■第15話「人はだいたい、スイッチが入ると別の生き物になる」
人間は、基本的には一つの顔で生きている。
だが、例外はある。
普段はおとなしく、控えめで、どちらかと言えば周囲に気を遣うタイプの人間が、ある条件を満たした瞬間に、まるで別の生き物のように変わることがある。
きっかけは些細なものだ。
道具だったり、環境だったり、役割だったり。
スイッチが入ると、性格だけじゃない、判断も、動きも、言葉も、全部が変わる。
そしてだいたい、そういうやつは――面倒くさい。
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「今日は絶対、普通の依頼行きますからね」
朝一番、リオは強い意志を持って言った。
ここ数日、まともな依頼にほとんど行けていない。
倉庫整理、運搬、突発対応、よくわからない寄り道――全部必要ではあったが、“冒険者としての仕事”は後回しになり続けている。
「今日は行きます。絶対です」
「そうか」
ガルドは椅子にだらけたまま答える。
「たぶんな」
「たぶんじゃないです」
「状況次第だ」
「その状況を回避するんです!」
力強く言い切る。
ミレナが横で「いい心がけです」と頷いた。
セリアも「応援してます」と微笑む。
カインは腕を組んで「まあ無理だろうな」と冷静に言った。
「なんでですか!」
「お前らの場合、だいたい途中で何か起きる」
「起こさないようにするんです!」
「それができたら苦労しない」
完璧な正論だった。
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依頼は、近隣街道の巡回と軽い護衛。
今度こそ“普通”だ。
問題はない。
何も起きる要素はない。
――はずだった。
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ギルドの裏手、荷車置き場。
今回の依頼は荷物の運搬を兼ねているため、簡易的な荷車を借りて街道を回る形になる。
「これですね」
リオが確認する。
「おう」
ガルドが適当に頷く。
「まあ、普通だな」
その時だった。
「あの……」
後ろから、控えめな声がした。
振り向くと、一人の青年が立っていた。
年は二十代前半くらい。
細身で、少し猫背気味、目元は優しそうで、全体的に“強そう”という印象はない。
「その荷車……使われますか?」
「使うが」
ガルドが答える。
「……あ、そうですよね、すみません」
青年はぺこぺこと頭を下げる。
「その、僕、ここの整備担当で……」
「整備?」
リオが聞く。
「はい、荷車とか、運搬具とか、その……」
言葉を選びながら話している感じだった。
「もしよかったら、点検だけでもさせてもらえたらなって」
「いいですよ」
リオが即答する。
「安全第一ですし」
「助かります……!」
青年はほっとしたように笑った。
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「名前は?」
リオが聞く。
「え、あ、ユーンです。ユーン・ベルク」
「リオです」
「ガルドだ」
「は、はい……」
ガルドを見る時だけ、なぜか少し緊張している。
だが、特にそれ以上の反応はない。
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ユーンは手際よく荷車を点検し始めた。
車輪の軸、木材の歪み、荷台の固定具、すべてを丁寧に確認していく。
「……すごくちゃんとしてますね」
リオが言う。
「いえ、普通です」
「いや普通じゃないですよ、こんな細かく」
「壊れたら困るので……」
控えめな返答。
本当に、どこにでもいそうな“真面目な人”だった。
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「……なあ」
ガルドがぼそりと言う。
「はい?」
「こいつ、変だぞ」
「え?」
「なんでですか」
「見りゃわかる」
「わかりませんよ!」
ユーンはそんな会話に気づかず、黙々と作業している。
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「……よし」
ユーンが顔を上げる。
「大丈夫です」
「ありがとうございます」
「いえ……」
少しだけためらってから、ユーンが言う。
「その……もしよければ」
「はい?」
「僕が、運転してもいいですか?」
リオがきょとんとする。
「え?」
「運転、得意なので……」
「いやでも、僕たちの依頼で――」
「速く行けます」
その一言だった。
声のトーンが、ほんの少しだけ変わった。
ガルドの目が細くなる。
「……速く?」
「はい」
ユーンが微笑む。
「かなり」
その笑顔が、さっきまでとほんの少しだけ違って見えた。
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「やめとけ」
ガルドが言う。
「え?」
「こいつに任せるとろくなことにならん」
「まだ何もしてませんよ!?」
リオが慌てる。
「大丈夫です!」
ユーンが言う。
「安全に、速く、確実に運びます!」
「その三つ同時に言うやつは危ねえ」
ガルドが即断する。
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「お願いします!」
ユーンが頭を下げる。
「この荷車、最近調整したばかりで……その、性能を試したくて……」
「……性能?」
リオが引っかかる。
「はい」
ユーンは、少しだけ目を輝かせた。
「限界まで」
その瞬間。
「断る」
ガルドが即答した。
「えええ!?」
「ダメだ」
「なんでですか!」
「死ぬからだ」
「死にません!」
「死ぬ顔してる」
あまりにも即断だった。
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「……一回だけでいいので!」
ユーンが食い下がる。
「短距離でもいいので!」
「ダメだ」
「じゃあ僕も同行します!」
「もっとダメだ」
「どうしてもです!」
リオが板挟みになる。
「えっと……」
だが、その時。
ミレナが後ろから言った。
「時間押してますよ」
「……あ」
依頼の出発時間が迫っている。
迷っている余裕はない。
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「……一回だけですよ?」
リオが言ってしまった。
「おい」
ガルドが睨む。
「大丈夫です!」
ユーンが満面の笑みで荷車に乗り込む。
「任せてください!」
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そして――
その瞬間だった。
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ユーンが手綱を握った瞬間、空気が変わった。
顔つきが変わる。
目が、完全に別人のそれになる。
「――行きます」
低い声。
次の瞬間。
荷車が“跳ねた”。
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「は!?」
リオの声が裏返る。
「おい待て」
ガルドが言う。
だが、遅い。
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荷車が、信じられない速度で加速した。
馬の動きがおかしい。
いや、馬を引いている“制御”がおかしい。
「ちょっと!?」
「いいですね……!」
ユーンの声が、完全に別物だった。
「この反応……この軸のしなり……最高だ……!」
「おい戻れ」
「まだです!」
カーブ。
普通なら減速する。
だが――
しない。
そのまま曲がる。
「曲がってる!? なんで!?」
リオが叫ぶ。
「荷重を外に逃がしてるだけです!」
「だけじゃないです!」
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「ブレーキ踏め」
ガルドが言う。
「まだです!」
「踏め」
「ここで踏んだら負けです!」
「何にだ」
「性能にです!」
「知らんわ!」
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石畳。
段差。
通常なら減速する。
だが――
“飛ぶ”。
「飛んだ!?!?」
「いいですね……!」
ユーンが笑う。
「想定より軽い……!」
「お前が軽くしてるんだよ!!」
ガルドがツッコミに回っている。
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「……止めるぞ」
ガルドが立ち上がる。
「え?」
「強制的に止める」
「壊れますよ!?」
「壊す前に止める」
「意味が違います!」
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その瞬間。
ガルドが手綱を横から奪う。
一瞬の操作。
荷車が強引に減速する。
車輪が悲鳴を上げる。
砂煙。
――停止。
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静寂。
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「……」
リオはしばらく動けなかった。
「……死ぬかと思いました」
「思う前に死ぬやつだな」
ガルドが言う。
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「……すみません」
ユーンが元の顔に戻っていた。
完全に別人だった。
「つい……」
「ついじゃねえ」
「でも、良かったです……」
「何がだ」
「最高でした」
目がキラキラしている。
反省がない。
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「……お前」
ガルドが言う。
「はい」
「乗り物に乗るな」
「無理です!」
即答だった。
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「……リオ」
「はい」
「こいつは危険だ」
「完全に同意です」
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人は、スイッチが入ると別の生き物になる。
そして、そのスイッチが日常に存在している場合――
だいたい、周りが巻き込まれる。
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「もう一回だけいいですか?」
「ダメだ」
「短距離でいいので!」
「ダメだ」
「今度はもっと精度上げます!」
「上げなくていい」
「お願いします!」
「帰れ!」
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結局、その日は――
まともな依頼どころではなかった。
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「……なんだったんですかあの人」
帰り道、リオが呟く。
「面倒なやつだ」
ガルドが即答する。
「でも」
少しだけ、考える。
「使い道はあるな」
「あるんですか!?」
「速さは本物だ」
「いや危険も本物です!」
「両方だ」
ガルドは笑う。
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遠くで、ユーンがまた荷車をいじっている。
その顔は、いつもの穏やかな青年に戻っていた。
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「……次会ったら止めてくださいね」
「たぶんな」
「絶対止めてください」
「状況次第だ」
「その返しやめてください!」
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騒がしくて、危険で、どうしようもなく巻き込まれる日常は――
また一人、面倒な存在を増やしながら、今日も続いていくのだった。




