第7話:耳が熱い
暗闇に包まれた倉庫街。
魔石灯の灯が、ちらちらと倉庫街を照らしている。
その一角にある、ヴィクトリアが指定した倉庫の屋根裏に、二人は潜んでいた。昼間のうちに部下に捜査させていた経路は、見事に機能した。カシアンたちは、足跡を残すことなく敵の目を盗み、無事に屋根裏への潜入を果たした。
カシアンは、退路を二つ確保し、周囲に部下を配置してから、ヴィクトリアの同行を渋々認めた。床の隙間からは、下に集まった工作員たちの密やかな話し声が漏れ聞こえてくる。
暗号文の周期、ガルダリカの独自の訛り。
(……やはり、単なる旅人ではないですね。)
ヴィクトリアの意識は、完全に眼下の敵の会話へ集中していた。彼らの吐き出す一言一句を聞き逃すまいと、全身の神経を研ぎ澄ます。
「第七補給中隊……ガルダリカ北方軍の部隊番号だな。」
カシアンは、ヴィクトリアの耳元で小声で話した。
ヴィクトリアは、一瞬、耳元でのカシアンの低い声に怯みそうになるが、気を立て直して答えた。
(耳が熱い。)
「……商人や旅人では、ありませんでしたね。ガルダリカ軍の暗号文と部隊番号まで、確認できました。それだけ確認できれば大丈夫です。ここは、撤退しましょう。」
「証拠は十分だ。後は戻って騎士団を動かす。」
カシアンとヴィクトリアは、そっと屋根裏を離れた。闇に紛れ倉庫を抜けようと、人気のない道を二人で抜ける。遠くから、酒場の賑やかな喧騒がかすかに響いていた。
怪しまれないように繋いだ手は、客観的に見れば、夜道を行く恋人同士のようにも見えるだろう。
「昔はヴィクトリアが、よく俺の手を引いて歩いてたな。」
「ええ。あなたは少しでも目を離すと、すぐイザベラと無茶をしましたから。」
カシアンとイザベラは同じ年齢で、共に北方騎士団長だった父の指導を受けていた。幼い頃から二人が衝突するたび、二歳年上だったヴィクトリアがそれを引き留めるのが日常だった。
「ヴィクトリアだって、城下町へこっそり行ったり、一緒に無茶しただろ。」
カシアンが少し楽しげに振り返ると、ヴィクトリアは小さくため息をついた。
「あなた方は非合理な動きばかりします。何をしでかすか分からず、見ていられなかっただけです。……私には、年上として、あなた達を守る責任がありましたから。」
ヴィクトリアの過剰なほどの責任感の強さは、幼少期から存在していたのかもしれない。そして、雪の日の一件が、その責任感をさらに強くした。
「そうか。」
カシアンは、反論しなかった。
今は、ヴィクトリアの歩幅に合わせて傍にいればいい、そう考えていた。
二人が、倉庫街から宿屋への道へ合流しようとした時に、カシアンが何かに気づいた。
小声で、ヴィクトリアへ耳打ちする。
「……つけられているな。」
「やはり、ガルダリカ軍も無能の集まりというわけではないようですね。」
耳の熱さに気をとられないように、ヴィクトリアは冷静に言葉を返した。その瞬間、突然カシアンの腕が、ヴィクトリアの肩を引き寄せた。
「……!」
声を出す暇もなく、ヴィクトリアの身体がカシアンの胸へと強く引き寄せられる。
抗議の言葉を口にしようとした、まさにその時。風を切り裂く鋭い風切り音が、ヴィクトリアの横を駆け抜けた。カランと、小さな投擲ナイフがヴィクトリアの後ろへ転がった。何が起きたのか分からず、ヴィクトリアの瞳が大きく見開かれる。
カシアンは、彼女を片腕でしっかりと抱きしめたまま、すでに抜剣していた。その鋭い視線は、屋根上の闇に潜む敵の監視位置を的確に射抜いている。
「……っ。」
「そのままでいろ。」
カシアンは、鼓動一つ乱さない低い声で囁いた。
「おまえは、ここでじっとしてろ。」
カシアンは、視線で待機していた騎士団に合図を送る。潜伏していた騎士団が敵を追うが、敵は闇に紛れて逃走した。
「……恐らく目的は、確認だったな。」
「ええ、追撃する様子がないですから、私たちの動向を探っただけのようですね。」
二人は、宿へ戻り机の上へ地図を広げた。
「……やはり、こちらの存在も把握されましたね。」
「ああ。」
「ならば、悠長に監視を続ける時間はありません。盤面をこちらから動かしましょう。」
ヴィクトリアは、少し不敵な笑みを浮かべた。
「敵は、今夜中に拠点を移す可能性が高いな。」
カシアンは、腕を組んで考え込んだ。
「ええ、恐らく敵は、『何者かが、調査を行っている』事実に気が付いた状態である事が考えられます。恐らく、攻撃を避けた時の動きで、それが北部騎士団である事には、気が付いたでしょう。」
ヴィクトリアは、机の上の地図を眺める。
「ならば、彼らは二つの行動しか取れません。」
「証拠を移動するか、連絡員を走らせるか……?」
ヴィクトリアの言葉にカシアンが反応し、肯定するように彼女は、うなづいた。
「しかし、どちらも動かない可能性も考慮しなくていいのか?」
カシアンの疑問にヴィクトリアは、確信をもった様子で答えた。
「いいえ、それはありません。彼らは、軍です。指揮命令系統があります。独断で、その場に留まるような事はしないでしょう。」
「おまえが、イザベラのように騎士になっていたらな。恐ろしかったな。」
カシアンは、少し笑った。
「私は、アドルシュタイン家の当主であり、元、北部騎士団長の娘です。盤面を読むのは、得意なのですよ。」
ヴィクトリアは、羽ペンを持ち地図に書き込んだ。
「我々が何者か。こちらから、答えを提示して、差し上げましょう。」
「……なるほど。北部騎士団が補給拠点を発見した情報を流すのか。」
「ええ、そう信じさせれば、彼らは自ら証拠を運びだします。時間もありませんから、慌てて荷を動かすでしょう。そして、人間は追いつめられると必ず失敗しますから。」
少し沈黙し、カシアンは呆れた様子で笑った。
「敵からしたら悪夢だな。」
「……私はただ、相手が取りそうな行動を並べているだけです。」
ヴィクトリアは、平然と答えた。
「こちらは、人数が足りないな。港町の警備員に作戦を伝達するか。」
「そうですね。それは、北部騎士団副団長のあなたにお任せします。」
カシアンは、間をあけてヴィクトリアを見た。
「明日は、早いぞ。ヴィクトリア、ちゃんと起きろよ。」
「……起きられます。子供じゃありませんから。」
ああ、今日もあの狭いベッドで眠るのか……ヴィクトリアは部屋に鎮座するベッドを見て、少しため息をついた。
(いえ、今日は集中して寝ましょう。明日に備えなければ……。)
その日の夜のうちに、すべてはヴィクトリアの手配通りに動き出した。
『明日、北部騎士団が倉庫街の一斉調査を敢行する』そんな噂が、夜に紛れて瞬く間に街へと流れた。そして同じ頃、噂を聞きつけたガルダリカ軍の連絡員もまた、闇の中を走っていた。
つづく




