■第12話「昔を知ってるやつは、だいたい余計なことを言わない」
人の過去を知っているやつほど、余計なことを言わない。
全部知っているからこそ、どこまで触れていいのかをわかっている。
だから、だいたい一番肝心なところには触れない。
――触れないまま、今のそいつを見て笑っている。
⸻
「なあリオ」
昼過ぎ、いつものように酒場でだらけていたガルドが、珍しく椅子から体を起こしながら言った。
「なんですか」
「今日はちょっと違うとこ行くぞ」
「違うとこ?」
「飯だ」
「いつもここで食べてるじゃないですか」
「たまにはいいだろ」
「珍しいですね」
「気分だ」
その“気分”という言葉に、リオはほんの少しだけ引っかかりを覚えたが、深く追及する前にガルドはもう立ち上がっていて、外に向かって歩き出していた。
⸻
街の中心から少し外れた通りは、普段ギルド周辺で見るような騒がしさはなく、商人の声も落ち着いていて、どちらかというと生活の匂いが濃い場所で、石畳の隙間に雑草が伸びていたり、古い木造の建物がそのまま使われていたりと、時間がゆっくり流れているような雰囲気があった。
「……この辺、あんまり来たことないです」
リオが周囲を見回しながら言う。
「だろうな」
ガルドは迷いなく進む。
道を覚えている足取りだった。
「昔はよく来てた」
「昔って……」
「昔だ」
それ以上は言わない。
だが、その“昔”の響きは、いつもの軽さとは少しだけ違っていた。
⸻
しばらく歩くと、古びた看板が見えてきた。
木の板に、少し擦れた文字で店の名前が書かれている。
外観は古いが、手入れはされていて、扉の前には掃除された跡があり、長く続いている店であることが一目でわかった。
「ここだ」
ガルドが言う。
「……普通の食堂、ですね」
「普通がいいんだよ」
扉を開ける。
中は落ち着いた空気で、昼の時間帯を少し過ぎているせいか客はまばらで、木のテーブルと椅子が並び、奥の厨房からは香ばしい匂いが漂っていた。
⸻
「……おや」
カウンターの奥にいた男が、こちらを見て目を細めた。
年は五十を少し超えたくらい、がっしりとした体格に、無駄のない動き、ただの店主というよりも、どこか“現場”を知っているような雰囲気を持っている。
「久しぶりだな」
ガルドが軽く手を上げる。
「……ああ」
店主がゆっくり頷く。
「生きてたか」
「勝手に殺すな」
「来ないからな」
「来る理由がなかった」
「今はあるのか」
「飯」
「そうか」
それだけの会話。
だが、空気は明らかに違った。
リオはそれを感じ取っていた。
⸻
「……席、いいか」
「好きにしろ」
店主はそれ以上何も言わず、調理に戻る。
ガルドは慣れた様子で席に座り、リオもその向かいに座った。
「……知り合い、ですか」
「まあな」
「長い付き合いなんですか?」
「そこそこだ」
曖昧な答え。
だが、それ以上聞くべきじゃない気がして、リオは口を閉じた。
⸻
「注文は?」
店主が聞く。
「いつもの」
ガルドが答える。
「……まだそれで通じると思ってるのか」
「通じるだろ」
「……まあいい」
店主は小さくため息をつく。
「お前は?」
「え、じゃあ同じので」
「二つだな」
短いやり取り。
だが、どこか昔からの流れがあるように感じられた。
⸻
しばらくして、料理が運ばれてきた。
シンプルな肉料理にパン、スープ。
見た目は素朴だが、香りがいい。
「……うまそうですね」
「うまいぞ」
ガルドが言う。
一口食べる。
リオは思わず目を見開いた。
「……本当にうまい」
「だろ」
ガルドは満足げに笑う。
⸻
「……変わってねえな」
店主がぽつりと言う。
「何が」
「食い方」
「そうか?」
「そうだ」
ガルドは肩をすくめる。
「変わる理由がねえ」
「……そうか」
店主はそれ以上言わなかった。
⸻
「……あの」
リオが少しだけ勇気を出して聞く。
「ガルドさんって、昔はどんな感じだったんですか」
空気が一瞬止まる。
店主の手が、ほんの少しだけ止まった。
ガルドはパンをかじりながら答える。
「今と同じだ」
「嘘ですよね」
「半分な」
リオが店主を見る。
店主は少しだけ考えてから、短く言った。
「……今よりは、まともだった」
「それは意外です」
「失礼だな」
ガルドが言う。
⸻
「ただな」
店主が続ける。
「忙しかった」
その一言に、少しだけ重みがあった。
「……忙しい?」
「休んでるの見たことなかった」
「そんなにですか」
「そんなもんじゃねえ」
店主は視線を外す。
「飯食ってる時間も、寝てる時間も、全部短かった」
リオは言葉を失う。
「……なんでそこまで」
「必要だったからだろ」
ガルドがあっさり言う。
「それだけだ」
それ以上の説明はない。
⸻
「……今は」
店主がガルドを見る。
「ずいぶん暇そうだな」
「暇だな」
「いいのか」
「いいんじゃねえか」
ガルドは笑う。
「働きすぎた反動だ」
「そういうことにしておくか」
店主もわずかに笑った。
⸻
食事を終え、外に出る。
昼の光が少しだけ柔らかくなっていた。
「……なんか、不思議な感じでした」
リオが言う。
「何が」
「ガルドさんの、知らない部分を見た感じがして」
「知らなくていい部分だ」
「そういうわけにはいかないと思います」
「面倒だな」
「あなたが言います?」
ガルドは笑う。
⸻
「なあリオ」
「はい」
「昔の話なんてな」
一拍。
「だいたいどうでもいい」
「……そうですか?」
「今生きてるかどうかの方が重要だ」
軽い言い方だった。
だが、その奥にあるものは軽くなかった。
⸻
人の過去を知っているやつほど、余計なことを言わない。
それは、全部を知っているからだ。
言葉にしなくてもわかることがあるからだ。
だから、あえて何も言わない。
ただ、今のそいつを見ている。
⸻
「で」
ガルドが言う。
「帰るか」
「飲まないんですか?」
「飲む」
「やっぱりですか」
「締めだ」
「さっき食べたばかりですよ」
「別腹だ」
「便利ですねその理屈」
リオはため息をつく。
だが、少しだけ笑っていた。
⸻
昔を知ってるやつは、だいたい余計なことを言わない。
でも、その沈黙の中には、確かに何かが残っている。
それはきっと、言葉にする必要がないものだ。
⸻
「なあリオ」
「はい」
「明日どうする」
「普通に依頼受けましょう」
「普通か」
「普通です」
「つまらんな」
「つまらなくていいんです」
「そうか?」
「そうです」
ガルドは笑う。
⸻
騒がしくて、くだらなくて、それでもどこか繋がっている日常は――
過去を背負ったまま、今日も続いていく。




