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栄光の中年、ただ生きる  作者: vastum


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第14話「昔使ってたものを見つけると、人はだいたい持ち主だった頃の顔を思い出す」


 昔使っていたものを見つけると、人はだいたいそれを使っていた頃の自分ごと一緒に思い出す。


 剣なら剣を振っていた手の重さを、靴ならその靴で歩いていた道の感触を、マントならそれを羽織っていた日の風の冷たさを、勝手に体が拾い上げてくる。


 頭で思い出そうとしなくても、物の方が先に記憶を引っぱってくるのだ。


 だから、昔の物というのは面倒くさい。


 捨ててしまえば楽なこともあるし、持ち続けていれば邪魔になることもある。


 それでも残っている物があるなら、そこにはだいたい理由がある。


 忘れられなかったのか、捨てる暇がなかったのか、それとも、どこかでまだ自分がその頃と完全には切れていないのか――理由は人によるが、とにかく“何もない”では済まない。



 その日の朝、ギルドの空気はわりと平和だった。


 平和だった、というのは、ガルドが朝一番から酒を飲んでいないとか、ミレナの怒鳴り声がまだ一度しか響いていないとか、リオが掲示板の前で普通の依頼を選んでいて誰にも邪魔されていないとか、そういう“この街における比較的まともな状態”を指す。


 そして、その平和はたいてい長く続かない。


「よし」


 リオが一枚の依頼書を手に取る。


「今日はこれにしましょう」


 薬草採取と簡単な護衛を兼ねた依頼だ。危険度は低く、距離も近い。昨日も運搬だの雑務だのに振り回されたことを考えれば、たまにはこういう堅実な仕事を選ぶべきだと、リオは朝から真面目に考えていた。


「おう」


 ガルドは椅子にだらけたまま適当に返事をする。


「聞いてます?」


「聞いてる」


「本当に?」


「薬草だろ」


「そうです、やっとまともな依頼です」


「地味だな」


「それでいいんです」


 リオが言い切った、その時だった。


 ギルドの扉が開く。


 入ってきたのは見慣れた顔だったが、朝からそれを見ることになるとは思っていなかった人物だった。


「……リディア先生?」


 リオが思わず声を上げる。


 リディア・エルフェルン。魔法学園の学園長であり、ガルドにとっては数少ない“頭の上がらない相手”であり、見た目の若さと実年齢の重さがまったく噛み合っていない、しかしその実、誰よりも人を見る目が鋭い女だった。


「おはよう、リオくん」


 リディアは穏やかに微笑んでから、すぐに視線を横へずらす。


「ガルド」


「なんだよ」


「ちょっと付き合いなさい」


 その一言に、リオは内心で“終わった”と思った。


「断る」


 ガルドもいつものように返す。


「依頼受けるとこだ」


「そう」


 リディアは頷く。


「なら、その前に済むわ」


「済まねえよ、面倒そうだ」


「面倒よ」


「ほらな」


「でも、あなたが行くのが一番早い」


「嫌だ」


「嫌じゃない」


「お前ら、なんで俺の意思を存在しないものみたいに扱うんだ」


「経験上、それで問題ないからよ」


 あまりにも堂々とした返答だった。


 ミレナが横から「たしかに」と小さく頷いているのが見えて、ガルドが露骨に嫌そうな顔になる。



「何の用なんですか?」


 リオが聞くと、リディアは少しだけ息をついた。


「古い倉庫の整理よ」


「倉庫?」


「学園の旧備品庫。昔使っていた装備や教材や、よくわからない物が大量に眠ってるの」


「よくわからない物ってなんですか」


「私にもわからない物よ」


 言い切られてしまった。


「それで、整理を?」


「ええ。今度新しい訓練棟に一部を移すから、その前に使えるものと捨てるものを分けたいの」


 そこでリディアはガルドを見る。


「で、その中にたぶん、あなたの物が混ざってる」


 空気が少しだけ変わる。


 リオはガルドの顔を見た。


 ほんの一瞬だけだが、その目が止まる。


「……知らん」


「知らないわけないでしょう」


 リディアは冷静に返す。


「昔、あなたが置いていった訓練用の武器だの、防具だの、使いかけの地図だの、意味不明な印のついた箱だの、まだそのまま残ってるのよ」


「なんで残ってんだよ」


「誰も勝手に捨てられなかったから」


 その言い方には、少しだけ呆れが混じっていた。


「あなた、必要なものと不要なものの区別をつけるのが壊滅的に下手だったでしょう」


「失礼だな」


「事実よ」


 ぴしゃりと言われる。



「……それ、僕も行っていいんですか?」


 リオが聞くと、リディアはあっさり頷いた。


「もちろん。むしろ来なさい」


「なんでですか」


「あなた、少しはこの人の“雑な過去”にも慣れておいた方がいいわ」


「雑な過去ってなんですか」


「説明の仕方が難しいのよ」


 リディアは本気でそう言っている顔だった。


 ガルドはその横で露骨に嫌そうな顔をしている。


「行かなくていいだろ」


「行くの」


「俺一人で十分だ」


「あなた一人に任せたら、見た瞬間“全部いらん”って言って燃やしかねないでしょう」


「燃やさねえよ」


「半分くらいは本気で考えた顔してるじゃない」


 図星なのか、ガルドは口を閉じた。



 結局、依頼は後回しになった。


 リオの堅実な朝の計画は、またしてもあっさり崩れた。


 だが、最近はもうそれにも慣れてきている自分が少し嫌だった。


 学園へ向かう道すがら、ガルドはずっと不機嫌そうに歩いていて、リディアはそんな彼を気にすることもなく前を歩き、リオはその間でなんとも言えない気分になっていた。


「そんなに嫌なんですか」


 リオが聞く。


「面倒だ」


「面倒なのはいつもじゃないですか」


「種類が違う」


「どう違うんですか」


「見なくていいもんを見る面倒さだ」


 珍しく、少しだけ答えらしい答えだった。


 その声は軽くなかった。



 魔法学園の旧備品庫は、敷地の奥まった場所にあった。


 新しい校舎や訓練場からは少し離れた、石造りの古い建物で、外壁には蔦が絡み、窓は細く、いかにも“昔の施設”という雰囲気をしている。


「ここですか」


 リオが見上げる。


「ええ」


 リディアが答える。


「昔の学園は今ほど整ってなかったから、訓練も保管も雑多だったのよ。ここはその名残」


「雑多、ねえ」


 ガルドがぼそりと呟く。


「お前もその雑多さにだいぶ加担してたでしょうが」


「知らん」


「知ってるわよ」


 扉が開く。


 中から、少しだけ乾いた埃の匂いが流れてきた。



 薄暗い室内には、棚、棚、棚が並んでいた。


 剣や槍のような武器類、古びた木箱、訓練用の盾、破れたマント、巻物、使われなくなった燭台、どこに何があるのか一見しただけではわからないような混沌が広がっている。


「……うわ」


 リオが素直に声を漏らす。


「これはひどいですね」


「でしょう?」


 リディアが頷く。


「だから整理が必要なの」


「捨てればいいだろ」


 ガルドが言う。


「全部は無理よ」


「なんでだ」


「古い資料や、まだ使える装備もあるから。それに」


 リディアは少しだけ視線を細めた。


「残しておいた方がいいものもある」


 その言い方に、ガルドは何も返さなかった。



「とりあえず、あなたの物っぽい箱はあっち」


 リディアが奥の棚を指さす。


「物っぽい、ってなんですか」


 リオが聞く。


「本人しか判別できないものが多いからよ」


「嫌な予感しかしません」


「正しい予感よ」


 リディアに言われると、なぜか否定できない。


 奥へ進むと、たしかにそれらしい一角があった。


 棚の上段から下段まで、統一感のない箱や布包みが積み上げられている。どれにも簡単な印しかついておらず、他人には区別がつかなそうだった。


「……なんだこれ」


 ガルドが露骨に顔をしかめる。


「あなたの物よ」


「こんなにねえだろ」


「あるわよ」


「なんでだ」


「置いていったから」


「ひでえ話だ」


「自業自得よ」



 最初に開けた木箱の中には、訓練用の短剣が数本入っていた。


 どれも使い込まれていて、柄の革は擦れ、刃先には細かい傷が残っている。


「……これ、全部使ってたんですか」


 リオが手に取りながら聞く。


「たぶんな」


 ガルドは曖昧に返す。


「訓練用だろ」


「訓練用にしては傷が多くないですか?」


「訓練でも傷はつく」


「そういう傷ですかね……」


 見た感じ、木製人形を相手にしただけではつかない種類の傷も混じっている気がしたが、リオはそこを深く言わなかった。


 代わりに、柄の部分に刻まれた小さな印を見つける。


「これ、なんです?」


「目印だ」


 ガルドが言う。


「暗いとこでも自分のやつってわかるように」


「……こういうのは細かいんですね」


「武器見失うと死ぬからな」


 軽い口調。


 だが、その一言には十分すぎる重さがあった。



 次の箱には、何枚もの地図が入っていた。


 どれも折り目だらけで、何度も開かれた跡がある。しかも、ところどころに細かい書き込みがされていて、通れる道、崩れやすい地形、水場、休める場所、妙な記号などがびっしりと記されていた。


「……すごいですね、これ」


 リオが思わず言う。


 単なる地図ではない。


 “その場所を何度も通った者の地図”だ。


「こんなに細かく見てたんですか」


「必要だったからな」


 ガルドが一枚だけ手に取る。


 その視線が、ほんの少しだけ遠くなる。


「この辺は夜になると霧が出るんだよ」


 地図の端を指で叩く。


「見通し悪くなるから、迂回路の方が安全だった」


「……そんなの、地図見ただけじゃわからないですよね」


「だから書く」


「全部、自分で?」


「まあな」


 リディアが静かに言った。


「この人、そういうのだけは昔から丁寧だったのよ」


「だけは余計だ」


「事実だもの」



 布包みの中からは、傷んだ革の手甲が出てきた。


 片方だけだ。


「なんで片方しかないんですか」


「知らん」


「知らんじゃないでしょう」


 リディアが言う。


「もう片方、たぶん別の棚よ。あなた昔、片方壊れたままでもう片方だけ使うとか平気でやってたでしょう」


「使えりゃいいだろ」


「よくないわよ」


 それを聞きながら、リオは手甲を観察する。


 内側には補修の跡が何度もあり、糸の色が違う箇所がいくつもあった。


「……自分で直してたんですか」


「手近なやつでな」


「ちゃんとした修理屋に頼めばよかったのに」


「その暇がねえ時もある」


 これもまた、軽く答えているが軽い話ではない。


 “壊れた装備を直しながら次に備えるしかない時期が長かった”と言っているのとほとんど同じだからだ。



 さらに奥の棚から、大きめの木箱が一つ見つかった。


 蓋には見覚えのない古い金具がついていて、鍵はかかっていない。


「これも?」


 リオが聞く。


「たぶん」


 リディアが言う。


「なんか嫌な箱だな」


 ガルドがぼそりと呟く。


「自分の物でしょうが」


「だから嫌なんだよ」


 蓋を開ける。


 中には、古い布に包まれた長いものが一本と、小さな革袋、そして古びた金属板が入っていた。


 最初に目についたのは、長い布包みだった。


「剣ですか?」


「……いや」


 ガルドがそれを取る。


 布をほどくと、中から出てきたのは、一見すると地味な鉄の棒のような代物だった。だが、よく見ると柄があり、先端には折りたたみ式の短い刃を差し込める構造になっている。


「これ、なんです?」


「槍の補助具だな」


 ガルドが答える。


「長柄を現地調達した時に使うやつ」


「……現地調達?」


「長い得物が必要でも、全部持ち歩くのは邪魔だろ」


「いや、まあ、そうですけど」


「棒だけならその辺でなんとかなる」


 あまりにもあっさり言うので、リオは一瞬理解が遅れた。


「……その場で組み立てて使うための部品、ってことですか」


「そう」


「そんなことまでしてたんですか」


「必要ならな」


 リディアがため息混じりに言った。


「本当に、発想だけは無駄に柔軟なのよ」


「褒めてるか?」


「半分は」



 革袋の中には、小さな石や釘のようなものが大量に入っていた。


「これも武器ですか?」


「道具だ」


「何に使うんです?」


「罠、目印、注意引き、足止め、投擲、いろいろ」


「いろいろで済ませる量じゃないですね」


「多い方が便利だ」


 リオは思わず苦笑する。


 この人の強さは、単に剣が速いとかそういうことだけじゃないのだと、また改めて思わされる。


 戦う前から、使えるものは全部使う。


 状況そのものを弄る。


 “裏方最強”という言葉の意味が、少しずつ具体的な形を持ち始めていた。



 そして最後に残ったのが、古い金属板だった。


 手のひらより少し大きいくらいの薄い板で、表面には細かい傷と、古びた刻印がある。


 リオには何かわからなかったが、ガルドがそれを見た瞬間だけ、空気が微かに変わった。


「……それ」


 リディアも気づいたらしい。


「まだ残ってたのね」


「なんだこれ」


 リオが聞く。


 少しの沈黙。


 それから、ガルドが答える。


「識別板みたいなもんだ」


「識別板?」


「昔、現場で誰がどの担当か、最低限わかるようにするための」


 指先で刻印を軽くなぞる。


「俺のじゃねえ」


「え?」


「……預かってたやつだ」


 それ以上は言わなかった。


 だが、言わないことでかえってわかることもある。


 リオは何も聞かなかったし、リディアも追及しなかった。


 ただ、ほんの少しだけ、その場の空気が静かになった。



「……これは残すわ」


 リディアが言う。


「そうしろ」


 ガルドは短く返す。


「別にいらねえ」


「ええ、あなたはいらなくても、こっちは残す」


 言い方はいつも通りだったが、その声は柔らかかった。



 重くなりかけた空気を壊したのは、やはりガルドだった。


「めんどくせえな」


 急にそう言って、別の箱を乱暴に引っぱり出す。


「次だ次」


「急に雑になるのやめてください」


「元から雑だ」


「開き直らないでください」


 蓋を開けると、中にはなぜか大量の木札が入っていた。


 しかも、一枚一枚に微妙に違う印がついている。


「……なんですかこれ」


「知らん」


「いや、あなたの物ですよね?」


「たぶん訓練用の目印だろ」


「“たぶん”」


「見りゃわかる」


「わかりません」


 リディアが横から一枚取る。


「……ああ、これ、昔の模擬戦の配置札ね」


「そんなものまで残してたんですか」


「残るわよ、あなたたちが散らかしたままだったんだから」


「俺だけじゃねえ」


「でも中心はあなただった」


「理不尽だ」


「だいたいあなたが起点だったでしょうが」


 即断だった。



 整理は思った以上に時間がかかった。


 使える短剣、廃棄する木製盾、補修すればまだ使える防具、資料として残す地図、用途不明だがなんとなく危険そうなので保留にされた箱――分類していくたびに、リオには見えてくるものがあった。


 ガルドは何でも適当にやっているように見えるが、残っている物には“適当では済まない現場”の痕跡が大量にある。


 壊れたらその場で直すための道具。


 どこでも武器を作るための部品。


 地形を頭に叩き込むための地図。


 暗所でも触ってわかる印。


 使えるものを増やし、死ぬ可能性を減らす工夫。


 それは、派手ではないが、戦いの現実にものすごく近い。


 だからたぶん、この人は“正面から最強”というより、“生き残るためのすべてを積み上げた結果として最強”なのだ。


 そんなことを、リオは棚の埃を払いながらぼんやり考えていた。



「止まってるわよ、リオくん」


 リディアに言われて、慌てて手を動かす。


「す、すみません」


「考え事?」


「少し」


「この人のこと?」


 図星だった。


 リオが苦笑すると、リディアは小さく笑う。


「わかりやすいわね」


「そんなつもりはないんですけど」


「いいのよ」


 リディアは箱の中身を見分けながら、何気ない口調で続けた。


「昔の物を見るとね、人は自分が見たい部分だけ拾いがちなの。でも、残ってる物って意外と正直だから、本人が隠したいところの方をよく映すのよ」


「隠したいところ……」


「見栄とか、後悔とか、癖とか、怖がりなところとか」


 そこでリディアは、少しだけガルドを見る。


「この人は特にね」


「聞こえてるぞ」


「聞かせてるのよ」


 まったく動じない。



「俺は別に隠してねえ」


 ガルドが言う。


「隠す気がなくても、見せる気もないでしょう」


「同じだ」


「違うわよ」


 リディアはきっぱり言い切る。


「見せないのと、隠すのは違う」


 その言葉に、ガルドは少しだけ黙る。


 リオはそのやり取りを聞きながら、なんとなく胸の奥で引っかかった。


 たしかに、この人は何もかも秘密にしているわけではない。


 聞けば、時々ぽろっと答える。


 でも、その答えの出し方が独特なのだ。


 大事なところほど、軽く投げる。


 雑に見せる。


 そうすることで、自分でも距離を取っているように見える。



 ふと、備品庫の奥に立てかけられていた古い大盾が目に入った。


 木と金属を合わせた、訓練用にしてはやけに頑丈そうな作りだ。


「これ、ドーガさんっぽいですね」


 リオが何気なく言うと、ガルドがちらりと見た。


「……ああ」


「わかるんですか?」


「縁の削れ方があいつっぽい」


「そんなのでわかるんですか」


「盾は持ち主の癖が出る」


 あっさりと答える。


「前に出るやつ、受け流すやつ、止めるやつ、押し返すやつで全部違う」


「……そこまで見てたんですね」


「見るだろ」


「普通はそこまで見ないと思います」


「だから普通じゃ生き残れねえんだろ」


 それもまた、さらっと言うには重すぎる言葉だった。



 整理がひと段落した頃には、もう昼をだいぶ回っていた。


 窓の高い位置から差し込む光の角度が変わり、埃がゆっくり舞っているのが見える。


「今日はここまでね」


 リディアが言った。


「助かったわ」


「二度とやらん」


 ガルドは即答する。


「そう言って、たぶんまた呼ばれるのよ」


「嫌だ」


「私が呼ぶもの」


「お前はほんと……」


 そこまで言いかけて、ガルドは小さく息をついた。


「……借金減るか?」


「少しは考えてあげる」


「やる」


「早いですね!?」


 リオが思わず叫ぶ。


 現金というより、借金に対してだけやたら判断が早い。


 リディアは笑った。


「正直でよろしい」



 学園を出て、街へ戻る道すがら、ガルドはいつもより少し静かだった。


 リオもまた、さっき見た物たちのことを考えていた。


 何本もの短剣、書き込みだらけの地図、補修だらけの手甲、現地組み立て用の武器部品、細かい道具類、そして、誰かから預かったままの識別板。


 どれも“英雄の装備”みたいな華やかさはない。


 だが、そのどれもが生々しく現実的で、誰かを生かすために使われた匂いがした。


「……なんか」


 リオがぽつりと言う。


「思ってたより、もっと……地味でした」


「何がだ」


「昔のガルドさんの物です」


 少しだけ言いづらかったが、そのまま言った。


「もっと派手な剣とか、すごい魔道具とか、そういうのがあるのかと思ってました」


「あるわけねえだろ」


「でも、そういう感じじゃなかった」


「そうだな」


 珍しく、素直に頷いた。


「俺はそういうのじゃねえ」


 その言い方が、少しだけ印象に残った。


 自分を卑下しているわけでも、誤魔化しているわけでもなく、ただ“役割が違った”と認めているような声だったからだ。


「派手なのは、アルとか、ああいうやつだ」


「……じゃあ、ガルドさんは?」


「裏だよ」


 短い一言。


「見えなくていいとこだ」


 それだけだった。



 昔使っていたものを見つけると、人は持ち主だった頃の顔を思い出す。


 だが、それは必ずしも“かっこよかった自分”ではない。


 むしろ、自分がどれだけみっともなく必死だったか、どれだけ先のことを考える余裕もなく、その場その場で生き延びようとしていたか、そういう部分の方が鮮明に戻ってくることもある。


 だからたぶん、人は昔の物を前にすると面倒くさい顔をするのだ。


 綺麗な思い出だけでは済まないから。



「なあリオ」


「はい」


「今日見たもん、あんま他で喋るなよ」


「え?」


 ガルドは前を向いたまま言う。


「別に秘密ってほどじゃねえけど、面倒だ」


「……わかってますよ」


「ならいい」


「でも」


 少し迷ってから、リオは言う。


「見られてよかったです」


 ガルドが足を止めるほどではないが、ほんの少しだけ歩調を変えた。


「何が」


「ガルドさんが、なんでああいう動き方をするのか、ちょっとだけわかった気がして」


「わかった気、な」


「はい。たぶんまだ全然ですけど」


 ガルドはしばらく何も言わなかった。


 それから、ひどくどうでもよさそうな声で言う。


「気のせいかもしれんぞ」


「そこは否定しないんですね」


「面倒だからな」


「やっぱりそこなんですね」


 リオは苦笑する。



 ギルドに戻ると、案の定というべきか、ミレナがすぐに気づいてこちらへやってきた。


「遅いです!」


 開口一番それだった。


「依頼はどうしたんですか!」


「消えた」


 ガルドが言う。


「消えてません、後回しです!」


「同じだろ」


「違います!」


 ミレナは帳簿を抱えたまま詰め寄る。


「しかもリディア先生から伝言預かってます、“ガルドには借金減額の件、ちゃんと働いた分だけ考える”って」


 その瞬間、ガルドの目が微妙に輝いた。


「減るのか」


「条件付きです!」


「なんだ」


「もう一回学園の倉庫整理に行くこと」


「嫌だ」


「今、少し期待しましたよね?」


「してねえ」


「しました!」


 めちゃくちゃわかりやすかった。



「……で、今日は結局どうするんですか」


 リオが聞く。


「依頼受けるにはもう遅いですね」


「じゃあ飲むか」


「その発想しかないんですか!」


「今日は労働した」


「僕もしました」


「じゃあ二人で飲むか」


「そういう話じゃないです!」


 そのやり取りの途中で、セリアが治療棟の方から顔を出した。


「あ、戻ってたんですね」


「おう」


「お疲れ様です」


 やわらかい笑顔。


「どうでした? 学園」


「埃っぽかった」


「それ感想として雑すぎません?」


 リオが言う。


 セリアはくすっと笑った。


「でも、なんだか少しだけ、顔が違います」


「何が」


「ガルドさんです。少しだけ、昔を見てきた人の顔です」


 その言い方に、ガルドは露骨に嫌そうな顔をする。


「やめろ」


「当たってます?」


「知らん」


「当たってるんですね」


 セリアは優しく笑うだけで、それ以上は追及しなかった。


 やっぱりこの子は、人の踏み込まれたくないところの手前でちゃんと止まれるのだと、リオは思った。



「なあリオ」


「はい」


「今日の薬草依頼、明日残ってたら受けるぞ」


「本当ですか?」


「たぶんな」


「そこは確定でお願いしますよ」


「面倒だ」


「もう聞き飽きましたその返し!」


 ガルドは笑う。


 ミレナが「本当に明日はちゃんと依頼受けてくださいよ!」と叫び、セリアが「ほどほどにしてくださいね」と言い、奥の方からカインの「また騒いでるのか」という呆れた声が聞こえ、ギルドの空気はあっという間にいつもの騒がしさへ戻っていく。



 昔使っていたものを見つけると、人は持ち主だった頃の顔を思い出す。


 でも、その顔をずっとしたままで生きていく必要はない。


 昔は昔で、今は今だ。


 昔の物が残っているのは、今を否定するためじゃなくて、たぶん、今ここまで来た道が確かにあったと教えるためだ。


 捨てられなかったものも、捨てなかったものも、今の自分と切り離せないなら、それはもう“過去”じゃなくて、ちゃんと今に繋がっている。


 そういうものなのかもしれない。



「で」


 ガルドが椅子にどかっと座る。


「今日は飲むぞ」


「結局そこに戻るんですね」


「昔の物見た日は、酒がいる」


「そんなルール初めて聞きましたよ」


「今決めた」


「便利ですね本当に」


 ミレナがすぐさま飛んでくる。


「ダメです!」


「なんでだよ!」


「なんでじゃありません! 今日は学園に行っただけで依頼収入ゼロなんですから!」


「働いたろ」


「借金減額候補と今の財布は別です!」


「理不尽だ!」


「理不尽なのはあなたです!」


 その応酬を聞きながら、リオは思わず笑ってしまう。


 今日見たものはたぶん、簡単には頭から消えない。


 あの地図も、手甲も、識別板も、ガルドがさらっと口にした“裏だよ”という一言も、きっとしばらく残るだろう。


 でも、それでいいのだと思う。


 この人は、過去を全部綺麗に語るような人じゃない。


 だからこそ、物や癖や、ふとした言葉や、こういう日常の中でしか見えない。


 それを少しずつ拾っていくしかないのだろう。



「なあリオ」


「はい」


「さっきの地図、見たろ」


「見ました」


「お前、次から依頼行く前に地形も少し見ろ」


「……はい」


「敵より先に、逃げ道覚えとけ」


 あまりにもあっさり言う。


 だが、その一言は、今日見たあらゆる物と繋がっていた。


「わかりました」


「ならいい」


 それだけ言って、ガルドはやっぱり酒の方を向く。


 ミレナはまだ怒っている。


 セリアは困ったように笑っている。


 カインは遠くで呆れている。


 アルはたぶんどこかで仕事をしていて、ドーガは門に立っていて、リディアはきっと“次も呼ぶわよ”くらいは考えている。


 そんなふうに、過去を少しだけ見た日の終わりも、結局は今の騒がしい日常に回収されていく。



 昔使っていたものを見つけると、人はだいたい持ち主だった頃の顔を思い出す。


 けれど、その顔を見たあとで、また今の自分に戻ってこれるなら、それは悪いことじゃない。


 昔を知って、今を選ぶ。


 そうやって人は、少しずつ今の自分のままで過去と折り合いをつけていくのかもしれない。



「だから飲ませろって!」


「ダメですって言ってるでしょう!」


「一杯!」


「半杯もダメです!」


「ケチ!」


「誰のせいでこうなってると思ってるんですか!」


「未来の俺!」


「今のあなたです!!」


 ギルド中に笑いが混じる。


 騒がしくて、面倒で、少しだけ昔の気配が残ったまま、それでもちゃんと今日の終わりへ向かっていく日常は――また何事もなかったみたいな顔で、続いていくのだった。

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