22,出立と波紋
薄く靄がかかる朝のうちに、イヴリンは、駆け付けたマリーとキース、ヴィンセントに見送られ、ロスグラン邸を出立した。
(昨日は幸せだったなあ…)
馬車の中でイヴリンは今朝を反芻する。
『目覚めたか』
イヴリンが目覚めると、既にオークリーは目覚めていて、片手は腕枕をしてくれていた。
(目覚めてすぐオークリー様の顔があるのは嬉しいけど、心臓に悪いよ。というか、私もオークリー様の寝顔を見たかった…! 爆睡しなければなあ。
…って私、よだれとか垂らしてなかったよね!?)
馬車の中、ひとりで百面相をするイヴリン。
(まさかこんな幸せな気持ちで王都に再び戻れるとは思わなかったな。
オークリー様との同衾も、最後の思い出のためだったし…最初は距離を取るために王都行きを決めたのに、やっぱり我慢できなくて、戻って来るって宣言しちゃったし。
でも、この思い出があれば、これから王都で何があっても頑張れるわ…!)
イヴリンは気合いを入れ直した。
◆
王都の中央、城が聳える一等地の区画に位置する、貴族が通う学校、ヴェスター・アカデミー。王族が創立し、代々、王子や姫も通う名門のため、厳しい規則と高度な教育でその威厳は守られている。15歳から入学可能な4年制で、4年になると専門分野が幅広く学べる。春と秋の半期毎に入学の機会が用意されている。
そんな名門貴族学校で起こった前代未聞の醜聞。三大公爵家の長女が、次女を学校内で毒殺しようとした、というものである。しかしこれには後日談があり、学生の自治組織である生徒会と国のしかるべき機関が調査したところ、毒物の毒性は低く、量も少なく、毒殺の事実には足りなかった、という事実だった。
退学処分の判断は時期尚早であったのでは、と、生徒会はペティベリー公爵家に退学取り消しを提案したものの、身内で起こした醜聞が世に出てしまった事実と、公爵が可愛がっていた被害者である妹・シーアの心の傷などを考慮して、処分を変えなかった。
そうして公爵が手を回し、この事実は生徒会と調査機関の関係者の中だけに留めるよう箝口令が敷かれ、誰も口にすることはなくなった…と思われた。
事件から半年たったこの春、第三王子、ランスロット・ヴェスターの入学と時を同じくして、イヴリン・ペティベリーが、イヴリン・ロスグランと名前を変えて再入学してくるらしい、という噂がどこからか囁かれるようになるまでは。
◆
王都に入ったイヴリンは、中央の区画より東に位置する、中流貴族が多く住まう区画に建つロスグラン邸に到着していた。
「いやー、本当に王都は久しぶり。戻って来るとは思いもよらなかったし…。ペティベリー家の人に会わなければ良いけど…王都のロスグラン邸はペティベリー家とは反対側なんだよね。良かった」
馬車を降りたイヴリンは、縮こまっていた体を伸ばすように伸びをすると、邸宅に向かってすたすたと歩いていく。
「こんにちは~」
邸宅の扉を開きエントランスに入ったイヴリンは、周囲を見回す。ロスグラン領にある邸宅より一回り小さいものの、しっかり手入れをされている内部が窺える。
(オークリー様は、王都に行くことはないから放置してたって言ってたけど、綺麗に維持されてるわ。こちらの邸宅も定期的に管理を頼んでいたのかも)
「奥様! 予定より少し早かったんですね。お迎えできず申し訳ございません!」
メイド服を着て髪をお団子に結んでいる、スレンダーな女性が1階の奥から姿を現す。年齢は50代くらいだと窺える。
「使用人のサラです」
「イヴリン・ロスグランです。よろしくお願いします」
(ロスグランって名乗るの照れるな…。慣れなきゃ)
綺麗なカーテシーをとって名乗るイヴリンに、サラは恐縮する。
「使用人ですから、敬語は止めてくださいませ。色々、侯爵様から伺ってます。私はもともと侯爵様が将校であった時の部下だったのですが、戦後、軍が解散してからは結婚して子育てをしておりまして。たまにこちらの屋敷の管理に来ていました。子供も独り立ちしましたので、専任の使用人としてこちらで奥様のサポートをさせていただければと」
恐縮しながらも、親しみやすい笑顔を見せるサラ。ロスグラン領のマリーと同じような、友好的な雰囲気を感じる。
(女性軍人さんだったんだ…どおりでしなやかな体つき…。格好良いなあ)
驚きつつ、イヴリンも破顔して答える。
「はい。心強いです……と、すみません。なかなか敬語が抜けなくて…」
肩を竦めて、おどけた笑みをサラに向けるイヴリン。
「少しずつで大丈夫です。
私は夜は家に帰宅いたしますので、別の者が警備に参ります。
ひとまず、奥様の部屋にご案内しますね」
サラはそう言ってイヴリンの荷物を預かると、2階の部屋に案内する。
「あ、そういえばサラにお願いしたい事があるんだけど…」
イヴリンは馬車で考えていた、とある事をサラに頼むのだった。
◆
「イヴリンが学園に戻ってくるだと!?」
アカデミー校内の廊下にリオの声が響き渡る。生徒会に所属している友人・シモンから、イヴリンの帰還を内内に教えてもらったのだが、この大声だと噂は瞬時に校内を駆け巡るだろう。
「…リオ、声が大きいよ」
シモンは諫めるが、イヴリンが入学すればすぐに分かることだと、あまり気にしているような表情ではない。
「このことは、シーアは知っているのか?」
「さあ? でも、ロスグラン侯爵の名前で入学してくるから、もしかしたら、知らされていないんじゃないか? ペティベリー公爵家から、イヴリン嬢は絶縁されているし、籍も抜かれてるだろう。
でもまあ、リオの今の大声で、シーアだけじゃなくて、すぐに学校中が知ることになるだろうけど」
「……」
バツの悪い表情になるリオ。
「イヴリン…」
そう複雑そうな表情でつぶやくリオを見つめ、シモンは、毒殺未遂の本当の事実をリオに教えられずにいることを歯がゆく思った。
◆
「…シーア!」
取り巻きの友人の切羽詰まった声に気づいて振り返ったシーアは、友人の口から発せられた事実に衝撃を受ける。
(お姉さまが!? そんなシナリオは…ない…どういうこと!? この時期は、ランスロット王子の入学だけしか出来事はないはず…。しかもお姉さまは娼館で明日をも知れない身…じゃなかったの!?)
シーアは顔面蒼白になり、無意識に握りしめていた拳を更に固く握りしめる。
(…せっかくランスロット王子が入学してくるのに…目ざわりだわ…)
焦燥感から不安気に佇むシーア。傍にいる友人は、また姉から危害を加えられることに怯えているのか、と推測する。
(大人しくしていたら、許してあげる。でも、もし私の邪魔をするようなら…)
不安気な表情に一瞬、酷薄な笑みが浮かんだ事に、友人は気づかなかった。




