88.お茶会 ⑥ 雪景色
食事を終え、再び紙の前に座る。
縁側から雪のない庭を臨む。
どう描けば雪の庭になるか、どんな庭なら私でも写実的に描けるのか。
答えが出ないまま、筆を執る。
しっかり積もった雪だけが雪じゃない。
降り始めたばかりの雪も雪だ。
治兵衛さんからそうヒントを貰ったけれど、ふと本当にそれでいいのかとも思った。
北斎は思いつきで雪の庭を描こうと言った。
北斎はただ写生したいだけだったのかもしれない。
でも、ここに来てる版元の人達は誰が一番上手に雪の庭を描くか、それに期待しているとは思えなかった。
さっきの会話で版元はただ絵師の絵を販売するだけじゃないと分かった。
以前、治兵衛さんも版元が指示した通りの絵を描かなければいけないと言っていたし。
なら、版元がこの場で見たい雪の庭は何だろう?
考えている間にも時間は刻一刻と過ぎて行く。
答えの出ないことをぐるぐる考えても無駄だ。
それより、とにかく今は私にも描ける雪の庭を描かなきゃ。
私の得意なことは『写真のような絵』だ。
ん? 写真?
そうか。写真だ。
私にも描ける雪の庭があった。
思いついた私は立ち上がり、藤織屋の旦那さんを探して新しい紙を一枚貰った。
描けるものだけを描けばいい。
思いついたら一気に気が楽になり、勢いよく筆を滑らせる。
そして。
私が筆を置くと、「こちらでよろしおますか?」と前掛けをした男性が隣に膝をついて話しかけて来た。
よろしいって何が? という顔をしていたら。
「出来上がりということでよろしおますか?」と再度訊かれた。
「あ、はい」と返事をすると、「失礼します」と男性は恭しく紙を両手に持ち、どこかへと去ってしまった。
治兵衛さんと春蝶さんを交互に見やると、二人も描き終えたようで、別の男性に紙を持ち去られていた。
「準備が整いましたので、皆様どうぞこちらへ」
しばらくして、藤織屋の旦那さんの合図で部屋の中央へ促される。
そこには大きな机があり、そこに私達の絵が並べて置かれていた。
「座られていた順に並べさせて貰いました」
北斎の絵は?
真っ先にそこに目が行く。
雪が徐々に降り積もって行く様子を描いた、見事な絵だった。
風に舞う雪と薄く積もった雪。
そこには動きと時間が感じられた。
白黒なのに色が見えるようだった。
「あれは何やの?」
版元の視線が集まっていたのは……私の絵だった。
そのざわつきに北斎の視線も私の絵に向く。
けれど、私の目は治兵衛さんの絵に釘付けになった。
厚く降り積もった雪の庭に一羽の鶴が舞い降りた瞬間を描いた。
羽を広げた鶴が真っ白な雪の上に着地し、片足を上げて一歩踏み出そうとしている。
その片足がつけた足跡が雪の上にくっきりと残っている。
まだ誰も足跡をつけていない雪の上に足跡をつける。
それはとても誇らしく幸せな気分になる。
なんだか絵の中の鶴は北斎に会えた喜びを表現しているように思えた。
雪の庭という動きのないお題なのに、鶴が一羽いるだけで絵が動いて見える。
北斎の絵も同じだった。
舞い落ちる雪があるだけで、庭に時間が流れている。
対して私の絵は。
見たものしか描けないから、ぼやけた雪の庭を描いた。
手前に広げた手のひらを大きく描いて、その上に小さな雪の結晶を描いた。
手のひらは自分の手を見ながら描いた。
雪の結晶は昔たくさん描いたことがある。
初めて雪の結晶を見た時、なんて綺麗なんだろうと感動した。
今でも雪が降ると結晶を見たくなる。
写真のピントを思い出して、ぼやかすことを思いついた。
くっきり描かなければ私にも雪の庭は写実的に描ける。
「こないな絵を見たことありまっか?」
本清さんが塩長さんに問う。
塩長さんはただ黙って両腕を組み、じっと私の絵を見下ろしていた。
「手のひらに載っとるんは何やの?」
本清さんが私に問う。
あ、そうか。
まだ雪の結晶って知らない?
でも肉眼でも見えるから見たことはあるんじゃ……?
「雪の……結晶です」
言ってしまっていいものか迷ったけど、この時代に存在しないものじゃないから正直に答えた。
「ケッショウって何やの?」
本清さんがさらに問う。
「雪って一つ一つはこんな形をしてるんです。近くで見たことないですか?」
開き直って説明する。
「雪なんざ何度も見とるがな。せやけど、こないな形しとるやなんて……誰か知ってはった?」
本清さんが周囲を振り返りながら声を掛ける。
「確かにこないな形してるで」
そこに声を上げたのは春蝶さんだった。
「桶に水入れたまんま外に出してたら、その上に雪が積もっててな。そん時に近づいて見たら、こないな形のもんがびっしり見えたわ。触るとすぐ消えてまうさかいな。手に取ってじっくり見たとかじゃないんやけど……」
まさか隣から助け舟が出るとは。
本当に春蝶さんの観察眼は鋭い。
「それにしても梅吉はん。手前をはっきり描いて、奥のもんを霞ませるやなんて……こないな技法をどこで習うたんや?」
春蝶さんの質問に版元の三人の視線も私に集まる。
写真です、とは言えない。
「そ、それは……その……み、見たものを見たまま描いただけですっ」
私の答えに春蝶さんは目を細めた。
「……春好はんには内緒にしたるさかい」
小声で言われるも他に師匠は存在しない。
「言わへんのやったら……お梅の話をここでしてもええんやで?」
ヤクザのような悪い表情の春蝶さんに圧されて「あ、後でこっそり……」と答えてしまった。
そんな春蝶さんの描いた雪の庭は。
月が浮かぶ静かな夜の庭だった。
厚い雪に覆われ、ほとんど庭の造形が分からなくなっている。
が、そこに一輪の椿の花が落ちていて、点々と花弁が散っていた。
雪月花。
がさつな春蝶さんからは想像できない、繊細で優美な絵だった。
同じ庭を見て、四枚とも違う絵になった。
北斎はどの絵を褒めるのだろう?
そう思って北斎を見ると、その視線は一枚の絵に注がれていた。




