第15話「追憶」
――英雄になりたい。その感情を抱き始めたのは何時からだろう。
嗚呼、きっと幼い頃に祖母から貰った絵本が切っ掛けだ。剣一つで窮地を打破し、強者共を薙ぎ倒すその姿は、子供の私にとって憧憬の眼差しを送るにふさわしいものだった。
民に愛され、友に頼られ、国に求められる。そんな英雄の姿は、青年になっても変わらず私の心に刻まれていて。
兵士になれる最少年。十五歳になると同時に国の訓練兵に志願した。
人一倍鍛錬を行った。人一倍知識を身に着けた。幾度となく剣を振るい、幾度となく汗を流した。
周りは私の事を馬鹿にした。――そんなに頑張っても先はない。無駄な努力だ、と。
周りは私の事を嘲笑した。――英雄になど慣れるはずもない。身の程をしれ、と。
それでも私は自分を貫いた。どんなに中傷されようと、自分が目指すものだけは揺らいではいけない。そう決めていた。
幼い頃からの夢。たった一つ、私を突き動かす衝動。
背を向けるのは簡単だ。諦めるのは誰でも出来る。ただ、前を向くのは言葉程容易くない。
英雄になる――その道程で一度でも足を止めた人間は、きっと辿り着く事は出来ない。
才能があれば別なのだろうが、私にはそれがなかった。魔法の才能も、剣の才能も、残念ながら私には恵まれなかったのだ。
だが私は思った。それがどうした、それがなんだ、と。
そんなものは障害ではない。そんなものは夢を追い掛ける為に神が授けた試練だ。諦める理由にするなど、勘違いも甚だしい。
だから私は進んだ。進んで、進んで、ひたすらに英雄と呼ばれる迄の道を歩み続けた。
〝あの時が来るまでは――〟
戦争が起きた。大きな戦争だった。
大国と大国が争う大規模なもので、沢山の兵士が駆り出されていた。
私も意気込んで志願した。しかし、訓練兵の身である自分には戦場に赴く許可が出されず、町で住民の警護や避難に回っていた。
それでも、私は良かった。これは英雄になる為の第一歩、民の信頼をなくして英雄にはなれない、と考えていたからだ。
必死にその責務を守り、今出来る事に全力を注いだ。敵が来ずとも集中の意図を切らさず、只々目の前の事を成していった。
――そうして、戦争は終わった。
自国の勝利だった。民は安堵し、国は歓喜に満ちた。あの時の瞬間は掛け替えの無いものだ。きっと忘れる事はないだろう、と幸せな情景を胸に刻み付けた事を覚えている。
そして、戦争を生き残った中には多大な戦果を挙げ〝英雄〟と呼ばれる者達が現れた。
当然と言えば当然だ。この大規模な戦争を勝利を導いた立役者達、英雄の冠を授けるに不足はない。
私は誇らしかった。自国に英雄が居るなど、私にとっては最高の出来事なのだから。
絵本ではない。空想の人物ではない。彼等は実際に存在し、歴史に名を遺している。
それが同じ時代に居るのだから、誇らしい以外にどんな感情があろう。私の感情はより強まり、何時しか彼等に憧憬の眼差しを向けていた。
国直属の精鋭部隊――葬制の棺。戦争を終わらせる為に集った〝十三人の騎士〟。
心酔。感激。崇拝。あらゆる言葉を尽くしても彼等への感情を表せない。それほどに私は彼等――英雄達に対して傾倒していた。
故に、謁見の機会を賜った時は歓喜に震えた。
彼等に会える、彼等と話せる。それが自分の中でどれほど偉大だったか。
自分が歩む道に到達点へ先に足を踏み入れた者達。どんな会話だろうと、必ず有意義なものになると信じていた。
そしてその時は来た。
私を含めた訓練兵達の前に、英雄達が並んだ。嗚呼、これが英雄。これが国を救った者達。
雰囲気が違う。歳こそ数個程しか変わらないのに、佇まいが常人のそれとはまったく違う。
私は沢山話した。貴方達に憧れている。何時か英雄になりたい。なれるだろうか。そんな事を、何度も話した。
彼等は躊躇いなく首肯し、言葉を掛けてくれた。
必ずなれる、次は君が国を救え、努力を怠るな。そんな言葉を、何度も何度も投げ掛けてくれた。
私は改めて決意した。嗚呼、英雄になろう。彼等の跡を継ぎ、彼等の名を汚さぬよう、立派な英雄になろう、と。
――だがそれは〝十三人目〟の彼の言葉によって全て打ち砕かれた。
『英雄? そんな人殺しの代名詞に憧れているんだね、君は』
言葉が出なかった。目の前で今、英雄と呼ばれる者がそんな事を言うなど、ありえないと思ったからだ。
私はもう一度聞き直した。英雄は、名誉あり尊敬される者の事ですよね、と。
そしたら彼は嘲笑交じりに告げた。
『違うよ。英雄は沢山人を殺した者に与えられる不名誉な称号だ。ただ国を勝利に導いた者達を〝人殺し〟等と呼ぶ事が出来ないからそう仮称しているだけさ』
私は愕然とした。
しかし、彼はとどめと言わんばかりに続けた。
『英雄になりたいと、君は言ったね。ははっ、随分と笑わせてくれる。……それはね、人を沢山殺したいと言っているのと同義だよ。君が目指しているの名誉や栄誉あるものなんかじゃない。ただの――殺人鬼だ』
その言葉で、私の体を支えている何かが崩れ落ちた。
子供の頃から描いていた夢、理想。それら全てを否定された気がした。
違う。違う違う違う。そう頭の中で何度も否定しても、英雄である彼の言葉は変わらない。言った事実は捻じ曲げられない。
私は、初めて絶望した。
それからは抜け殻の様な日々だった。何をするにもやる気は起きず、ただ無作為に浪費するだけの日常。
周りの言った通りだった。下らない、無意味だ、馬鹿げている――嗚呼、聞いておけばよかった。あの時止めておけばよかった。そうすれば、ここまで堕ちる事もなかったのに。
終わった。私の人生はここで終わりだ。これ以上はもう、進む事は出来ない。足を止めて、停滞し、余生を過ごす。
それが、私に残された選択肢だ。
――そう、思っていた。
彼があの凄惨な事件を起こし、私に救いの手が差し伸べられるまでは――
薄暗い明かりが灯る部屋中、青年はゆっくりと瞼を持ち上げる。その瞳は既に淀み、深い海底の様な色をしていた。
がり、がり。彼は自分の爪で左腕を掻き毟る。皮膚が破れ血が出ても、何度も何度も、その体を自傷しては唸り声をあげていた。
そして呟く。
「お前は、英雄なんかじゃない」
此処には居ない、彼へ向けた否定の言葉を。
青年は立ち上がり、傷ついた腕を赤く熟れた舌で舐める。
そして歯を痛ましげに食い縛りながら扉を開けると、
「待っていてください。我が天使。天の巫女たる貴女の元へ、真の英雄が参ります!」
狂気を含む声音で言葉を放ち、深い宵に消えて行った。




