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花枝春色 - 鉛筆一本から始まる再起録  作者: 紬 蒼
其ノ参:青に魅せられて
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84.お茶会 ② 会場

 途中、休憩を挟んで予定通りお昼前にはお茶会の会場に辿り着いた。

 家を出た時は三時間も歩けない、と思ったけれど意外と歩けるもので、疲れも思ったほどではなかった。


 会場として指定された場所は大きなお屋敷で、道から少し入った場所に門があり、門を潜った先には広い庭があった。

 辺りをきょろきょろしていると、見覚えのある男性が小走りに駆けて来た。

「春好様、梅吉様。本日は遠いところ、ようおいでくださいました。お座敷をご用意致しておりますので、荷を解いてまずはゆっくりお休みください」

 そう頭を下げたのは藤織屋の番頭さんだった。

「あの……それで、その……」

 治兵衛さんがそわそわした様子で番頭さんに一歩近づく。

「葛飾北斎先生は……どちらに?」

「ああ。お座敷でうちの旦那様と歓談されております」

「ほ、本当に来てはるんや」

 治兵衛さんの顔が子供みたいに綻ぶ。

 私も手を当てずとも心臓がドキドキしてるのが分かったので、深呼吸しながら落ち着けようと胸を押さえる。


「あ、あの。ところで……お綾さんは?」

 ふと気になって周囲を見回すも姿はない。

「女将さんとお留守番しとります」

「えっ? 来ないんですか?」

「元々はお嬢様の我儘(わがまま)で始まったことですが、ここまで大きくなってしまいましたさかい。旦那様に仕切ってもらわんといけません。直前まで『うちも行く』と()うて暴れてましたが、女将さんに一喝されまして……なんとか」

 番頭さんの表情と口調から、本当に大変だったのが伝わる。

 お綾さんが暴れている姿も目に浮かぶようだ。


 番頭さんとはそこで別れて、私達は早速大きく開け放たれた玄関から中に入る。

 広い土間に驚き、そこから座敷に上がってその広さに驚いた。

 三部屋を仕切る襖を全て取り外して一間になっており、部屋に面した戸も全て外されて開放的な空間が広がっていた。

 その向こうに見える庭の景色に思わず「わあ」っと声が漏れた。


 一幅の絵のような美しい日本庭園に思わず目を奪われる。

 小さな池があって、築山があって、立派な松があって。


「見事だろ?」


 問われて「はいっ」と大きく頷いて、その声に振り返る。

 そこにはいつのまにか老齢の男性が庭を眺めて立っていた。


「描きたくなる庭だと思わねぇか?」

 楽しそうに笑みを浮かべて問われたけど、誰? という疑問が先に立って答えに遅れた。

「あ、あのっ。も、もしやっ」

 治兵衛さんが珍しくどもる姿に私もそこで(ようや)く目の前の人物が誰なのか察する。


「か、葛飾北斎……」

戴斗(たいと)

 思わず名を口にすると、男性は短く答えた。

「え?」

「今は葛飾戴斗だ。もう何年も(めぇ)に変えたってのに、未だに北斎の方で呼ばれやがる」

 もう葛飾北斎じゃないんだ。

 確かたくさん画号があったって聞いたことある。

 でも、お綾さんも北斎って言ってたし、治兵衛さんも北斎で通じたし。

 やっぱりこの時代でも葛飾北斎の名前の方が有名だったのかな?

 そんなことを考えてると、治兵衛さんが前に出て勢いよく頭を下げた。


「戴斗先生っ。私は春好と言いまして、上方で絵師をしとりますっ。ほ、本日はご一緒できると聞いて……」

「お(めぇ)も絵ぇ描くのかい。なら、この庭を描いてみな。だが、ただ見たまま描くんじゃ面白くねぇ。ここに雪を降らせてみな」

 いたずらっぽく笑む北斎に治兵衛さんは頭を上げ、北斎と次いで庭を見た。

「一緒に絵を描けるんやなんて……こ、光栄の至りですっ」

「わしも(わけ)(もん)と描くのは楽しみだ。紙、貰って来るから準備しな」

 そう言って北斎は去って行った。

 その背を見送って姿が見えなくなると、治兵衛さんはその場に気が抜けたようにぺしゃんっと座り込んだ。


「本人に会えるやなんて……しかも絵を一緒に描けるやなんて……」

 治兵衛さんは胸を押さえて大きく息を吐く。

 私もその隣に座って治兵衛さんと同じように胸を押さえて息を吐いた。

「凄い人ですね。なんていうか……オーラが。持ってる雰囲気が違うというか」

 私の感想に治兵衛さんは頷くかと思いきや、項垂れた。

「挨拶すらまともに言えへんかった……」

「確かに噛み噛みでしたけど。でも、ちゃんと言えてましたよ」

「どこがやっ。『春好と言いまして』ってなんやねん。そこは『申しまして』やったし。『光栄の至りです』って。そこは『光栄の至りでございます』とか『恐悦至極にございます』とか『身に余る光栄』とか……」

『恐悦至極』は言い過ぎというか大袈裟な気がするけれども。

 治兵衛さんは頭を抱えて一人反省会を盛大に開催していた。

 憧れの人を目の前にすると、上手く言葉が出て来ないし、緊張して上手く立ち回れない。

 その気持ちはすごく分かる。

 私は単純に歴史上の有名人と一緒に絵を描けるって浮かれてたけど。


「なんだ、まだ準備してねぇのかい。時間がねぇんだ。そんなとこに座り込んでねぇで、早く絵ぇ描くぞ」

 紙を手に戻って来た北斎が私達を急き立てる。

 そこに少し遅れて男性が小走りに駆けて来て、困ったように私達を見やった。

「葛飾様、絵を描くのはもう少し後にしてくだされへんか? これからお食事をお出ししますんで……」

「食いながら描けばいいじゃねぇか。絵を一枚描くのにどれだけかかると思ってんだよ。小さい紙でも半日はかかるんだよ。それに好きに描かせてくれるってぇ話でこっちは来てんのに、約束を反故(ほご)にする気かい?」

 北斎の言葉に男性は心底困った表情で「そういう訳では……」ともごもご言って、「確認して参ります」とどこかへと去って行った。


 が、北斎はそんな男性を待つことなく縁側に出て、絵を描く準備を始めた。

 私達は顔を見合わせ、少し逡巡しつつも北斎の隣で荷を解こうとしたのだけど。


 ふと視線を感じて庭に目をやると、こちらの様子を伺う怪しい人影が。

 どこか見覚えのあるシルエットに目を細める。


「春蝶っ?」

 治兵衛さんが驚いた声を上げる。

 そこには見つかってしまった、と首を竦める春蝶さんの姿が。

 なんで、ここにいるの?


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