21,最後の一夜(後編)
急に侯爵の寝室に入ったことで再び緊張し始めるイヴリン。
「…それで、打ち明けたいことはこれだけだったんですけど…ええと、ヴィンセントさん…」
持っていた枕をぎゅっと抱きしめて、イヴリンは強張った面持ちで呼びかける。
「オークリーだ。この部屋ではそれで良い。
ヴィンセントという名は、亡くなった前任のロスグラン侯爵の名を借りた。英雄だなんだと言われるのは煩わしくてね。面倒を避けるために、オークリーとは別人としてふるまったほうが仕事がしやすかった」
素に戻って、皮肉気にそう告げるオークリーに、イヴリンは恐る恐る聞く。
「前に、マリーさんが、ヴィンセントさんには遠くに奥様がいるっていう噂があると聞いたのですが、それは…」
この際、気になっていたことは全て解消したい。
「…前任のロスグラン侯爵には奥様がいた。…奥様は、戦火を逃れて王都に行ったが、別の貴族と再婚したと聞いている。古くからいる領民の誰かが、どこかで『妻が遠くにいる』とだけ耳にして、今のヴィンセントの事だと思ったのかもしれん。その噂がマリーに伝わったのだと思う。マリーもおそらく、真に受けてはいなかっただろうが」
「そうなんですね…」
ヴィンセントに奥さんがいないと聞いて、イヴリンはほっとする。マリーもあくまでも噂と言っていたのを思い出す。
すると、オークリーはイヴリンの手を引いてベッドに座らせた。
「侯爵様!?」
驚くイヴリンに、オークリーは立ったままイヴリンに顔を寄せる。
「今はオークリー」
不機嫌そうに訂正する。
「オークリー…さま…」
(近い…! 顔が良い…あ、眉間の皺が深い…近づかないと分からなかったわ…)
思考は活発でも、動きがフリーズしてしまうイヴリン。
オークリーは腰をベッドの下に跪き、イヴリンを下から覗き込むようにして言葉を続ける。
「今日はアレは言わないのか?」
「…アレ?」
(…“今日は”ってことは…もしかして――告白のこと? いつも聞き流してると思ったのに…意外とちゃんと聞いてくれてたんだ…。毎日あることがないと落ち着かないのかな?)
イヴリンはヴィンセントが侯爵だと分かった日から、毎日欠かさず告白していたことを思い出す。今日は朝からデートに出かけたりと目まぐるしくヴィンセントと一緒にいたので、忘れていた。
「あ、あの、遅くなりましたが、好きです」
(重くなるから言葉にはできないけど、私を優しく導いてくれるところが、見守ってくれるところが、少しいじわるなところが好きです。あなたのおかげで、自由にいられます)
内心は多弁でも、言葉は短い。
しかも、毎日言っていると慣れてくるもので、オークリーの目をまっすぐ見据えたまま照れることもなく、挨拶の言葉のように自然に口にするイヴリン。
イヴリンの日課が済み、満足するかと思われたオークリーだったが、あっさりとしたイヴリンの言葉に少し不機嫌に眉間の皺を深め、立ち上がる。
「…刷り込みかもしれないだろう」
「えっ?」
ぼそっと呟いたオークリーの言葉をイヴリンは聞き取れなかった。
(いつも通り、「勘違いだ」かな?)
「イヴリン、どうして欲しい? 今夜だけ、なんでも希望を叶えてやる」
オークリーはイヴリンの隣に腰を掛けつつ、イヴリンに問いかける。
「はっ!?」
(うそ!? …もし抱いて欲しいって言ったら抱いてくれるってこと…!? 既成事実は作りたい…けど…)
予想外の申し出に、イヴリンの脳内は更に混乱する。
(いや、何考えてるの。そんな付けこむみたいなこと。これは最後の思い出だって決めたでしょ。オークリー様は私のことなんて好きじゃないんだから)
自分で否定して悲しくなるイヴリン。
考え込んでしまったイヴリンを見つめるオークリー。イヴリンは数十秒悩んだ末、口を開く。
「抱きしめて、一緒に朝まで寝て…欲しいです」
(でも、このくらいは許してください…!)
両手の手のひらを合わせ、祈るように目をぎゅっと瞑るイヴリン。
オークリーはイヴリンの言葉に拍子抜けしたような複雑な表情になる。
「…分かった」
オークリーはベッドに体を滑り込ませ、掛布団をめくり「来い」と、イヴリンを誘う。
イヴリンが恐る恐る布団に入ると、イヴリンの体を抱き寄せた。
オークリーとイヴリンは向かい合うように抱き合い、イヴリンはオークリーの胸元に顔を埋めた。
(やっぱり胸元厚い…! そうだよね、軍人だったんだもんね…。…侯爵も少し心音が早い…私みたいにドキドキしてくれないかな…)
しばらく頬を紅潮させながら、オークリーの体温を感じていたイヴリンだったが、ここ数日の多忙が響き、次第に睡魔に襲われる。
(暖かいな…)
そのまま意識を手放していった。
オークリーはその様子を観察しながら、イヴリンの頬にかかる髪の毛を掬って耳にかけると、その寝顔をずっと眺めていた。




