81.知らせ
お馬はお松さんに貰ったのが一枚、お松さんが作ったのが一枚、私が作ったのが一枚の合計三枚ある。
貰ったのを洗ってお松さんが作ったのに着替えた。
なので自分が作った一枚がまだある。
だから、最悪乾かなくてもまだ替えはある。
なので、乾きやすい場所より人目につかない場所を優先する。
家の中は前回のパンツ事件で危険だと学習したので、家の中には干せない。
かといって、裏庭もトイレや井戸があるから安全とは言えない。
でも、庭の隅とかなら……なんとか二人の目を避けられるんじゃない?
とは思ったけれど、干せるような場所がない。
そこで目に入ったのが、庭木だった。
何の木か分からないけど、高い木の枝に干せば人目を避けられるんじゃない?
葉っぱも生い茂ってるし、上の方って普段あまり見ないし。
良い場所を見つけた、と思ったのも束の間。
あんな高い場所にどうやって干すよ? という問題が。
登るしかない。
そう覚悟を決めて木に手を掛ける。
が、足を掛ける場所もなければ、私のひ弱な筋肉では腕の力で登るなんてこともできず。
仕方なくお馬をぎゅっと絞って部屋へ戻る。
二人が出かけてから鴨居にでも干そう。
ひとまず、あまり使ってない小さな桶にお馬を入れ、部屋の隅に置いて上に手拭いを掛けて寝た。
それにしても日中はしょっちゅう着替えられないから、この時代の女性はどうやってたんだろう?
不便なことばっかりで、その日は久し振りに会社の夢を見た。
上手く仕事をこなして、褒められる夢。
そんなこと、一度もなかったけど。
そんな訳で翌朝はとても気分良く目が覚めた。
が、すぐにハッと思い出して布団を隅々まで確認する。
良かった、血は漏れてない。
お松さんに教わった通り、お馬の中にも布団にも古紙や端切れを敷いておいたお陰だ。
それでも生理が終わるまでは毎朝こんな風に目を覚ますことになるのか。
そう思うと正直気が滅入る。
「なんや朝から溜息吐いて。具合悪いんか?」
襖の向こうから治兵衛さんが心配そうに問う。
「い、いえっ。大丈夫ですっ」
咄嗟にそう言ったものの、腰は痛いし、体も少しだるい。
痛み止めもないし、またすぐにお馬を洗わないといけないのかと思うと憂鬱になる。
お馬の紐をきつく締め直して、お梅の着物に着替えた。
今日は外出する予定はないし。
梅吉になる必要もない。
そう思ったのだけど。
ガラッと勢いよく玄関の戸が開いたかと思うと。
「ウメ様おるぅ?」
よく通る声が響いた。
「お綾か? こないな朝早くからどないしたんや?」
玄斎さんの驚いた声がする。
私は隣の部屋の襖を開け、治兵衛さんの部屋に逃げ込む。
治兵衛さんも察して裏へ行くよう手招きをする。
「ウメ様にいの一番に知らせたいことがあってん」
「梅吉は近所に使いに行っとるさかい、今はおらへんで」
弾んだ声のお綾さんに治兵衛さんが部屋から出て答える。
「ほなすぐに戻って来はるやろ? ここで待たせて貰うわ」
「一日かかるかもしれへん用事やさかい。俺から伝えといたる……」
「うちが直接ウメ様に伝えたいさかい、お断りや」
「せやけど、いつ戻るか分からへんさかいなぁ」
治兵衛さんが困った声を出す。
「ほな、紙と筆貸したるさかい、書置きしておくか?」
玄斎さんが助け船を出す。
「……うちの口から伝えたかってんけど。本当にすぐに戻らへんの?」
「木戸が閉まるまでには戻って来るはずやけどな。明日出直すか、書置きするか。どないするんや?」
玄斎さんに言われて、お綾さんは渋々書置きを残して帰って行った。
「もう出て来てもええで」
治兵衛さんが弾んだ声を出す。
私が奥から顔を覗かせると、治兵衛さんが満面の笑顔で紙を翳して見せた。
が、達筆すぎて私には読めなかった。
かろうじて日付らしき文字だけ読めた。
「なんて書いてあるんですか?」
「茶会の日が決まったんや。柴島の庄屋に北斎が来るんやて!」
それでお綾さんは朝一にうちへ来たのか。
「長月の十五日やって書いてあるさかい……七、いや、八日後やな」
ってことは今日は九月七日か。
毎日、日が昇ったら起きて、日が暮れたら寝る。
そんな生活だから、「八日後」と数字で言われると急に現実味が湧く。
でも良かった。その頃なら生理も終わってる。
「昼前から始めるとあるから、朝飯を食べて出たらちょうどええやろ。八日言うたらすぐやからな。今から準備せな」
子供みたいにはしゃぐ治兵衛さんに玄斎さんが「まだ先やろ」と言って、往診の準備を始めた。
が、治兵衛さんの耳には聞こえていない様子で、蒸かし芋を一つ手に取って慌ただしく作業場へと出かけて行った。
玄斎さんと私の二人だけの朝ご飯はとても静かだった。
だけど、食べ終わって片付けていると、玄斎さんが小さいやかんを火にかけているのに気づいた。
お茶は既に飲んだけど、と思っていると。
「沸騰したら薪を減らして弱火にし。水の量が半分くらいになるまで煮詰めたら、この茶漉しで漉して飲んだらええ。火の始末はもうできるやろ?」
「あの……?」
「当帰芍薬散や。桃核承気湯やと腹が下るかもしれへんさかい。痛くてやれんようやったら、昼に戻った時に言い」
あ、もしかしてこれは生理の薬?
「あ、ありがとうございます」
「それとやな……裏にあるのは槐の木や。縁起がええ木やが、それで植えとるんやない。一応あの木の花や実、葉が生薬になるさかい。せやから登るんは……」
えっ? 登るって……もしかして見られてた?
「夜中に物音がしたら、こないな家でも物盗りや思うやろ」
気まずそうに玄斎さんが言い、私は恥ずかしくて俯いた。
「木に登らへんでも、俺の部屋に紐を張ったさかい。治兵衛が帰って来るまではそこに干し。他の部屋は患者が入るかもしれへんさかい」
気まずそうにそう言って、玄斎さんはいそいそと往診に出かけて行った。
あと八日。
あの葛飾北斎に会える。
生きて動いて喋ってる姿が見られる。
そう思うと腰の痛みも吹き飛ぶ。
私も何か準備をしないと。
私の描いた絵を見せて、認められたい。
そう思ったら絵が描きたい衝動が湧き上がって来た。
何を描けばいい?
心臓?
そう思った時、ふとある人物の姿が脳裏に蘇った。




