20,最後の一夜(前編)
ヴィンセントと共に外出したその日の夜、ロスグラン邸で最後の夜を過ごすイヴリンは、屋敷の浴室で、シャワーを浴びながら密かに緊張していた。
(いや、本当に同衾を了承してくれるなんて思わなかったから…全然心構えできてないよね…。まあ、さすがにヴィンセントさんにソノ気はないと思うけど。妻にはしないって言われてるし。私もヴィンセントさんを諦めるために…最後の思い出としてダメ元でお願いしたんだし。でも、ヴィンセントさんの体温を感じられるってだけで…)
イヴリンは悶々とする脳内の妄想を振り払うように首を振り、雑念を消そうとする。
浴室から出て、いつものネグリジェを着たイヴリンは、いったん自分の部屋に寄って枕を取り、枕を持ったままヴィンセントの――侯爵の執務室に向かう。
コンコン、と執務室のドアをノックすると、すぐにヴィンセントの許可の声が聞こえる。
「失礼しま~す…」
イヴリンは、初めて踏み込む領域に、更に緊張を募らせる。
「すみません、少し仕事を片付けてました。就寝の準備をするのでしばしお待ちください」
ヴィンセントはそう言って、ソファにイヴリンを案内し、ブランケットをイヴリンの肩にかけると、眼鏡を置いて、執務室の横にある侯爵専用のシャワールームへ姿を消してゆく。
(やばい…執務室に入れただけで破格の待遇なのに、ヴィンセントさんが優しい…気がする。顔がニヤけてしまう…)
今まで一線を引かれていた侯爵の執務室に入れ、且つヴィンセントのプライベートな雰囲気に、緊張を忘れ幸せに浸るイヴリン。
ニヤつく頬を抓り、興奮を収めたイヴリンは、ふと執務室の窓が気になる。
枕をソファに置き、立ち上がって窓に向かう。分厚いカーテンを少しめくると、庭が見える。
(ここからたまに庭の様子も見てたのかな…恥ずかしいな…。いや、自意識過剰か…仕事でそんな暇ないでしょ)
セルフツッコミを入れると、窓から離れ、執務室を見回す。
(本当にヴィンセントさんが侯爵だったんだなあ…。資料が几帳面に整理されてる…ペンもインクも綺麗な使い方…ヴィンセントさんっぽいな)
ふふ、とイヴリンから優しい笑いが漏れる。
ヴィンセントの机の上にそっと手を乗せ、しばらくの時間眺めている。
「あまり物色しないでもらえますかね」
ヴィンセントがシャワールームから戻り、ナイトローブを纏った姿で現れ、イヴリンの後ろから声をかける。ヴィンセントの執務机に夢中だったイヴリンは気づかず、驚きつつ、後ろを振り向く。
「ヴィンセントさんっ。
すみません。ヴィンセントさんが本当に侯爵様なんだなあ…って実感してしまいまして」
濡れた髪の毛や、薄いナイトローブから伺えるヴィンセントの逞しい体に顔を赤くして、慌てて目を反らすイヴリン。
「ええと…」
(…前世でも、生きるのと仕事とで忙しくて、恋愛経験少なくて…こういう時、どうすれば良いのか分からない。
…ってそうだ…)
ドキドキする気持ちを持て余していたイヴリンだったが、ヴィンセントに伝えなければならなかったことを思い出した。
「ヴィンセントさん、私、お願いを叶えてもらう前に、謝らなければならないことがありまして…」
「なんですか?」
イヴリンは言葉を選びながら、ヴィンセントに懺悔するように、ずっと言わなければならないと思っていたことを訥々(とつとつ)と話し始める。
「最初に侯爵様…ヴィンセントさんが私を屋敷に置いてくれた理由として、カモフラージュのほかに、私を追い出すとお父様に伝わってロスグラン領地の評判が悪くなる、ということがあったかと思いますが…。もうご存知だと思いますが、父親には縁を切られてまして…。たとえ私が路頭に迷って死のうが、ロスグラン領地の評判を落とすことはなかったんです。…私が自分の身のために誤解を解かずに今まできてしまいました…申し訳ございません。」
イヴリンは意を決して白状する。
「なんだそんなことか」
ヴィンセントはイヴリンの不安を一笑に付すと、不意にイヴリンの手を掴む。
「寝室はあちらですので」
そう言って執務室からドアで繋がっている寝室へ連れていく。
「えっ!? えっ!?」
パニックに陥るイヴリン。
侯爵の寝室は、イヴリンの部屋と同じくらいの広さだったが、イヴリンの部屋のものよりは広いベッドが置かれていた。
「今更、何を言い出すかと思ったらそんなこと…。どうせ屋敷から追い出したところで、あなたは、どこかの誰かの懐に入って上手く生きていたんだろう。だから、逆に俺が傍で見てられて良かったよ」
「えっ」
「面白いから」
ふっと笑ったヴィンセントを見て、揶揄われていることに気づき不満気な表情になるイヴリン。しかし、自分のずるさを後ろめたく思っていたイヴリンは、ヴィンセントに「気にしてない」と言われたような気がして、心が軽くなる。
すると急に、イヴリンは、寝室に入り込んでしまった生々しさに気づく。




