第8話:三割はあなたが埋めてくれました
冬の張りつめた空気。
朝と夜の境界にある倉庫街は、本来ならば、静寂な空気に包まれているはずであった。
ヴィクトリアが流した『北部騎士団による明日の一斉調査』という噂に、ガルダリカ軍は完全に乗せられていた。倉庫街から、荷馬車が数台出発した。しかし、ガルダリカ軍は、何か不穏な気配を察して一度出発した荷馬車をとめた。
「待て。」
北部騎士団の調査が入る予定になっているのに、警備の数が少なすぎる。ガルダリカ軍の副隊長は、周囲を見渡した。
「散れ、荷を捨ててもかまわん。一人でも、ガルダリカに戻り報告しろ。」
そう、告げるとガルダリカの工作員は一斉に四方へ散った。
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彼らの感じた違和感は、正しかった。
ヴィクトリアは、逃走経路を限られたものにしていた。
ヴィクトリアは、『逃走経路を少なくする事は可能ですが、事前に全てを潰す事は、不可能です。あとは、現場を見たあなたが指揮してください。』と、事前にカシアンへ頼んでいた。
(……これだけ、道をふさげばどうにかなる。)
カシアンは、考え得る逃走ルート全てに騎士団と警備隊を配置した。向こうは、一つでも部隊がガルダリカに到着すればいいと考え、戦力を分散させているはずだ。まず、突破される事は、ないと考えていた。
そして、林の出口。敵が荷馬車で飛び出した先に、カシアンは立っていた。空は薄明に包まれ、夜は終わりを告げようとしている。
「思ったより早かったな。」
カシアンがゆっくりと剣を引き抜いた。
「情報は後で聞く。一人だけ生かせ。始めろ。」
その一言で、周囲に潜んでいた北部騎士団と警備隊が一斉に動いた。
既に退路は塞がれている。工作員たちは、さらに四方へ散ろうとしたが、その先には、待ち伏せていた騎士たちが立っていた。
「慌てて、逃亡するからだ。」
カシアンは、ふと昨夜のヴィクトリアの言葉を思い出す。『人間は追いつめられると必ず失敗しますから。』カシアンは、少しだけガルダリカ軍に同情した。ガルダリカ軍一名を捕虜とし、工作員をカシアンたちは見事に制圧した。
(……生ぬるすぎるな。何か違和感がある。)
そこへ、一騎の軍馬が駆け込んでくる。跳ね上がる泥を気にも留めず、北部騎士団の兵がカシアンの前で鋭く手綱を引く。
「副団長、報告いたします。四方に散ったガルダリカ軍の残党は、予定通り全方角にて制圧。――ですが一部、東の廃倉庫に潜伏した模様です。今回の作戦を主導した者も、そこに潜んでいると見られています。
(やはり、そう簡単には終わらないか。)
「伝令しろ。全騎、東の廃倉庫に集結させろ。」
カシアンは、東の廃倉庫へ向かった。東の廃倉庫は、倉庫街の外れにある最も近い建物だった。
(潜伏するのに、ちょうどいい場所だな。)
「どうだ?」
カシアンは、先に潜伏していた騎士に戦況を確認する。
「敵の残党は、そこの廃倉庫に集結しているようです。残存兵力は十四名ほど。」
騎士は、状況を報告した。カシアンは、ぐるっと周囲を見渡した。裏口は、崩落しており、逃走経路は制限されている。
(一見、入れそうにない廃倉庫を選んだことが、仇になったな。)
「やはり、建物の構造上、彼らが逃走経路として選ぶのは、南の窓一択だな。」
カシアンは、一呼吸置き続けた。
「全員に伝えろ。俺が、港町の警備員と正面から入る。騎士団は、南の窓の外で網を張れ。一人も逃すな。」
「はっ」
カシアンの指示に迷いはなく、突入の合図が響いた。敵にとっては、絶望的な戦いだった。
正面からカシアンという怪物が突っ込んできたため、敵は即座に、南の窓へ向かって、必死に逃げようとする。だが、窓を飛び越えた瞬間。そこには、既に武器を構えたアドルシュタインの騎士たちが、待ち構えていた。
「な、なんで、待ち伏せされてるんだ……!?」
工作員の隊長が、絶望的に顔を歪めて叫ぶ。
逃げ道も、思考の先も、全て最初から読まれていた。ヴィクトリアが檻を作り、カシアンが確実に獲物を狩った。そうして、倉庫街の事件は終結した。
東の空には、もう、朝日が昇っていた。
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倉庫街での事件が解決し、港町には平穏が戻った。
工作員の荷馬車からは、アドルシュタイン領の詳細地図、北方街道の補給計画書、魔石鉱山周辺の測量図が発見された。それらは、旅人が持つにはあまりにも詳細で、軍が侵攻を想定した資料としか思えなかった。
捕えたガルダリカ軍は、その場で自ら命を絶った。証拠以上の情報は得られなかったが、ガルダリカ軍が、これほど深くアドルシュタインの領へ潜入していたのだ。それは、目に見えない巨大な戦火の足音が、すぐそこまで迫っている事を予感させていた。
帰路につく馬車の中。
二人は、狭い馬車の空間で、揺られていた。
カシアンが、ふと思い出したように、対面に座るヴィクトリアへ視線を向けた。
「なぁ、ヴィクトリア。一つ聞いていいか。」
「なんですか。カシアン。」
「お前、今回の作戦の成功率は、何割ぐらいだと思ってたんだ?」
ヴィクトリアは、流れるような黒髪を少し指先で整えながら、至って平然と答えた。
「あなたがいれば七割ほどは、成功すると確信していました。」
カシアンは一瞬、言葉を失い、それから苦笑した。
「俺が、現場に居て七割の成功率か?」
ヴィクトリアは、ゆっくりと紫水晶の瞳をカシアンへと向けた。そこには、表情に変化はないが、信頼の色が宿っていた。
「ええ。さらに残りの三割は、あなたが現場で埋めてくれると分かっていましたから。」
ヴィクトリアは何事もなかったように窓の外へ視線を戻した。ヴィクトリアの耳は、少し赤くなっていた。カシアンは、しばらく何も言わなかった。――空白の三割を、ヴィクトリアは最初から自分に預けていた。その事実だけで、十分だった。
こうして、二人の怒涛の新婚旅行は幕を閉じた。
つづく




