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花枝春色 - 鉛筆一本から始まる再起録  作者: 紬 蒼
其ノ参:青に魅せられて
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69.灯り

 漫画でもドラマでも散々見て来た。

 タイムスリップもので一番の問題は『歴史改変』だ。

 そもそもこの時代に存在しなかった私がいることで、既にいろいろ変わってしまってるんじゃ……?


 急に不安になる。

 私の身元保証を一番に考えてた。

 でも、その前に私がここに存在することで何が起きるのか考えて、慎重に行動すべきだった。

 なんでこんな大事なことに今の今まで思い至らなかったのか。


 だって、目が覚めたら江戸時代で、しかも大阪。

 普通あり得ないでしょ。

 当たり前にあった物がここには何もなくて、生活するのも大変で。

 命の危険もあるような状況で……

 自分のことで手一杯で歴史が変わるとか、考えてる余裕なんてなかった。

 でも、今からでもちゃんと考えなきゃ。


 私、ここに来て何した?

 私の似顔絵でひったくり犯を捕まえるのに一役買った。

 でも、遅かれ早かれ捕まってたと思う。

 玄斎さんにウイルスが風邪の原因だって話した。

 でも、それで何かが大きく変わったとは思えない。

 死ぬはずだった人が助かったり……してないと思う。


 深く関わってるのは治兵衛さんと玄斎さんだけど、二人の生活への影響は食費とかいろいろこれまでも考えて来た。

 一番は私が未来から来た女だって事実を隠して生活してること。

 それがもしバレたら二人が酷い目に遭う。

 それだけは自覚してたけど。


 これまではただ生活することだけ考えてた。

 でも、梅吉として絵を描くってことになると、誰かの仕事を奪うことになるかもしれない。

 模様を描くだけならまだいい。

 一人前の絵師として画号を貰ったら……私の名前が、私の絵が歴史に残ることになるかもしれない。

 治兵衛さんや春蝶さんが描くはずだった絵を私が描くことになるかもしれない。


 それとお綾さん。

 私に惚れちゃったせいで、結婚するはずだった人と結ばれなくなっちゃうかもしれない。

 そしたら、生まれるはずだった子供が生まれなくなっちゃうかも。


「どうしよう……?」

 思わず頭を抱えた瞬間。

「お湯加減、大丈夫やろか?」

 お風呂の外から声がした。


 お風呂に入るとなんか考え事をしてしまって、気づけばまた長風呂になっていた。

 しまった、女将さんに長いと言われたばかりだったのに。

「大丈夫ですっ。もう出ますっ」

 慌てて湯船から出て大急ぎで髪を手ぬぐいで拭く。

 ホテルのふかふかタオルとは贅沢言わないから、せめてもっと吸水性のある布が欲しい。

 帷子を着てお風呂って濡れた布が素肌に張りついて、なんだか入った気がしない。

 それに拭くのも余計に時間がかかる。

 やっぱりお風呂は裸で入るに限る。


「ゆっくり楽しんではったようやけど、入り方は覚えはったようやね」

 お風呂上り、女将さんにそう嫌味を言われた。

 でも「覚えた」と言われたのだから、正しかったのだろう。


 お風呂の日は玄斎さんが迎えに来てくれるのだけど、私はお風呂で考えたことを思い出していた。

 このままあの家に戻ってもいいの?

 一人でいた方がいいんじゃない?

 誰かと関わったら教科書に載るような歴史じゃなくても、誰かの歴史を変えてしまうかもしれない。

 誰とも関わらず、何もしないことが皆のためなんじゃない?


「ちょっと、うちの話聞いとる?」

 苛立った声に私は顔を上げた。

 目の前には不機嫌そうなお綾さんが私を睨みつけている。

 玄斎さんを待つ間、奥の間でお綾さんと話をしていたのだった。

「す、すみません」

 反射的に謝る。

「ウメ様の話、聞かんのやったらもう風呂に入らせへんでっ」

 それは困るっ。

 いや、でもここにも来ない方がいいのか。

 お綾さんの恋も終わらせないと。


「その梅吉なんですけど……」

「梅吉ぃ? あんた、呼び捨てにする仲なんか?」

「い、いえ。梅吉さんから伝言があって……」

「伝言っ? うちにぃ?」

 途端にお綾さんの目が輝き、声がワントーン上がって前のめりになる。

「はい。その……作業場には来ないで欲しいそうです」

「なんでやっ。あ、他の男にうちを見せたくないんやな? うちに言い寄る男がおったさかい、嫉妬してるんやろか?」

 言い寄る男……春蝶さんか。

 ポジティブに受け止めて照れるお綾さんが、かわいく見えるのと同時に申し訳なくて胸が痛んだ。

 でも、お綾さんのためにも梅吉への恋を終わらせないと。


「梅吉さんはその……絵は止めて故郷に戻るそうです」

「なんでやっ。故郷ってどこなんっ?」

「さ、さあ? そこまでは……」

「いつ戻りはるん?」

「さあ?」

「何があったんか、故郷はどこなんか、ちゃんと聞いて来てやっ」

 駄々をこねる子供のようにお綾さんは頬を膨らませて私を睨んだ。

 その圧に押されたのもあったけど、真っ直ぐ家に帰る気になれなくて。

 私は「分かりましたっ」と立ち上がって藤織屋を出た。


「一人で帰りはるんでっか?」

 店を出る時、番頭さんに声を掛けられた。

「はい。お風呂、ありがとうございました」

 そう会釈をして後にする。


 日が落ち始めた町を歩く。

 ここに存在しない私の居場所はどこにもない。

 歴史を変えないためには何もせず、一人でいる方がいい。

 でも、生きてればどこにいたってお腹は空くし、眠くもなる。

 どの時代も衣食住にはお金が必要だ。

 お金を稼ぐには居場所がないと……

 ぐるぐると考えごとをしながら歩いていると、不意に誰かと肩がぶつかった。


「すみませんっ」

 頭を下げる。

「大丈夫?」

 その声に顔を上げる。

 一瞬、声を失った。

 相手は雪女かと思った。

 だって、長い髪は真っ白で、着物も真っ白だったから。

 それにとても綺麗な人だったけど、怖いとも思った。


「恐れないで、前を向きなさい」

 女性は柔らかく笑んで、ただそれだけを言って去って行く。

 すぐに振り返ったけど、女性の姿は雑踏の中に消え、見失ってしまった。

 でも、あんな目立つ見た目なのに誰も騒いでない。

 本当に雪女だったのかも。

 そんな訳ないのに、不思議な女性の姿が目に焼き付いて離れなかった。


 絵に残したい。

 絵を描きたい。

 そんな衝動が湧き上がる。

 でも、絵を描くことも梅吉としてここで生きていくこともできない。

 私の一挙手一投足が何かを変えてしまうかもしれない恐怖で、気づけば橋の下にいた。

 ここなら雨は防げるし、誰の邪魔にもならない。

 こんな場所しか思いつかないなんて、子供みたいだ。


「これからどうしよう……?」

 考えがまとまらず、ただ答えの出ない同じ問いをぐるぐると繰り返して、その場に(うずくま)る。

 川の傍だからかさっきよりも風が冷たく感じて、両手で体を抱えた。


「ウメッ」

 遠くから声がして、顔を上げる。

 辺りはいつのまにかすっかり暗くなってて、暗闇の向こうから誰かが灯りを手に走って近づいて来る音がした。

 逃げなきゃ。

 そう思ったけど、足が(しび)れてすぐには立てなかった。


「ウメッ。こんなとこで迷子んなっとったんやな。もう大丈夫や。家に帰るで」

 息を切らせた優しい声が降って来た。

 灯りの中に浮かんだ顔は治兵衛さんだった。

「なんで……?」

「今日は(はよ)う終わったさかい、藤織屋に寄ってみたんや。そしたら一人で帰った()うやんか。そんで、前に玄兄に追い出された時、橋におったやろ? まさか思うて、橋を探してみたんや。せやけど、橋がぎょうさんあるさかい……しかも上ばっかり探しとったら下におるとはなぁ」

 治兵衛さんは笑って「帰るで」と片手を差し出した。

 でも、私はその手を掴むのを躊躇(ためら)う。


「……なんやあったんか? って、あったからこないなとこにおんねんな」

 治兵衛さんはそう言って、私の腰を下ろした。

「今度は何を悩んどるんや?」

 問われて私は迷ったけど、私が未来から来たことを知ってる治兵衛さんには正直に話すことにした。


「私のせいで……この時代に存在しない私がいることで、未来を変えちゃうんじゃないかって……今更そんなことに気づいて……」

「なんや、そないなことかいな」

 深刻な私とは対照的に治兵衛さんは呆れたように笑った。

「そんなことって、誰かの未来が変わるってことはその人の人生が変わっちゃうってことで……」

「変えるためにここへ来たんかもしれへんやんか。ウメの知っとる未来が正しい未来とは限らへんやろ?」

 それはそうだけど、そんな発想はなかった。

 確かに漫画やドラマじゃ、むしろ変える方向で話が展開していた。

 でも、大抵歴史上有名な人の未来を変えてたけど、今の私の周りにそんな人はいない。

 いや、私が知らないだけでいるのかも?

 そう思って治兵衛さんを見つめる。

 まさか、治兵衛さんって実は歴史に名を残してる絵師、とか?

 治兵衛さんの未来を変えるために私はここにいるの?


「な、なんや? そないにじっと見て」

 治兵衛さんはそう言って立ち上がった。

「ウメがここにおる。それは変えられへんやろ。おるのにおらんようにするんは無理や。でけへんことを考えるより、できることを考えや。今できるんは家に帰ることや。ほれ、帰るでっ」

 再び差し出された手を私は掴んで立ち上がる。

 確かに治兵衛さんの言う通りだ。

 ここにいるんだもん。

 私がここにいるのも既にある歴史の一部かもしれない。

 そう思ったらさっきまでうだうだ悩んでたのが馬鹿らしくなった。


 治兵衛さんのお陰でスッキリして家の近くまで戻ると、玄斎さんが灯りを手にこちらに向かって来るのが見えた。

「ウメッ」

 玄斎さんの表情が一瞬安堵したように見えたけど、すぐに険しくなる。

「藤織屋に行ったら一人で帰った()うから、家に戻ってみたらおれへんし。どこにおったんやっ」

「ちょっと道に迷うとっただけや。そないに怒らへんでも……」

「急に往診に呼ばれて、迎えが少し遅うなったんは悪かったが、俺を待たずに帰らへんでもええやないか。それになんで治兵衛とおるんや?」

偶々(たまたま)見かけただけや」

「方向が違うやろ」

「せやから、迷っとったさかい……」

「すみませんっ」

 私の代わりに治兵衛さんが怒られているようで、居たたまれず頭を下げた。

「考えごとをしてたら迷子になって……」

「無事やったけぇ、もうええわ」

 玄斎さんは一瞬何か言いかけたけど、ただそれだけ言って元来た道を足早に戻り始めた。

 治兵衛さんと私は玄斎さんの後ろを少し遅れて並んで歩いた。


 揺れる二つの灯りがとても温かく見えて、ここにいてもいいと言われているようだった。


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