第19話「愚者の銃弾は青を堕として」
何事もなかったかのように薄銀色の髪を涼やかに揺らし、戦闘時とは打って変わって穏やかな眼差しを向け、ヨハンは少女――エルに笑いかけた。
「さあ、帰ろうか」
アルフレドとの問答で自分の帰る場所を見失い、エルは心身喪失状態になりかけた。
だが、それもつい数十分前の話。ヨハンのこの一言、それだけでエルは容易く持ち直したのだ。
胸の奥へ温かさが染み渡るような感覚。何度経験しても、こればかりは慣れない、とエルは思う。これも魔法なのかと錯覚するくらいに、ヨハンの言葉は心に響く。
目元に涙を溜めながら、エルは勢い良く頷き、
「帰り、ましょう。その……わたしたちの、家に」
「……! ふふ、うん。リアもセラータも待ってる。早く行こうか」
「はい……ッ!」
わたしたち、とエルが言ったことにヨハンは嬉しさのあまり笑みが零れてしまった。
もうあのような輩の口車に乗せられ、道を間違うことはないだろう。今のエルの言葉には、それだけ強い意思が感じられた。
ヨハンはエルの小さな手を取り、今度こそ離さないようにしっかりと握りしめる。
それに呼応して、エルも彼の手を握り返す。そして自然と視線が交わり、二人とも示し合わせたかのように、柔らかな微笑を浮かべた。だが――、
「え、っ……?」
それは、一瞬の出来事になった。
エルの胸元。その僅かに左へ寄った部分が、五センチ程の穴を開けていた。
エル自身も何が起きたか理解していない。それほどに、ほんの一瞬だったのだ。あのヨハンすらも気付かないくらいの、弛緩した空気を縫った繊細な一撃。
だが、彼女の体だけは正確に状況を把握していた。
穴の開いた箇所から、赤い液体が湧き出て、セラータから貰った衣服へと滲む。染みがじんわりと広がっていった事で、ようやくエルは理解した。
――嗚呼、自分の命が無くなり掛けているのだと。
「ヨ、ハン……さ、……」
「エルッ!」
エルが体勢を崩し倒れかけたところを、反射的にヨハンが支える。
彼の腕の中でエルは必死に呼吸をするが、それは酷く浅いものだった。当然だ、心臓を貫かれているのだから、通常の呼吸など出来るはずもない。
ヨハンは唇を強く噛む。
それは自分が付いていながら、という不甲斐なさ悔いる意味と、元凶である彼に手心を加えてしまった、という事を恥じた意味を含んだものだった。
――嗚呼、殺しておけばよかった。ヨハンはそう思いつつ、彼――アルフレドへ視線を向ける。明確な怒りを、その真紅の瞳に込めて。
「しっかりと心臓を貫いたか。手がないから制御が不安だったが……意外と何とかなるものだな」
しかし、その瞳はすぐさまに困惑の色を滲ませた。アルフレドが吐いた言葉によって。
直感的に、ヨハンは察した。これはアルフレドではない、と。
纏う空気が根本から違う。彼より声音が低い事もそうだが、佇まいが一介の騎士のそれではない。
ヨハンは知っていた。この肌がひり付き、全身の総毛が逆立つような感覚を出せる人物を。
共に笑い、共に戦い、共に傷付く。そうして身近に居た人物の一人、だったからだ。
「……何番目だ、君は」
「おや、てっきり誰だお前は……と聞かれると思ったんが、流石はヨハンと言うべきか。驚いたよ」
アルフレドの体を使った誰かは、表情こそ驚愕を示しているものの、それがすぐに嘘だと分かるくらいに、薄っぺらい口調で返答をした。
エルが死に近付いている今、そんな態度はヨハンに癇に障るものでしかなくて。
「戯言はいい。質問に答えろ」
「落ち着けよ。らしくないじゃないか、何時も飄々としているお前が。そうだな、久し振りに会えたんだ。星屑映しでも見てティータイムといくか? 昔は良く……、……ッ!」
彼が言葉を紡ぎ終える瞬間、ヨハンの短刀が額に向かって投射された。
槍のように一直線に飛来するそれを、彼は間一髪の所で躱しこそしたが、横髪が僅かに切れ、音もなく地へと落ちた。
「黙れ」
「おいおい、再会の挨拶にしては過激な答えだな。ぞくっときたよ。相変わらずお前は俺を震わせてくれる」
「……」
ヨハンは彼の言葉に答えない。元より無駄な会話をする気など、さらさらないのだ。
彼はやれやれ、と言わんばかりに肩を竦める。
「連れないねえ。そんなに堪え性のない男だったか? ……って言ってもどうせ無視されるだろうから、このまま続けるよ。ええと何番目、だっけか? その質問に答えてもいいが……ヨハン、お前それを悠長に聞いてる時間あるのか? 別にどうでもいいけど、死ぬよ、その人形」
「……」
ヨハンは表情こそ変わらないが、内心は焦りを感じ始めていた。
彼の言う通り、この間にもエルは刻々と死に近付いている。それを考えれば何番目などと考えている時間も惜しい。
意識を切り替えるように、ヨハンの吐息が緩やかに宙へ。
それは彼の中で複雑に絡まり始めた思考を整理するのと同時に、次の行動へ移る所作でもあった。
彼がほんの一度瞬きをした瞬間、ヨハンの姿が煙のように消える。
微かに彼の鼓膜に音が響く。地を蹴り、草木を掻き分け、一目散に彼を死へと誘う――悍ましい程小さな足音だ。
だが、単調だ。一定の速度で彼の元に向かっている為、姿は見えずとも容易にヨハンの場所を特定できる。後はヨハンが攻撃を仕掛ける前に、此方から反撃をすればいい――そう、彼は考えた。
そして、その思考に導く事こそ、ヨハンの思惑通りだった。
互いの距離が徐々に縮まる。後三歩、二歩――そして、一歩。
刹那、彼が切り落とされた手首を前方へと向けた。それは魔法を展開する合図だ。其処を中心に、漆黒の球体が生み出される。
螺旋を描き回転するそれは、所々深碧色に発光していた。この森の瑞々しさとは比較にならぬ程深く淀んだ色合いは、視界に入れただけでもその身に恐怖を刻み込ませる。
そしてその醜悪な球体が、今、目の前に居るであろうヨハンへと放たれる。
放出した直後、淡い光の渦が彼の手首から弾け、轟音を湖畔に響かせる――、
「消失」
――事はなく。ヨハンの魔法によって跡形もなく消え去ってしまった。
彼は驚愕する。魔法を消したことにではない。この至近距離で一切の躊躇を持たず渦中へ飛び込み、冷静な判断で状況を収めた胆力。そして、常人には真似できない行動を可能にした反射神経。この二つに、彼は驚いたのだ。
(ヨハンが化け物なのは昔から知ってはいたが、ここまでか。模擬戦闘で剣を交える事はあっても、本気で戦った事はなかったからな)
攻守逆転。彼は内心で舌打ちをしながら、ヨハンの攻撃を回避、または受けきる事に全霊を掛ける。
魔法を打ったタイムラグは、この二人の間では大きな意味を持っている。素手でも、剣でも、魔法でも。今ヨハンはあらゆる攻撃の可能性を選べる状況にある。これは実に大きなメリットだ。受け手側は広がる選択肢の分、思考を割かなくてはならないのだから。
ヨハンの魔法を唱えたまま伸ばされた片手。そこから新たな魔法による攻撃、素手による殴打、または逆手で懐に見えるもう一本の短刀を取り、刺し穿つ――そのどれが来ようと反応すべく、彼は警戒心を最大限に引き上げた。が、次ぐ攻撃には、全くと言って良い程反応することが出来なかった。
「……ッ!?」
ヨハンの狙いは彼が魔法を放った後宙ぶらりになった右手。いや、正確には右手首の中にある血肉、だった。
断面から細長い指先を半ば強引に入れ、赤黒い肉を押し潰す。止血したはずの血液が再度奔流のように湧き出たことで、彼の表情は苦いものに変わった。
痛手だ、と彼は失態を悔いる。外傷は勿論のこと、精神的な要因が彼の心を乱していた。在り得ない、と思った想像の範囲外からの攻め手が、思った以上に効いていたのだ。
だが、これで終わりではない。ヨハンの本当の狙いは、この後の事だ。
「まだ、終わりじゃないよ」
「な……ッ」
「消失」
ヨハンの指先が半透明の光を放ち、同時に彼の体内へと循環する。
血液と言う名の道を通り、それは脳髄に辿り着く。そして、ヨハンの魔法が効力を表すと、彼の意識は急速に離れ始めた。
「……っ、そう、来たか……」
「……アルフレドの体に憑依している方法は正直わからない。けどそれが魔法である以上、僕が殺せない道理はないよ」
第二魔法――白紙。第一魔法、第二魔法問わず、魔法と名の付く概念をに殺せる力。ヨハンのみに許された、魔法に対しての絶対的な命令権。
この世の魔法は自然界に漂う自然魔力、自らの体に蓄積された体魔力、この二つがある。
その二つは性質こそ違えど、形状は互いに粒子で構成されている。ヨハンの力は、その粒子に干渉する事だ。
つまり、彼が粒子を消す、と命令を下せば、それで構成されている魔法は形状を保てず崩壊する。リアが魔法を殺す、と形容していたのもこれが理由だ。
彼は粒子に対し生殺与奪の権利を持っている。それは、言い換えれば魔法そのものを殺す、という事と同義だ。だから、リアはあのようにヨハンの魔法を説明した。
消失は最も純粋な魔法の使い方だろう。
対象に魔力を通し、それを消失させる。至ってシンプルな用途だが、それがどんな強力な魔法であっても有無を言わさず殺せるのだ、魔法を使う者にとってこれほど脅威なものはない。
「昔ながらの付き合いだけど、精神魔法は殺せないと思っていたな」
「魔法を行使する術者がその場にいなければ不可能だよ。でも、今は違う。君は――此処に居る」
勿論、無敵なわけではない。例外も存在する。
顕著な例はエルの〝核〟。この魔法は、術者が精神を操作する際に力を使用しているので、エルの体に粒子が残っているわけではない。物がなければ幾らヨハンの白紙とはいえ、消失することはできないのだ。
だが、彼の場合は違う。
ヨハンは言った通り、アルフレドの体を憑依した方法はわからない。しかし、憑依しているという事は、裏を返せば魔法を行使している事に他ならない。つまりはあるはずなのだ、アルフレドの体に、彼の粒子が。
それならば、ヨハンの魔法は彼にも届く。
「参ったな、もう少し話が出来ると思ったんだけど」
「話す気がないのによく言うね」
「おいおい、そんなことはないぜ? これでも結構ある。……そうだな、特にお前がその人形と重ねている女――エルレシアについて、とか」
「……!」
その言葉を聞いた途端、ヨハンの顔色が変わった。
微かに動揺を滲ますそれを見て、彼は愉快と言わんばかりに口角を吊り上げ、
「最後の最後でようやく顔色を変えられたか、やっぱりお前にはこの話題が最適だよ、ヨハン」
「っ……」
「……さて、時間だな。それじゃあ……さようなら。後は、精々贈り物を楽しんでくれ」
まるで何もなかったかのように、消え去っていった。
ヨハンはアルフレドの体から彼の存在が薄れた事を確認し、指先を放す。すると、アルフレドは支えを失い、そのまま地面へと倒れていった。
ヨハンは彼に一瞥もくれる事なく踵を返し、エルの元へと向かう。
「エル!」
ヨハンは即座に片膝を立て、エルを様子を伺う。
短時間で彼を何とか出来たとは言え、此方の事態は急を要する。まだエルの体を治す手段が見付かっていないのだ、一刻も早く止血し――と、そこまでヨハンが考えたところで、ふと、彼はおかしな点に気付く。
「……血が、止まってる……」
エルの血が止まっていたのだ。心臓を貫かれる程の重症、それがこの短時間で応急処置もせず止まるはずがない。しかし、今ヨハンの視界には確かにそれが映っている。
在り得ない、と言葉にする間もなく、ヨハンはもう一つ気付くことになる。
「なんだ、これ」
エルの貫かれた胸元。そこを、青色の結晶が彼女の傷を塞ぐように覆われていた。
見掛けはエルの血を止め、一命を取り留めてくれたモノに見える。だが、なぜか。ヨハンは言い得ぬ不安を胸に抱いていた。
それが間違いであると、そう信じ、ヨハンはそっと手を伸ばしては、それに触れた。――触れて、しまった。
「……ッ!」
刹那、ヨハンの視界で〝アオ〟が弾ける。
神々しいまでの光を放つ結晶に、彼の瞼は強制的に閉じることを余儀なくされる。腕で光を遮ろうと試みるも、その程度では到底遮断できない程に眩いもので。
時間として、およそ十秒程だろう。瞼の裏側がようやく元の暗闇に戻っていた事を確認し、ヨハンはゆっくりと瞼を開く。そして、周囲の、特にエルの体を反射的に見遣った。
外見上は何も問題はない。再度血が溢れ出すということもなく、青色の結晶以外は至って前のエルと変わりはなかった。
良かった、とヨハンは安堵の吐息を零すが、すぐさま意識を切り替え彼女をリアに診せる事を決意。
幸か不幸か、あの成す術ない致命傷は塞がっているが、何時までこの結晶が持つかもわからない。一時的なものであれば、再び出血を起こし命は落とすことは容易に考えられる。
と、そう考えたところで。彼は、自身の見落としに気付いた。
――外見は問題ない。では、内面は?
ヨハンは自身の鼓動が煩いくらいに跳ねているのを無視し、視線を胸元からエルの瞳へ移す。
そこに映っていたのは、美しく輝く水晶のような青い瞳ではなかった。人形のように無機質で、怖いくらいに色褪せた――黄金色だった。
そして、
「エ、ル……?」
悲劇が、始まる。




