出会ってしまった、黒い液体
「そういえばタナカはどうしてグレンツェに来たんだ?」
やっと本題に入れそうだ。これはやっと、話くらいはしてもらえるに値したってことだろうか。
「この村に来たのは、オイレンブルクから来て、コンツに寄ったときに凄く仕事が丁寧な柳葉包丁とか、輸送で使っている金属製の水槽とかあって、その技術がこのグレンツェにあると聞いたので、お話伺いたかったからです」
村に来てすぐ言いかけていたことを伝えた。さっきは途中で「違う!」って遮られたけど、今回は大丈夫だった。そして、話はさっきゴトーさんから聞いたので、なぜその技術があるのかは理解した。
「よく来ようと思ったな」
「それは、日本人として、あの刺身定食の原因を知りたいじゃないですか」
「そこは商人として、って言った方がお前のためだと思うぞ」
「そ、そうですね」
思わず本心の食い気が勝ってしまった。また商人の俺として、もう少し立場を考えて話したほうが良い。そうあきんど魂、あきんど魂。
「しかし、その情報を教えたやつは年寄りだろ?」
「どうしてわかるんですか?」
「まぁ、国の端の町にいる奴でグレンツェを知ってるとなると、年配者しかおらんよ。どうせ、めんどくさい、外部とかかわらない面倒な奴らって言ってたんじゃないか?」
「えぇ、まぁ……」
なんとも答えづらい。だが、ゴトーさんは「それは間違いじゃないからな」と笑っている。
「それを言ってた奴の名前は?」
「いや、それは……その」
告げ口のようで嫌な感じだ。けど、ゴトーさんも怒っている様子はない。すまん、ジョバンニさん。
「ジョバンニさんって方でした……」
「ジョバンニ……知らんな。というか、この国によくある名前だな」
なるほど、それなら大丈夫だろう。
「それで、タナカはどう思った。その技術を見て」
「正直、自分の商業ギルドを使って扱いたいって思いました。思いましたけど、ゴトーさんの話を聞く限り、想いを聞く限り簡単ではないだろうと感じています」
「そうだな、同郷のよしみとはいえ、家を建てるのと違って、恒久的、定期的な取引となると、また別の問題になる。職人や村民に説明しなきゃならないし、彼らが納得しないとダメだ」
この話を聞くと、取り付く島もないわけではなさそうだ。ゴトーさんの想いも昔とから雪解けしそうということなのか。
ゴトーさんは顎をさすっている。考えてくれているのはありがたい。村民を納得させるものはなんだろうか。それがあれば可能なのだろうか。
色々考えを張り巡らしていたが、このゴトーさんの屋敷に来て、気が付いたら結構な時間が経っている。集中力も無くなりかけていた。
そして、腹の虫が鳴った。
「話に夢中になって、晩飯食ってなかったな」
ゴトーさんは自分もそうだ、という表情で俺を見てきた。「そうですね」と、なんとか照れ笑いでごまかした。
「しかし、今日は客が来ると思ってなかったから、準備をしてなかったな」
「ゴトーさんは何か食べるの決めてましたか?」
「いや、特に。いつもありもので済ますことも多いけど、今日は……無いな」
思いを巡らせてくれたようだったが、本当に何も考えていなかったようだ。
「それじゃあ、これにしませんか?」
俺は、オイレンブルクから持ってきた蕎麦粉を取り出した。
「蕎麦か?」
「えぇ、蕎麦、打ちませんか?」
その言葉に、ゴトーさんは目を輝かせた。
「おおお、それは久しいな。麺の蕎麦か……江戸に行った時以来だな。タナカ、お前打てるのか?」
「えぇ、少し勉強したことがありまして」
って、それは体験レッスンだけど。でも、オイレンブルクの蕎麦の産地になる予定のバッケスホーフの人たちに教えたことで、俺の蕎麦打ち技術は向上している。
「いやぁ、それは良い。この国にも蕎麦はあるけど、蕎麦がきで、麺を打てる奴はいなかったんだよな。俺も含めて」
「時間も遅いので早速取り掛かりましょうか」
「よし、それじゃあこっちでやろう」
テンションの上がっているゴトーさんは、今度は優しく俺の手を取り、キッチンへ案内してくれた。
*
蕎麦を打ち、麺状に切っていった。ゴトーさんの持っているよく切れる包丁は、軽く落とすだけでスパっと切れる。良い仕事、してますね。
「しかし、上手に麺を打つね~」
「蕎麦の実を栽培しているバッケスホーフの人たちに教えたんで、自分の技術も上がりましたね。もちろん、バッケスホーフの人たちは俺より数をこなしてるんで、いまはもっと上手に打つ人がいますよ」
「それはそれは、良いね~」
麺もできたし、出汁の準備に取り掛かろうと思ったら、ゴトーさんが用意してくれたものに驚愕した。
「ゴトーさん……これは、なんですか?」
俺は目の前にある壺に液体に、懐かしい香りを感じた。これは望んでてやまなかったものに違いない。
「それか? それは醤油だ」
サラっと言う。羨望。そう、これは俺が欲してやまなかった黒い液体。醤油だ。醤油のごとくサラっと。
いやしかし、250年前に持ち込んだものではないだろう。どうやってここにある。いや、存在するのになぜ刺身定食は塩だったんだ?
そういえば、薬屋のオーナーは存在する噂があるって言ってたっけ……それがここなのか? ってか、あのオーナーの情報網ってなんなのだ。侮れん。
「なぜここにあるのか、知りたそうだな」
「ととと、当然ですよ! 日本人なら梅干し同様に欲しい物ですよ」
にやにやと俺の方を見るゴトーさん。
「これは、苦労の結晶だよ」
そういって、経緯を放してくれた。
「家族と離れて引きこもってた時――」
引きこもりの時かよ! というツッコミをグっと飲み込んだ。不快にさせてはいけないと我慢した。
引きこもっててやることも無かったので、作ってみようと思ったそうだ。試行錯誤して米糠から天然の麹を作り出し、それを増やしていったとのこと。
俺の時代は種麹を米に振りかけて室に入れて、という工程だが、そもそもの種麹を作るって……。昔の人の知恵なのか、ゴトーさんの記憶がすごかったのか。
「麹菌って日本独自の物らしいんですが、よく作れましたね」
「あ、そうなの? なんか昔、米糠から作ってた奴がいて、それを思い出しながらというか。ほら、加賀って発酵食品多いだろ? ……タナカの時代は違ってるか?」
「確かに多いですね。言われてみれば日本酒も……米どころですし」
こういうところに活きるとは、恐れ入った。そして幸せを感じられそうだ。
「味噌もあるよ」
また別の壺を持ってきて俺に見せてくれた。フワっと薫匂い。まさに味噌!
「でも、どうしてこれは流通してないんですか?」
俺は真っ先に飛びつくんだけど。
「残念ながら、この世界には受け入れられなかったんだよ。過去に出したことがあるけど、そいつらは「こんなの食わすな」って怒ったくらいでさ」
う~ん、それ、たまたまその人たちに合わなかっただけじゃないのか? 可能ならこれも扱いたいと思うんだけど……。
*
「俺が子供のころは、蕎麦がきだったんだよな。それで大人になって江戸に行ったら、麺の蕎麦が流行り始めてたんだよ。俺は驚いたね。麺にするだけこんなに味も香りも違うのかってね」
美味しいものを食べると、異世界でも、育った時代が違っててもテンションが上がるみたいだ。
「いや、俺はこのつゆがたまんないっすね。やっぱ蕎麦は醤油味で食べたいです」
俺も17年ぶりの醤油に、ずるずるっと面を啜り涙した。
そして二人は一気に流し込んだ。蕎麦を作って一番美味い蕎麦だった。
これが本物だって、エルフリーデにも一度食べさせてあげたいな……。醤油を見せると驚くだろうけど。
それから少し雑談をして、改めて俺は本題を申し込んだ。
「ゴトーさん、やっぱり、俺がこの村で作るものを扱わせていただけませんか?」




