28,ロスグラン侯爵のひとりごと
ロスグラン領地に暖かな季節が来た。国の南東に位置するロスグラン領は、隣国と接する山間部を除いて、海も近く開けた土地のため、斜面は多いが比較的気候は穏やか。冬もそこまで厳しいということはなかったが、それでも暖かな季節の到来に、住民の表情も心なしか明るかった。…一人を除いて。
「ヴィンセントさん、せっかく暖かくなってきたのに、ますます険しい顔になってません?」
偶然街で仕事終わりのヴィンセントを見かけたマリーは、つい苦言を呈してしまった。
「マリー。この顔はもともとの顔です」
そう言ってヴィンセントは微笑む。その取り繕ったような笑顔を見て、マリーはため息をつく。
「奥様がいなくなって屋敷も寂しくなりましたしねえ」
「何故そこで奥様の話が出るのですか? …まあ、少し気になる事はありますけれど」
「…気になることですか?」
ヴィンセントの言葉を意外に感じたマリーは、先の言葉を促す。
「奥様の王都行きの手配している際に、少し引っかかる事があったのに、奥様のためと思ってそのまま王都に出してしまったことを少し後悔しておりまして。
…そもそも、情状酌量があったとはいえ、三大公爵家に事実上破門された奥様を王都に戻すことはそう簡単な事ではありません。侯爵様がどう王と交渉しようかと考えていたのですが、既に奥様を戻すような動きがあると…ただ、戻すための名目が保留中、との回答だったそうです。もともと侯爵様は奥様をロスグランの者として王都に送る予定でしたので、そのあとはスムーズに話が進みました。
おそらく王以外にも、上流階級の貴族のどこかに奥様の味方がいて、公的機関の調査を後押しするなど奥様の免罪に動いていたみたいだったのですが…その方の見当がつかないまま奥様のアカデミー入学の日が迫ってきてしまいましたので」
言葉を選びつつマリーに話すと、ヴィンセントは、通りの奥に見える洋服店をちらりと見る。
(イヴリンに王都行きを促したあそこの洋服店の店主…イヴリンが来る直前に営業を始めた新規店だったはず…)
そう人知れず疑いの目を向けるヴィンセントに、マリーは明るい声で言う。
「でもその方は奥様の味方であるでしょうから、分からなくても問題ないのではないですか?」
「…そうですね」
歯切れの悪いヴィンセントの相槌に、マリーはますます疑問が増えるだけだった。
◆
マリーと別れたヴィンセントは、屋敷に戻る途上、農地を見回って帰ることにした。
農地には、イヴリンが進めていた農作物もある。もともと平地にしかなった農地を、山の斜面の一部を整地して、柑橘類の樹木を植えていた。
『日当たりと海風を利用した、瀬戸内レモンや静岡ミカンです』みたいなよく分からない事を言っていたな、とヴィンセントは回想しながら自然と笑みがこぼれる。収穫には時間がかかる作物だが、イヴリンが戻る頃には実るようになっているだろう、と思ったところで、イヴリンが戻る事を前提に考えてしまっていることに気づき、その考えを消す。
領地内のそこかしこにイヴリンがいた形跡が色濃く残っていることにため息をつく。
屋敷に戻った足はそのまま、屋敷の庭に向かう。
元々荷物が少なく、洋服も最低限しか揃えていなかったイヴリンは、屋敷に自分の荷物は残さず、イヴリンの部屋もただの客室に戻っていた。
ただ一つ、庭園を除いて。
(ヴィンセントさん、好きです)
いつしか毎日の習慣化していた二人だけのやりとりを思い出す。
今更、聞けなくなると寂しく感じるとはヴィンセントは想定していなかった。
しばらく庭を眺め、一つため息をつくと、ヴィンセントは王都がある方角を見つめながら、眉間の皺を深めるのだった。




