87.お茶会 ⑤ 版元
「まずは絵師の皆様をご紹介いたします。こちら、春好斎様。松好斎半兵衛様の門人でいらっしゃいます。主に役者絵を手掛けておられます。一番奥が春蝶様。真ん中が梅吉様です。梅吉様は最近春好斎様の門人となられた方ながら、まるで風景を切り取ったように精緻な絵をお描きになられます。人相書きで一刻もせぬうちに盗人を捕まえるのに一役買われたとか」
旦那さんの説明に三人の視線が私に向く。
目が合って思わず視線を落とす。
人相書きの話、なんで旦那さんが知ってるの?
「続いて版元の皆様をご紹介いたします。手前から塩屋長兵衛様。お隣が柏屋文蔵様。そして本屋清七様」
さっきの『塩長』とかっていう呼び名は名前を短縮してたんだ。
声だけ聞くと怖そうな印象しかなかったけど、三人共優しそうな顔をしている。
特に塩長さんは三人の中で一番の年配で、五十代か六十代くらいの好々爺という感じ。
柏文さんは一番若く、まだ三十代だろうか。小太りで人が好さそうな柔らかい印象。
本清さんも柏文さんとそう変わらない年齢のように見える。細身だけど華奢な印象はなく、キリッとした表情をしている。
「お三方とも春好斎様とはお取引がおありだとか。ご縁がある版元の方々をお招きしましたんは、上方が江戸に負けず劣らぬことを皆様の目でお確かめ頂きたいと思いまして。それと、本日の会が皆様にとって良いご縁になればと思うております」
旦那さんが紹介を締め括ると、本清さんが腕を組んだ。
「ほな、梅吉はん」
名前を呼ばれて弾かれたように顔を上げる。
「早速やけど、うちで役者絵を一枚描いてみぃひんか? ええやろ、塩長はん?」
「なんでわしに訊くんや? わしの許可が要りまっか?」
「事前に許可貰うとかへんと、後で偽版や類版やって訴えられるさかいなぁ」
また一触即発の雰囲気になる。
睨み合いではなく、互いに笑みを浮かべているのが余計に怖い。
「本清はん、そないに昔の話を持ち出さへんでも……」
二人の間に挟まれた柏文さんが本清さんを宥める。
「昔やあらへんやろ。ほんの二、三年前の話や。新参者を排除するんが上手いさかいなぁ」
「そ、そないな言い方は……」
柏文さんがおろおろしていると、フッと塩長さんが鼻で嗤った。
「長くやっとるとこういう妬みが多くて困りますなぁ」
「妬みやと? ホンマのことやないか」
「本清はんは版元の本分を忘れておられるようやなぁ。版元は良い絵師を抱えるんも大事やが、一番は抱えとる絵師らを守ることや。模倣されたり、許可なく摺られたりするんを防ぐ。そのために版元が奔走することを忘れはったら……版元を名乗る資格はあらへんと違いまっか?」
塩長さんの余裕のある返しに本清さんは「口が上手いこって」と毒づいた。
「ギハンとかルイハンって何ですか?」
小声で春蝶さんに問う。
「偽版は複製すること、類版は猿真似や。塩長がここ数年、他所の版元と揉めとる話は有名や。それも一つ、二つやないらしいで」
春蝶さんが小声で答えてくれたが、春蝶さんの前に座る本清さんに聞こえたようで。
「絵師の間でも有名になっとるようやなぁ。塩長はんとこで出したら面倒なことになるよって、うちでもっと本格的にやらへんか?」
本清さんが身を乗り出す。
その視線は春蝶さんではなく、治兵衛さんに向いていた。
「私のような絵師は数売ってナンボなんで、声掛けて貰うたらどこでもホイホイ描きます。お三方の他にもご縁がある方が幾つかございますし」
治兵衛さんが笑顔で答えると、また塩長さんが鼻で嗤った。
「専属で描いとる絵師は少ないよって。わしだけが独り占めしとるやなんて勘違いや。この上方に版元が幾つあるか、教えて差し上げましょか?」
「蟻の数までご丁寧に数えてはるんでっか? 踏み潰した数は知ってはっても残っとる数は数えてへんのやないでっか?」
悠然と構える塩長さんだったが、本清さんの攻撃に徐々に温和な表情が引きつって行く。
「お話が弾んで何よりですが」
そこに割って入ったのは藤織屋の旦那さんだった。
「版元の皆様におかれましてはお食事がお済みのご様子。場所を移してお茶会らしく、一服いかがでしょうか? 絵師の皆様は引き続き、お食事をお楽しみ頂いた後、再び絵をお描きください」
改めて場を仕切ってくれたお陰で、舌戦は中断され、版元の三人は席を立ち、移動を始めた。
重苦しい雰囲気から解放され、思わず溜息が漏れた。
その横で春蝶さんが押し殺した笑いを漏らす。
「ククッ。熊に吠える犬みたいやったなぁ」
「春蝶っ。そないな言い方……」
治兵衛さんが小声で窘める。
「本清はんは普段から毒舌やけど、塩長はんにあないに噛みつくやなんてなぁ」
治兵衛さんが言うと、「酔ってはったからやろ」と春蝶さんが笑った。
「酔って……?」
「あ? 気づいてへんかったんかいな? まあ、本清はんは顔に出ぇへんさかいな。膳の脇に徳利があったやろ。わしらには出してくれへんみたいやなぁ」
目聡い。
全然気づかなかった。
「それにわしの紹介聞いたぁ? 名前しか言わへんってどういうこっちゃ? 梅吉は人相書きの話までして貰うて。わしの方が上やのに」
「お前は飛び入りやったからやろ。膳を用意して貰えただけありがたいと思いや」
口を尖らせる春蝶さんを治兵衛さんが睨みつける。
「それより、さっさと食べて続き描くで。あとどれくらいで描けるんや?」
治兵衛さんに問われて春蝶さんは首を捻る。
「一刻……くらいやろか? 梅吉は?」
「ま、まだ……思うように描けなくて……」
「そないに気負わへんでええ。銭を貰って描くんやないんやから。楽しんで描いたらええ」
治兵衛さんの言葉に小さく頷く。
が。
「何を気楽なことをっ。版元と北斎がおるんやでっ? ここで死ぬ気で描かんでどないすんねんっ」
春蝶さんの気合の入った言葉に治兵衛さんが再び春蝶さんを睨みつける。
雪が降る庭。
北斎はどんな絵を描くんだろう?
試験のようで緊張するけれど、どこか楽しんでる自分がいた。




