61.おやつ
そろそろお昼だと思っていたけど、実はとっくにお昼は過ぎていたようで。
「八つ時にと思うて」
春陽さんが荷の一つを解いて居間の畳の上に広げたのは焼き芋だった。
八つ時だけは何時か分かる。
三時に食べるおやつの語源だからだ。
ってことは今は十五時?
道理でお腹がペコペコな訳だ。
でも、さっきまではお腹が怪獣のような音を立てて鳴っていたけど、今は落ち着いていた。
お腹も空き過ぎると、鳴らなくなるようだ。
だけど、焼き芋は有難い。
「おっ、ええ物持って来たやないか」
土間から治兵衛さんが手を伸ばす。
「ここに来る道中、店を見つけて美味そうやって言うたら、春蝶はんが買うてくれはって」
「ばっ……それ言うたらあかんって」
春蝶さんが春陽さんをどついた。
「なんでや? 別に言うてもええやんか」
治兵衛さんがそう言うと、春蝶さんは俯いた。
「今朝、春好はんに言われはったこと、気にして詫びのつもりやったんやないですか?」
春陽さんがそう言うと、春蝶さんがとキッと睨んだ。
「別にそういうつもりやあらへんっ。美味そうやったから買うたまでやっ」
「ほな、そういうことにしとこか」
治兵衛さんがそう言うと、「せやから違うって」と春蝶さんが顔を真っ赤にして言ったが、皆笑って芋を手に取った。
「ウメも食べや。春蝶がこの間の詫びやって」
治兵衛さんが芋を差し出すので「ありがとうございます」と受け取る。
熱々ではなかったが、まだ温かい。
「春蝶さん、戴きます」
そう言うと、春蝶さんは「おお」と視線を合わせずに唸るように返事した。
作業場で怒られた時はヤクザかと思うくらい怖かったけど、今、目の前にいる春蝶さんはなんだかかわいく見える。
「ちょっと茶を淹れて来るさかい、上がって休みや」
治兵衛さんがそう言って奥へ引っ込むと、皆、土間に荷を下ろして居間に上がる。
芋を真ん中にして、土間を背に右手に春蝶さん、左手に春陽さんが座したので、私は二人の間に座った。
「この間は大変やったんやてな」
春陽さんがそう話しかけて来た。
あの日は春陽さんはいなかったはず。
「春蝶はんは丸め込むんが上手いさかいな、蟻地獄を見とるようやったって助が言うてましたで」
「蟻地獄……ですか?」
「責任取れ言われはったんやろ? あれ、わざとやねん。責任っちゅうたら悪いことした思うやろ? 手伝わせる口実に使うただけやから、気にせんでええんやが……梅吉はんは泣いたらしいな」
春陽さんはそう言って笑った。
笑われると泣いたことが凄く恥ずかしくなる。
でも、なんだ、ただの口実だったんだ。
「蜘蛛の絵も見せて貰うたけど、あれは見事やったわ。あれはあのまんま嘉助はんが彫るって言うてたで。売り物にはならへんけど、どうしても彫りたいって。嘉助はんがあっこまで言うんは珍しいで」
彫るってことは嘉助さんって人は彫師の方なんだろうな。
あの日、木を彫っていた人は……確か、体格が良くて春蝶さんと一緒に私を睨んでいた人だ。
「嘉助は春蝶と仲がええからな。悪巧みにもすぐに乗っかるよって、春蝶と一緒に雷落としといたさかい」
そう言いながら治兵衛さんが湯呑を載せた盆を片手に戻って来た。
盆を畳の上に置くと、真っ先に春蝶さんが手に取ろうとして「あちっ」と言って手を引っ込めた。
それを見て春陽さんが伸ばしかけた手を引っ込めた。
「ウメは見事な絵が描けるが、まだ絵師やないし、浮世絵についても役者についても何も知らんって話しといた。せやからウメ、春蝶もこうして反省しとるさかい、水に流してこれからは仲良う一緒にできるな?」
治兵衛さんにそう言われて気付いた。
そういえば、一緒に春蝶さんに会ってお互いの誤解を解こうと話していたことを思い出す。
いろいろあって会う機会がなくなってしまったのを治兵衛さんは気にしてくれていたんだ。
私は「はい」と大きく頷いて、春蝶さんに向き直った。
「これからよろしくお願いします」
そう頭を下げると、春蝶さんも居住まいを正して頭を下げた。
「わしの方こそ、よろしゅう頼んます」
そこで春蝶さんの視線が何かに気づいたように止まり、「おっ」と声が漏れた。
「ややっ。これは……もしや……」
春蝶さんの指が芋を包んでいた紙の一つを摘まみ、ゆっくりと引き出された。
「春画やおまへんかっ。しかも春好はんが描きはった……」
春蝶さんの言葉に治兵衛さんが持っていた芋を置いて紙を奪おうと手を伸ばす。
が、春蝶さんはひらりと躱し、素早く立ち上がって春陽さんの隣に移動する。
治兵衛さんも立ち上がって身構えた。
春陽さんは残っている紙を漁り、そこからまた一枚引き抜いて「おお」と声を漏らした。
春画ってなんだっけ?
「ウメッ、見たらあかんっ」
治兵衛さんが止めるのと春陽さんの手元を覗き込んだのはほぼ同時だった。
春陽さんの手元の紙を無理矢理掴んで奪い取ろうとしたが、真ん中が破れてしまった。
チラリと見えたのは、男女のあられもない姿……だった。
「梅吉はんの練習用に屑紙を持って来い言われてたヤツです。芋買うた時に包む物がなくて……まさか小遣い稼ぎのお宝が紛れとったとは。これ、売って来ましょか?」
春陽さんが真面目な顔で治兵衛さんに問う。
「売らんでええっ。なしてこれで芋をっ……」
治兵衛さんが顔を真っ赤にして春陽さんを睨み、次いで春蝶さんを睨んだ。
しかし、春蝶さんは悪びれた様子もなく。
「梅吉はんも描いてみるか? 梅吉はんやったらかなり稼げるんと違うか?」
と、ニヤけた。
「春蝶っ」
治兵衛さんが春蝶さんに掴みかかろうとするのを春陽さんが素早く止める。
「わしも梅吉はんの春画やったら高く買うで」
治兵衛さんを止めながら春陽さんが真面目な顔で言う。
治兵衛さんもそういう絵を描くんだ。
胸の奥がざわつきつつも、一瞬だけ見た絵が頭から離れず、顔を赤くして黙っていた。




