14,王都行きの波紋
その日から、ロスグラン領では、ヴィンセントについて回って仕事を学ぶロスグラン侯爵夫人(仮)の姿を見られるようになった。
「初めてロスグラン邸から逃げ出さなかったご令嬢かと思ったら、ヴィンセントさんにまで認められて…これは本当に侯爵様とご結婚されるかも…?」
「いやいや、でもまだ侯爵様とは対面できてないって聞くし。ただ、まだ追い出されてないってのは奇跡だけど…」
「侯爵夫人というより、どちらかというとヴィンセントさんの秘書だよ」
「でもイヴリン様のおかげで商売も安定したわ。このままここに居て欲しいわよね…」
街の人々の憶測も活発だ。
噂されている事を知ってか知らずか、今日もイヴリンは、キラキラした目を輝かせて、移動中の今も、ヴィンセントに質問する。
「ヴィンセントさん、私が個人的に作っている調味料を流通させて、『和食』を病院や保養地で提供するのはどうでしょうか?」
「奥様、良いアイディアかと思いますが、既にたくさんの事業を抱えていらっしゃるのと、経理の勉強の途中だったのでは…?」
「う…そうでした。数字は苦手なので、自分から勉強したいって言ってしまったばかりでしたね…」
そんな会話をしながら、今日の目的地である商工会本部に到着する。
ヴィンセントはオーネストと、イヴリンは洋服の事業について複数の洋服店の店主との打ち合わせがあり、中で分かれ、それぞれの会議室へと入っていく。
「イヴリン様、王都に戻られる予定はありませんか? 事業の視察のために…」
イヴリンが打合せを進めていると、貸し衣装の事業を王都で展開している店主のソフィアから、思わぬ提案を受けた。不意打ちの提案に驚くイヴリンに気づかず、ソフィアは続ける。
「王都の流行も変わりつつあると、王都の店舗の店員が言っておりまして、一度市場調査に出たほうが良いと思うのですが、私たちは貴族の社交界には出席できませんから。
もしイヴリン様が一緒に来てくださったら、もっと具体的に流行が分かるかな、と。流行は貴族社会から始まる事が多いですし」
ロスグラン領地では、イヴリンはいわくつきの令嬢だという噂は知られていたものの、王都での悪評の全ては届いていなかった。腐っても公爵令嬢、社交界に顔が利くと思われているのだ。ソフィアも仕事に夢中なのか、王都でのイヴリンの噂の全ては知らないようだ。
(確かに貸し衣装の事業は特に流行は大事…でもなあ…)
王都を追放されたといえど、未遂という事で実刑はなく、事実だけ並べると、ロスグラン領という辺境に嫁がされたというだけなので、王都に戻ろうと思えば戻れる…かもしれない。
(ううん…貸し衣装のターゲットである中流以下貴族の社交界であれば、公爵家とか上位の貴族に遭遇する確率は低いけど…そもそも私の悪評は届いていたと思うし…知り合いは当然、いないし)
「…ちょっと保留にさせてください…」
と、即決即断のイヴリンにしては珍しく、自信なさげに返事をする様子に、ソフィアたち店主はとまどう。
「…分かりました。侯爵様の許可も要りますしね」
ソフィアがひとまず引き下がると、そのまま打合せは解散となった。
打合せを終えて会議室を出たイヴリンは、ちょうど、オーネストとの仕事も終えたのか、商工会本部のエントランスに向かって歩くヴィンセントが見え、なんとなくほっとする。
そこに、一緒にイヴリンと会議室から出てきたソフィアが、すかさずヴィンセントに声をかける。
「ヴィンセントさん、侯爵様に、イヴリン様の王都行きの許可をもらえませんでしょうか?」
ソフィアのその言葉に慌てるイヴリン。
「ああ…! ソフィアさん、その話はいったん保留になったんじゃ…。申し訳ございません。王都行きについては、侯爵様というより、まず自分の問題なんです。ヴィンセントさん、今のお話は聞かなかったことに…!」
慌ててイヴリンはソフィアを制止する。
「あら、そうなんですね。失礼しました」
ソフィアは、不思議そうな表情で答える。
一方ヴィンセントは黙ったままだ。
「ささ、帰りましょう、ヴィンセントさん」
イヴリンは焦ったようにヴィンセントを外へ促し、そそくさと商工会を出ていった。
その場に残されたソフィアは、何か考えを巡らすように顎に手を当て、感情の読めない瞳を瞬かせ、イヴリンとヴィンセントを見送っていた。
◆
(あれからヴィンセントさん、考え込んでいるのか、話しかけてくれなくなった…)
ロスグラン邸に戻ったイヴリンは一人、落ち込んでいた。
今日は夕食を共にする予定もなく、一人で もそもそと食事を摂っている。
しかし、ふと視線を感じて扉のほうを見ると、ヴィンセントが立っていた。
「! ヴィンセントさん、いらっしゃったんですね。侯爵様のお食事でしょうか?」
「いえ、そのままで大丈夫ですよ、奥様。少しお伺いしたいことがありまして」
無表情で答えるヴィンセント。
「はい…。なんでしょうか?」
恐る恐る、自信なさげに上目遣いでヴィンセントを見るイヴリン。
「王都に戻りたいですか?」
ヴィンセントの言葉にびくっと肩を震わせるイヴリン。
「ああ…先ほどのソフィアさんの発言ですよね? いえ、王都に戻りたいという事ではなく、貸し衣装の事業に関係して、流行を調べるために社交界への伝手がないかとの話でして…」
(やっぱり気にされてたか…)
イヴリンは、王都に舞い戻りたいとヴィンセントに誤解されるのを恐れていた。
「…ですが、奥様は以前、アカデミーで学んでいた経営学の授業も楽しく、もっと学びたいとおっしゃってましたし」
「授業は授業ですっ! し、過去にもっとしっかり授業を受けておけば良かった、という意味でして、ここの領地でも勉強できることです。それに、今、ヴィンセントさんから学ぶほうが楽しいですから」
「……」
無言で考え込んでしまうヴィンセント。眼鏡の奥の瞳からは感情が読み取れず、イヴリンはヴィンセントの動向を見守るしかない。
「分かりました」
しばらく考えていたが、そう一言残して、ヴィンセントは食堂を退室してしまった。
(全然、分かっている感じがしなかったんだけど…侯爵様に相談したりしないよね…?)
イヴリンは何か嫌な予感を感じ取るのだった。




