第10話「疑わしきは罰せよ、は良くない」
天気は良好、風も心地良い。実に散歩日和な気候だ。道も綺麗に舗装されており、素足でも多少ならば問題なく歩行が出来る。エルの事もあり懸念していたヨハンだったが、杞憂に終わったようだった。
現在彼等はリアの家を出て、徒歩にてルスティアの名物――カルーア市場に向かっていた。
カルーア市場はルスティアの中で一番のマーケットだ。ルスティアの名産は勿論、古今東西あらゆる所からの掘り出し物が陳列されている。服や靴、その他の衣類等の一式を揃えるには丁度いい場所と言えよう。
興味深そうに周囲を見渡すエルを横目に、二人はマグニス・ストリートに到着した。カルーア市場は山側ではなく海側の方に位置している。つまりマグニス・ストリートを通り、黄金畑を抜けてようやくカルーア市場に辿り着ける、というわけだ。
(……流石に少し目立ってきたなあ)
時刻は朝の九時。メイン通りである此処ならば、商人でなくとも普通に住民が往来している。
全員ではないが、通り過ぎる人達の中には怪訝そうに彼等を見遣る者が出始めた。もう少し時間が経てば更に人目につくことだろう。
その前に衣類くらいは揃えたい、等と考えているうちに――。
「……!」
黄金畑に着いた。
天に向かって聳え立つかの様に立派に育つ穂。一つ一つは小さいが、それが何十、何百、何千と揃うとまさに圧巻の一言だ。尋常ではない生命力を感じると同時に、何やら郷愁の様なものも胸の内を刺激する。
ラルシュタット湖の人里離れた尊さとは違い、親近感溢れる美しさ――この黄金畑にはそれがあった。
ヨハンはこれを見るのは二度目だが、やはり感動が胸に押し寄せている。心做しか、急ごうと考え早めていた足も遅くなり始め、景色を優先してしまっている。
隣のエルはどうか、と彼は横を向くも、気付けば彼女の姿がない。
あれ、と何気なく後ろを振り向けば、道の中央で呆けながら景色に目を奪われていた。
「エル」
「……! あ、す……すみません」
エルは反射的に肩を震わせると、いそいそとヨハンの隣まで小走りで向かった。
「綺麗だったかい?」
「あ……はい。なんかすごく……すごい、です」
「ふふ、僕もそう思うよ」
先日からのやりとりで気付いた。エルの口癖は『すごい』、だ。語彙はある程度あるはずだが、まだ表現の仕方が解らないからだろう。
しかしそれが微笑ましい、とヨハンは思った。
ゆったりとした歩幅で景色を堪能しているのも束の間、黄金畑が端が見え始める。それが海部に辿り着いた、という事を意味する。
街並みは先程と打って変わり、青と白の二色で彩られていた。シンプルな造りだが非常に見栄えが良く、海辺に作られた建造物には理想と色合いと言えるだろうか。
と、そこで。
「……ああ、見えてきたね」
二人の視界にようやく、目的地が移り始めた。
商人達が売り買いで賑わい奔走する、
「カルーア市場だ」
ルスティアの大型マーケットに。
喧噪が支配する大仰な市場は、朝方のこの時間でも石畳の上を目まぐるしい程に人々が往来しており、非常に活気に満ちていた。
その様子にエルは戸惑いを隠せずにいた。賑わっている事も勿論あるが、彼女は〝人〟を見た事が数えるくらいしかない。それが手指でも数えれない程存在し、何か自分には解らない事を忙しなく行っている。その現状が、エルには驚愕する事態であった。
「す、ごい……人の数、ですね……」
「人が沢山集まって商いを行う場所、それが市場だ。だから人が多いのは当然というわけさ。……さて、まずは君の服を揃えちゃおう。ゆっくり見るのはそれからだ」
「は、はい」
二人は歩きながら、露店を見遣る。
服に靴。それに下着が売っていれば理想だが、そう上手くはいかなかった。この市場は基本的に食材や魔具が陳列されている事が多い。今見てもその二つがメインで並べられており、衣類系は少ないように見える。
無論、衣類もある事にはあるが、エルが着るにはサイズが合わない物が多かった。
「うーん……意外とないね。普通の店に行くべきだったかな……」
そう、ヨハンが呟いた時だった。
「ねえ、そこのお兄さん。ちょっと良いかい?」
屈強な体格をした、雌型の犬人族が彼に声を掛けた。
咄嗟にヨハンは振り向くと、周囲に見て自分に向けて言われる事に気付き、愛想笑いを浮かべた。
「僕のことでしょうか?」
「そうそう、アンタよアンタ。隣に居る黒髪の女の子、連れかい?」
「ええ、そうですね」
ヨハンはこの時点で若干嫌な予感がしていた。
犬人族の彼女の目。あれは猜疑心を懐いている者の目だ。
彼は経験上、そういう目線には敏感だった。
「連れにしちゃあ随分と見窄らしい姿をしてるじゃないか。なーんか裏がありそうでねえ、声を掛けたんだよ。その子が立派な大人なら見過ごしたけど、まだ幼子じゃないか。……事によっちゃあ、行くとこ行かないとねえ」
想像通りの展開である。最悪の想定ではあったが。
とはいえヨハンも黙って連れて行かれるわけにもいかない。何しろその見窄らしい姿を変える為に此処に来たのだ。
言ってしまえば事実無根。言い掛かりも甚だしい。
「待ってください。貴女は大きな勘違いをしている。僕はその彼女に服を買ってあげようと此処に来たのです。決して、貴女が頭の中で想像する様な……ええ、犯罪目的ではないですよ」
「大抵の奴はそういうんだよねえ」
ばっさり。最初から台詞を決めてたかのように、犬人族は返答をした。
「ほら、行くよ!」
「ち、ちょっと!」
見た目通りの怪力だ。かなり強い力で腕を引っ張られ、思わずヨハンの体が傾く。
まずい。このままでは非常にまずい。体と同じく声もデカい犬人族の暴言は、当然周りを歩く人達に筒抜けだ。怪訝そうにヨハンを見ては、汚い物を見た時の様に眉を顰めている。
冤罪とはこうして成立していくのか、と社会の闇を体感し何とか打開策を考えていると、
「待ってください」
もう一人の当事者であるエルが、割り込み口を挟んだ。
ヨハンと犬人族、そして周りの者達の視線が一斉に彼女に向く。
「その人はわたしの……わたしの、大切な人です。ですから、その……手を、放してあげてください。……お願い、します」
口調は弱々しく、震えていて聞き取れないところも幾つかあった。
それでも。それでも、だ。エルの言葉には力があった。対人は慣れておらず、目線が集まる事も初めての経験。そんな中でも、彼女はヨハンを想い必死に感情を込め、言葉を絞り出した。
そこまで真摯に懇願されては最早立場も一転。今度は訝しげな目線が犬人族の女性に向けられる事になる。
彼女は力なく、ヨハンの手を放した。
「べ、別にコイツを取って食おうってわけじゃないんだ。ただ、アンタの事が心配で……。……あー、悪かったね。腕掴んじまって」
「ああ、いや。分かってくれれば僕は別に」
「お嬢ちゃんも。悪かったね、アンタの大切な人に乱暴しちゃってさ」
「い、いえ。わたしも、平気……です」
「……そうかい」
犬人族の女性は笑みを浮かべると、その手でエルの頭を撫でた。
彼女はきっと良い人なのだろう。正義感が強く行動力もある。しかし、少し突発的に動いてしまう癖があるようだ。と、ヨハンは感じた。
「ってことはアレかい。本当に服を探していたのかい?」
「ええ。訳あって彼女の面倒を見る事になったんですけど、服がなければ靴もなく。この市場なら何かしらあるかな、と目を付けて歩き回っていたのですが……どうにも彼女のサイズは見当たらず、困り果てていたところを」
「アタシが声を掛けた、って感じかね」
「そうですね」
すると、犬人族の女性は腕を組み数回程頷く。
そして、
「……よし、わかった! 迷惑を掛けた礼だ。ウチの衣類一式をこの子に贈ろうじゃないの!」
思わぬ好展開へと二人を導き始めた。
「良いんですか?」
「良いとも! 変に疑っちまったアタシが悪いんだしね、これくらいはむしろさせておくれよ!」
わっはっは! と豪快に笑う犬人族の女性。
ヨハン達からしてみればありがたい話だ。金銭を使わず無償で頂けるなんて美味い話、中々ない。
それに、このまま無作為に探しても正直いつ見つかるかわからない。隈なく探せばいつかは見付かるだろうが、どうしても時間が掛かる。
また彼女の様な疑問を持って話し掛けられる可能性は零じゃない。むしろ高いので、ここは言葉に甘えるのが得策と言えよう。
「ありがとうございます。正直助かります」
「なに、礼なんて要らないよ! 好きでやってることだからねえ。さ、行くよ!」
ずいっ、と道の真ん中を歩き始めた彼女に連れられ、二人は歩き始める。
すると、エルが早足で大股で歩く犬人族の女性と並走し、
「あ、ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げた。
犬人族の女性もついその所作に緩んだ表情を浮かべて。
「こちらこそ、さ。……お嬢ちゃん。名前は?」
「……! エル、です!」
「エル、ね。覚えた。アタシはセラータ。よろしく頼むよ、エル」
「は、はい! よろしくお願いします」
そうして、返事の代わりに犬人族の女性改めセラータは、エルの頭を優しく撫でた。
そんな微笑ましいやりとりを見て、後で頃合いを見て挨拶をしよう――そう決意するヨハンであった。




