第9話:そちらの旦那様は、役に立ちましたか?
新婚旅行を装った北方港町の潜入調査は、誰もが予想だにしない結末を迎えた。
税収の合わない旅人たちの足跡を追った結果、ヴィクトリアとカシアンが辿り着いたのは、旅人ではなく、隣国ガルダリカが配置した工作員集団であった。
アドルシュタイン領へ戻るや否や、ヴィクトリアは重臣たちを集めて緊急会議を開いた。
「拠点からは、補給計画書、魔石鉱山の測量図、我が領の詳細地図が発見されました。」
ヴィクトリアは淡々と報告書を読み上げる。
「現時点で、侵攻を断定することはできません。しかし、ガルダリカが、軍事行動を想定した準備を進めている可能性は極めて高いでしょう。」
会議室の空気が重く沈む。
「……戦争の準備ですか。」
家臣の一人が重い口を開いた。
「まだ確定事項ではありません。」
ヴィクトリアは静かに首を振る。
「ですが、ただの国境の小競り合いで済む話ではないでしょう。国へ報告書を送ります。」
国家規模の工作活動。
そして、その裏付けとなる膨大な情報と数字。
ヴィクトリアから送られた報告書が王城へ届いてから、わずか数日後。アドルシュタイン邸へ、国王からの緊急召喚状が届けられた。
「……思ったより早いですね。」
封蝋を見つめながらヴィクトリアが呟く。
「無理もない。」
カシアンは腕を組んだ。
「王都に出向している騎士団長――ガレス団長からも、ガルダリカとの外交が難航していると報告が入っている。」
ヴィクトリアは静かに召喚状を閉じる。
港町で見つけた小さな違和感は、いつの間にか国家を揺るがす問題へと姿を変えていた。
二人は休む間もなく、次なる舞台である王都へ向かうこととなる。
******
北方の岩山を背に、ヴィクトリアとカシアンは王都への道を進んだ。平原を越え、森を抜け、幾つもの宿場町を通り過ぎる。
そして、数日後。
アイゼンガルト王国の中心たる王都の城壁が、二人の視界へ姿を現した。積み上げられた白亜の城壁は、北方の要塞都市とは異なる威厳を放っている。その中央には、王城へ続く巨大な門が開かれていた。
馬車が門へ近づくと、衛兵たちが一斉に姿勢を正す。
「アドルシュタイン侯爵閣下、ご到着です。」
先頭の衛兵が頭を下げた。
「国王陛下がお待ちです。」
「ご苦労様です。」
ヴィクトリアは軽く頷く。
王城へ続く石畳を馬車が進み、正面玄関へ到着する。
カシアンが先に馬車を降り、鋭い視線で周囲の安全を確認した。それから、ふっと表情を和らげる。そして、自然な動作で、ヴィクトリアへと大きな手を差し伸べ、エスコートした。
「――おい、副団長。」
聞き覚えのある明るい声に、カシアンは小さく眉をひそめた。振り返ると、そこには一人の美しい騎士が佇んでいた。
光を弾く白銀の髪に、端正な容姿。軍服をスマートに着こなす体は驚くほど強固だが、その表情には一切の壁を感じさせない明るい陽気さが満ちている。
「久しぶりだな。」
アドルシュタイン騎士団長、ガレス・アークライトだった。
「……団長。」
「お久しぶりです。ガレス団長。王都での任務ご苦労様です。」
ヴィクトリアは、小さく頭を下げる。
「アドルシュタイン侯爵、御前会議へのご出席、心より歓迎いたします。」
ヴィクトリアへ流麗な一礼を捧げた男は、そのままスッと視線をカシアンへと移し、白い歯を見せた。
「……で、そちらの『旦那様』は、少しはヴィクトリア様の役に立てたか?久しぶりだな、カシアン。」
「余計なお世話です。団長よりは、役に立っているつもりです。」
じっと睨むカシアンに、ガレス団長は、声を立てて笑う。そのカラリとした明るい空気が、長旅の緊張を自然と解きほぐしていった。
「おまえが、ヴィクトリア様をエスコートする日が来るとはな。」
「団長、静かにしてください。」
『北の城壁』と恐れられる男も、ガレス団長の前では少し幼さが残る。
「ヴィクトリア様。結婚式に参加できず、申し訳ありません。」
「気にする必要はありません。契約的な婚姻ですから。」
ヴィクトリアの固い様子に、ガレス団長は陽気に笑う。
「幼かったヴィクトリア様と、カシアンが結婚するなんて……感慨深いな。良かったじゃないか、カシアン!」
「団長、黙って下さい。」
「はははっ!」
ガレスは堪えきれずに声を放って笑ったが、次の瞬間には、その端正な顔立ちから、すっと笑みを消した。
「さあ、積もる話もあるが後だ。では、侯爵閣下、副団長。行きましょうか。」
*******
王宮の最深部、重厚な円卓が置かれた軍議の間は、張り詰めた沈黙に支配されていた。上座には、アイゼンガルト王国を統べる国王が座し、その周囲を古参の重臣、有力領主、軍を預かる将たちが並んでいる。その中央で、ヴィクトリアは冷徹なまでに凛とした声を響かせていた。
「――以上が、ガルダリカ国境付近の町で発見した工作員の補給拠点、および敵勢力の動線調査の全容です。」
報告書へ目を落としていた老臣の一人が眉をひそめる。
「信じ難い話だ。隣国ガルダリカが、これほど大規模な工作活動を行っていたというのか?」
「事実です。」
ヴィクトリアは即答した。
「発見された物資、偽名による宿泊記録、人員の移動経路。すべてが一致しています。」
「だとしても早計ではないか?」
別の領主が割って入る。
「……我が国の外交官による事態の沈静化交渉は、未だ継続中のはずだが。いきなり戦争を前提に動けば、こちらが緊張を高めることになる。」
室内に小さな賛同の声が広がるが、ヴィクトリアは表情一つ変えない。
「では質問します。交渉が成功する見込みは、どれほどありますか?」
ヴィクトリアの声は、静かだった。
「成果は上がっていません。不穏な空気が広がっているだけです。」
アイゼンガルトの外交官が声をあげ、ヴィクトリアは頷いた。
「彼らには、もう時間がないのです。」
ガレスが一歩前へ出た。先ほどまでの陽気な姿を完全に消し、軍人としての硬い声で引き継ぐ。
「我が騎士団の調査でも同様の結果が出ています。」
軍人らしい硬い声が響く。
「現在ガルダリカ国内では、過去に例を見ないほどの深刻な凶作が発生しています。さらに、北西で急速に勢力を拡大する我が国への警戒心も強い。」
ガレスは円卓を見渡した。
「国内の飢え。不満。そして外敵への恐怖。追い詰められた王が選ぶ手段として、戦争は十分にあり得ます。」
「まさか本当に侵攻するというのか……!」
ざわめきが広がる中、ヴィクトリアはその声を引き継いだ。
「北方の豊かな穀倉地帯と鉱物資源 。国内の爆発寸前の不満を外へ逸らし、同時に飢えを凌ぐための食糧を手に入れる。追い詰められた彼らにとって……我々は、あまりにも魅力的な標的です。」
沈黙が落ちる。
じっと話を聞いていた国王が、深く玉座に身体を預けて息を吐く。
「……アドルシュタイン侯爵、見事だ。しかし、世は戦争を望まぬ。」
一斉に息を呑んだ重臣たちが、恐る恐る玉座へと視線を向ける。感情を完璧に排した面持ちからは、何も掴めない。
「外交は継続する。」
国王の視線がガレスへ向いた。
「北部騎士団長ガレス・アークライト。北部騎士団を戦時警戒態勢へ移行せよ。」
「御意。」
「アドルシュタイン侯爵、北方領の防衛計画を再確認せよ。」
「承知致しました。」
国王は、最後に円卓全体を見渡した。
「余は戦争を望まぬ。だが、国を守る責務から逃げるつもりもない。」
静かな声だった。
誰一人として口を開かなかった。
戦争は、まだ始まっていない。
だが、その巨大な足音だけは、確実に。
そして、容赦なくアドルシュタイン領へと近づきつつあった。
つづく
第三章、準備編が始まりました。
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読んでくださり、ありがとうございました。




