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花枝春色 - 鉛筆一本から始まる再起録  作者: 紬 蒼
其ノ参:青に魅せられて
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68.綻び

「ひ、人違いですっ」

 そう言って俯きながら通り過ぎようとしたのだけど、がしっと腕を掴まれた。


「わしの目は誤魔化せへんで。あんた、なんで女の格好なんかしとんのや?」

 ん? 女の格好?

 女だとはバレてない?

「わしは浮世絵師やで? 女形も見とる。着物変えても仕草やなんかで見分けはつく。そないな格好でどこ行くつもりか……当てたろか?」

 春蝶さんは腕を掴んだまま、鋭い目で私を見据えた。

 確かに歌舞伎は白塗りに隈取とかですっぴんが分からないくらい顔が変わる。

 それでもどの役者か見分けられるのは、背格好だけじゃなくて動きや癖、雰囲気など総合的なもので判断してるのかも。

 だからお梅の姿の私が梅吉だと気づいたのか。

「藤織屋へ行くつもりやろ?」

「な、なんでっ?」

「この先にあるんは藤織屋や。そないな格好しとるんは藤織屋の旦那に色目使(つこ)うて取り入るためやろ?」

 えー、なんでそんな考えになるのっ?


「梅吉はんのその格好、春好はんや先生は知っとるんか?」

 全部知ってるけど、でもそれは言えないし、変に答えて全部バレるのも困るし……

 私がどう答えようか迷っていると、春蝶さんは目を細めた。

「……知っとるんやな? せやからあんたを大事にしとるんや。食事の世話する女がぎょうさんおるのに女っ気がないんが不思議やってん。せやけど、これで合点がいったわ」

 なんだか嫌な予感。

「二人共、女形みたいな男がええんやな。あの噂もそれが原因やったんや」

 いや、そんな納得されても困るし、二人も不本意だと思う。

「違いますっ」

 私は春蝶さんの腕を振り払って、否定した。

「私は女形が趣味なだけで、それをお二人は黙っててくれてるだけです。今はただの散歩です」

 何言ってるんだ、私。

 女装が趣味って。

 でも、何か誤魔化さないとって思ったら口が勝手に……


「女形が趣味って、なんやねん。それに散歩やて? そないな風呂敷包み抱えて?」

 思わずギュッと包みを抱きしめる。

 お風呂セットを見られる訳にはいかない。

「藤織屋の旦那に何を頼むつもりや? その包みは饅頭か? 娘に会うんや言う言い訳は通らんで。娘通して旦那に繋いで貰う魂胆やろ?」

 春蝶さんの誤解が止まらない……

「はっ。もしやこれも春好はんの入れ知恵、いや、差し金やな? 春好はんが師を亡くしてから勢いが出たんは後ろ盾を手に入れたからなんやな」

 勝手にあれこれ妄想され、春蝶さんはどんどん納得していった。

「よしっ。ほなら、わしも一緒に行ったるわ。わしの顔を売り込んで……」

 そう言いながら腕捲りをし始めたので、私は慌てて「今日は駄目ですっ」と止めた。

「なんでや?」

「今の私は梅吉じゃないんで。あくまでもお梅として行くので、私が春蝶さんと一緒に行くのは変です」

「お梅? まんまやないか。梅吉とお梅が知り合いやったら変じゃないやろ?」

「お綾さんに誤解されます。いろいろと複雑な事情がありますし、時間に遅れても困るので、今日のところはこれでっ」

 やや早口に言って軽く会釈し、私は走りだした。


「あっ、梅吉……やない、お梅はんっ」

 春蝶さんがそう叫んだが、私は藤織屋目指して走った。

 背後から追いかけて来る足音がしないのに気づいて、立ち止まって振り返る。

 春蝶さんの姿がないのを確認して、大きく息を吐いた。


 そして、藤織屋に着いた私はいつもの奥の間に通され、女将さんと話すことになった。

 風呂敷包みを解いて、お風呂セットの上に乗せていた紙を差し出す。


「これが例の……」

 絵を見た女将さんは手に取ろうとしないので、畳の上にそっと置く。

 じっと見つめてしばし沈黙した後、私を真っ直ぐに見据えた。

「うちが藤の名が付くから藤の絵とは案外単純やね。これはお梅さんが指示した構図やの?」

 梅吉が描いたとは言ったものの、それも私なので、お梅が指示したとも言えるし、梅吉が考えたとも言える。

 どっちを答えたら、女将さんが納得するのか。

「……私が月と藤と蝶を描くよう指示して、構図は梅吉さんが考えました。花鳥風月を表しておりますが、鳥の部分を蝶に変えました」

「間違えたんやなくて?」

「はい。鳥は花をついばんでしまうことがありますが、蝶は花の蜜を求めて寄っていきますし、花もまた甘い香りで蝶を誘います。縁を運び、結んでくれるようにと縁起を担ぎました。月も満月にせず、あえて満月の一歩手前を描いています。満ちてしまえば欠けていくだけですが、これから満ちていくという月ならば吉祥画になるかと思いまして。風も花を散らせて舞わせると一見綺麗に見えますが、この絵の花は藤。藤織屋さんを表現しているのに散らせてしまうのは縁起が悪いので、藤の花が少し揺れている様子で表現しています。これなら時流に乗って益々の発展を願うことになりませんか?」

「それはお梅さんの考えやの?」

「鳥を蝶にしたのは私ですが、月も風も含め、構図は梅吉さんの考えです」

 ファッション業界は常に時代の最先端を行かなくてはならない。

 時流に乗るというワードは金庫番も務める女将さんには響く……はずだ。


「……なるほど。いろいろと意味が込められとること、考えがあるんは分かりました。せやけど、この絵の価値は今はあらへんと思うとります」

 確かに梅吉の名はまだ全然誰にも知られていないどころか、まだアシスタントの扱いだ。

 幾ら肉筆画が高いといえども、一人前でもない無名の絵師が描いたものに価値がつくはずがない。

 やっぱり治兵衛さんに描いて貰えば良かった。

 でも、私のお風呂のことなのにまた治兵衛さんに頼るのは駄目だ。

 どうしたら……? と項垂(うなだ)れかけた時。

「これを風呂代にして大損やわって言えるように、梅吉さんによろしゅう伝えてんか?」

 女将さんの言葉に私は顔を上げた。

 それって、つまり……

(はよ)うこの絵を自慢できるようになりたいもんやわ」

 気に入って貰えたってこと?

 女将さんは笑顔で立ち上がると、「誰かおるぅ?」と障子を開けて声を掛けた。

 すぐに駆けて来た使用人と思しき女性に「これ、この部屋に飾れるよう、掛け軸にして(もろ)うといて」と指示した。


 自分の描いた絵を掛け軸にして貰える。

 それを目の前で聞いた私は飛び跳ねて喜びたいのをグッと我慢した。


「そないに喜ばれたら言い難いんやけど……そろそろお風呂の入り方、細かく言わせて(もろ)てええ?」

 ニヤけてしまっていた頬を両手で押さえ、女将さんの呆れた顔に恥ずかしくなった。

 やっぱり私のお風呂の入り方は間違っていた。

 初回の女将さんの反応でその自覚はあったのだけど、誰にも聞けなかった。

 二回目はとにかく浴室を汚さないよう、浴室以外を濡らさないよう気をつけていたのだけど。

 女将さんの我慢の限界が来ていたようだ。


 再び私の前に座り直した女将さんは軽く溜息を吐いた。

「初めてうちで風呂入りはった時は髪も体もびしょびしょ、肌着も一人で着れへん。そん次は長いこと入ってはる思うたら、お湯を使い切ってもうとる」

 いや、使い切ってはなかったはずだけど。

 髪を洗うのに何度も桶で湯を汲んだ覚えはある。

「それに何よりも驚いたんは……裸で入ってはることや」

 え? お風呂って普通裸で入らない?

「女子は帷子(かたびら)着て入るんが普通や。湯屋やと裸で入る(もん)もおるんやろけど……うちは湯屋とは(ちゃ)うからな。お育ちがええと思うとったんやが、裸で入りはるやなんて……意外と奔放なんやね」

 そういえば、昔は女性は人前で肌を露出してはいけないんだった。

 お松さんに着物を着せて貰った時も、一番下に着る肌着の段階で、すでに下着姿扱いだった気がする。

 江戸のお嬢様と誤解されてたのに、裸でお風呂に入ったことで疑問を持たれたかもしれない。

 実際、お嬢様ではないのだから仕方ないのだけど。


「すみません……いろいろとその、覚えていないことが多くて……」

「ああ、せやったね。それに今は長屋暮らしやったな? せやから帷子用意して貰えへんのやね」

 両手をぽんっと打って、女将さんは勝手に納得した。

「ほなら、うちは呉服屋やさかい。帷子もつけたるわ。梅吉さんには頑張って貰わな」

 女将さんはそう言いながら既に立ち上がり、帷子を取りに足早に部屋を出て行った。


 正しいお風呂の入り方は学習した。

 女将さんにも絵を認めて貰えた、気がする。

 だから、梅吉として早く一人前の絵師にならなくてはっ。

 そう決意をしかけて私はふと、とんでもなく大事なことに気づいた。


 私、この時代で頑張っていいの?

 もし、私が有名な人気浮世絵師なんかになっちゃったりしたら……

 歴史が変わっちゃう?


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