さん
44階層は川岸、あるいは海辺のような場所だった。
「主様、無事ですか!?」
突然のユキの叫びに、転移門の光の柱を降りながらも俺は二人をすぐに引き寄せた。
「どうした!?」
「...霧が深すぎて!」
「何も見えません!」
サキとユキの言葉に、他のみんなを振り返った。
俺には霧なんてまったく見当たらない。
ティがシータの肩の上に腰をかけて「どうじゃ?」と尋ねると、
「...俺も霧でほとんど見えません」
とシータも答えた。ニアは「わたしは平気」と、ティも俺の方を見てうなずいた。
転移門の光の柱から地面に降り立つと同時に、俺達は目の見えない三人の手を引いてすぐに【白昼夢】スキルで撤退した。
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自宅まで撤退すれば、すぐに三人の視力は回復したようでホッとした。
俺達はそのまま家の食堂へと集合して、先ほどの状況を確認しあった。
それから例の城で作業をしていたエニーを呼んで聞いてみたら、あの謎の霧の原因について話してくれた。
...話してくれたというよりは、俺達が思い当たることを言ってみたらそれをエニーが肯定した。
気になっていたのは40階層で魔女達がした説明だ。
1階層からすべての階層を踏破していないのならば引き返せと彼らは言った。
それに該当するのが21階層出身のシータと、11階層から19階層まではほとんど不参加だったサキとユキ。
逆にすべての階層を踏破してきた俺とティとニアの三人には、霧などまったく見えてはいなかった。
その推測こそが、見えなくなった原因で間違いないとエニーが言った。
踏破していない者は下の階層に行くにつれて何も見えなくなってくる、試練の迷宮はそういう風にできている、と。
実はこの仕様を理解していない者達が多いらしい。
40階層で魔女達が丁寧に説明してくれるのは関係ない、そもそも41階層の迷宮都市まで来るような者達はほぼ全員が地上と繋がる転送門を使って直通でやって来る。1から41まで頑張る者達などいないのだ。
そして何も分かっていない挑戦者達が、ただでさえ困難な(?)あの43階層の迷路の中で、俺達以上に霧で何も見えなくなった状態でバタバタと倒れていくらしい......
...43階層の迷路も無理だろうけど、44階層は水辺だった。何も見えなければ溺れてしまいかねないだろうに。
まぁ、その為に40階層の魔女は引き返すことを強く勧めたのだろうけど、そこを通過してくれなければどうにもならない......というか41階層の誰か一人くらい、いい加減に気付いてどうにかしろ。
そしてその44階層は「川」らしい。
言われてみれば、浜辺へ打ち寄せる波というよりも横へと流れる水流のようだったような気がするが、向こう岸が見えない広さの川を見たのなんて初めてだった。
そこで、渡し守に船賃を支払って、転移門まで運んでもらうのだとか......って、あの光景でその仕組みだと、なんだかまるで......
その話にメイが、何か思いつめたように急な提案をして来た。
「...唐突なお話になりますが、先日の戦いの祝勝会をやりませんか?」
「...急にどうして?」
少し挙動不審気味になったメイの目を見て問いかけると、メイが恐る恐る答えた。
「...ここから先はサキ様とユキ様、そしてシータは留守番になると思われます。それならば、皆様が揃っているうちに、お祝いを先にしておく方がよろしいかと」
「いいや。それは俺達が帰ってからやる」
「で、ですがっ!」
「メイ。俺達は川の向こうへと去ったりはしない」
「......ですが...!」
つまりあれだ、この霧の我が家以来、再びの「三途の川」疑惑だ。
試練の迷宮の仕様についてはいまいち分からないけれど、昇神だの霧で見えないだのの話の上に川まで出てくれば、いよいよそこが冥府への船出のようにも見えてきてしまうというものだ。
それでもメイが止めずに送り出すのは、たぶん「昇神」とやらがおめでたい行事だからなのだろう。ただの死地なら彼女はきっと止めている。
それならますます、ここで先にお祝いなんて縁起の悪い提案を飲むわけにはいかない。
念の為に、エニーにも聞いてみた。
「一応、40階層で聞いた話だと『引き返せないことは無い』ってはずだけど? エニーは何か知ってる?」
「問題ありません。私は神の門まで行って引き返して来ましたので」
ほらー、問題ないじゃない。
「...ですが、メイ様のお気持ちも良く分かります」
ほらー、問題発生じゃない。って、なんでだよエニー!?
その理由を語り出すエニー......胸に手を添えてから、右手と視線を斜め上にさし向けて哀愁を漂わせながら喋るその過剰な演技はヤメロ。
「私も博士を送り出したその時は、とても誇らしくもあると同時に、あの川の流れのごとき寂寥感で胸が押し潰されそうになったものでした」
...もしかして、もしかしなくても、自動人形であるエニーさんの方が俺よりもずっと感受性が豊かだったりしないだろうか? 俺は人形以下である。
「主様が何と言おうとも、やはり万が一という心配はしてしまうものです。
それは私も同じです。まさか主様が二度も、あの悲しみを私に与えたりはしないであろうと信じていますし、信じたいのです」
う、うーん......もちろん悲しませるつもりなんてないんだけれど、ここはむしろエニーの『博士』とやらの方に文句を言ってやりたい気がしないでも無いんだが......送り出したってことはその博士、神に昇ったってことなのか?
エニーが俺の前に立って、小指を差し出した。
「なので、必ず戻ってくると、ゆび切りげんまんを致しましょう」
......俺はその差し出された手を取った。
そして、その手の甲に口付けをした――手を払うのも握手で返すのも違うと思って、少しキザだけど口付けで答えて、そして断った。
「...約束はする。だが、指切りげんまんはダメだ」
どうして「そんな儀式」までこっちの世界にあるのかは知らないが、俺はそれだけは怖くてできない。
指を切るのも、針を千本飲ますのも十分に怖いけど、俺がもっとも恐れているのは「げんまん」だ。
ゆびきり「拳万」。
それは「約束を違えたならば拳で一万発殴る」という契約だ......たとえ言葉の綾だとしても、そんな暴挙は承服できないっ!
いくら俺が【けんせい】でも、サキやユキに一万発も殴られたならミンチかモチにでもなってしまうのは間違いない! だから指切りげんまんはダメなんだ!
だが、エニーは引き下がらなかった。
「ダメです、受理できません」
「なんだ、そんなに一万発殴ることにこだわりがあるのかお前は?」
するとエニーは、自分の唇に人差し指をそっと添えながら、微笑んだ。
「いいえ、チューはこっちです。きゅい」
「......」
苦笑するシータと、「はわわ」と狼狽えるメイ以外の全員が、大きく「うむ」とうなずいた。
なんだか良く分からないうちに俺は、シータとスライムさん以外の全員と、チューさせられた。
そしてその日はもう、夕食を食べて寝た。
43階層の迷路を踏破してからの、あの44階層とチュー騒ぎだったから、とても疲れた一日だった。
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翌日、我が家を出発したのは俺、ティ、ニアの三人だけだった。
留守番のみんなには、俺達三人が代表して観光して、みやげ話を持ち帰ることを約束した。
本当はエニーにカメラ的な道具が無いか聞いてみようと思っていた。みやげ話なら写真でもあればなおさら良かっただろう。
だけどこの44階層の霧と川の一件でなんだか気味が悪くなってきたから、結局聞くことができなくなった。
写真や映像が謎の霧で曇る程度ならまだ良い。問題は、三途の川的なアレや、霊的なソレが写真や動画に大量に映ってしまった場合だ。
ただでさえ神やら魔法やら骸骨戦士やらが普通に存在している世界なんだからそれは大いにありえるし、俺の写真の背後が千手観音様みたいになっちゃったらもう、二度と写真とか触れなくなっちゃうだろうし、この迷宮も怖くて歩けなくなってしまうだろう。
触れない方が、知らない方が良い世界はたくさんあるんだ。
「なんじゃ主様? 今日はやけに怯えておるのー?」
「...想像しなくて良いものを勝手に想像して、勝手に怯えてしまっているだけだ」
「なんじゃ、一人で楽しそうじゃのー? ズルイではないか」
「いや、全然楽しくなんてないし、むしろ...
...って、ニア!? 心配しなくても、背中に登ってこなくても大丈夫だから! ちょっと今回は川だし、さすがに危ないからそれはナシでっ!?」
ゆったり流れる静かな大河を前に俺達が賑やかに立ち往生していると、川の向こうの方から何かの影が徐々に近づいてきた。
俺の足にグデーンと寄りかかったニアが一言。
「舟」
一人の船頭を乗せた舟がこちらに近づいてきて、川辺に着岸した。
...船底が明らかに砂の上に乗り上げているはずなのに、こちら側までスーッと寄せてきたのはやっぱり、魔法的な何かの力なのか?
頭巾付きの長衣に身を包んだ痩身の渡し守。身長は俺よりは低くニアよりは高いくらい。
目深に被った頭巾によって口元しか見えない。性別年齢ともに不明。
手に持った長い棒で舟を押して進んできたように見えたけど、どう見ても棒の長さと川の大きさが見合わない、あれが川底に届くはずなど無いのだが......実はこの川、ものすごく浅いのか?
渡し守がどうにか聞き取れるくらいの小さな声でつぶやいた。
「...あちらへ渡るならば、どうぞ」
シータやエニーの話によると、確かここで渡し賃を支払うはずだ。
ティが渡し守にそれを伝えた。
「船賃はここに置けば良いか?」
「...どうぞ」
...置く? 手に渡すんじゃないのか?
首をかしげる内に、ティが【収納】スキルから取り出したその箱を舟にゴトンと置いた。
ゴトンと置いた。
ゴトンと置いた。
ゴトンとおい...
「...おい、待てよティ! なんだその箱!?」
「なんじゃ? 見ての通りの船賃じゃ」
「...全部、金貨かよ」
「おー」
「わらわ達の記念すべき船出じゃぞ? ここでケチってどうするのじゃ!」
...こっちで金貨を使った買い物をしたことなんて無いから正確な価値は分からないけれど、間違いなく結構な金額なのはすぐに分かった。
いや、これってもう、異状な額だぞ? 絶対に俺達の家計じゃ無い、妖精女王の予算から捻出しているやつだろう!?
さすがにそんな妖精達のお金まで使わせるわけにはいかないと阻止しようとしたら、先に渡し守がボソリと一言、
「...沈みますから」
...うん。舟にこんなに重りを載せたら、ふつうに沈むよね?
仕方が無いと、ティが金貨の袋を取り出せば渡し守はそれも拒否した。
金貨の一枚ですらも渡し守は無言で首を横に振った。
実は渡し賃なんていらないルールだったのだろうか...?
ニアが渡し守の手の平に、どんぐりを3つ手渡した。
渡し守がうなずいて、それをそっと袖の中へとしまった。
ティは納得いかない様子だったけど、渡し守の口元がわずかにほろこんだように見えた。
小さな舟で大河を渡る。
ゆっくりとはいえ確実に流れはある川なのに、舟はそれを無視するように真っ直ぐに、スイーっと横断していった。
そういう不思議な舟なのか渡し守の技術なのかは分からない。いずれにしても快適な渡河だった。
だけど、大河に小舟である。やっぱり少し心細い。
大船に乗った気分でとまではいかないまでも、もう少し大きな舟でも良いんじゃないかと思ってしまう。
上の階層で城だの大迷路だのすごい技術を見せつけて来たくせに、わざわざ小舟で淋しさをかき立てる演出も無いんじゃないかと思うんだ。
ティじゃないけど、せっかくのめでたい船出なんだから、いっそ宝船とか大戦艦とか飛空艇で渡ってみせたって良いくらいじゃないか?
俺と同じような心境らしいティが渡し守に「おぬし、やっぱり金貨を受け取って舟を新調しろ」と提案したら、渡し守がボソリと一言、
「...味わいが...あるのです......」
なんだ、急に親近感がわいてきたぞ?
「...味わいがあるなら、仕方がないなー」
「しかたない」
肯定する俺とニアに、ティは不満を漏らした。
「おぬしら......なんだか妙に所帯染みたというか、やたら地味なものを好むところが無いか?」
「...落ち着きが......わびさびが、あるんだ」
「わさび」
「然り」
「三人で意気投合するでない」
ほっこりする俺達と渋面のティを乗せて、そのまま舟が静かに進んだ。
視界いっぱいの水面。ここでいつものように獣や魔物に襲われたりしたら大変だったけど、そういうことも無く、ただ静かに舟が進んでいくだけだった。
俺もニアも、水面を覗き込んだり手を入れてみたりの余計なフラグを立てたりせずに、落ち着いておとなしく座ったまま、ゆるやかな水の気配を楽しんでいた。
ティが「まぁ、たまにはこういうのも良いじゃろう」なんて俺の肩の上でため息をついたけど、むしろ妖精さんである君こそがこの雄大な大自然(?)を歓迎する係なんじゃないのかな? 金貨を積み上げる係じゃなくてさ?
別に俺達は迷宮で門とか壁とか壊すばかりが専門じゃないんだぞ? 俺は「こういうの」の方が好きなんだ。
前方に何かが見えてきた。
島というより、水底から伸びてきた柱のようなものなのかもしれない。
大きな四角柱。近づいてくる正方形の足場の中心は、いつもの見慣れた転移門だった。
舟を降りてお礼を言うと、渡し守さんは再びスィーっと水面の向こうへと去っていった。
...無事に渡れたのは良かったのだけど、ここは転移門ではあるが向こう岸ではない。
結局、この川はどれくらいの広さで、向こう岸には何があるのだろうか...?
また怖くなってくる前に川から転移門へと気持ちを切り替えて、俺達は次の階層へと進むのだった。




