せんにゅうまえ
少し話は遡る。迷宮を39階層まで進行するまでのお話だ。
俺達の、いや、「カマキリさんの迷宮攻略」はほぼ順調に進んでいた。
少しだけ怖かったことといえば、大きくは2つくらいだった。
その1つは氷蝶。吹雪の中をヒラヒラと舞い飛ぶ蝶だ。
青白い幻想的な羽の美しい蝶......なのだけど、そうやって「吹雪を無視して」飛んできたり、動物の遺体にみっしりと群がっていたりするヤバイ蝶だ。
ヒラヒラとこっちに寄って来たそばから、ティが魔法でシュっと焼き溶かしていた。風情も何もあったものじゃない。駆除である。
...たしか俺の知っている蝶という生き物は、何も花の蜜だけを吸うわけではなくて、普通に汚水とか腐肉とかも吸うらしいという豆知識を思い出した。
そもそも巨大カマキリの背に乗っている時点で今さらだ。白クマをカマキリが倒し、そこに蝶が集る、そういう場所なんだここは。
一匹だけ飛んでいるのを眺めるのはとてもキレイで美しく感じるのだけど。
やっぱり命の気配の少ない一面の雪原で、動物の遺体に群がるその姿が死を連想してしまうのだろう。こういう時は美しいほどにかえって怖さが増してくる。
飛んでいるだけの蝶に勝手に美や死を連想するのは人の身勝手だろうか?
そう思っていたらティが「いや、たまに生きている者達からも血を吸うぞ? だからこうして燃やしておるのじゃ」と言われたから、俺も見とれてないで叩き落とすことにした。
そしてもう1つの怖い生き物。氷ニョロリ。
18階層で見かけた空飛ぶニョロリの、今度は雪の中を泳ぐあれだ......そうだよ、竜だよ! また、ニョロっとした長い竜!
どうやら雪原の下はガラス質の砂漠みたいになっているらしくて、その雪と砂の白い大地を潜行したり飛び出したりしてくる、青くてキラキラした竜がいた。
それが、呼んでもないのにこっちに近づいてきた。
カマキリさんをガブッとひと噛みしてくるほどの大きさで、さすがにカマキリさん任せにはできない相手だった。あと、やっぱりカマキリさんは飛べた。
最終的には、その氷ニョロリを相手にティが睡眠魔法を浴びせて意識を一時的に混濁させた隙に、俺が頭に飛び乗って打撃、残ったみんなで首を刈って止めという流れに落ち着いた。
シータに「あれに飛び乗った主の姿には正気を疑った」なんて言われてしまったが、それはティが「主様、今だ!」なんて叫んで俺を急かしたからだ。
あとでメイに聞いた話だと、道具屋のおばあちゃんが「素材をもらえるのは嬉しいがね、もっと命を大事にしな、小僧!」と怒られたらしい。
いや、俺とシータの作戦はいつも「いのちをだいじに」で一致しているはずなのに、他のみんなが勝手にガンガンいったり色々やったりしちゃうんだ!
...だけど、遠くから眺めた氷ニョロリのあの姿――地飛沫と氷の霧を巻き上げながら地から天へと舞い踊るその白銀に輝く雄大な姿は、とても幻想的で眩く美しかった。
そのキラキラとした姿に思わず皆で歓声を上げてしまった。それが危険かどうかは別として、やっぱり美しいものは美しかった。
とにかく、そんなこんなで俺達は順調に(?)39階層へと降りる転移門までたどり着いた。
カマキリさんとはささやかな踏破完了のお祝いをした後にご帰宅頂いた。ここで帰ってもらうのは、9のつく階層には山モモフやら大樹魔やらの厄介な方々がいらっしゃるからだ。カマキリさんにはまた次の機会があれば協力をお願いしたい。
ティの話では、19階層と39階層は魔女姉妹達が管理しているという話らしい......そういえば20階層の酒場でそんな話も聞いた気がした。
39階層にはその魔女達の長兄か長女がいるはずらしいのだけど、居なかった。
たぶん40階層に引っ込んでいるのだろうとティは言っていたけど、19階層にも居るはずの者が居なかったから、それはもうどっちでも良い気がしている。
その代わりにあったのが、氷精達の集落だった。
9階層や19階層を思い出すような、地形の起伏がない平らな面が地平の果てまで続く39階層。
豪雪も強風も無い、静かで穏やかな景色だ。このまま真っ直ぐに歩けばきっと40階層への転移門につくのだろう。
だけど、右手側には集落があった。
21階層のオーク族の集落を思い出した。あそこが転移門の直下にあったのに対して、こちらは道から逸れた位置。
無視してこっそり歩けば通り過ぎられるとも、気付かれて途中で襲撃されかねないとも言える、なんとも微妙な距離感だ。
俺達が転移門を降りているところを目撃されていたならばもう手遅れかもしれないけれど、一応、みんなで身をかがめて建物の方の様子を見た。
今の所は誰かがこちらに来る様子はない。だけど無人ということはない、転移門から降りてくるときにローナに似た姿の人々の様子を見たからだ。
ニアは建物の方は見ずに俺によりかかってグデーンと休憩しだし、俺とティとシータの三人で地に伏せるようにして相談した。
「あの集落って、やっぱり...」
「ふむ。おそらくローナを飼っておった氷精どもの里じゃのう」
「どうしますか、主?」
「...このまま、匍匐前進で素通り? ...いや、這って行くには、ちょっと距離が遠いか?」
「いえ、距離の問題以前に、なんでこっそり素通りなんですか?」
「そうじゃぞ、主様。あんなもの、わらわの眷属達を呼んで即、殲滅してやるわ」
「...ティ様も、なんで殲滅なんですか?」
「当然じゃろう! あからさまにあんな場所に陣取りおって、忌々しい!」
「うーん......やっぱりあの場所って、通り過ぎる俺達みたいな人達を狙った位置取りなのかなぁ?」
むこうの戦力は分からない。あの集落の規模から20人くらい? 50や100はいない気がする。
それでも、きっとティには勝算があるのだろう。
以前、ティは23階層で50の人族を難なく行方不明にしてしまったし、なんだか氷精達の戦力についても詳しそうだ。きっとティがカマキリさんやら蔦オバケさんやらを一斉招集してしまえば、十分に殲滅できてしまうのだろう。
その一方で、殲滅する必要性?
自分の家の庭や土地でもないのに、いちいち道すがらに気に入らない何かを発見したら狩って壊してまわるつもりなのか?
毛皮や肉が有用なモモフやニョロリが相手ならばまだしも、俺は別に「氷精の素材」なんて欲しくないぞ? 服とかはぎ取るのか? エロいなぁ。
「なんじゃ主様? 害獣を駆除するのに何をためらうのじゃ? あれを放っておけば、いつかローナの件で揉めることになってしまうぞ?」
「...やっぱり、そういうこと?」
つまり、もうここではっきりとローナの敵はこの世から消して、後顧の憂いは断ってしまえ、と?
善悪はさておき、ティは敵味方の区分がはっきりしていて、決断が早い。それくらいでなければ妖精達のような荒くれ者どものリーダーは務まらないのだろう。
...どうせ最後は暴力でねじ伏せ合うのなら、初手から互いの命を断ち合ったほうが、戦火が広がらない分だけまだマシだという発想も、実に分かりやすい。今まさに人族が魔王に使う手口だ、分かりやすくて涙が出る。
...その手口を俺が選んでいたならばもう、ニアもローナも、俺と一緒にはいなかったことだろう。
まるで俺の心を読んだかのように、今までグデーンとしていたニアが「主が好きな方法が良い」と言ってきた。
そしてティが「主様は甘々じゃ」と、俺の出してもいない結論に文句を言ってきて、シータが笑った。
君達、俺の心を勝手に先読みしてくるのはやめたまえ。ここで俺が「氷精達の素材を狩りとりましょう、グヘヘ」と言い出したらどうするつもりだ? グヘヘ。
俺がろくでもない妄想をしていると、シータが良識的な提案をしてきた。
「...俺が行って、すこし様子を見て来ましょうか?」
「え、ほんとに? ...いや、それはちょっと、さすがに危なくない?」
俺は交渉事みたいなのは苦手だ。そしてシータはそれが天才的に上手いのは、23階層でサキやユキ達とあっさり距離をつめてしまえた実績からも知っている。
だけど、あのローナとの最初の遭遇を踏まえるとそれは危険......あぁ、だからその経験者であるニアもシータと一緒に行けば、案外悪くは無い手なのか?
挨拶に失敗して全力で逃げ切るだけなら、俺とティが手伝って煙に巻いてしまえば十分に...
...そんな俺の思惑とは別に、ニアは容赦なくハードルを上げてきた。
「潜入」
「「...えっ?」」
「あの組織への潜入任務、シータに任せた」
俺とシータは「知らない里にご挨拶」のつもりだったけど、ニアが「スパイ大作戦」に変えてしまった。そこにティまで乗ってきた。
「それは良い! ならばわらわが、シータの服の中に隠れて手伝うぞ!」
そしてシータのサポート役が、斥候ではなく重火器になった。
たしかにティの大きさ的にはポケットサイズのひみつ道具かもしれないけれど、7つある機能のうち3つが攻撃、3つがいたずら、残りの1つがランダムだぞ、そのひみつ道具は!
「...と、いうわけだ。成功を祈る、シータ」
「どういうわけですか、主!?」
そして、ただ「祈る」だけの上司。
例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられあるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで......の『当局』。そのつもりでって、どのつもりだよ?
「ま、まぁ、冗談はさておき。シータ、本気でやってみる?
俺の案としては、あの集落に近づいて様子見、行けそうだったら接触、駄目そうだったら全力逃走で、場合よっては敵を倒すことも辞さない......って流れ、かな?」
「冗談で良かったです、主......とはいえ、俺も今の主の案に賛成です。
会話ができる相手かどうかはまだ分かりませんが。できれば穏便にすませたい、ですね...」
そうか、シータがいた21階層のオークの里も、あの氷精の集落に近い状況だったわけだよな...
俺達の最初の計画通りに、こそこそ通過でも、いっきに殲滅でも、あれが仮にオーク族の里だったならば、どちらも困る選択肢になったわけだ。
「まったく主様もシータも甘々じゃ...
まぁ、何があっても、わらわがきっちり守ってやるから、まずはシータの好きなようにやってみるが良い」
こうして、なんだかんだで過保護な妖精さんの力も借りて、シータの「はじめての潜入任務」が始まった。
まずは潜入前に、その場でニアを中心に複数の合図を立案し、俺達はそれを頭に叩き込んだ。
光、音、煙、それらをモールス信号みたいにして基本的な会話を組み立てる。合図には手持ちの道具やティの魔法を使う。
肯定/否定、継続/中断や安全/注意/危険など、一部にはシータの里で狩りに使っていたという手信号をニアがその場で覚えて、さらに補強までしてしまった。
そしてシータとその服の中に潜んだティが、氷精の集落へと近づいていった。
俺とニアはその後方、ニアの読みでギリギリ捕捉されないであろう距離から、シータ達の合図を待つことになった。
接近15分後、「潜入する」と送ってきた。
おい、早すぎだろ!? もっとちゃんと、様子を見ろよ!
潜入30分後、「潜入成功、情報収拾開始、30分待て」と送ってきた。
え、なにそれ? 友好的な集落だったの? 良かったね?
その30分後、「問題なし、作戦5。定期連絡送る」と返してきた。
定期連絡というのは、ティが魔法や眷属を使って、メイに情報を送るというやつだ。
こちらから「ちょっと待て、おい!?」と合図を送る間もなく、シータ(とティ)は集落の奥へと行ってしまったので......ニアと俺は、そっとその場を離れた後に、帰宅した。
...ちなみに「作戦5」というのは、「なんか、シータが良い感じに氷精のオネーチャン達をたらし込んだりできちゃったらもう、君達そこに住んじゃえよ」という、友好関係構築成功(=作戦4)の上を行く、妄想上の作戦番号だったのだが......おい、どういうことだシータ!? あの時はお前、俺のその「冗談」にちょっぴり怒っていたはずだよな!? 今はもう、俺の方が怒ってもいいんだよな、イケメン!?
とにかく、作戦は順調に始まっちゃったので、シータ達の無事を祈りつつそのまま数日、定期報告を待ち続ける日々が始まったのだった。




