71.招待
その翌日のお昼過ぎ、またもやお綾さんが作業場にやって来た。
「お茶会を開くことにしたさかい、ウメ様とここで一番絵が上手い方、二人で来てな」
開口一番、お綾さんは満面の笑みを浮かべてそう言った。
「ほなら、わしと梅吉で行かせて……」
春蝶さんが真っ先に飛びつくが、春陽さんが「一番上手い言うてはるで?」と冷静に突っ込む。
「せやから、わしが……」
「違うやろ。春好はんやろ。せやけど、茶会に絵師を呼ぶやなんて、席画でもさせるつもりか?」
鋭い春陽さんの質問にお綾さんが不敵な笑みを浮かべる。
「お茶会は建前や。江戸の凄い人を呼んであるさかい、絶対来てな? ウメ様も絶対会いたい思うてはる人や」
「梅吉が会いたい江戸の人? 誰やろか?」
春陽さんが首を捻る。
「はっ。あれやろっ! 梅吉の家族やっ」
春蝶さんが手を打って絶対そうや、とお綾さんを見る。
「ウメ様の故郷って江戸なん?」
お綾さんのその反応に「違うんか」と春蝶さんが項垂れる。
「ウメ様だけに特別に教えてあげるな」
そう言ってお綾さんは私に近づき、顔を寄せ、耳元で凄い名前を言った。
「葛飾北斎や」
その名に思わず「えっ」と声が漏れる。
私の驚いた顔に春蝶さんらが「誰や、誰や?」と近づいて来る。
が、お綾さんが「まだ言ったらあかんよっ」と口元に人差し指を当てた。
ここに来て初めて知ってる名前を聞いた。
しかも歴史の教科書にも載るほどの有名人だ。
それは是非とも会ってみたいっ。
「来てくれはる?」
お綾さんの言葉に私は「はいっ」と思わず即答してしまった。
言ってしまってから、間違えた、と思ったけど、有頂天になって喜ぶお綾さんに今更否定できる雰囲気は微塵もない。
それにすぐに「ほなら、準備があるさかい、あたしはこれでっ」と走り去ってしまった。
「で? 誰が来るんや?」
お綾さんに口止めされたけれど、作業場の全員に囲まれた。
特に春蝶さんの圧が強い。
「まだ言ったら駄目って……言われてますから」
なんとかそう言ったのだけど、それで引き下がるような面々ではない。
「ほなら、参加する者が聞くんはええやろ。わしは行くさかい、わしにだけ教えてんか?」
そう言って春蝶さんが近寄ると、その襟元を掴んで治兵衛さんが止める。
「ほなら、俺が聞こうか」
珍しく興味津々な治兵衛さんに腕を掴まれ、皆に聞こえないよう作業場の隅に連れて行かれた。
他の面々は遠巻きに私達をじっと見つめている。
「驚いとったが、知っとる名前やったんやな?」
「はい。それが……葛飾北斎です」
「ほくっ……」
思わず名前を叫びそうになる治兵衛さんの口を慌てて両手で押さえる。
「ホンマに北斎言うたんか? あの北斎やって?」
そっと手を放すと、治兵衛さんは小声になりながらも興奮した様子で訊いた。
「はい。あの北斎です」
「せやったら、是が非でも参加したいもんやなぁ。確かに先月やったか、名古屋で達磨を描きはったとかっちゅう噂を耳にはしとったが……」
「達磨?」
「せや。どっかの寺やったか……詳しゅうは知らへんのやけど、版元の連中が話しとったで。やっぱり未来の世でも知られとるんやな」
「凄く有名です。富嶽三十六景なんてもう世界的にも……」
「フガク? なんやそれ。北斎言うたら北斎漫画やろ」
「富士山を描いたシリーズ……連作です」
「富士山? そないな連作は聞いたことあらへんな」
「じゃあまだ描いてないんですね。ところで北斎って今お幾つなんですか?」
「歳までは俺も知らんけど、五十は超えてはったはずやで? 六十近いんやないやろか?」
還暦近いのにまだ富嶽三十六景を描いてないの?
あれってそんな晩年に描いた作品だったんだ。
「いつまでそこで話しとるんやっ。わしも知っとる人なんか? 誰やねんっ?」
痺れを切らした春蝶さんの叫びに治兵衛さんは片手を振った。
「全然知らへん人や」
そう言って皆の元に戻るが、春蝶さんの鋭さが発揮される。
「名前聞いて驚いとったやないか。それに梅吉も名前聞いて『行く』って即答しとったやろっ」
「あまりに知らんすぎて聞き返しただけや。いろいろ聞いたが、俺らの知る人やない。梅吉の知り合いや。せやから、梅吉は即答したんや」
尤もらしい嘘を平然と吐く治兵衛さんを目を細めて見ていた春蝶さんの目が私に向く。
「ホンマにぃ?」
「ホンマです」
咄嗟に関西弁で返してしまった。
が、春蝶さんは納得いかへん、と眉間に皺を寄せながらもそれ以上は詮索して来なかった。
生きて動いてる北斎に会える。
それはものすごく魅力的なことだ。
スマホで隠し撮りしたいっ。
そんな衝動も湧き上がる。
でも、歴史を変えちゃうことに既になってしまったのでは?
私のためにお綾さんが北斎を大坂に呼んだってことでしょ?
歴史を変えたらどうしようって悩んだばかりなのに……やっぱり、私はここに歴史を変えるために来たの?
もしかして、私の絵に感動した北斎が私を弟子にしたりして。
もしかして、私が富嶽三十六景を描くことになったりして!
もしかして、未来で見たあの絵は私が描いた絵だった?
いや、まさか流石にそこまでは……
でも、あり得るんじゃない?
あれだけの枚数を一人で描くなんて無理でしょ。
下絵を手伝った弟子がいたって不思議じゃない。
そうよ、その弟子が私だったりして。
そう思った瞬間、胸が高鳴った。
そのために私はここにいるんだ!
歴史を変えたらどうしよう? と悩んでいた私は消え去り、歴史に名を残すかも、と一気に頭の中は期待でいっぱいになった。




