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花枝春色 - 鉛筆一本から始まる再起録  作者: 紬 蒼
其ノ弐:絵の世界へ
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52.提案

「そんでな、家に戻ってすぐ土下座してん」

 治兵衛さんは苦笑いを浮かべてそう言った。

 私をこの家に置いてくれるよう頼んでくれた時の姿を思い出す。

 あの時も治兵衛さんは何の迷いもなく、私のために土下座をしてくれた。


「あれ以来、俺は思った。何でも腹ん中溜めるんは良うない。どんなに強く思っとっても言葉にせぇへんと伝わらへんしな。せやから俺は思ったことはすぐ出す」

 治兵衛さんが感情を表に出すのはきっと露好さんという兄弟子の影響じゃないかな。

 雪好さんの優しさ、真好さんの真面目さを治兵衛さんは貰って今がある。

 きっと作業場を仕切る時の顔は松好斎さんに似てるんじゃないかな。

 たくさん辛いことがあって、でもその度にたくさん優しさを貰って、今の治兵衛さんがいる。


 でも、治兵衛さんはなんでそんな過去を突然私に話してくれたんだろう?

 そう疑問が湧いた瞬間。


「ほんで、話を戻すんやが……やっぱり俺と絵を描かへんか?」


 突然の申し出に思わず「え?」と問い返した。

「絵が好きやって()うたな? 本気で好きなことは家を追い出されたって諦めきれへんもんや。俺は絵の道を選んだことを後悔してへんし、未来(さき)の世の道理は分からへんが、ウメにもせめて江戸時代(ここ)におる間は好きな絵を諦めて欲しくないねん」

 治兵衛さんはそう言って真っ直ぐに私を見据えた。

 その視線に私は思わず目線を落とす。

「春蝶みたいにいきなりコレやれアレやれ言わへんさかい。俺の門人にするつもりはあらへんが、ウメのような絵を俺も描いてみたいとは思うてる。筆やと無理かもしらんがな」

「筆でも写実的な絵は描けますけど……ところで、モンジンって弟子って意味ですか?」

「まあ……弟子を指すことが多いんやが、直接の弟子やない場合もあるな。なんちゅうか……同じ流派? みたいな?」

「でも、治兵衛さんは松好斎さんの門人でしたよね? 門人が門人をとれないから私を門人にしないってことですか?」

「門人が門人をとることはできるで。松好斎先生は流光斎先生の門人や。なんて言うたらええんかなぁ? 一人立ちして自分の門人を持って、先生の教えを広めるっちゅうか……代々受け継いでいくっちゅうたらええんか……ま、そんなとこや」

 治兵衛さんが途中で説明を放棄したのが分かったので、それ以上深く聞かないことにした。


「俺がウメを門人にせぇへんのはウメが未来の人やからや。ウメの絵を真似したい思うが、なんかそれはズルしとるようで……なんや後ろめたい気持ちになってまうさかい。前に()うた、見てへん(もん)は描けへんっちゅうのは絵師として駄目やと思うが、未来の技を俺だけやない、作業場の(もん)が真似てまうのは避けたいとも思ったんや。それで一旦保留にさせて(もろ)うてたんやが、やっぱり一緒に描きたい思うてな。ウメが嫌やなかったら、絵を描いてみんか?」

 改めて治兵衛さんがいろいろ考えた上で、私に一緒に絵を描こうと言ってくれたことは正直とても嬉しかった。

 でも、春蝶さん達のいる作業場を思い出すと頷くことができなかった。


「……春蝶らのことは俺が話したる。俺も最初はあいつ等といろいろあってん。歳が一番下やのに仕切り任されてんけど、版元との交渉が下手やってなぁ。雪好兄さんに泣きついたこともあったんやけど、一人で解決せぇて言われて……結局、大喧嘩して腹ん中の(もん)出し切って仲良うなったんや」

 治兵衛さんも苦労したんだ。

 でも、治兵衛さんは男だ。

 だから、女の私とは違う。

 それに絵は描きたいけど、浮世絵師になりたいかと言われたら……違う気もする。

 高校の部活とか、趣味で漫画を描いていた時のような、あんな絵を描く時間があれば。


「ま、どの道、明日一緒に春蝶と話そか」

「な、何を……?」

「今朝、啖呵切って逃げ帰って来たんやろ? そのまんまやと道で()うた時に気まずいさかいな。それにウメが誤解されるんも春蝶が誤解されるんも俺は嫌や」

 治兵衛さんのその言葉に私は「はい」と静かに頷いた。


 思えば、ひったくり犯に遭った時の春蝶さんと今朝の春蝶さんは全く別人のように見えた。

 私の絵を凄いと作業場の人に語っていた時と失敗した責任を取れと迫った時の口調と言い、表情と言い。

 だから何かやっぱり私が誤解してるんだろうか。

 そして、春蝶さんもまた私に対して何か誤解してあんな態度を取っていたのか。


「ところで……腹減らんか?」


 治兵衛さんの言葉にハッと室内を見回した。

 無意識に時計を探してしまったけど、ここは江戸時代。

 さっき鐘が鳴る音がしたけど、何回鳴ったっけ?

 時計がないって、やっぱり不便。

 でも、お腹の減り具合からとっくにお昼は過ぎている。


「な、何か用意しますねっ」

 私は急いで台所へ行ってみる。

 お松さんがくれた煮物があった。

 ご飯は……ない。

 冷え切って煮凝りができた煮物だけ。

 この家の食事事情はご近所からの差し入れで成り立っている。

 冷蔵庫、インスタント、電子レンジが恋しい。

 そう思っていると。


「お梅ちゃん、おるぅ?」


 天の助けがやって来た。


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