85.お茶会 ③ 課題
「なんでお前がここにおるんやっ?」
治兵衛さんが驚いた声を出すと、春蝶さんは開き直ったように胸を張った。
「わしかて絵師や。参加してもええやろっ」
「招かれてへんのに来たらあかんやろ。それにこの場所のこと、誰に聞いたんや?」
「春好はんや」
「俺? まさか盗み聞きしたんかっ」
「そないなことせんでも後ろついて来ただけや。時間が分からへんかったさかい、近くで待ってたんやが、あやうく凍え死ぬとこやったわ」
「……いつから待ってたんや?」
「日が昇る前からや」
春蝶さんの言葉に治兵衛さんは絶句し、片手で顔を覆って俯いた。
「来て正解やったな。あの葛飾北斎が来とるんやって? 確か梅吉はんの親戚が来るって言うてはったやんな? 北斎と梅吉はんが親戚なんでっか? 春好はんの嘘の上手さは天下一品やなぁ。で、どいつが北斎やねん?」
春蝶さんの言葉に黙々と準備をしていた北斎が手を止めて春蝶さんに視線を向けた。
「春蝶っ」
治兵衛さんが堪らず制する。
「こいつが北斎だが、お前さんは?」
私達の隣にいた老人を見て、春蝶さんが目を大きく見開いて固まった。
北斎は春蝶さんの失礼な物言いに動じる様子もなく、ただ真っ直ぐに春蝶さんを見下ろしていた。
「……しゅ、春蝶と申します。や、まさか目の前においでとは思わへんで……し、失礼を」
「別にいいさ。あんたの腹ん中が見れたんだ。そういう奴だと早々に分かって良かった」
北斎はそう言って止めていた手を再び動かし始めた。
対する春蝶さんは「やってしまった」という風に顔を歪めて項垂れた。
治兵衛さんも気まずそうに北斎をチラ、と見やりながら、絵を描く準備を進める。
私もその隣でふと準備する手が止まる。
ちょっと待って。
北斎が出した課題、私には無理じゃない?
庭に目をやる。
雪の降っていない庭に雪を降らせて描く。
庭は描ける。
雪も見たことある。
でも、この庭に雪が降った景色を私は見たことがない。
だから、見たまましか描けない私にはこの庭の雪景色は描けない。
想像で描いたって、絶対北斎に見透かされる。
見せる絵がないなら、北斎の前で良い絵を描き上げる。
そう思ったのに。
もしかして、北斎と一緒に富士山を描くのが私の運命じゃなかったの?
気づけば奥から北斎、治兵衛さん、私、春蝶さんの順で縁側に並んで座っていた。
そして、後から来た春蝶さんでさえ準備を終えて、それぞれが庭と向き合っている。
「雪を見たことはあるか?」
小声で治兵衛さんが私に問う。
「はい。ありますけど……」
「ほなら、松でなくとも木に積もった雪は? 凍った池は?」
「見たことはありますけど……?」
「こことは違ってもええ。似たものを組み合わせてみるんや。雪が積もって真っ白な庭もあるが、うっすら積もっただけでも雪は降らせたことになるやろ? 降り始めなのか、しっかり降った後なんか。目の前にないものを描くんや。何を想像してもええやろ」
治兵衛さんの言葉に改めて庭を見る。
そうか。
雪と聞いて真っ白な庭を想像したけど、降らせろと言われただけだ。
なら、積もってなくたっていいんだ。
それなら私にも描ける。
急いで絵を描く準備を整える。
それぞれが準備を終えた頃、パンパンッと両手を叩く音がした。
振り返ると、いつの間にか食事の用意が整っていた。
広い座敷に向かい合うように二列に膳が並べられている。
「皆様、お待たせいたしました」
その一声に、食事や茶会の準備に追われていた人達も手を止めて次々と振り返る。
「本日はお忙しい中、また遠いところをようお集まりくださいました。まずは皆様にお集まりいただけましたこと、心より御礼申し上げます。そして、この立派な屋敷を快くお貸しくださった庄屋様にも、厚く御礼申し上げます」
そう言って深々と頭を下げたのは、藤織屋の旦那さんだった。
顔を上げた旦那さんは、すでに筆を構えかけている北斎を見て、困ったように笑った。
「江戸よりお招きいたしました、かの葛飾戴斗先生の筆を今すぐ拝見したいところではございますが……冷めてしもうては料理人に申し訳が立ちまへん。まずは美味いものを腹に収めていただき、それから存分に腕を振るっていただこうやありまへんか。どうぞ、皆様お席へお着きください」
旦那さんの挨拶が終わると、茶会の参加者達が使用人らに案内され、それぞれの席へと移動する。
北斎と私達だけだと思っていたのに、他にもたくさん招かれていたようだ。
旦那さんは真っ直ぐに北斎の元へ近づき、再び深々と頭を下げた。
「葛飾先生。この会で先生にご紹介したい上方の絵師がおるのですが……既に挨拶は済んどるようですが改めて紹介させていただいてもよろしおますか?」
「今朝も挨拶してくれたけどよ、もうあんたの名前も忘れちまった。だからよ、言葉より筆で紹介して貰う方が俺には分かりやすくていい」
「左様でございますか。そう仰るなら、筆で語り合っていただきましょか。それがこの茶会の目的でもありますし」
「おう。もう何を描くかも話したからよ。どんな絵が見られるか楽しみにしときな」
北斎の言葉に旦那さんは目を見開き、「何を描くんで?」と問うたが、北斎はニヤリと笑みを浮かべただけで答えなかった。
なので、旦那さんの視線は私達に向く。
だが、北斎が答えないのを私達が答えて良いものか迷い、私も治兵衛さんも困った笑みを浮かべるしかなかった。
「ほな、お楽しみは最後にとっときましょか。まずは先程も申し上げましたが、腹ごしらえをして……」
「食いながら描くって言ったろ。だからよ、膳をこっちに持って来てくれねぇか?」
そう言って背を向ける北斎に旦那さんは片手を前に突き出し、止めようとして開きかけた口を閉じた。
そして、諦めたように腕を下ろし、近くにいた使用人の一人を手招きして呼び、北斎の言う通りに膳を運ぶよう指示した。
そんな訳で私達も落ち着いて料理を楽しむことはできず、縁側に横一列に並んで絵を描きながら食事をすることになってしまった。
しかし、北斎も治兵衛さんも、もう筆を走らせている。
私はまだ構図すら思いついていない。
料理が気になっても、それどころではなかった。
焦る私の隣で、春蝶さんが勢いよく立ち上がる。
「できたでっ」
その声に全員の視線が集まった。




