93.算段
「ウメ様っ。なぜ斯様な……あっ、足にお怪我をなさったんですかっ?」
駆け寄って来るなり、お綾さんは私の足を心配そうにじっと見つめる。
「怪我というか、肉刺ができてしまって……お綾さんはどうしてこんなところに?」
「朝からウメ様に会いに作業場に行ったら、家で療養してるって言うやないですか。せやからお見舞いにってお粥作らせ……作って家に行ったら誰もおらへんで、心配して探してたところや」
ってことは、二人が「逃げるでっ」ってうちに来たのはお綾さんから逃げるため?
「そのお粥はどこやねん?」
手ぶらのお綾さんに春蝶さんが問う。
「重いから先生の家に置いて来たに決まってるやろ。それより、怪我人を連れてどこ行ってはったん?」
「どこでもええやろ。見舞いならいらへんさかい。わしらも作業場戻らなあかんし……」
「良くないっ。ウメ様の怪我が酷うなったらどないするつもりや?」
「ただの肉刺で大袈裟やなぁ」
「あんたの肉刺はただの肉刺やが、ウメ様の肉刺は大怪我やっ。一緒にせんといてくれる?」
お綾さんと春蝶さんがぎゃあぎゃあ騒いでいると、春陽さんがわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「わしら急いでるさかい、お綾さんも今日は遠慮してくれるか? 春蝶っ、行くでっ。」
「ちょっと。あたしの用はまだ済んでへんのやけどっ」
「せやから、日を改めてくれへんか?」
「もうっ。茶会を開いたのはあたしやでっ。そのあたしに何か一言くらい言うことがあるやろっ」
「なんや。礼を言わせるために梅吉はんに会いに来たんか?」
「違うわよっ。北斎と会ってどうやったかとか、料理が口に合ったかとか……」
そっか。お綾さんが企画して準備もしたのにお茶会に参加できなかったから、いろいろ気になってたんだ。
藤織屋の旦那さん達は後片付けとかいろいろあって、まだ帰れてないから。
「お綾さん、ありがとうございました。お綾さんのお陰でとても素敵な時間を過ごせました。本当に……楽しかったです」
私がそう言うと、お綾さんは頬を赤らめて「良かった」と小さく呟いた。
が、すぐに顔を上げて真っ直ぐに私を見つめた。
「で? それやったらウメ様は大坂に残るねんな?」
あ。そっか。
お綾さんが茶会を開いたのは私を大坂に引き留めるためだった。
「大坂に残るって……梅吉はん、どっか行くんか?」
春陽さんが問う。
お綾さんの恋心を諦めさせるために吐いた嘘だと説明する訳にはいかない。
それにこんな嘘は長く続かない。
でも、諦めさせなきゃいけない。
お綾さんの未来を守るためにも。
「どこにも行きません」
私が否定するとお綾さんは心底安堵した様子で「ホンマに?」と笑顔を見せた。
「でも、お綾さんとはもう会えません」
「えっ? ウメ様……それはどういう……?」
「北斎と会って私の絵はまだまだだと実感しました。これからはもっと真剣に絵を描きたいと思ってます。なので、お綾さんと会う時間は……」
「それやったらあたしが会いに行くさかい、何も問題あらへんでっ」
ポ、ポジティブすぎる。
「い、いえ。そういうことではなく……集中したいので……」
「邪魔なんかせぇへんしっ。ただ傍で見とくだけやしっ」
それだとストーカー……でも、必死に見上げて来るお綾さんが健気で可愛く見えた。
い、いやっ。でもっ、諦めさせないとっ。
「傍におるんも気が散るさかい。悪いが作業場は遊び場と違うねん。せやから、もう来んといてくれんか?」
春陽さんが素っ気なく言うと、春蝶さんが肘で小突いた。
「そないに無下にせんでもええやないか。わしはお綾はんが来るんは歓迎やでっ。差し入れや茶会まで開いて貰うといて、そないな態度は良うないと思うで?」
春蝶さんが取り繕うもお綾さんの視線は私に向けられたままだった。
「……あたしのこと、嫌いになったん?」
「い、いえ。違っ……」
いや、これは嫌いだと言った方がお綾さんのためにはいいのかな?
「分かった」
お綾さんはそう短く言って、踵を返し、走り去ってしまった。
「あないな言い方して良かったんか? 大事な後ろ盾やったんやないんか?」
春蝶さんが怪訝そうに問う。
「お綾さんにとってこれが最善なんです。それに前にも言いましたけど、お綾さんも藤織屋も私の後ろ盾とかじゃないです」
「それにしてもやで。嫌われたらわしらにとばっちりが来るんやで? あの娘の機嫌がわしらの飯に繋がっとるんやから」
確かにこれは単なる恋愛感情だけの話じゃない。
お綾さんの未来も守りつつ、治兵衛さん達の生活も守らないといけない。
となると、やっぱりお綾さんに嫌いだと言うのはマズいかも。
「そないに心配せんかて、ええんやないか? 春好はんが新しい画号名乗ってくれはったら解決するやろ?」
春陽さんの言葉に私と春蝶さんがハッと目を見開く。
確かにそうだ。
「ほな、早う戻らへんとっ」
春蝶さんが慌てて走り出す。
その後を春陽さんが溜息を吐きながら、足早に歩きだした。
途中、草履とお綾さんがくれたお粥の鍋を取りに家に寄り、そのまま作業場へと向かった。
「ウメッ? なんで連れて来たんや?」
二階に上がるなり、治兵衛さんが春蝶さんを叱った。
「昨日は三人も抜けてしもたさかい。足の怪我くらいやったら絵は描けるやろ?」
春蝶さんが言い返す。
「ここまで歩かせたんかっ。余計酷うなったらどないすんねんっ」
「なんやぁ? わしらと扱いがえろう違うやないかっ」
「春蝶っ」
今にも殴り合いの喧嘩を始めそうな雰囲気に割って入ったのは春陽さんだった。
「春陽っ、お前もなんか言ってやれやっ」
「春蝶っ。何しに戻ったかもう忘れたんかっ」
春陽さんが窘めると、春蝶さんが不機嫌そうに口を閉じた。
「春好はん、折り入って話があるんやが……」
春陽さんが切り出す。
「なんや? 真面目な顔して」
「わしら三人から頼みがあるんやけど」
「頼みぃ? どっか場所移した方がええんか?」
治兵衛さんが怪訝そうに私達を見つめる。
「いや。ここでええ。ここの皆に関わりのある話やさかい」
その一言で益々怪訝そうに眉間に皺が寄る。
「茶会で出た画号の話や」
春蝶さんが本題を切り出すと、治兵衛さんの表情は曇った。
「その話は改めて断るつもりや」
背を向ける治兵衛さんに「話くらいさせてんか」と春蝶さんが呼び止める。
「春好はん一人の問題やあらへん。わしら三人共同じ意見や。受けてくれへんか?」
春蝶さんの言葉に治兵衛さんが振り返った。
「三人ってウメもか?」
問われて頷くと、治兵衛さんは少し黙り込んだ後。
「ほな、話だけ聞いたるわ」
そう言ってその場に座り込んだ。




