いっぱんてき
我が家の蛇口をシータがひねって、首をかしげていた。
「...これ、この管からどうやって水が出ているんですか...?」
「...ほんとうだっ!?」
「ほんとうですねぇ!」
シータの言葉に俺もつい、驚きの声を上げて、俺の背中のサキも同意した。
「...えっ、主、どうしてサキを背負っているんですか? ...それは訓練か何かですか?」
「あぁ、うん。ある意味訓練みたいな......違うぞシータ! 俺には煩悩を抑える訓練なんて必要ないんだっ!」
「ぼんのーですっ!」
「え、いや、重くは無いのかなって......主達が楽しそうなら、それでなによりだ」
何かシータが勘違いしているようだが、そうじゃないんだ。あと、サキはてきとうな相槌を打つんじゃない。
これは先日、俺がニアを背負っていた件に「ずるい」と言ったサキに対しての、いわば穴埋めみたいなものなんだ。別に背中のサキの感触を楽しんでいるわけでもないし、女性に対して重たいとか言ったら失礼だ。
ちなみにユキは、ティとニアを連れて道具屋さんへお出かけしている。これから迷宮下層へと行く前に、シータを含めたメンバーの装備や携帯道具についての相談をするためだ。
帰ってきた後にちゃんと、ユキもおんぶする。
「あー、それは良いとして、シータ。蛇口の件だよね。
やっぱり、シータはこういう『水道』って初めて見た?」
「あ、はい。俺はここに来て初めて見ました。
...似たような道具なら使ったことがあるんですが、あれは樽から酒を出したりするだけで、ひねれば水が永遠に出てきたりはしませんね」
たぶんシータが言っているのは、樽に蛇口が刺さっているだけの道具のことを言っているんだろう。あらかじめ樽に酒とか水とかを入れておけば水が取り出せるという形式のものだ。
だけどこの家にはいわゆる蛇口と水道のようなものがある。そしてシータが驚き、サキも同意したことから、これは一般的なものではないらしい。
「...うん。メイに聞いてみよう」
そして俺も、これがどういう原理のものなのかさっぱり分かっていない。
こうしてサキを背負った俺はシータと一緒に、ちょうど家事を一区切り終えたらしいメイのもとを訪れた。
そしてメイはそんな俺達の素朴な疑問に、少し呆れたように答えてくれた。
「...シータが驚くのは分かりますが、なぜご主人様達までも、今になって急に驚いてらっしゃるのですか?」
「いや、確かにその通りなんだけれど。
むしろ俺の中では蛇口とか水道とかは当たり前の生活習慣で、常識人のシータが普通に驚いてくれたおかげで、ようやく今さっき俺の中の違和感が仕事をしてくれたんだ!」
「...よく分からないが、主のお役に立てたなら、良かったです」
「そうなんですか、主様?」
「そうだよ、シータ、ありがとう! サキ、疑問を持て! そして、メイ! この家、色々とおかしい!」
俺にとってのまともな宿泊体験は10階層にいた時の酒場兼宿屋しか無くて、この家をこの世界の基準に考えてしまっていたのだけれど......シータが驚くならば、やっぱりここは非常識だったんだ! ちゃんと気がついて良かった!
「いいかサキ、普通は蛇口をひねって水が出るのは、水を高所から流したりポンプで送り出したりしているからなんだ! 部屋や廊下に明かりが灯っているのは電気かガスが通っているか、場合によっては人が巡回して火を点けたり消したりしているからなんだ! 部屋の温度も一定というか、この霧の世界のど真ん中で空調らしき温度や湿度の調整ができているのは一体どういう仕組みなんだ? 火や魔法の痕跡もないのに! そうだろう、シータ!」
「...主の言っている言葉がほとんど理解できませんが、驚いたのは確かです、主」
「...すごいですね!」
だめだぞサキ、色んな疑問を全部「すごい」の一言で片付けたら。
だけど、そんな俺の数々の疑問に対して、メイがあっさりと答えてしまった。
「それは、この家は生きておりますので」
「...うん、待って? ...生きている?」
「はい、ご主人様」
「...この世界の家は、生きているのが一般的なのか、シータ?」
「...いえ、まさか」
「...すごいですね!」
「だめだぞサキ、何でもかんでもすごいだけで済ましたら。実はすごい『危ない』とかすごい『怖い』とか、すごいの続きがあるかもしれないだろう?」
俺の中でこの世界の常識がぐらついている中、シータとサキが首を傾げ(サキは背中だから見えないけど)、メイが不安そうにおろおろし始めた。
「も、申し訳ございません、ご主人様。ちゃんと私からご説明させて頂くべきでした――」
「――あぁ、いや、問題は無いんだよメイ! 誰も悪くない!
いままで俺やサキが疑問を感じないくらいに、それだけ快適だったということなんだ!
その上で、重要なことはただ一つ。この家は......その......安全、なんだよね?」
それこそ今さらだけど。危険ですと言われたところで、もう、どうしようも無く手遅れだ。
「はい。むしろ『一般的な家』よりもはるかに快適で安全です」
良かった、何も危険なんて無かったんだ......うん? そもそも一般的な家って、なんだ?
...いや、むしろ家妖精であるところのメイが一般的とか安全とか言い切ってしまうなら、素人の俺が四の五の言うよりもよほど説得力があるんじゃないのか?
たとえこの家が夜な夜な侵入者をモリモリ食べるタイプの一般的な家だったとしても、メイが安全だと断言するならば俺達にとっては、それはそれで安全なのだろう。
そして蛇口から出る水がたとえその侵入者から......あ、ダメだ、やっぱり安心できない。自分を騙しきることが俺にはできなかった。
なによりメイの「生きている」発言が引っかかる。それについて、メイが説明を続けた。
「以前、ご主人様が家が動かないことを念入りに確認されておりましたので、良かれと思って大地に根を張らせてしまいました......それで、その影響もあって、色々と、その......安全になりました」
またまたぁ...大事そうなところを「色々」でぼやかそうとするんじゃない!
「それに、違うんだメイ! 俺は家を絶対に動かないようにして欲しかった訳では......訳だったけど、そうではなく...色々と、その......色々と助かっている、ありがとう、メイ!」
俺が家というか、城が動かないことを確認していたのは、城が動くと世界が滅びたり俺が魔王になったりしそうだったからなんだ。そもそも『一般的な家』は動かない!
ほんとうに今更ながら、せっかくだからメイにこの家の仕様についてここで、詳しく聞いてみた。
どうやらこの家は地に根ざして呼吸をするような、いわゆる樹木や植物に近い存在らしい。そして広い意味で言えばこの家はメイの眷族。メイが契約して支配下に置いている家、ということだそうだ。
そして、例えば水。
大地から吸って「家が」使っている水、俺達はそのおこぼれを分けてもらっているだけなのだとか。家の中に循環する水をそのまま俺達が使い、それでも足りない水は他の方法で調達しているのだとか。
他の方法というのは大地以外の、川から引いたり、大気から魔法で召喚したり、水に関する妖精やら魔物やらの力を借りたり、それはもう「いろいろ」らしい。
他も同じ。光も熱も、空気も、家が生きるために必要な数々の、そのおこぼれを俺達が分けてもらっているということらしい。
そして、俺達が出す二酸化炭素、排泄物、魔力とか運動エネルギー的な何かとか、そういった諸々を逆に家が俺達から受け取っているのだとか。
つまり、俺達は宿り木とか寄生とか、そんな存在になるのだろう。
「...うん? もしかして家の玄関の広間にたまに日替わりで置いてある、ぐるぐる車輪を回したり水晶に魔力を通したりするとピカピカ光ったりするあれって...」
そう、なんだか木製や石製のトレーニングマシーンのような遊具のような、動かしたり力をこめたりすると反応するおもしろ器具。
それが我が家の入ってすぐの場所にさりげなく置いてあったり、無かったりしていた。そして俺達はそこを通りかかるたびに少しだけ遊んでみたりもしていたんだ。
あれはメイの小粋な余興か、娯楽施設か何かだと思っていたけれど...
「はい、ご主人様。あれは家の養分...ではなく、動力が不足しがちな時に皆様に協力して頂くための、家に力を注ぐための触腕...ゴホン、その...魔法道具のようなものでございます」
「...メイ先輩、いま、養分と触腕って言いましたよね?」
「わたし、あの足で回すやつが好きです!」
サキが言っているのは、自転車のペダルのような、何かのダイエット器機にでも似たような形をしていた謎の椅子で、足でぐるぐる回すとはめ込まれた魔石らしき石がピカピカ光るやつのことだ。
以前、調子に乗って猛烈な勢いでサキが回し始めて、魔石から出る光がほんのりした黄色から悲鳴を上げるような赤へと変わって、ユキと二人で慌てて止めたという経緯がある。
「そっかー。あの日替わり遊具は、遊具じゃなかったんだぁ......そう言われてみれば、あれって全部床に固定されていたというか、床から生えてきていたんだねぇ」
「はい、あれらも家の一部です。
一般的なこの手の家は魔力を注ぎこむものなのですが、ニアさんと相談した結果、他の皆様でも『遊べる』ような形式のものもご用意することになりました」
おぉ、さすが【魔導】のニアだ。原理は分からないけれど、ちゃんと俺やサキやユキも家に貢献できる形にしてくれたんだ。
「なるほど。あれって毎日必ず置いて、いや、生えていたわけでは無さそうだったけど、家のその動力っていうのはちゃんと足りているの?」
「それは十分すぎるくらいに。むしろ少々、有り余ることの方が多いので、本来は常に出しているその遊具を引っ込めさせて頂いているのです」
「えっ、毎日出してくれてもいいですよ!」
「サキ、今度遊具で遊ぶときは、ちゃんと手加減してあげようね?」
「それで、余った養分については大地へと還元して畑の生育などに役立てるものなのですが、この地については少々特殊でして...」
「特殊? ...さっきから聞く話が俺にとっては一つ残らず特殊なのだけれど、それはそれとして、どの辺が特殊なの?」
「養分を大地からこの家に対して提供する担当の者がいるのですが、その者が優秀でして、あまり養分が不足しないのです」
「大地から......話が少し逸れるけれど、水道と同じく、排水についても謎なんだけれど、もしかしてその大地の担当の人が関係している?」
「ご明察です。まさにそちらの者が担当しております」
つまりあれだ、そういう下水まわりの話だ。
ここに家ができる前には、迷宮の草原の片隅で済ませていた。場合によってはこの霧の河原にでも。人に限らず川には生き物が色々いるわけだから、河原の水は飲水には適さないし、下水には色々と気を使って処理するのが本来の礼儀なのだろう。
そして、この家には普通にトイレがある。10階層の宿にもトイレはあったけれど、あの町もどうしていたのだろうか? それも含めて、メイとシータが説明してくれた。
「町や都市では、混ざらないように水源と下水はしっかりと整備するものです。下水道が無い場所ならば業者が正しく回収するか、個々で正しく処理するか...」
「俺の里だと、水源も汚水もすべて共同の施設で管理していましたね。家ごとに用意するのは整備された大都市に住む者か、金持ちくらいだって聞きました」
「それで、この家には下水道は用意できませんので......家の下の大地で、泥人が担当しております」
「マッ、泥人っ!? ...ほんとうですか、メイ先輩?」
メイの説明にシータが目を丸くして驚いた。
背中のサキに何者なのか聞いてみたけれど、彼女は知らないらしい。
「...もしかして、何か危険なものだったりするわけ?」
「...実は、ご主人様にお見せするべきものではないと判断して、申し訳ありません、伏せておりました」
言いづらそうにするメイの言葉をシータが補足した。
「主、泥人は邪悪な魔物なんだ」
「...はい。シータの言う通り、多くの種族にはそう思われていますね」
我が家の下には、邪悪な魔物が住んでいた。
...おい、メイ。一般的な家って、なんだ?




