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花枝春色 - 鉛筆一本から始まる再起録  作者: 紬 蒼
其ノ弐:絵の世界へ
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51.昔話 ⑨ 同居生活

 三月の初め。

 その日は雪が降るのではないかと言われるほど、とても寒い日だった。

 昼飯時、治兵衛は玄斎の家の戸を叩いた。

 この時間なら家にいるだろうと踏んでのことだ。

 案の定、少しして玄斎が戸を開けた。


「治兵衛……どないしたんや? そないな大荷物で。引っ越すんか?」

 治兵衛の姿を見た玄斎は開口一番、引越しの挨拶に来たのかと驚いた。

「そのことなんやけど……一部屋くらい余ってへんか?」

「は? まさか、うちに?」

「飯は作れへんけど、茶ぐらいやったら沸かせるし、掃除や洗濯もできるで?」

 上目遣いに哀願する治兵衛に、玄斎は片手で顔を覆って項垂れた。

「……久し振りに会う(もん)に頼むことやあらへんやろ」

 呆れて溜息を吐く玄斎に治兵衛は苦笑いを浮かべた。

「ま、話ぐらいは聞いたるから、とりあえず中入れ」

 そう言って招き入れられた治兵衛は勝手に居間に上がり込み、背負っていた風呂敷包みを下ろした。

「茶を淹れて来るわ」

 そう言って奥へ去る玄斎を見送って、治兵衛は他の部屋も勝手に襖を開けて覗いて回った。

「勝手に何しとんねん?」

 そんな治兵衛に玄斎が心底嫌そうに眉間に皺を寄せる。

「これからここへ住むさかい、どうなっとるか見ただけや」

「まだ許可しとらんがな」

「一人やと何かと忙しいやろ? わしが少しは手伝うさかい」

「お前は絵師になったんやったな? そっちは辞めてしもうたんかいな?」

「いや。実は師匠がこの流行り病で亡くなってしもうてん。そんで、行くところがなくなってしもて……」

「山本屋はどうした? お前の家はまだあるで」

「……絵師になる()うたら勘当されてん。そんで、これからは兄弟子が三人おるんやけど、兄さんらも皆、それぞれで描くっちゅうて……俺も一人で描かなあかんくなったんや」

 治兵衛もまた自分と似た境遇に陥っているのだと知り、玄斎は押し黙った。

 代わりに茶を治兵衛の前に置いた。


「……ほな、住むとこ見つけるまでやったらうちに置いてやってもええで」

 正直、家に一人でいると、父のいない寂しさと父の名に恥じぬ医者でいなければ、という重圧で押し潰されそうになることが多々あった。

 治兵衛という話し相手がいれば、それも少しは紛れるかと思ったのと、手が回らない掃除や洗濯を手伝って貰えるという打算もあった。


 しかし、実際一緒に暮らしてみると、二人は対照的で何もかも合わないことが分かった。

 治兵衛は基本的にはきちんとしているが、根が大雑把なので細かいことを気にしないところがあり、潔癖で完璧主義な玄斎をイラつかせた。

 絵師の仕事がある時は夜遅くまで絵を描き、集中している時は周りが見えなくなるところがある。

 墨で部屋は汚れるし、紙が散乱していることもあった。

 仕事がない時は掃除や洗濯をしてくれるが、仕事がある時は一切しない。

 しかも、丁寧にしてくれる日もあれば雑な日もあって、玄斎がやり直すこともあった。

 医者の手伝いもしてくれる日もあったが、絵師の仕事がない時に限られたので、当てにはできなかった。

 その治兵衛も徐々に絵の仕事が増え、互いに忙しくなって来ると、ついに限界が来た。


「治兵衛っ」

 同居を始めて半年。季節は夏を迎えていた。

 早朝、治兵衛が井戸端で顔を洗っていると、玄斎の怒鳴り声がした。

「朝っぱらからなんや?」

 治兵衛が顔を拭きながら家の中に入ると、険しい表情で仁王立ちする玄斎がいた。

 その手に握り締められた布に治兵衛は「あ……」と短く漏らした。

「すまん。墨を零してもうて、近くに(それ)があったさかい、ちっと借りたんや。あとでちゃんと洗うつもりやってん」

 治兵衛が笑って誤魔化そうとすると、玄斎は「出てってくれんかっ」と叫んだ。

「な、なんや? そないに怒らんでもええやないか。洗えば済む話やろ?」

「お前にとっては大したことやないんやろが、俺にとってこれは大事な(もん)なんや。お前はいっつもそうや。ここは俺の家やねん。汚されるんも勝手されるんも嫌なんや。それに俺は医者や。人の命を(あつこ)うてるさかい、何でもちゃんとしときたいねん。お前みたいに好き勝手雑に生きとらんよって……」

「そないな言い方せぇへんでもええやろ」

 捲くし立てる玄斎の言葉を遮って、治兵衛も玄斎を睨みつけた。

「大事な(もん)を汚してしもたんは悪かったわ。そりゃ謝る。せやけど、医者がなんぼのもんや? 俺かて生半可な気持ちで絵師をやっとる訳やない。好き勝手()うけどな、これはただの道楽と(ちゃ)う。俺の人生を、命を懸けとることや。役者絵だけが絵やない。玄兄が見とる医書の挿絵やって医者が描いとるんもあるが、俺らが描いた(もん)もある。何かを伝える手段でもあるんや」

 声を荒げることなく、そう反論した治兵衛の目には静かな怒りが宿っていた。


「……お前とは分かり合えん。この手拭いは母が父に繕うた(もん)や。この家にある(もん)は全部、俺にとっては形見や」

 玄斎の言葉に治兵衛は気づく。

 玄斎の母は玄斎が物心つく前に亡くなっている。

 玄斎の父も昨年、流行り病で亡くしたばかりだ。

 治兵衛にとってはただの手拭いだが、玄斎にとっては両親の思い出が詰まったもので、他には代えがたい物だった。

「これ以上、一緒に暮らすんは無理や」

 玄斎の言葉に治兵衛は「分かった」と呟いて、何も持たずそのまま家を出た。


 洗えば済むとは言ったが、墨の汚れは完全には落ちない。

 治兵衛は行く当てもなく通りを歩きながら、反省していた。

 幼馴染とはいえ、小さい頃に一緒に遊んだ思い出が少しばかりあるだけだ。

 その程度の縁を頼りに家を訪ねた治兵衛を玄斎は受け入れてくれた。

 玄斎は忙しくしていても細かいことによく気づいた。

 頼りになる兄のような存在でもあるが、世話を焼く母のようでもあり、それに治兵衛は甘えていた。

 玄斎もまた父を失ったばかりで、否応なく医者として一人立ちを迫られ、哀しむよりも目の前のことをこなすことで精一杯だったはずだ。

 治兵衛の面倒を見る余裕はなかったはずだ。

 治兵衛もまた一人追い出されたが、兄弟子等との繋がりはある。

 今も自然と足は雪好の長屋へと向いていた。


「確かに背負うとるもんは(ちご)うとるかもな……俺はまだ……玄兄より軽いかもしれん」

 そう思った途端、足が止まった。


 そして、踵を返し、元来た道を駆け出した。


治兵衛の過去回想編はこれにて終了です。

次話から再び璃花視点で物語が続きます。

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