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第9話「朝、庭園にて」

 長い長い帰路を踏破し、ルスティアに着いたのは真夜中、つまり日付を跨ぐ辺りだった。本来なら四時間程度で行ける場所、彼方を出発したのが六時前なので十時頃には帰れる筈だった。

 それなのに何故こんな時間が掛かったかというと――


「お前、二度と私の依頼についてこないように言っておくからな。今後一切顔を見せるな」


「は、はい……すみません」


 案内人であるアルフレド。主に彼の所為である。

 暗くて前が見えない、道を忘れた、等と様々な言い分で時間を無駄遣いし、この時間まで伸びてしまったのだ。


「そ、それでは失礼しますね。リア様、ヨハン様、お疲れ様でした」


 アルフレドは深々と申し訳なさそうに頭を下げると、馬車に乗って去っていった。

 その後ろ姿を見て、リアは舌打ちをし、ヨハンも流石に苦笑を漏らしていた。


「帰るのに何時間掛かってるんだ。レア・ファールでも飲んでゆっくりとお前から話を聞こうと思ったが……この時間じゃその気にもならない」


「……だね。流石に僕も疲れたよ。エルは大丈夫かい?」


 未だ離れる気配のないエルに向け、ヨハンが問い掛ける。


「わ、たしは……平気、です」


 ヨハンは気を遣っての台詞かと思ったが、表情の明るさを見るにそうではないらしい。

 彼女からしたらこの長く退屈な道のりでも沢山の〝新しい〟で満ちていたのだ。見る物全てが好奇心の対象、気持ちが高ぶり起きていたい、と思うのも自然だろう。


 しかし悲しいかな、彼女の体は彼女の精神程屈強ではなかった。瞼が閉じ掛け、夢の世界へと飛び立とうしている。


「無理は良くないよ、エル。平気じゃない時は平気じゃない、って口に出さないと。……気持ちはすごくわかるけどね」


 ヨハンは手を伸ばして宥める様にエルの頭を撫でる。


「……はい、すみません」


「謝る事はないさ。……さて、それじゃあリア。部屋を一室借りれたら嬉しいんだけど」


「……まあそのくらいは良いか。一階に客室がある。ふぁ……そこを適当に使え」


 そうして欠伸をする一方で、リアは家の玄関を開く。そうして何も告げず中へと消えて行った。

 階段を上る音が聞こえる辺り、今日はすぐに寝るのだろう、とヨハンは思いつつ、エルに視線を向ける。


「それじゃあ僕達も行こうか」


「はい」


 ヨハンは玄関の扉を開き、中に入る。エルもそれに倣って中に入ろうとするが、どうにも扉が開かない。

 数秒経っても入ってこないエルを気にかけ、再びヨハンが外に。


「どうしたの?」


「あ、え……ええと。これ、開かなくて……」


「……ああ、なるほど」


 そう短く告げると、ヨハンは小さく笑みを作り扉に手を掛けた。


「これは扉、ドアと言ってね。こうして……回さないと開かない仕組みになっているんだ」


 ドアノブを回し扉を動かす。そんな些細な事でさえ、エルに取っては興味深く新鮮な出来事の様で、真剣にヨハンの解説を聞いていた。


「やってごらん」


「は、はい……」


 おずおず、と言った形で再度ドアノブに手を添える。

 そして手首を回せば、キィ、と音を立てて扉は開いた。

 反射的にヨハンを見るエル。その表情は何処か嬉しそうでもあって。


「よくできたね」


「っ……」


 何となく、また頭を撫でてしまった。

 癖になりつつある気がする、と自分の行動を思い返すも、当の本人であるエルが満更でもなさそうなので良しとした。


「そういえば、エルはこの世界の事は全く知らないのかい?」


 数ある部屋の扉を一つ一つ開き、目的の部屋を探す最中。ヨハンはふと、そんな事を聞いてみた。


「はい、知りません」


「そうか、それは……そうだよね」


 言った後に馬鹿だと自分の頭を掻くヨハン。エルはあの〝アオ〟の空間に閉じ込められていた。ならば、そもそも情報を得る術がない。否、出来なかった筈である。


 少し考えれば解る事なのに、とヨハンは自己嫌悪した。

 と、そこで。


「ああ、此処みたいだね」


 目的の場所である客室に着いた。

 部屋の中は実にシンプルな作りで、十畳ぐらいの広さに木造の家具が三つ。タンスに机、それと少し硬そうな寝台だ。

 何の装飾も施されていない必要最低限の生活家具。客人を持て成す気が零な辺りリアの性格が出るなあ、とヨハンは思った。


「お邪魔します」


「お、おじゃまします……」


 ヨハンに続きエルが入室する。

 きょろきょろと周りを見渡し、初めて見る物に興味を向けている。だが、やはりというべきか。睡魔に襲われ夢路へと誘われている。

 ヨハンは机の収まる椅子を引く。そして腰を下ろすと、寝台に向けて指をさした。


「エル、君はベッドで寝ると良い。僕は此処で休むから」


「べ、べっど。……あれはどう使う物、なのでしょうか……」


「おっと、それは失礼」


 抜けていたと椅子から立ち上がり、寝台の傍へ。

 綺麗に整った布団を半分程捲ると、


「この中に入って身体を休める為に使うんだ。……そうだね、初めて使うなら中々良い経験になると思うよ」


 中に入る様促した。

 エルは首肯をすると、体を傾け布団の中に入っていく。


「……!」


 一瞬。本当に一瞬で、エルの体を心地良さが包む。

 温かい、柔らかい、気持ちいい。あらゆる感覚が一斉に襲い掛かり、同時に彼女の意識を急速に奪い始める。


「……ぁ、よ、は……」


 彼の名前を紡ぐ前に、エルは瞼を閉じ、無事に夢の世界へと旅立っていった。


「ふふ、よっぽど疲れていたのかな。……おやすみ、エル。また明日ね」


 綺麗な黒髪を手指で軽く梳くと、再び椅子に腰掛ける。

 そして彼もまた、意識を奥底に潜らせていった。



 §§§



 意識の覚醒は、頗る調子が良かった。ベッドのお蔭だろう、とエルは思う。

 小さな口を軽く開き、欠伸を一つ。目を擦りながら周りを見て、色々な物を確認。そして彼女は安堵する。


 あの出来事は夢じゃなかった。彼はあそこから私を導いてくれたのだ、と。しっかりとその胸に、現状の幸福を噛み締めた。


「……?」


 が、しかし。

 その連れ出した張本人が見当たらない。

 首を傾げながら視線を巡らせるも、やはり彼の姿はない。


 もぞもぞと布団から這い出て、床に足をつく。ひんやりとした感覚が肌を通し身体に伝わり、微かに身を捩った。


「……どあ」


 エルは眠そうに目を擦りながら昨夜倣った単語を放つと、ドアノブに手を掛けて回す。扉は当然その役割を果たし、廊下への道を開く。

 廊下は部屋より幾らか気温が高かった。日向となっていることが大半の原因だろう。


 彼女は部屋の前で左右を見渡し何方に行くか迷っていると、ふと、目の前に大きな中庭がある事に気付く。

 透明な硝子で遮られたそこを、エルは何故か目を離すことが出来なかった。

 ぐるぐる、と廊下を回り中庭への出入り口を探す。


「……あった」


 思ったよりも早く扉は見付かった。

 慣れ親しみ始めたドアノブを回す、という行為をして中へ。


「……!」


 入った瞬間、エルは目を見開いた。

 穏やかな陽光が天窓から差し込み小さな〝庭〟を照らす。草木が何処か喜々として葉を振る様な、そんな錯覚を覚える程、此処は自然の活力で満ちている。


 エルは一歩、と足を踏み入れる。すると、先程の冷たい床の感触とはまた違い、くすぐったい様な気持ちいい様な、そんな不思議な感覚が足裏を通して伝わった。


(なんだろう……此処)


 多様な草木に加え色彩豊かな花々。それに小規模だが川を模した水まで流れているのだ。

 如何にエルが無知とはいえ、家の中にこのような設備がある事に違和感ぐらいは感じて。

 しかしその違和感は悪いものではない。彼女の中の好奇心を沸き立たせ思考をプラスに働かせる、その様なものだった。


「あ……」


 そこで。彼の姿を見付けた。白色のガーデンチェアに腰を掛け、書物を読んでいる。

 相当集中している様子で、かなり近い距離に居るエルにも気付いていないようだった。

 エルは邪魔しては悪い、と踵を返そうとするが、


「……!」


 ぺきり、と。落ちていた枝を踏んでしまった。

 本に集中していたヨハンも流石にその物音には気付き、視線が本からエルに向く。


「エル……?」


「ぁ……」


 邪魔をしてしまった、と申し訳なさそうに俯くエル。

 しかし彼はそんな事は全く気にしていないと言わんばかりに読んでいた本を閉じ、笑みを浮かべた。


「おはよう、エル。昨日はよく眠れたかい?」


「おはよう、ございます。はい、べっど……気持ちよかったです。す、すごく」


「そうか、それなら良かった。実はベッドも色々種類があってね。もっと柔らかいふわふわしたのとかあって僕はそっちの方が好みで……と、立ち話もなんだ。座って話そうか」


 ヨハンは立ち上がると、もう一つある椅子を引きエルを座るように促した。

 エルはこくん、と頷くとその椅子に座る。


「紅茶、飲む? リアの部屋からくすねてきたんだ。美味しいよ」


 ヨハンが指をさす先には、彼のを含め三つ分のカップが。

 彼はこういう所に気が利く男で、実に用意周到な人物であった。予め誰が来ても良い様に準備をしていたのだ。


 エルは紅茶が何を指す言葉かはわからなかったが、彼の指の先を見て飲み物だという事は理解し、首を縦に振る。


 空のカップにレア・ファールが注がれる。

 その香りがエルの鼻腔を擽り、自然と〝紅茶〟に対する好奇心が高まり始めた。


「はい、どうぞ。熱いから冷まして飲んでね」


「わかりました」


 ふー、ふー、と可愛らしい所作で紅茶を冷ますと、エルはカップを傾けた。


「……!」


 エルの口内に広がる〝美味〟。それは、彼女が生まれてこの方経験した事のない感覚だった。

 自然と瞼を持ち上がり、驚きを露わにする。


「美味しい……と、聞くまでもないかな、その顔は」


 その表情は紛れもなく喜びを含んだものだ。ヨハンもついつられて笑みを零すも、ふと、エルの事を考えた。


(昨晩聞いた限り、エルのこの世界への知識は零のようだ。しかし言語は僕達と同じものを使っているし、〝美味しい〟等の感情に付随する言葉も知っている。……言葉の意味は解る、しかし物は知らない……。……もしかして彼女は……)


 と、そこまで考えたところで。

 エルの視線が不安そうにヨハンに向いていた。

 思考に耽過ぎたか、と反省し笑みを浮かべる最中、


「……ヨハンさん。お話しても、良いですか?」


 そう、エルが切り出してきた。

 突如の事で少し呆気に取られるヨハンだったが、即座に首肯を返す。


「ああ、勿論。どんなお話かな?」


「ええ、と……昨日の、事で。まだきちんとお礼を言っていませんでしたから」


 かたん、と両手で持っていたカップを置かれると、エルは小さく頭を下げた。


「ありがとう、ございました。わたしを連れ出してくれて。……まだあそこから抜け出したばかりですけど、すごく……すごく、楽しくて、幸せで。こんな事がもっと沢山あると思うと、もっと幸せで。……う、上手く言えないのですが、その……」


 必死に言葉を紡ぐエル。不器用に胸の内を吐露する姿は、実に人間らしくて。


「貴方の手を取って、良かったです」


 思わず笑ってしまう程、素敵な表情を見せてくれた。

 それだけで、あの時手を差し伸べて良かったと、ヨハンは思った。


「……出ようと決めたのは君の意思で、手を取ったのは君の選択だ。僕はちょっと背中を押しただけに過ぎない。だから今幸せを感じているとするならば、それは君が勇気を出した結果だ」


 責務。彼女を縛る枷の一つ。

 その大事を捨ててまでエルは自由を渇望した。その結果が、無意識ながらヨハンへ〝声〟を送り、届かせ、あの場所へと導いたのだ。


「君はこれから沢山の経験をするだろう。嬉しい事、楽しい事、それに悲しい事や辛い事もあるかもしれない。だけどどんな時も、あの時踏み出した勇気を忘れないでほしい。そうすれば君は、きっと幸せな旅路を歩めるだろう」


 一歩を踏み出す為の小さな勇気。

 それを持てる者は少ない。人は新しい事を始める時、必ず何かしら理由を付けて足踏みしてしまう。その縋る理由が大きければ大きいほど背を向け、長い時間縛られていたこと程切り捨てる事が困難になる。

 そして、進む事を止めてしまう。


 エルはそれを乗り越えた。〝何者〟かに流されず、自分の意思を以て歩む道を選んだ。その事を、ヨハンは何よりも彼女に忘れずにいてほしかったのだ。


「……なんて。柄にもなく語ってしまったけど、君には今までの分、存分に楽しんで生活をしてほしい。その為なら僕は助力は惜しまないつもりさ」


 つい長々と語って自分に恥ずかしさを覚え、ヨハンは誤魔化す様に頬を掻くと話を転換した。

 エルはそんな仕草をぽかん、と見詰めると、


「……なぜ、そんなに良くしてくれるのでしょうか」


 不意に、思い当たった疑問を口にした。

 そして続ける。


「わたしは、言ってしまえば縁も所縁もない他人、です。お返し出来ることも、物もありません。それなのに……どうして」


「……」


 エルの言葉にヨハンは口を閉ざす。

 ――何故、どうして。ヨハンが彼女を助けた事に理由等ない。強いて言えば声が聞こえたから。助けて、と懇願されたからだ。彼女の感情を込めた叫びに心を揺れ動かされ、足が、手が、体が。彼女を助けろと反射的に動いた。それだけである。

 だから、これはきっといつもの■■だ。


「……ヨハン、さん?」


 エルの声に、ヨハンはハッ、と意識を取り戻す。


「ああ、ごめん。少し考え込んでしまった」


 彼は一度深呼吸をすると、何時もの笑みを浮かべた。


「そうだね……正直に言うと大層な理由はない」


「……ない、のですか……?」


「うん。……君は覚えがないようだったけど、僕には君が助ける声が聞こえたんだ。凄く必死で、苦しそうな声が。だから助けた、助けなくちゃと思った。……強いて言うならそれかな? ただ助けたいと思ったから手を伸ばした。それだけだよ」


 そう言うとこの話は終い、と言わんばかりにヨハンは立ち上がる。彼は元々饒舌な方ではない。あまり自分語りをした事がない故に、少々照れ臭さを覚えていた。

 エルも流れを察しのだろう。彼の回答に対して小さく微笑を浮かべる事で口を噤んだ。


「さて、理由も話した事だし……ちょっと出掛けようか」


「……! 出掛ける……ッ」


 外に行く旨を伝えた途端、エルの顔が輝きで満ちる。

 何せ、彼女にとっては初めてのお出掛けなのだ。好奇心が湧き出るのも無理はないというものである。


「この世界で過ごすなら一通り揃えなきゃいけない物があるからね。例えば服とか……うん、流石にそれはマズイから」


 エルの服装は灰色のワンピース、の様な物を羽織っているだけだ。靴も無ければ下着も付けてはいない。


 正直な話、このままでは隣を歩くヨハンが不審者として通報されてもおかしくはない状況だ。流石の彼もそれで檻に入れられるのは勘弁願いたい、と考えていた。

 カップの残る紅茶を飲み干す。するとエルもつられ、中身を何とか飲み干した。


「それじゃあ行こうか」


「は、はい。……その、リアさんは……?」


「ああ、大丈夫。この時間は絶対に起きてこないから。起こしたら逆に僕が酷い目にあうくらいさ。と、そういえば」


 二人とも談笑しつつ〝庭〟を後に。そのまま廊下を経由して玄関に向かったのだが、一つ問題点が。


「靴はどうしようか……。流石にそのままで行かせるわけにはいかないし……僕のもだけど、リアでもサイズが合わない……よね」


 ちらり、とエルの足を見るが当然成人の二人とは比較にならない程小さな足だ。

 しかし外に出る為には最低限、靴は必要である。

 どうするか、とヨハンが悩んでいると、


「あ……く…、靴、大丈夫です。このまま歩きます」


 そう、エルが切り出した。


「え? い、いや……でも石とか踏んだら危ないし」


「き、気を付けます! その、自分の素足で道を歩きたい、のです……。どんな風なのか、感じてみたく、て……」


 不思議な感性だ、とヨハンは感じる。だがそこまで言われては断るのも忍びなくて。

 彼女の意思を尊重することにし、彼は首を縦に振った。


「……うん、わかった。一応僕も道には気を遣うけど、しっかり足元を見て歩くように」


「……! ありがとう、ございます……!」


「ははっ、お礼を言われるような事は何もしてないよ」


 ぽすっ、とエルを頭を撫でればドアノブを回し、外へ。

 幸い今日の天気は快晴で、出掛けるには絶好の日和だった。


「それじゃあ……いってきます」


 ヨハンがそう告げた直後、エルはくるっ、と振り向き、


「――いってきます」


 軽く一礼をし、初めての〝お出掛け〟へと向かうのだった。

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