第12話「考察」
「で、時間忘れた結果がこれが」
不機嫌さを隠す事ない声がヨハンの鼓膜に響いた。
「いやあ、面目ない……」
彼は苦笑交じりに頬を掻く。その態度に目の前の女性、リアは不機嫌そうに溜息を零した。
現在の時刻は午後の六時過ぎ。日も暮れ始め、夜空に移り変わり始める時間帯だ。ヨハン達がリアの家を出たのは午前十時過ぎ。時間的に八時間程カルーア市場に滞在していた事になる。
何故ここまで時間が掛かったのか。当然それには理由があった。
一つはエルの好奇心。
古今東西様々の品々が揃っている市場は、彼女のそれを満たすには最適な場所だ。ヨハンと共に露店を渡り歩き、興味を抱いた物を尋ねては、一つ一つ名前と用途を教えてもらっていた。これが大半の時間を占めていただろう。お蔭で彼女の物覚えの良さもあり、生活するに必要な最低限の物やマナーは身に着いた程だ。
そして二つ目は市場での小さな催し。
カルーア市場の露店、その中で食材を取り扱っている店を中心に有志を募り、売名目的が半分、面白さが半分の料理イベントを行っていた。
各地の食材を用いて作られた郷土料理。それに惹かれないはずがない、と首を突っ込んだのはエル――ではなく、ヨハンだった。
彼の数少ない趣味の中に食べ歩き、というものがある。今回のイベントはまさに彼の趣味欲を刺激するものであり、時間を忘れてしまう程に堪能してしまったのだ。
「起きて姿が見えないと思ったらこの時間だ。全く……朝から研究に没頭する計画が台無しだよ」
「ははっ、どうせ君が起きたのは昼過ぎだろう? 見栄を張って朝なんて言わないほうが……」
と、言葉を続けようとしたヨハンだったが、リアに睨まれた事で視線を逸らし口を噤んだ。
リアは再び嘆息を零すも、まあいい、と告げて話を進めた。
「それで、あの子は何処へ行った。いないようだが」
「ああ、エルなら客室で休んでいるよ。初めての遠出だからね、疲れてしまったようだ」
「……そうか。なら丁度いい」
そういうと、リアは自室のソファに腰を掛けた。
「話してもらおうか、昨夜の事を。待ちきれなかったんだぞ? 私は」
彼女にとってはお預けの状態が何時間も続いたのだ。我慢できず急く気持ちはヨハンにも良く理解出来た。
彼は首肯すると、対面に座った。
「うん、そうしようか。僕も君に助言を求めたい事があったし、情報共有するのは早い方がいい。……とりあえず、あの後何があったのか……順を追って話すよ」
ヨハンはリアと離れた後の経緯をかいつまんで話し始めた。
声が聞こえた事。快楽の海の様な白い空間の事。その後辿り着いた〝アオ〟の世界、そして――そこにいた不思議な少女の事。
「……──これが全部、かな」
全て話し終えた後にリアがとった行動は、沈黙だった。
頭の中で情報を整理しているのだろう。ヨハンが語った時間はそれこそ十分程度のものだが、内容に関してはかなり濃いものとなっている。
リアは脳内で知識と知恵を以て、行われた現象の解析に取り掛かっていた。
そして、その沈黙が続くこと五分。
「……なるほど。これは想像以上だよ、ヨハン」
リアは愉快、と言わんばかりに口角を上げ、微笑を浮かべた。
今回の件は彼女が興味を注ぐに相応しい事象となったらしい。ヨハンはそう判断すると、間髪を入れず言葉を投げ掛ける。
「それは僕も同意だ。ここまでの事態は中々お目に掛かれないし、経験もできない。……それで、だ。リアはこの一連の事象についてどう見てる? 君の見解が聞きたい」
「……構わないが、全て纏まったわけじゃない。話しながら修正していく形になるが……それでも良いのか?」
「問題ない。頼むよ」
「……わかった」
リアは思う。珍しくヨハンが真剣だ、と。
普段の緩い雰囲気は完全に失せている。それほど彼女――エルに対しての入れ込みようが強いのだろう。
彼女は一呼吸置いた後、ゆっくりと話し始めた。
「最初にお前が聞いた声についてだが……これに関しては考察のしようもない。あの子の声が聞こえた、それ以上でも以下でもないだろう。それが魔法なのか、……〝それ以外〟のものなのかは必要な情報でもないだろう?」
「そうだね。それについては省こうか」
あの声は魔法といった類のものではない。ヨハンがそう考えたのと同じで、リアもその解答を導き出していた。
あれは、彼女が〝想い〟が生んだ奇跡だ、と。
「次にお前が移動した白い空間についてだ。まず移動手段だが、転移魔法とみて間違いないだろう。あの光が魔法発動のスイッチ。範囲はわからないが、お前が転移して私が無事だった事からかなり短い距離、あるいは対象一人を転移させる類のものだ。……あれについてもあの子の自覚はなかったのか?」
「うん、なかったみたいだ。そもそも声に関しても彼女に自覚はなかった。多分意識的起こした行動じゃないと思う」
「そうか……ならあれも無意識の内に発動したとみて良いな。……話を戻そう。白い空間についてだが、あれはその後お前が移動した……〝アオ〟の世界、と仮称していたか? そこの防衛機構と私は考える」
「防衛機構……?」
リアの言葉に、ヨハンは僅かに目を細める。
「ああ。……だがそれを話す前に、少しだけ順序を変えよう。その方が分かり易い。……あの子の〝責務〟についてだ。……ヨハン、それに関してはお前も薄々気付いているんだろう?」
「……」
彼の無言はこの場で肯定の意となる。
リアの言う通り、ヨハンも気付いていた。〝導〟と〝鍵〟、それが何を意味し、何を表すかを。
「あの子が課された〝責務〟、それは……――」
「――神造遺物を造りこの世界の人間……正確には転換点となる人物に送り届ける事」
「……」
「だろう?」
「……私はそう捉えた。事象の規模が規模だから、確定的な情報とは言えないがね」
〝導〟は人々を導く為の道具。それはほぼ間違いなく神造遺物の事を指していた。
長い歴史の中、転換点――つまりは〝鍵〟と呼ばれる英雄達がそれを使い、正義を成してきた。時には竜と呼ばれる上位種を倒し、時には同族である人を殺して。
そして、それらの状況や立場は様々だが、一つだけ共通している事があった。
彼等は代名詞となる武器を持っていた。膨大な力を以て英雄達を鼓舞し、存分に力を発揮させる為の武器を。それが、神造遺物。
「あの子は何十年、何千年とこれを続けてきた、そう言ったな」
「……うん」
「なら間違いない。彼女は形こそ私達と同じだが、人間と呼ばれるものじゃない。恐らく神造遺物を造り出す為だけに作られた……人工生命体だ」
決定的な事実を、リアは叩き付けた。
ヨハンもエルから話を聞いて思わなかったわけじゃない。普通に人間が何千年もの間生き続けるなんて事は常識的に考えても不可能だ。
しかし、何故かそれを考えないようにしていた。理由は彼自身もわかっていないのだが。
そして、リアは続ける。
「神造遺物を造れる存在が居るなんて知れたら大問題だ。必ず軍事目的に使用され、最悪永遠に身体を弄られるだけのモルモットになる。……あの子を作った神様気取りの奴もその辺りは察したんだろう。だからそいつは彼女を閉じ込めておく〝鳥籠〟を作った」
「それが……〝アオ〟の世界」
「そう考えるのが妥当だ。話を聞く限り出口はなかったんだろう?」
「うん。全部探したわけじゃないけど……あれはないだろうね」
無限に〝アオ〟が続くあの場所に出口はない。それは確信していた。
あそこに居た唯一の住人であるエル。彼女の傍にそれがなかったのだ。二人の想像は間違っていないだろう。
「ならそれは結界だ。それも膨大な魔力を使い、あの子を閉じ込めておく為だけに作られた堅牢な結界。……入る方法も不明瞭で、オマケに外界から完全に遮断されていると来た。……最早称賛に値するね、卓越した魔法技術と魔力量がなければ出来ない所業だ」
リアは大袈裟に肩を竦めると、嘆息を漏らした。
彼女が見知らぬ相手を素直に称賛する事など、滅多にない事である。それ故に、ヨハンはエルを閉じ込めた人間に対して言い得ぬ感情を抱き始めていた。
「……で、だ。ここまで話してようやく白の空間に繋がる。要するに、それは万が一が起きた時のセーフティなんだろう。今回お前が侵入出来た様に、イレギュラーな事態が起きる可能性も零じゃない。それを見越して備え付けられた機構だろうな」
「なるほど……確かにそう考えるとしっくりくるね。……それにしても、随分と悪趣味な機構だ」
「それに関しては同意せざるを得ないよ。……快楽の海、とお前は表現していたが……ああ、言い得て妙だ。人の本能を刺激し、ひたすら幸福という名の地獄に漂わせる。そして最後は魔法粒子に侵され形もなくなる、と。……私も自分のことは悪趣味だと思うが、流石にここまでではないな」
あの空間は敵味方問わず侵入した全てモノを排除する防衛機構だ。快楽というどんな生物でも抱く感情がある限り、抗う術はない。
だが、一人。この世でただ一人、それに抗う事が出来る例外がいた。
「まあ、だが。想定をするなら最悪の事態も加味して作るべきだったな。結界や防衛機構、それらを破られた時の想定を。……酷な話か。魔法を殺す存在がいるなど、想像は出来ても想定は難しい」
「……殺すだなんて、大袈裟だよ」
「謙遜は止せ。アレは……と、今お前の話は良いか。とりあえず私の見解はこんなところだ。何か質問は?」
「……いや、特にないかな。一連の現象の辻褄も上手く合っている。流石だと言う他ないね。……ただ」
「……ただ?」
「一つだけ、まだ聞いていない事がある」
ヨハンの言葉に、リアはそっと瞳を細める。
「……強制的に神造遺物を造る呪い、か?」
「うん」
〝核〟に刻まれた命。つまり神造遺物を造る事。
エルはそれを強制されている。それは彼女がこの世界で生きる上で大きな枷だ。何時、如何なる時に神造遺物を造り始めるかわからない。その時周りに誰もいなければいいが、それこそ街中で造ったりしたら大事だ。野次馬達から連鎖して最悪の事態になる事は容易く想像できる。
「完璧主義の君らしくもない。……もしかして、あえて避けた?」
図星、とリアは視線を背ける。そして同時に若干不機嫌そうな顔を浮かべた。
「……その件に関してはおおよその目星はついている。呪い、と形容はしたが魔法の類なのは確定だろう。快楽の海のような魔法も使えるくらいだ。そいつにとっては強制的な精神操作など造作もない。……ただ、それが問題なんだ」
ああ、とヨハンは瞬間的に察した。
何故彼女が言い辛そうにしていたか。
「対処法、だね」
「……わかっているなら態々聞くな、馬鹿」
リアは舌打ちという形をもって彼へ不満を示した。
どの系統の魔法にも必ず弱点と呼ばれるものは存在する。例えば火の魔法なら水の魔法、と言った具合で相性によっては相手より弱い魔法で打ち勝つ事も不可能ではない。
だが精神的な魔法となれば話が別だ。これは相性問わず、二つしか対処法がない。
――魔法をかけた術者を殺す事。もしくは術者本人に解除させる事。この二つだ。
前者は相手の術者を完全に死に追いやる事が条件である。気絶も駄目、睡眠状態へ移行させても不可。命を奪う事でようやく解除させる事が出来る。
後者は文字通りは術者本人に解除してもらう事。基本的には此方が多いだろう。術者を何らかの方法で倒し、解除を促す。一番現実的な和平案だ。
しかし、するとここで問題が出てくる。
「精神系統の魔法を解除する方法は二つ。術者を殺すか、解除させるかだ。……しかし今回の件ではその術者が見当たらない。そうなると流石にお手上げだ。相手側があの子を探しに来るのを待つくらいしか方法がない。……対策を練る事すら叶わないなど、屈辱以外何物でもないね」
「……」
忌々しいと腹を立てるリア。彼女の自尊心を深く傷つけてしまった事に、ヨハンは申し訳ないと視線を下げるも、こうして状態維持していても始まらないのは事実で。
彼は候補にあった幾つかの案を上げてみた。
「僕は精神魔法には疎いから何とも言えないけど、他の精神魔法でその命令を上書きする事とかは出来ないのかな? 例えば神造遺物を造るな、とか」
そうすれば造り始めた瞬間に動きを静止出来る。妙案だ、と彼は思っていたが、リアから返ってきた回答は芳しくないものだった。
「厳しいだろうな。系統に問わず、魔法は同じ能力同士ならより強い力に軍配が上がる。精神支配なら最初の命令した術者の方が強制力が高いんだ。つまりは神造遺物を造るように命じた奴にあの子の優先権が与えられている」
「……そうか、ならそれは却下、だね。それじゃ視点を変えて術者の方に追跡の魔法を掛けて……――」
そうしてめげずに次々と意見を告げる。一つが駄目なら、二つ。それでも駄目なら三つ、と彼は案を出していった。
だが、
「――……良い案だが。どれも駄目だな。お前には悪いが、成功確率は零だ」
「……」
そのどれもが、リアの御目には適わないものだった。
彼が用意してあった案は五つ程。どれも精神魔法の隙を付いた良い策であったが、悉くリアは却下した。
勿論、彼女も公平な目で見た上で、そう判断を下している。それでも可能性を考えれば全てが零になってしまうのだ。
今回ばかりはヨハンが浅慮だったと言わざるを得ないだろう。そう突発的な意見で覆る程、魔法の歴史は浅くない。
しかし、彼はまだ諦めていなかった。人差し指を唇に添え、ゆったりとした速度で叩き始める。
リアは知っていた。これが彼の思案する時の所作だと。
「……うん。もうこれしかないな」
ヨハン小さく、それこそ目の前に居るリアにすら聞こえない程の声で呟いた。
しかし、何か言っている事ぐらいは彼女にも見て取れて。
「何か言ったか?」
「いや、何も。……参ったね、流石にこれじゃあ手詰まりだ」
そういうヨハンの顔は、少し晴れたような、しかし何処か暗さを帯びているような、そんなものだった。
リアは直感的に察する。彼は何か有効な策を思いついたのだと。だがその内容が自分に話せない事だとも遠回しに理解出来た。
だがそれで不満を言う程彼女は子供ではない。隠し事の一つや二つ誰しもあるからだ。
それに、彼女はヨハン程〝エル〟に情を抱いているわけではなかった。
(むしろ昨日今日あった奴に何故あそこまで肩入れするのかがわからない。……本当、理解できない奴だよ、お前は)
リアは小さく嘆息を漏らすと、ソファに寄り掛かった。
「何はともあれ、私の見解は全て話した。後は好きにやれ」
「……うん、何とか頑張ってみるよ。ありがとう、リア」
そう素直に礼を言われてもそれはそれで気恥ずかしく。
リアはああ、と短く返すと、追い返すように手を振る。彼女なりの照れ隠しだと察し、ヨハンは微笑を浮かべると、部屋を後にした。
廊下を歩き客室に戻る最中、ふと、窓の外が目に入った。
会話に集中していた所為か、時間の感覚を忘れていた。既に日は落ち、綺麗な月と星々が空に浮かんでいる。
それを見て、彼は呟く。
「次は――必ず」
それは、無意識の内に零れた心の欠片。
何を意図するか、何を意味するか。彼のみが知り、彼以外知る事のない心情。
そして、それを口走った自分を、彼は酷く嫌悪した。
自嘲気味な苦笑を浮かべると、寝息を立て眠っているであろう彼女が待つ部屋へ戻っていく。それは、何処か重い足取りの様にも見えた。




