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花枝春色 - 鉛筆一本から始まる再起録  作者: 紬 蒼
其ノ参:青に魅せられて
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84/90

83.お茶会 ① 道中

 モヤモヤしたまま、お茶会当日の朝を迎えた。

 いつもより少し早く目が覚めて、着替えて襖の戸を開ける。


「おはようございます」


 いつものように既にビシッと身支度を整えた玄斎さんが作業台で薬の用意をしていた。

 その後ろでは治兵衛さんが眠そうに欠伸(あくび)をしながら、お茶を沸かしているところだった。


「おはようさん」

 いつもと変りない笑顔で挨拶してくれる治兵衛さんに、胸の奥でまたモヤモヤが大きくなる。

 スッキリしない気持ちを切り替えようと顔を洗って気合を入れる。


 結局、絵は描けなかったけど、お茶会で何かアピールできるかもしれない。

 懐に忍ばせたのはスマホと鉛筆。

 江戸時代(ここ)に来てまだ一度も使っていないボールペンも持って行こうかと悩んだけど、さすがにそれは止めておいた。


 朝食をいつもより早めに済ませ、玄斎さんに見送られる形で私達は家を出た。

 車も電車もない時代。

 移動は徒歩だ。

 馬もあるけど、乗らないってことは近いのかな?

 チラと治兵衛さんを見る。

 緊張しているのか、ずっと真面目な表情で黙々と歩いていた。


「あの……柴島って瓦町(ここ)から近いんですか?」

「この調子で歩けば、途中でちょっと休憩しても昼前には着くはずや」

 今、多分、七時か八時くらいだと思うから……少なくとも三時間は歩くってこと?

「馬とか乗らないんですか?」

「このくらいやったら乗らへんな。武家やよう儲けとる商人は使うこともあるが、俺らは荷物が多いとかやないと使わへんな」

「値段が高いからですか?」

「払えん程やないが。馬だけ借りるんやなくて、馬子も雇わなあかんし。何よりまず馬に乗り慣れてへんから」

 車と同じで馬も練習が必要だものね。

「じゃあ、駕籠は?」

 時代劇で見たことある乗り物を挙げてみる。

「馬よりは駕籠の方が馴染みはあるが、これも馬と同じくらい銭取られるからな。馬も駕籠も余程の理由がない限りは使わへんな。未来(さき)の世じゃ、馬も駕籠も安くなってるんか?」

「馬より速い乗り物がいろいろあって、どれも比較的気軽に乗れるので。移動するのにこんなにたくさん歩くことはあまりないですね」

「馬より速いって……空でも飛ぶんかいな」

 笑う治兵衛さんに空を飛ぶ乗り物もありますよ、と伝えると心底驚いた顔で立ち止まった。


「人が空を……飛ぶやて?」

「まあ……人が飛ぶと言うより、人を乗せた乗り物が飛ぶんですけど」

「乗り物が飛ぶって、乗り物に羽でも生えとるんか?」

 飛行機に羽は確かに生えてるけども、鳥のような羽を想像されても困る。

「まあ……江戸と大阪は日帰りできますよ。人もたくさん乗せられるし」

「日帰りて」

 またまたぁ、と言う風に治兵衛さんが笑う。

「片道一時間……一刻、半刻? くらいですかね? 人は……二、三百人? それくらい乗れます」

 私の言葉に治兵衛さんが固まる。


未来(さき)の世はえらい便利な世なんやなぁ。そりゃ、歩くより馬でもええから乗りたい思うわなぁ」

 治兵衛さんは苦笑しながら頭を掻いた。

 そして再びゆっくりと歩き出すが、数歩進んだところでその足が止まる。

「……昨日のことやねんけど」

 言い難そうに切り出す。

 昨日のことって、作業場でのこと?


「未来の世と江戸時代(ここ)じゃ、馬と同じでいろいろ違うと思うねんけど……ウメはずっと休んどったやろ? 事情(わけ)があるんは分かっとるが、休んでその間のウメの分は他の(もん)がやっとった。その事実は変わらへんねん」

「でも、私も家でのんびりしてた訳じゃありません。ちゃんと絵を描いて仕事してましたよ」

「それは分かっとる」

「じゃあ、なんで……?」

 あんな冷たい言い方したの?

「さっきも()うたけど、休んだことを咎めとるんやない。誰かて体壊すこともあるし、用があって来れへんこともある。せやけど、ウメ。作業場に出て来た時、いつも通りやったろ? 休ませて(もろ)てすんまへんとか、なんか一言あるやろ。春蝶もあれで気ぃ悪うしたんや。言い方はきついけどな。一人で作業しとるんやない。それはこの間、下絵を仕上げた時に気づいてくれたと思ったんやが?」

 治兵衛さんの言葉で会社を思い出した。


 休み明けの先輩が「昨日はありがとうございました」と上司や同僚に声を掛けていた。

 休むからと特別に仕事を頼まれていたからかな、と思っていた。

 でも、何もしてない私にも先輩は声を掛けてくれた気がする。

 私だけ声を掛けないのも、っていう気遣いだったのかとも思っていたけど。

 確かに先輩がいないから、先輩宛の電話を取ったこともある。

 たいした仕事じゃないけど、休んだことで自分がやるはずだったことを誰かがやってくれていた。

 それに休む前に迷惑が最小限になるようにと資料をまとめたり、できることは先にしていた。


 江戸時代だからじゃない。

 人と一緒に働くなら、時代なんて関係ない。

 休んだらその分誰かが自分の穴を埋めてくれる。

 だからこそ、そのことへの感謝を伝える。

 それは未来でも変わらない、働く者として当たり前の礼儀だった。

 そんなことに江戸時代で気づかされるなんて。


 現代とは全然違う生活で、価値観だって違うのに。

 なぜだか会社で怒られてたことばかり思い出すのは、今も昔も人は誰かと一緒に働いているから?


「……次、作業場へ顔出す時に皆に一言礼を言うとき。こういうもんはちゃんとせなあかんさかいな」

 治兵衛さんは子供に言い聞かせるように私に言った。


 北斎に会える。

 それに浮かれてた自分が酷く恥ずかしくなった。


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