まっどまん
俺が前世いたところでは、廃棄物の処理にはバクテリアなんかを利用して分解する技術があったはずだ。
それに人間を含めた動物は腸内に大量の菌を飼うことでいろんなものを処理している。
そして俺の前世のエンターテイメント知識だと、こういうファンタジーでその分野を担うのは主にスライムだった。
そして実際、うちのスライムさんはそれはもう、なんでも静かに吸い込んでしまう。
むしろ俺の気持ちの問題で吸い込む内容については少々、選んでもらっていた感じだったんだ。
だけど、我が家でそれを担当していたのは聞いたことのない、なにやら邪悪らしい魔物だった。
「...うん? ...でも、話が通じる相手なら、一度俺も挨拶しておいた方が良いんじゃないのか? その魔物はメイの支配下なのかもしれないけれど、その......いつもお世話になっているのなら、ね?」
「...ご主人様のお言葉を頂けるのならば、彼も喜ぶとは思いますが...」
このままメイに任せて関わらないという手もあるけれど、少なくともシータが邪悪だと思っているような存在をそのまま放置するのは、みんなの心象的にもあまりよろしくないかもしれない。
それにもし本当に邪悪な存在ならば、家主としても放置するわけにはいかない。
こうして俺達は四人で庭先へと出て、そこでメイが彼を召喚した。
泥人。名前の通り、人型の泥の塊だった。
「...うん、思ったよりもふつうだな」
「主の普通が俺には分からねぇ...」
俺の失礼なつぶやきに、シータが失礼なツッコミを返した。
いや、確かに見た目は泥っとしているが、それは泥人の名前の通りだからまぁ、予想通りの姿じゃないか。
もっと腐臭がしたり、触るものを全て溶かしたりし、フシュルルゥ...とか言いながら這いずりまわる奴を俺は想像していたんだ。
これで実は口から酸とか光線とか吐いてくるのならば、俺も彼が邪悪な魔物だと認めてやらないこともない。
メイが「危険を感じたらすぐに下がって下さい」と言ったので一旦、背中のサキを地面に降ろしておいた。
そして警戒しながらもさりげなく、半歩前に出て俺達を守ろうとするシータは、さすがイケメンだと思ったのだけれど、彼にもさがるように伝えた。
泥人に会いたいと言ったのは俺のわがままなのだし、いざとなれば俺が......いや、ここは穏便に話を済ませるつもりだったんだ。
ひとまず危険を感じない程度まで俺は彼に近づいて挨拶をすると、泥人さんも丁寧にお辞儀を返してきた。
...むしろ、なんだか妙に恭しいというか、へりくだっているようにすら見える有様なのだが......泥だから地面に近いというよりも、単に腰が低すぎるだけっぽいぞ?
「...あー、いつも俺達がお世話になっています...
...えっ? 別に、お見苦しいお姿で申し訳ない、なんてことは無いと思うよ!?
それは、まぁ、見た目に驚きはしたけれど、泥ってそういうものでしょ?
それどころか、驚いてしまって申し訳ない。種族が違えば姿形が違うのは当たり前なのに、むしろ俺達の方があなたを驚かしてしまって...
...うん? 邪悪な存在? ...汚水汚物を食らう悪しき魔物? って、そんな...
...それは、あれだ。認識の違いだ。俺は別にそうは思っていない。
汚物には菌や疫病がつきもので、それは目に見えなかったり危険だったりするものだから、人々が象徴的に邪悪なものとして位置づけてしまっているだけなんだ。
科学や生物の観点からすれば邪悪でも何でも無いし、そんなものは自然の摂理の一つに過ぎない。
人は、無知がものごとを邪悪に見立ててしまうことがあるんだ。
...あなたは今、俺に礼儀正しく接してくれているじゃないか? 我が家の地下の住人が紳士的な人で安心したよ。
見た目の怖さならあなたよりも、怒り狂うドワーフ達の方が遥かにおっかないし、人族に至っては問答無用で斬りつけてきたくらいだし、あなたの方が彼らよりもよっぽど安全じゃないか。
むしろ、その危険な色々をこの家の地面の下で、俺達の為に粛々と処理し続けてくれていたのでしょう? 邪悪どころか、俺達にとっては守護者みたいなお方じゃないか。
そんなあなたに俺が何か返せるものは......え、何もいらない? お言葉だけで十分って...ま、まぁ、今すぐじゃなくて良いんだ......こらっ! そこで俺達にひれ伏すんじゃないっ!
ほら、立って! 頼むよ! いちいち平伏しないで!? それ、泥人の一般的な挨拶とかじゃないよね!?
こちらこそ何の手土産もなく挨拶だけで、申し訳ない!
今後もお隣同士、長い付き合いになるのだから、これからもよろしく頼むよ。
そして、いつもありがとう、俺達の縁の下の力持ちさん。何か要望があればいつでも俺やメイに言ってくれ」
「...なん、だと...? 泥人と、会話している...? 一体、主は何者なんだっ...!?」
「...しかも今、ご主人様が泥人の『格を上げて』しまいました。今後は彼も、おそらく......コホン、私も最初は色々と驚きましたが、今では私もちゃんとスライムさんと会話できるようになりましたし、きっとシータもすぐに慣れますよ」
「...マジっすか、メイ先輩?」
「マジです、シータ。あなたもここに住まう以上、『ご主人様の常識』に慣れて下さい」
「主様はすごいんです!」
「......たし、かに、すごい、ですね」
「仰るとおりです。ご主人様は、すごいのです」
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そんな泥人さんとのひと騒動があった後、俺達は再び、最初の『水』についての補足をメイから受けた。
「この家の水は高値で取引されています」
「...シータ、この世界では水は高値で取引されるものなのか?」
「いいえ、主......遠征中の軍隊や商隊に飲水を売るって話は聞いたことがありますけれど、高値って話とは違いますね」
シータが言っているのは単に、水や食料が手に入りにくい場所でそれらを販売するという、ごく普通の商売の話のことなのだろう。
水が売れること自体は珍しい話ではないのだけれど、高値となると、俺が思っている話とは事情が違うのかもしれない。
「そもそも、水って...」
俺は、自分の知っている常識との食い違いについて、みんなに聞いてみることにした。
「水には、泥とかの不純物が混ざっていないことが重要なのだけど、飲水となると実際は、色んなものが混ざっている。
軟水や硬水や、純水とか。純水だと飲めない......って話は、聞いたことある?」
川でも井戸でも、水が大地や大自然を流れる以上は、必ず何かが混ざってくる。
確か、俺が前世でいた場所で飲んでいた水は主に軟水だ。カルシウム分とかの多い硬水をそのまま飲むと腹を下すとか、そのまま水を飲める地域の方がむしろ珍しかったはずだ。
純水は、H20という意味での水。純粋すぎても飲めないのは、浸透圧とかの話だったか? たしか精密機器を洗ったりするのに純水を使っていたはずだ。
俺のうろ覚えの水知識をふんわりとみんなに説明すると、メイが答えた。
「...詳しくはわからないのですが、魔法使いが集めた水は飲んでも良いが、錬金術士が作った水は飲んではいけない、と言われているそうです」
「あー......もしかして『正しい水』が完成した場合って、純水になったりしないのかな? それよりは、まぁ、不純物が多くて飲むなという可能性の方が多そうな気もするけれど...」
「主様は何でも知ってますね!」
「いや、サキ、俺もふんわりとしか分かってないんだ......ただ、土地が変わると、慣れない水は体調を崩しやすいとか、料理の味が変わるとかっていう話は聞いたこと無い?」
「いいえ、ございません」
「ありませんね」
「無いですね」
「...こっちの世界の人って、何だか全体的に、頑丈そうだよね?
とにかく、そんなあれこれを踏まえて、うちの水って希少価値のある飲水だったりするんじゃないの? つまり、珍しい特徴とか用途とかあったり?」
なんか、効能のある温泉みたいなものなのかな? 腰痛に効くとか。
「魔法の触媒や、特殊な儀式で利用できます」
「...俺も昔、里の識者に、回復薬の中には聖水や浄化水を使うものがあるって聞いたことがありますね」
「私とユキちゃんが育った里では、井戸水はふつうのお水でしたよ」
「...俺達の家の水って、その聖水や浄化水だったりするわけ?」
「ここは幽界......に近い場所、ですので。先ほどの泥人が特殊なのも、その影響を受けています」
あぁ、そんな話もあったよねぇ...
「そんな幽界な我が家の珍しい水は売れますよ、と......頑張って温泉やら石油やらを掘りましたとかならいざ知らず、そこに染み出した水が高価だなんて、なんだかちょっと、ズルくない?」
「とんでもございません! ご主人様、生きて幽界に辿り着くこと自体が、非常に困難なのです!」
「俺も、もう死んだかと思いましたし」
「...私もユキちゃんも、そう思っていました」
...おぉう。つまりその、なんだ......貴重な【スキル】をありがとう、メガミさん!
それに、あれだぞ! そんな非常に困難な地に家を建設しちゃったのは君達だからな、メイ、そしてティ!
みんな、ありがとう! みんなのおかげで俺は、水を、高値で売れる!
...なんだか、我が家のはずなのに、俺の知らないことの方が多い事態に俺は頭を抱えてしまった。
ようやく一通りの説明を聞き終えた後、俺はシータに大事なことを念を押した。
「シータ、これから先もちゃんと、いちいち驚くように」
だいたい、うちの他の子達が驚かなさ過ぎるんだ。
泥人さんの姿よりも、もっと他にこう、色々と驚くべきことがあるだろう?
初めてこの家に入った時も、サキとユキの二人は「わぁ! すごい!」「すごいね、サキちゃん!」の二言三言で済ませてしまって、蛇口や城や他の件も全て、二人はそういうものだと簡単に受け入れてしまってきたんだ。順応力が高すぎる。
そしてティは色々分かっていて敢えて黙っているところがあるし、ニアは危険がなければ気にしないというか興味がない。
「...そして俺も、そんなあれこれが、うっかり常識だと思ってしまって勘違いしたら大変だ。
何も違和感を感じない俺が、うち以外の他所の『生きた家』にでもうっかり足を踏み入れて、そのまましっとり溶かされてしまったりしかねないんだ」
「いや、さすがにそこは入る前に気づきましょうよ、主」
「それにメイも、俺達のために、俺達の知らないところで活躍して黙っている傾向がある」
「...め、メイドとして当然のことでございます、ご主人様」
「この家の作りって、もしかして俺の......『渡り人』仕様に合わせて作っていない? あの水の出る『蛇口』なんかも、家妖精の普通ではなくって、メイの特注品のやつでしょう?」
「...ご明察です、ご主人様」
蛇口ひとつ取っても、単に水を出すだけならあの形状にこだわる必要はない。それこそ泥人や妖精みたいなやつが水をぬるっと召喚していても、蛇口ではなく目鼻口のような何かから水を出しても、俺の常識外の色々な様式であったとしてもおかしくは無いはずだ。
「...ご主人様が渡り人だとティ様から聞いておりましたので、違和感の少ない形でご用意させて頂きました。
渡り人の文化については過去、色々と調べておりました。神の使徒様方は渡り人の場合も少なくないということも理由の一つにございまして...」
...聞き及んでいたから、次に仕える魔王に備えて色々と勉強していたのだろうなぁ。
そして、シータが苦笑した。
「俺が店のお客さん達に聞いた話ですと、妖精や森人達は水を操るって聞いていたので、この『蛇口』がその魔法の道具なのかと思っていました...」
シータの言う通り、やっぱり種族によってやり方は色々、複数あるってことなんだろうなぁ。
あと、これも見た目は蛇口で、中身は俺の知っているやつとは『全然違う何か』なんだけれどもね...
「俺もさ、メイのやることにいちいち驚いていたら、メイに失礼だって思っていたんだ。やれて当然のことでいちいち褒められていたら、むしろ嫌味に聞こえかねないだろ?」
「そ、そのようなことは、ございませんが...」
「でも、やっぱりおかしかったんだ。うちの完璧メイドさんは、家事やら経営やらをしれっと熟してしまうけれど、それらだって常識ではない!
ありがとうメイ! 君が我が家の水をいつの間に高値で売りさばいてくれているおかげで、君のおかげで俺達は、生きていける!」
「...え、えっ!?」
「メイさんはすごいです!」
「サキ様まで!?」
「...それは間違いないですね、主。普通は使用人は戦闘...とにかく、一人ではなく複数人で分業するのが一般的な使用人の常識です」
「ちょっと、シータまで?!」
「そうだろうシータ!? 俺、いちいち感動したら変だと思って自重していたんだよ!
だからシータ、今後もちゃんとおかしな点を見つけたら、ちゃんと驚くように。その点ではもう、お前しかあてにならない!」
「ご主人様!? ...シータ、今後はぜったいに、おどろかないでください!
あなたがいちいち驚くから、皆様が疑問や不安をもたれてしまうのですっ!」
「...お二人で俺を板挟みにするのは、やめて下さいね?」
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そして、後日。
「...水、出してもらっても良いかな?」
蛇口の上で俺に微笑みながら手を振っているのは、妖精なのか小人なのかわからない女の子(?)。彼女に俺が頼むと、その姿がスッと消えて、ひとりでに蛇口が回って水が出てきた......
先日の泥人との一件以来、この家の住人なのか備品なのか、付喪神なのか分からない皆様方が、あまり自重しなくなってしまったらしい。
毎回とは言わないまでも、わりと頻繁にいろんな場所に顕現しては、その存在を隠さなくなってきてしまったんだ。
別に、ただそこにいてほんのり光ったり、ふんわり風を送ったりしてくれるだけで、便利なだけだから、まぁ良いんだけれども...
そして先日、ティに頼んだ「情報を集めたい」件もあって、庭先にティやメイの知り合いが訪れては午後の紅茶のひととき(?)を楽しんでいるみたいだし......どうやらこの庭を憩いの場所か井戸端会議の地と定めているらしく、それをメイや俺の知らない使用人達(?)...とにかく知らない人達を知らない人達が、おもてなししているようだ、うちの庭で。
そして今、その庭でメイと立ち話をしている「茶色の長衣のイケメン」は誰かと聞けば、あの時の泥人だった。
お見苦しくないようにと、気を遣った姿で俺達の前に顕現してくれているらしい。どうやらあの姿のモデルはシータのようだ。
「...いよいよ我が家が、魔境化しつつある気がするのだが?」
「主、それでも俺は、いちいち驚いた方が良いですか?
...まだここに来たばかりですが、早くも慣れて来てしまっているというか、慣れなければ身が保たない自分がいるのですが?」
「...できるだけ驚いてくれ、頼む。俺の中では君が最後の砦なんだ、シータ」
「...了解だ、主」




