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女帝ヴィクトリアの契約結婚物語〜幼馴染の女帝が恋愛を業務処理するので、年下騎士副団長は契約結婚して最後まで隣にいることにしました〜  作者: ななめ尚央
第一章 恋愛なしの契約結婚

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第2話:雪の日の記憶

 


 あの日の雪を。

 カシアンは、今でも覚えている。


 ヴィクトリアの母が亡くなったのは、彼女が十六の冬だった。


 幼馴染であり、アドルシュタイン家と親交があったカシアンは、母に連れられ葬儀に参加する事となった。


 葬儀が行われた礼拝堂の窓には、絶え間なく雪が打ち付けられていた。灰色の空から落ちる雪は音を吸い込み、人々の嗚咽さえ遠く感じられる。


 祭壇の前には白い花で飾られた棺が置かれていた。


 だが、その中は空だった。


 葬儀と言っても、ヴィクトリアの母親の遺体は、棺の中には入っていなかった。事故で川底に馬車ごと沈んで、行方不明となったらしい。詳細を知る者は、誰もいなかった。


 空になった棺の前で、アドルシュタイン家は深い悲しみに包まれていた。


 ただ、ひたすら、泣き崩れる父親。

 空になった棺に怒りをぶつける次女のイザベラ。

 無表情で棺を見つめる三女のエレナ。


 ……ただ、凛とした姿勢を崩さず、立っていたヴィクトリア。


 誰よりも冷静に見えた。

 だが、カシアンには分かった。


 彼女は、一度も棺を見ていなかった。


 葬儀が終わった後、雪が降る礼拝堂の裏庭に座っているヴィクトリアの影を、カシアンは見つけた。


「ヴィクトリア。」

 そっと声をかけ、カシアンはヴィクトリアの隣に、さり気なく座った。


「お母様が亡くなったなんて、なんだか不思議ね。まだ、今日も執務室でペンを握っているような気がしているの。」


 ヴィクトリアは、自分の胸にあるこの奇妙な感情を、どう言葉に表せばいいのか分からなかった。


 悲しいのか。

 寂しいのか。


 ……それすらも、わからない。


 分かっているのは、ただ一つ。

 これまで、領地管理を完璧にこなしていた母が、もういないということ。


 父は泣いていた。

 イザベラは、怒っていた。

 エレナは、棺を見つめていた。


 ……誰かが、立たなければならない。


 騎士としては優秀だが、どこか頼りない父。

 まだ、幼い二人の妹たちを、私が守り抜くのだと。


 涙を流すことすら忘れた彼女の胸を占めていたのは、重い責任感だった。


 カシアンは、返事ができなかった。その代わり、凛と背筋を伸ばしたヴィクトリアの横顔を、ただ見つめていた。


 ヴィクトリアは、視線をまっすぐに降り積もる雪を見ていた。


 カシアンは、ヴィクトリアの事をずっと強い人だと思っていた。

 何があっても迷わない人だと。


 けれど今の彼女は、空の棺を見る事すらできなかった。


 ヴィクトリアは、雪から視線を外した。そして、少し震える手を、寒さを誤魔化す形で、祈るように両手を固く握りこんでいた。


 辛いのか。

 苦しいのか。

 悲しいのか。


 まだ、十四歳のカシアンには、ヴィクトリアの今の感情がどこにあるかは、理解できなかった。ただ、いつもより少しだけ不安そうではあるが、凛としたヴィクトリアの姿から、目が離せなかった。


 カシアンは、その手を無意識のうちに、両手でそっと包み込む。


「寒くても、大丈夫だ。」


 思っていた以上に、ヴィクトリアの手は冷たかった。カシアンは、一瞬戸惑った。


 ヴィクトリアは、少し驚いた瞳でカシアンを見つめた。カシアン自身、何を言葉にして良いのか分からなかった。ただ、少しでも、彼女が温まれば……それだけだった。


「……俺は、ここにいる。」


 今のカシアンには、その言葉だけで精一杯だった。


 そして、雪はどこまでも、ただ静かに降り続けていた。




******




 あの日の言葉を、カシアンは思い出していた。

 六年近くの時が流れた今も、結局、自分は同じ場所に立っているらしい。


 小さく息を吐き、カシアンは婚姻契約書へ視線を落とした。そして、迷うことなく、自らの名を書き記した。


「きちんと、確認しなくて良いのですか。カシアン。」

 何も言わずに、サインした様子にヴィクトリアは、少し戸惑った。


「……確認ならした。問題ない。」


 カシアンは、契約書を閉じた。


 そこには財産管理の条項。

 家門の義務。

 互いの権利。


 そして、本契約が私的感情を前提としないことを確認する一文。


 全てが非の打ち所がないほど、完璧に細かく記載されていた。ヴィクトリアばかりが得をする内容でもなく、カシアンが不利になるような内容でもない。公平性を保っている。


 カシアンは、ペンを置いた。


 執務室には静寂が落ちていた。

 窓の外では、沈みかけた夕日が空を赤く染めている。茜色の光は、向かいに座るヴィクトリアの横顔を静かに照らしていた。


 ……あの雪の日の横顔も、夕日に照らされた今の横顔も、ずっと同じ横顔だった。


 カシアンは、契約書をヴィクトリアに差し出した。

 ヴィクトリアは、すぐに契約書へ自分のサインを書こうとした。


 カシアンは少しだけ、ヴィクトリアらしさに笑った。


「ヴィクトリア。」


「なんですか。」

 名前を書こうとして、突然カシアンに呼び止められたヴィクトリアは、少し驚いた。


「……おまえは、本当にいいのか。」

 カシアンは、ヴィクトリアに真顔で言った。


「どういう意味ですか?」

 ヴィクトリアには、質問の意図が理解できなかった。


「私的感情を前提としないことを確認する一文が書かれている。」


 ヴィクトリアが提示した婚姻契約書には、『本契約は、アドルシュタイン家の安定的な運営および家門の維持を目的として締結されるものである。当事者は、恋愛感情その他の私的感情を前提として成立するものではないことを確認する。』との内容が書かれていた。


「ええ、契約ですから。」


 一瞬、ヴィクトリアは沈黙したが、すぐに言葉を続けた。


「恋愛的な私的感情をもつのは、よくありません。」


 ヴィクトリアは、少し動揺し視線を外した。しかし、視線を外されたカシアンは、彼女が逃げることを許さなかった。戸惑うヴィクトリアをまっすぐに見つめた。



「お前、本当に俺を好きにならないんだな?」



 ヴィクトリアのサインをする手が、完全に止まった。



 カシアンは、何も話さず、その姿を、ただ見つめていた。



つづく




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