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花枝春色 - 鉛筆一本から始まる再起録  作者: 紬 蒼
其ノ弐:絵の世界へ
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56.露見

「こないな刻限にどないしたんや? 治兵衛になんかあったか?」

 玄斎さんの問い掛けに私は首を横に振った。

「治兵衛さんは一時は熱が下がって回復してたんですが、また少し熱が上がってしまって……」

「ほな、薬が必要やな。そうやろう思うて、他の医者とちっと代わって(もろ)うて来たんや」

 じゃあ、着替えは必要なかったんだ。

「一人で任してしもて悪かったな。飯やなんかは大丈夫やったか?」

「あ、はい。それはお松さんが来てくださったので」

「そうか。ほな、外におる理由はなんや?」

 核心を問われて、私は言葉に詰まった。

 言い訳が思いつかなかった。


「何か言い難いことか?」

 玄斎さんが心配そうに問う。

 その優しい声音に思わず喉元まで出かけた言葉を飲み込む。

 知られてはいけない。

「……ちょっと、用事があって」

「日が落ちてから女子(おなご)が一人出歩くんは危ないさかい。どんな用事やったにしても許すことはでけへんな。それでもっちゅうんやったら、せめて理由(わけ)を話してんか?」

「それは……話したらお二人に迷惑が掛かってしまうので……」

「迷惑てどの程度や?」

「……命の危険も……あるかもしれないので」

「そないに大事(おおごと)やったら、尚の事、俺には話す必要があるんやないか? それに……そないなことになったんはもしや俺のせいやったりするか? 例えば……昼間、着替えを届けてくれはった時に脅された、とか?」

 玄斎さんの言葉に私は思わず顔を上げて玄斎さんを見上げた。

「……やっぱりな。俺に風呂敷包み渡した時のあいつ、えらい上機嫌やってん。以前(まえ)から悪い噂のある医者でな。正直あんまり好かへん奴やったんや。で? 何言われたんや?」

 そこまで言われてしまっては、これ以上隠し通せない。

 そう観念して、私はあの医者との会話を玄斎さんに話した。


「ほな、今ここにおるっちゅうことは、あんな奴の言うことを聞くつもりやったんか?」

 話を聞き終えた玄斎さんは怒っていた。

 声を荒げることはなかったけれど、その声音には明らかに怒りが籠っていた。

「……言うことを聞くしか、ないじゃないですか。じゃないと、玄斎さんと治兵衛さんに迷惑が……」

「せやから自分一人が酷い目に()うて、それで俺らが良かったって言うと思うたんか? 俺らをなんや思うとるんや?」

 玄斎さんはそう言って、私の腕を掴んだ。

「え? ど、どこに行くんですか?」

「帰るんや。あんな奴んとこに行く必要ない」

「で、でもっ」

 反論しようとしたけど腕を掴む力が強くて、有無を言わせぬ雰囲気があって、私は小走りになりながら家に連れ帰られた。


「治兵衛ッ。ウメを外に出したらいかんでっ」

 玄関の戸を開けるや否や、玄斎さんはそう言って私を家の中に押し込んだ。

 そして、すぐにピシャリと戸を閉め、玄斎さんは一人、出て行った。

 多分、あの男のところに。


「何があったんや? 玄兄はなしてあないに怒っとるんや?」

 治兵衛さんの問いに私は俯いた。

 ちらっと見た治兵衛さんの顔は赤い顔をしていた。

 さっきより熱が上がってるんじゃ……?

「……外は危ない言うたやろ? 追いかけて止めるべきやったんやが……俺のせいで、すまんかったな」

「え? い、いえ。治兵衛さんのせいじゃ……」

 何か誤解されてる?

「何があったんや?」

 心配そうに見つめられ、私は治兵衛さんにも同じ話をした。


「……それは玄兄が怒るんは当然やな。俺らはそんなに頼りにならへんか?」

 話を聞き終えた治兵衛さんはそう言って私を睨んだ。

 治兵衛さんも怒っている。

 二人を守るために黙っていたのに。

 いつもこうだ。

 良かれと思ってやったことが、結果的に相手の気分を害してしまう。


「私はただ……迷惑を掛けたくなくて……」

「せやけど、震えるくらい怖い思いをしとって、それを一人で我慢するんは(ちゃ)うと思うで? それにそういうんは迷惑とは言わへん。頼ってええんや」

 そう言って治兵衛さんが優しく笑みかけてくれた途端、なぜか急に涙が溢れてしまった。

 泣きたかった訳じゃない。

 なのに、溢れて止まらなくなってしまった。

 そんな私を治兵衛さんがそっと抱きしめて、背中をぽんぽん、と撫でてくれた。


 そこに玄関の戸が開く音がして、咄嗟に治兵衛さんが私から離れる。

 玄関を振り返ると、そこには玄斎さんがいて、怪訝そうに私達を見ていた。

「何しとるんや?」

 問われて治兵衛さんは「な、何もしてへんでっ」と慌てた。

 私も気まずくて玄斎さんから視線を逸らす。

「……ウメ、話つけてきたさかい、何も心配せんでええで。治兵衛、すぐ薬作ったるさかい、ちょっと寝て待っとき」

 玄斎さんはそう言って家の奥、薬棚の方へと行ってしまった。


 また、玄斎さんに助けられてしまった。

 でも、一体あの男になんて話したんだろう?


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