いつかこの日が来ることに
首都のはずれにある貧民街。バラックの並ぶところにエルフリーデ母、つまりオイレンブルクの国王ベン=オイレンの妻・ソフィアが暮らしている。
ベンと結婚する前に生まれていた長男・フィン。彼はバロンズという4人のグループを組みショーパブで働いている。彼らは元々貴族の家系だが、事情があって今は平民となっている者たちだ。各々皮肉を込めてバロンズと名乗っている。
まだ夕方にもなっていない時間。フィンはショーパブの準備で不在のはずだが、家の扉の前でうな垂れ、座り込んでいた。
「フィン、仕事はどうしたの?」
エルフリーデの声掛けに、ビクっと震わせてから、ゆっくりこちらを意識して顔を向ける。疲れた顔を見せている。
「あ、エルフリーデ……おかえり」
力の無さが嫌な予感をさせた。エルフリーデもそれを感じたのか、勢いよくドアを開け、中に駆け込んでいった。
「お母さん!!」
悲痛な叫びが周囲に響き渡る。
俺が中に入った時、エルフリーデはその亡骸に縋り付いていた。
触れなくても、すでにそこにソフィアさんがいないことは、空気で感じさせられた。生を感じられない空気。ソフィアさんの存在を感じられない。
フィンが入ってきて教えてくれる。
「今朝、ご飯を作り始めたときはまだ返事が聞こえてたんだ」
キッチンには作りかけの細かく切られた野菜とスープがある。
「主食は何を食べたいか聞いたら返事が無くて、そこから静かに眠ったままなんだ。タナカ、俺はどうしたらよかったんだ?」
フィンは自分の無力さを呪っているのだろうか。でも彼は彼なりにできることをやってきたというのはわかっている。さらに生活を改善しようと努力したことも知っている。ソフィアさんの余命について抗うことはできなかったんだろう。
フィンはご近所さんに伝えたあと、ソフィアさんを見ていた医者が来て、亡くなっていることを確認されたそうだ。
「フィンのおかげで、少しでも寿命が延びて、だからエルフリーデに会うことができたんだと思うよ。だから自分を責めるもんじゃないよ」
そういうしかなかった。
それよりも、エルフリーデの方だ。泣きながら、「お母さん」と呼び続け反応があるのを待っている。
ソフィアさんは安らかな顔で眠っている。俺は近づき確認させていただく。手は冷たく脈が無い。そしてとても細い。
健康的な食事で、とか言ってしまったことで無理をさせてたんじゃないだろうか。そんな後悔が襲ってくる。
たぶんかなり辛かったんだろう。食事では回復を見込まれなかったのだろうか。あれだけ明るく振舞っていたのは、そう気づかれないためだったのだろうか。
今は亡くなってしまっているので、それを確認するすべはない。ただ最期は、娘と一緒に過ごせたことは、神様がソフィアさんに対して何かを与えた時間だったのかもしれない。
しかし、それを今のエルフリーデに伝えても、すぐには伝わらないだろう。母親の元から離れようとしない。しがみつき、声が枯れても呼び続けている。
*
夜になり、ご近所の方々が集まってきて、ソフィアさんに声をかけている。俺の知るお通夜みたいなものだろうか。
バロンズのメンバーが手伝いに来てくれている。ガーディアンをしているギュンターもいる。混乱しないようにしてくれている。
さっきまで外には列ができていた。貧民街の人たちの多くが訪問していたのだろうか、亡骸に会って泣き崩れる人もいて、列にはまだ数人残っている。
変わらずエルフリーデは片時もそばを離れようとしない。食事を食べるように伝えても首を振る。いや、夜になり首を振るようになっただけマシだろう。意識は取り戻しているようだった。ただ現実を受け入れるにはもう少し時間がかかりそうだ。
俺は外に出て訪問者の列を見ていた。前の世界、編集者というのはデスクワークではあるが、仕事に忙殺され忙しく健康を害たり、精神的に追い込まれ亡くなったりする方が多数いた。一年に数回お通夜に出ることもあった。知人の広告代理店のやつは「常に黒いネクタイは持つようにしている」と言っていたので、それよりはマシだけど。
この国の葬儀はどうなのだろうか。どちらにせよこのままだともうすぐ姿も見られないようになる。
ソフィアさんが望んでいるかどうかわからないが、一つやらなければならないことがある。旦那、つまりベン=オイレンへの連絡だ。
出て行った後の存在は知っていたということは、いずれ彼の耳にも届くことになる。しかし、墓石を前にするのと、亡骸を前にするのでは気持ちも違う。できれば今の姿を目に焼き付けておきたいと思うだろう。
しかし、まだ正気になっていないだろうエルフリーデを一人にさせても置けない。どうするか……。頼れるのかわからないが、呟いてみることにした。
「エルフリーデを守る者、聞こえているんだろう? 近くにいるんだろ? 俺の願いを聞いてくれないか?」
エルフリーデを見守っていると言われている、宿で俺のメモを持ち去った者へ問いかけた。……しかしすぐに出てこない。
絶対近くにいるはずだ。俺の知っている、物語中の忍びは耳も良いと思う。たぶん、だから聞こえていると思うんだが、姿を現さない。
「エルフリーデに関することだから、頼むよ!」
これでは俺が独り言を言っているやつだ。実際はそうなんだろうけど……恥とかそういう時ではない。
やっぱり出てこないか……そう思っていたら、右隣からしゃべりかけられた。
「さっさと要件を言え」
来た! そう思って、語りかけようと右に向こうと思うと、首筋に冷たい何かを当てられた。
「勝手に動くんじゃない。姿を見たら、殺す」
ということは、首筋の冷たいのはおそらく刃物。「わかった」と頷き、正面を向き用件を伝える。
「オイレンブルク国王、ベン国王に伝えてきてほしい。ソフィアさんが亡くなったと」
「わかった。他は?」
「あなたが行って、ベン国王が急いでも2~3日かかるだろうから、その間、なんとかして葬儀は延ばしてもらう」
「そこまではかからない」
いや、どれだけ急いで準備してもかかるだろう。
「ちょっと、待て!」
俺の言葉に、すでに反応はない。気配は感じていなかったが、右手を延ばしてみたが、そこに誰もいなかった。
せっかち……ってわけではないだろうけど。そんなに早いわけないだろう。
忍び、姿はわからなかったが、声は女性だった。ベンが付けたのだろうだけど、エルフリーデが女性なのでそうしたのだろう。男性には覗かせたくないところもあるだろう、そういうことだろう。
されど、お忍びだろうけど国王が来るんだ。もう一人伝えておいた方が良い人がいる。
部屋を覗くと、エルフリーデはまだそこにいる。訪問者も一段落したようだし、バロンズの人たちもいる。フィンに任せても半日くらいなら大丈夫だろう。
俺はフィンを外に呼び出して、少し出て行くことを伝えた。たぶん明け方までには帰って来られる。
急ぎビンデバルト城に向かった。




