57.証
治兵衛さんに薬を飲ませて寝かせた後、玄斎さんが話があると部屋に招き入れられた。
「鷹山……ウメを脅した者やが。さっき話つけてきっちり口止めして来たさかい、この件は安心してええ。せやけど、すぐに女やと見抜かれたんは今後のこともあるさかい、ちゃんと考えなあかん」
玄斎さんの言葉に身を竦める。
お松さんにバレた時、気を引き締めたはずが、すぐにこんなことになってしまったことは、一重に私の自覚が足りなかったせいだ。
私一人の問題じゃない。
周囲の人達も巻き込んでしまうことなのに。
「口止めって……何をしたんですか?」
もしかして玄斎さんが何か犠牲を払ったのでは、と気になって訊いてみた。
「悪い噂がある奴やったさかい、それをちっと仄めかしただけや。互いに秘密を守るっちゅうことで、納得したさかい」
どんな噂か分からないけど、黙らせるほどの事って……?
「悪い噂って……?」
つい訊き返してしまった。
「患者の懐に手を突っ込んだり手癖の悪い奴や。あんなん医者やない」
玄斎さんは淡々とそう言った。
「人の弱みに付け込むような奴は自分の弱みを握られるとあっさり折れるもんや」
玄斎さんはそれ以上詳しく話すつもりはないようで、話はそこで打ち切られた。
「そこでや。見た目だけを気にしとったが、それだけやとどないしても説得力に欠ける。せやから、証を手に入れなあかん」
「証……ですか? どうやって……?」
「寺請証文を手に入れようと思う」
「寺請証文って何ですか?」
「どの寺の檀家かっちゅう証や。身元と住居の証にもなる物や」
戸籍と住民票と宗教の証明みたいな物を合わせたような感じってことかな?
それがなければ、この時代では「存在しない人間」と同じなのだ。
そう気づいたら、確かにそれがあれば安心できそうだけど、同時にその重さも感じた。
私はこの時代に、まだ「いない」のだ。
「それって簡単に手に入る物なんですか?」
「まあ……あの坊主やったら袖の下さえあれば余計な詮索せずに証文を書いてくれるやろ」
袖の下って……賄賂ってこと?
お金で解決できるなんて、この時代の身分証明って割と緩かったんだ。
「ただ問題があってな。うちにそないな銭はあらへんさかい……すぐに用立てはでけへん。証文手に入れるまではしばらく外に出るんは控えて貰えるか?」
お金で解決できるとはいえ、額にもよる、ということを失念していた。
それに私が迷惑掛けているのにそれを玄斎さんに払わせるのは違う。
何もかも甘えて守って貰うんじゃ、駄目だ。
これまでのことを思い返した。
タイムスリップして以来、食事も、住む場所も、着替えも、お風呂も、全部誰かに頼ってきた。
今日だって、私の迂闊さが招いたことを、玄斎さんが後始末してくれた。
恥ずかしいとか申し訳ないとか、そういう言葉では足りないくらい、情けない。
でも、いつまでも情けないままでいる訳にはいかない。
「あのっ。お金の代わりに絵を渡す、というのは……?」
「絵? 治兵衛に肉筆画でも描かそうっちゅうんか?」
「違います。私が描いた絵じゃ……お金になりませんか?」
「治兵衛が褒めとったんは聞いとるが、無名の絵師の絵に価値はないで?」
そう言えば、玄斎さんは私の絵をまだ一度も見ていない。
「この時代にない絵なら? 写真……本物そっくりの立体的な絵が描けます」
「そっくり言うてもな……そないな絵は珍しゅうないし、いくら上手うても……」
「じゃあ明日、絵を描くのでそれを見て判断してください」
治兵衛さんが肉筆画は高価だと言っていた。
どれくらい高価なのか分からないけど、無一文で何もできない私に唯一できることは絵しかない。
必死に訴える私に玄斎さんは渋りつつも、「ほなら、明日描いてみぃ」と言ってくれた。
良かった。
でも、これが本当の意味でのスタートだ。
明日、玄斎さんを納得させる絵を描けなければ、結局また誰かに頼り続けることになる。
鉛筆は短くなってしまったから大事にしたい。
絵筆は使っていたけど、この時代の筆はあまり馴染みがない。
写真のような絵は鉛筆画の方が得意だ。
それをこの時代の筆で描けるか、まだ分からない。
それでも、やるしかない。
やっと一つだけ、自分で動ける気がした。
「ところで……証文貰う前に一つ確認しときたいことがあんねんけど」
玄斎さんはそう前置きをして、背後の長持から丁寧に風呂敷に包んだ物を取り出した。
一体何の話だろう?
厚みがない包みを恭しく広げて出て来たのは。
「縫い目のない布は天の衣やと聞くが……ウメは未来から来たんやのうて、天から降りて来はった……天女様?」
消えた私のパンツだった。




