気があった。
⸻
掲示板の前に立つ。
依頼を一つ一つ見ていく。
危険度、報酬、場所、内容。
以前なら迷っていた部分が、少しだけ早く判断できるようになっていることに、リオはなんとなく気づいていた。
「……これにします」
手に取ったのは、街外れの古井戸の点検依頼だった。
水質の確認と、簡単な補修。
危険度は低い。
だが、放置すると困るタイプの仕事だ。
「地味だな」
ガルドが言う。
「地味でいいんです」
「そうか」
それ以上は何も言わない。
⸻
「それでいい」
後ろから声がした。
振り向くと、カインが腕を組んで立っていた。
「お前の選び方だ」
「え?」
「悪くない」
短い評価。
それだけ言って、カインは去っていく。
「……今の、褒められてましたよね?」
「たぶんな」
「珍しくないですか?」
「珍しいな」
ガルドは笑う。
⸻
ギルドを出る。
空は晴れている。
風も穏やかだ。
「……なんか」
リオが言う。
「最近、依頼選ぶの少し楽になってきました」
「慣れたな」
「そうなんですかね」
「そうだ」
ガルドはあっさり言う。
⸻
「前は、どれがいいか全然わからなくて」
「今は?」
「なんとなくですけど、判断できるようになってきました」
「それでいい」
「いいんですか?」
「最初はだいたいなんとなくだ」
軽い言い方。
だが、その言葉には妙な説得力があった。
⸻
井戸は、街の外れにあった。
使われてはいるが、あまり人の手が入っていない場所だ。
「ここですね」
「だな」
中を覗き込む。
水はあるが、少し濁っている。
「……これは掃除ですね」
「だな」
⸻
作業を始める。
周囲の落ち葉を取り除き、石の隙間を確認し、水の流れを整える。
単純だが、丁寧さが求められる仕事だ。
「……こういうの」
リオが言う。
「前より手順がわかる気がします」
「そうか」
「何からやればいいか、迷わなくなってきました」
「それが慣れだ」
ガルドが言う。
⸻
「慣れって」
リオが続ける。
「気づかないうちに来るんですね」
「だいたいそうだ」
「もっと、こう……はっきりわかるものだと思ってました」
「そんなもんは少ない」
ガルドは石を動かしながら言う。
「気づいたらできるようになってるのがほとんどだ」
「……そういうものですか」
「そういうもんだ」
⸻
井戸の水を少し汲み上げる。
濁りが減ってきている。
「……変わってますね」
「変わってるな」
「さっきより、明らかに」
「やった分だけな」
単純な結果。
だが、それがわかりやすい。
⸻
「こういうの、好きです」
リオが言う。
「変わったのが見えるの」
「わかりやすいからな」
「はい」
⸻
少し休憩する。
井戸の縁に座り、風を感じる。
静かだ。
何も起きていない。
「……ガルドさん」
「なんだ」
「自分が強くなってるって、いつわかるんですか?」
少しだけ真面目な質問だった。
ガルドは少し考える。
「わからん」
「え?」
「わからんまま強くなる」
「そんなことあります?」
「ある」
即答だった。
⸻
「じゃあ、どうやって判断するんですか?」
「他人が見る」
「……自分じゃなくて?」
「自分はだいたい当てにならん」
リオは少し黙る。
「……それ、ちょっと嫌ですね」
「そうか?」
「はい。自分でわかりたいです」
「無理だな」
「即答ですか」
「だいたいズレる」
ガルドは空を見る。
「できてないと思ってるやつができてたり、できてると思ってるやつができてなかったり」
「……」
「だから、あんま気にすんな」
軽い言葉。
だが、妙に引っかかる。
⸻
「でも」
リオは言う。
「さっき、カインさんに褒められました」
「だな」
「それって、変わってるってことですかね」
「たぶんな」
「……実感ないです」
「そんなもんだ」
ガルドは笑う。
⸻
作業を再開する。
井戸の状態はかなり良くなってきた。
水も澄み、流れも整っている。
「……終わりですね」
「だな」
⸻
帰り道。
リオは少しだけ考えていた。
変わっているのかどうか。
強くなっているのかどうか。
それを自分で判断できないことに、少しだけ引っかかりを感じていた。
⸻
「なあリオ」
「はい」
「さっきの話だが」
「はい」
「変わってるかどうかなんてな」
一拍。
「どうでもいい」
「え?」
予想外の言葉だった。
⸻
「どうでもいい、ですか?」
「そうだ」
「なんでですか」
「やること変わらんだろ」
あっさりと言う。
「できててもやるし、できてなくてもやる」
「……」
「なら同じだ」
リオは言葉に詰まる。
⸻
「気にするのはな」
ガルドが続ける。
「余裕があるやつのやることだ」
「余裕……」
「お前、今やることあるだろ」
「……あります」
「ならそっちやれ」
それだけだった。
⸻
ギルドに戻る。
空気はいつも通りだ。
騒がしくて、少し雑で、それでも落ち着く場所。
「おかえりなさい」
セリアが笑う。
「どうでした?」
「順調でした」
リオが答える。
「よかったです」
⸻
「報告お願いします」
ミレナが言う。
「問題なし」
「確認します……はい、大丈夫です」
書類が処理される。
報酬が渡される。
今日も問題なし。
⸻
「……なんか」
リオが言う。
「今日、変な感じでした」
「何がだ」
「変わってるかどうか、考えすぎた気がします」
「考えすぎだな」
ガルドが即答する。
⸻
人は、自分が変わっている最中には気づかない。
だから、気づこうとしすぎると、逆にわからなくなる。
たぶん大事なのは、変わっているかどうかじゃなくて、今やることをちゃんとやっているかどうかだ。
⸻
「で」
ガルドが言う。
「飲むか」
「やっぱりそこなんですね」
「締めだ」
「今日は普通でしたよ?」
「普通でも飲む」
「理由が雑です!」
⸻
「ダメです!」
ミレナが即座に止める。
「なんでだ!」
「なんでじゃありません! 今日はちゃんと貯めてください!」
⸻
いつものやり取り。
いつもの日常。
少しだけ考えて、少しだけ進んで、それでもいつも通りに戻ってくる。
⸻
「なあリオ」
「はい」
「明日も任せるか」
「いいんですか?」
「いい」
「……じゃあ任せてください」
「おう」
⸻
変わっているかどうかはわからない。
でも、少しずつ前に進んでいる。
その実感は薄いけど、たぶん間違っていない。
⸻
騒がしくて、くだらなくて、それでも確かに続いていく日常は――
気づかないまま、少しずつ形を変えていくのだった。




