幕間1:明日から夫婦になるらしい
契約結婚が成立してからも、ヴィクトリアとカシアンの日常は、慌ただしく過ぎていた。
アドルシュタイン家領主としての膨大な政務に加え、自身の婚礼準備という過密なスケジュール。しかし、ヴィクトリアはそれを淡々と処理し続けていた。
(……結婚式なんて、非合理極まりない行事ですね。実行しなくても良いのでは?)
一瞬、脳裏にそんな考えが浮かぶが、ヴィクトリアはすぐにそれを打ち消した。アドルシュタイン家領主としての威厳を保つことは、今の彼女にとって絶対の義務だ。
「カシアンには、貴族の後ろ盾もありませんしね。だからこそ、きちんとしたお披露目の機会を作らなければ。」
誰に言い聞かせるでもなく、彼女は呟く。
これは、彼を侮らせないための戦いでもあった。
ヴィクトリアは、執務机の隅に置かれたドレスのデザイン画に視線をうつした。
結婚式後の夜会には、およそ似つかわしくない、黒を基調にしたデザイン。アドルシュタイン家が、元々黒を家紋の基調としているとはいえ、あまりに型破りだ。一瞬、ドレスと世間の目を天秤にかけるが、「気にする必要ありませんね。」と。ヴィクトリアは、呟く。
彼女は、アドルシュタイン家らしいこのデザインを気に入っていた。
何より、カシアンの黒髪と、あの淡いスカイブルーの瞳に、これ以上なく映える。彼の瞳の美しさを、夜の闇のような黒が最高に引き立てるはずだ。その確信を得た瞬間、ヴィクトリアの脳内から迷いは消え去り、そのデザイン画に決定を下したのであった。
――コンコン、執務室のドアを叩く音が聞こえる。
「入りなさい。」
ヴィクトリアの合図に扉は開かれ、一人のメイドが入ってくる。
「ヴィクトリア様。カシアン様がお過ごしになる客間の改装が終わったようです。」
「わかりました。後で、確認します。」
ヴィクトリアは、互いの業務効率を考え「夫婦別室が妥当である」と、結論づけ客間の準備を進めていた。
――まさか、カシアンのために用意した客間が、のちに一度として使われることがないなどとは、この時のヴィクトリアには、知る由もなかったのであった。
******
結婚式前夜。
魔石灯の灯が、ヴィクトリアの執務机を照らしていた。
結婚前夜にも関わらず、ヴィクトリアは書類の整理に追われていた。いや、正確に表現すると追われていた訳ではない。
(……いよいよ、明日ですか。)
視線を時計にうつす。
書類をさばく。
そして、また視線を時計にうつす。
明日の事に気をとられないように、まだ、締め切りには余裕がある決済の書類を確認していた。
―― ドンドン。執務室のドアを強めに叩く音がする。
「お父様ですね。何か御用ですか。」
「ヴィクトリア、ちょっと来なさい。」
「今は、忙しいのです。」
父の誘いにのることなく、ヴィクトリアは淡々と目の前の書類を捌いていた。
「いいから、来なさい。」
「……ご要件を言って下さい。」
「いいから~~!」
父は、必死に扉を叩いている。熊のような巨体からは、考えられないほど控えめな叩き方だ。ドア越しに、頑なに要件を話さない父を不信に思いながら、ヴィクトリアは執務室のドアを開ける。
「……なんですか。」
「ついてきなさい。」
父は、扉を開けたヴィクトリアに満足な笑みを浮かべ、ついてくるように促した。渋々、ヴィクトリアは父について行く。
父に案内されたのは、アドルシュタイン家の食卓の席であった。
ヴィクトリアが席に着くと、次々と豪華な食事が運ばれてくる。最後に色とりどりの鮮やかな果物で飾りつけられたケーキをワゴンにのせ、イザベラとエレナが到着する。
「私は、カシアンが義兄など……ぜったいに認めん。」
イザベラは、不機嫌そうな様子で渋々部屋に入ってきた。
「ヴィクトリアお姉さま。独身最後の夜ですね。私は、安心致しております。お姉さまが生涯独身のまま、執務机で発見される未来が消えましたので。」
エレナは、淡々と告げるとケーキを机の上にそっと並べた。
「これは?」
驚いたヴィクトリアの様子を気にせずに父は、涙ぐみながら言った。
「独身最後のパーティだ!!!!」
「……契約結婚ですよ。何も変わりません。」
それだけ言うと、いつものように様子のおかしい父を無視し、ヴィクトリアは席についた。
食卓には、豪華な食事が並べられていた。整然と並ぶ食器の横に、見慣れない色とりどりの箱が並べられている。
「……こちらは?」
「まあ。開けてみなさい。どれからでもいいから。」
ヴィクトリアの疑問に、父は泣きながら答えた。
ヴィクトリアは、一番大きい箱を開けた。中には、宝石が施された短剣が入っている。彼女は、贈り物の意図がわからず沈黙した。
「姉さま。カシアンは、油断ならない男だからな。これは、護身用の剣だ。」
イザベラは、鋭く目を光らせ真剣な表情で言った。
「イ、イザベラ~~~!カシアンくんは、そんな悪い男では……。」
「父さまも、よく知っているはずだ。」
父は、熊のような巨体を震わせ、慌ててイザベラの言葉を取り消そうとした。しかし、イザベラは、はっきりと否定する。
「まあ、確かにヴィクトリアしか見……。」
「ヴィクトリアお姉さま!私のプレゼントも開けてみて下さい。」
父親の言葉を遮り、エレナは一番分厚い箱を開けるようにヴィクトリアに伝えた。
ヴィクトリアが箱を開けると、中には分厚い一冊の本が入っていた。
「ヴィクトリアお姉さま。こちらは婚姻生活で発生する法的問題をまとめた資料です。参考にして下さいませ。」
「エレナ、素敵な贈り物ですね。助かります。」
ヴィクトリアは、微かに笑った。
そして、ヴィクトリアは、最後に残された小箱を開けて珍しく驚いた表情を見せた。
「……!これは。」
小箱の中には、ヴィクトリアの瞳と同じ紫水晶を中心に使用したデザインの髪留めが入っていた。その小箱の中身を見て、ヴィクトリアに何とも言えない懐かしい気持ちが湧き上がる。
(これは、お母様がよく使用していた物ですね。)
「懐かしいですね。まだ、持っていたのですね。」
母の瞳の色と同じ、紫水晶の髪留めをヴィクトリアは、しばらく眺めていた。
「わたしが妻の愛用品を処分する訳ないだろう?ヴィクトリアが、結婚する時に渡そうと思っていたんだ。おまえの瞳の色に合うだろう。」
父は、ずっと泣いていた。
「お父様、ありがとうございます。」
ヴィクトリアは、執務室で髪留めを付け書類に向かっていた母の背中を思い出した。
(お母様、見守っていて下さい。)
ヴィクトリアは、髪留めを手に取り、そっと漆黒の髪を紫水晶で飾った。
******
魔石灯の光が、ゆらゆらと酒場を照らしている。
賑やかな酒場で、カシアンと北部騎士団の仲間は、盛大に騒いでいた。
「副団長、幸せになってください。」
「副団長〜〜!!ほんとに結婚するんですかぁ。」
「副団長が結婚したら、女性が泣いちゃいますね。」
「でも、相手がヴィクトリア様ですからね⋯⋯。誰も反対できないですね。」
北部騎士団の騎士たちは、すでに酔っぱらっており、次から次へとカシアンに言葉を投げかけていた。
「ああ。」
カシアンは、琥珀色のお酒を飲みながら、短く返答する。
「副団長、プロポーズの言葉は何にしたんですか?」
一人の騎士が、尋ねた。
「⋯⋯まだだ。」
カシアンが、騎士の言葉に一言返答すると、妻子持ちの騎士が声をあげた。
「副団長は、まだ若いから、分からないかもしれませんけど。プロポーズは、きちんとしないと!!うちの妻なんて、プロポーズしなかった事を、ずっと根にもってますよ?」
(……ヴィクトリアは、契約結婚のつもりだしな。)
カシアンは、しばし沈黙して、相槌だけうった。
「では、俺は明日早いから、もう行く。」
カシアンがそう言い立ち上がると、一同「起立」と騎士団員に号令がかかる。
「副団長!ご結婚おめでとうございます。」
北部騎士団員の声が、酒場に響いた。
******
カシアンは、邸宅に戻り寝支度を済ませた。
寝室の魔石灯を消し、寝床につこうとする。
目を閉じると『プロポーズの言葉は、何にしたんですか?』先ほど問われた騎士団員の言葉が頭をよぎり、体を起こした。
寝室の執務机の引き出しを開けると、そこには、小さな小箱が入っていた。中には、ヴィクトリアの瞳の色と同じ、小さな紫水晶をあしらったシンプルなデザインの指輪が入っていた。
カシアンは、渡せていない指輪を眺めた。
それは、契約を結んだ日に密かに購入した指輪だった。
幾度となく渡そうと思ったが、渡せなかった指輪。
(俺がヴィクトリアの隣に立てる男だと。証明できた時だな。)
カシアンは、その指輪を再び引き出しの中に仕舞った。
そして、深い眠りについた。
こうして、二人の結婚前夜は終わっていった。
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