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嫌な顔でおぱんつ見せながら土下座してもらいたい

要求が多くてややこしいと思った

 濁りのない、風切り音。


 乾いた、衝突音。


 濁りのない、風切り音。


 乾いた、衝突音。


 学園の運動場からの喧騒も、街中からの生活音も、距離とともに減衰してあまり届かない弓道場周りでは、淀みないリズムで繰り返される2つの音色が、却って寂静感を助長していた。


(本当にいるんだな……しかも、こんな授業時間中に1人で……)


 紅葉月深冬は聖女なのだから、学園施設の使用許可を取ることくらいは容易く、なんの問題もないだろう。


(聖少女学園には弓道部も存在していたはず……それなのに、わざわざこうして1人でやっているということは、他人との関わりを増やしたくない、或いは1人の時間を好んでいる、ということだろうな……)


 そこまで考えて、このままノコノコ現れたところで好感触を得られるとはとても思えない奏詩であったが。


『さぁ、如月さん、早速行くですよ! お2人のラヴストーリー・第1章の幕開けです!』


 視聴覚室でモニタリングしている千葉崎鵠は、奏詩とはまったく異次元のテンションで、平然とGOサインを出す。


 因みに弓道場には予め監視カメラが仕掛けてあるらしく、音声だけでなく映像も共有されているとのこと。それもまた怖し。


(上手く行くとはまるで思えないが……ま、ここで行かないのも、素っ気なく追い返されるのも、大差はない……か)


 弓道場の入り口から中を覗き込みつつ、上下の歯を1回打ち合わせる。事前に決めておいた、奏詩側からの返事のサインだ。


 1回ならYES、2回ならNO、指示を求める場合は3回という具合に。


 聖女といえども、常時五感を強化しておくようなことは基本しない。


 ほんの小さな物音まで拾い続けていたら煩くて仕方がないので、特に聴覚強化は非常時以外オフにしておくのが常識となっている。


 おかげで奏詩や組織の諜報員の活動も、多少は難易度が下がっている。


 とはいえ弓道に於いては、精神統一を図ることも重要なファクターとなっており、意図せず感覚が研ぎ澄まされる可能性も考えられた。


 よって距離があったとしても、小声であろうとも、直接的な会話は避けるべきと奏詩は判断した。


(行くのはいいとして、どう出ていったものか……)


 奏詩の平凡以下な想像力で、陽キャ感をイメージトレーニングしてみる。


『ウェーイ! 深冬っちゃんじゃーん! 弓道しちゃってる系ですかフォー!』


 反吐が出そうなので却下することにした。


(……やはりここは、消極的に姿を現すことにするか……)


 言うまでもなく、如月奏詩及び黒崎蒼汰もコミュ障である。


 他人と距離を詰める行為は得意ではなく、どうしても構ってちゃんムーブになるのは致し方ないことだった。


 目をつけたのは、古めかしさを演出するために、敢えて木製で拵えられた入り口の引き戸。


 開放的な空間であるため遮音性を考慮することもなく、ガタガタ揺れる余白のあるその構造。


 奏詩はわざとそこに体重を掛け、物音を鳴らす。


 首尾は上々。定期的に響いていた射の音は止まり、深冬の視線が入り口に向けられていることが察せられた。


「すみません。邪魔をするつもりはなかったのですが……」


 嘘松ばりにいけしゃあしゃあと虚言を宣いながら、奏詩は弓道場へと足を踏み入れる。


 半野外で広々とした、一般的な弓道用施設。


 別段代わり映えするものもなく、特筆する甲斐もない空間の奥で、練習用の弓と矢を手にした深冬がただ1人、凛と立っていた。


「如月さん……? どうしてこんな所に?」


 邪険にするようなニュアンスは感じられない。単純な疑問と推察される。


 取り敢えず、そそくさと退散する必要はなさそうで何よりだった。


「いえ、特に意味はないのですが、学園内をなんとなく散策していたら、弓の音が聞こえたものでしたので、気になって」


 インカム越しの鵠からは『キミを捜していたのさ』などという馬鹿げた指示内容が飛んできていたが、奏詩は即座に歯を2回鳴らして拒否していた。


(そんな歯が浮くどころか、顎ごと吹き飛んでいきそうなセリフが言えるわけないだろうが。しかもどう考えたって、キモがられるのが目に見えてるし。本当にオレと彼女をくっつけるつもりがあるのか?)


 故意に好感度を下げさせる、味方のフリをした妨害ムーブと考える方が、奏詩にとってはしっくり来た。


「良い腕前のようですね。弓道部に所属しているのですか?」


 深冬の先にある的には、何本もの矢が突き立っている。


 外れて壁に刺さったものや、地面に落下したものは1本も見当たらないことから、奏詩は質問する。


「いや……空いている時間に、間借りさせてもらっているだけだよ。他の人とは、あまり深く関わるつもりもないから」


 射を再開させる素振りをして、退出を促すような、京都風催促行為を深冬は行っていない。


 他人と関わらないと言いながら、奏詩との会話を拒絶するつもりはないらしい。


(……あいつらが言っていた、オレに対して彼女が特別な感情を持っているという推察……間違っていないのかもしれないな……好意を寄せられる心当たりなんて、まるでないんだが……)


 ということで、折角なのでどんどん距離を詰めてみる。


 あまり遠くては会話もしづらいので、特に不自然ではないはずだ、と。


「そうなんですか? 多分歓迎されると思いますけれど。深冬さんに憧れているような方々も、生徒たちの中に少なからずいるらしいですし」


 ふるふると、深冬は小さく首を横に振る。


「買い被りだよ。私は、人に憧れてもらえるような人間じゃない。私なんかと仲良くなったところで、幻滅させることになるだけだ」


(卑屈というか、自虐的というか……聖女の割に、随分と自己評価が低いんだな。しかし、オレにとっては好都合か……? そういうタイプは他人へ依存する傾向も強い、とテキストには書いてあったし、籠絡するにはうってつけなのかも……咲人からはやめとけと言われていたけど、やはりグイグイ行くべきではないだろうか……?)


「そんなことはないと思いますが……今の世の中、一般人にとって最も効率的に成功するための筋道は、聖女と懇意になることなのですから」


「……うん。そう、だね……けど、そういう人たちとは、あまり仲良くなりたくはないかな……」


(確かに。宝くじが当たった後、たけのこみたいに湧いてくる知人友人の同類だもんな。これは会話の進め方を間違ったか。ネジば巻き直したい)


 奏詩は弓道場内にあった弓と矢を、適当に手にしてみる。


「弓道、お好きなんですか?」


 以前アーチェリーは少し触ってみたが、和弓の心得はまるでない。


 見様見真似で、なんとなく射の構えを取ってみる。おそらくそこまで間違えてはいないだろう。


「そう……だね。精神安定の役に立つかもと、カウンセラーの先生に勧められた内の1つだったんだけどね。私には結構、しっくり来てる気がする」


 奏詩の放った矢は、的から左下、15cmほどのところを通過した。


「カウンセリング……ですか? 何故そんなものを、深冬さんが受けてるんです?」


『ストップだよ、奏詩ちゃん! そういうデリケートな部分は、いきなりズケズケと聞いていいものじゃないってば!』


 という舞愛からの制止も、時既に遅し。


 つい気になったことを、考えなしに質問してしまっていた。


(そんなこと言ったって、しょうがないじゃないか。大体カウンセラーとか、聞いてもいないことを言い出したのは向こうだし……)


 やらかしについて心の中で言い訳をする奏詩だったが、深冬の方は気分を害した様子もなく、ただ少しだけトーンを落として、ぽつぽつと答え始めた。


「うん……実は、私はね……記憶が、ないんだ」


 それは奏詩にとって、そしておそらくカメラ越しに覗いている連中にとっても、予想だにしない告白だった。


「記憶が……? えと、それは、どういう……?」


「3年前……私は病院で目覚めたんだ。それ以前の記憶が何もない状態でね。その時に親身になってくれた先生だから、今でも定期的に相談させてもらっているんだ」


 どういうリアクションをしたらいいのか、今の奏詩には見当もつかなかった。


 そんな戸惑いを知ってか知らずか、深冬は尚も重い話を続けようとする。


「思考加速のおかげもあって、1年で社会生活に必要な知識を得ることは、どうにかなった。その後に、先生から聖少女学園へ転入してはどうかと提案されたんだ。何かのきっかけで、記憶を取り戻せるかもしれない、とも」


 順風満帆に育った聖女ならば、今更聖少女学園に通うメリットなどは殆どない。


 やはり彼女もまた、ややこしい背景事情を持っていたわけだ。


「あれ……でもそういうことでしたら、他の生徒との接触を避けるのは、あまりよろしくないのでは? 1人で生活するよりも、多くの人と触れ合った方が、記憶を取り戻す切っ掛けは、多く生まれそうな気がします」


「うん……そう、かもしれないね……けど……やはり、怖いんだ」


(恐怖……か。この場合、2つの意味合いが考えられるが……)


「私の中にある力は、あまりにも強大すぎる……不測の事態が起きた際、誰かが近くにいたら、巻き添えにしてしまうかもしれない。だからやっぱり、他人と深く関わるのは、あまり……ね」


「まぁ、聖女と一般人とでは、性能に天と地ほどの違いがありますから。それでもちゃんと気をつけてさえいれば、不測の事態なんてそうそう起きはしないでしょう」


「……さっき私は言ったよね。病院のベッドで目覚めたって。その前には当然、そこへ運び込まれる段階があった」


「つまり、何かが起きた結果、深冬さんは入院することになっていた、と?」


 深冬は一段と、その表情を曇らせ、微かに頷いた。


「戸籍などを調べた結果、私が生まれた紅葉月という家は、結構な由緒のある、いわゆる名家というものだったらしい。その地方では、随分と大きな敷地面積のお屋敷があったらしいんだ」


 あった。らしい。


 その過去形かつ推定表現は当然、無意味なものではないのだろう。


「私が保護されたのは、その立派なお屋敷があった場所を抉るように出来ていた、巨大なクレーターの中心部だったそうだよ」


 驚きは少ない。良からぬ出来事があったことは予測の範囲内だったから。


「ですが、その時の記憶はないのでしょう? なら深冬さんが原因とは限らないのでは?」


「自身の聖神聖衣については、自分が一番わかっているつもりだよ。この力があれば、それくらいのことは造作もない。そして今の私では、おそらく完全に制御できないであろうことも」


(過信でも、謙遜でもなさそう、か……聖女ですら制御不能な力……そういえばあの河嶋翔子も、随分と彼女を高く評価していたな。深冬の中に存在する力に気付いていたとすれば、辻褄は合う……か)


「わかりました。そういうことでしたら、確かに深冬さんのおっしゃる通りでしょう。一般の生徒と関わるべきではありません」


「うん……そのつもりだよ」


 深冬に悲嘆する様子はない。


 既に彼女自身、諦めてしまっているのだろうから。


 今更誰かと和気藹々過ごす日々など、求めてはいないのだろう。初めから。


『ちょっと奏詩ちゃん! そんな言い方……!』


 慌てた葵の制止を、合図2回で拒絶する。


「ですが、聖女同士であれば、問題はないでしょう?」


 すっと、奏詩は右手を差し伸べる。


「え……?」


「たとえ深冬さんの力が暴走したとしても、私や舞愛さんのような聖女であれば、自分の身ぐらいは守れますし、その暴走を止めることだって可能かもしれません。ですから、少しずつ始めていきませんか? そして深冬さんの精神が安定していけば、聖女以外とでも、危険なく接することが出来るようになるかもしれません」


 嘘だ。


 聖神聖衣の中でも規格外に膨大な能力が暴走などしようものなら、偽物の聖女である奏詩ごとき、塵一つ残さず消滅してしまうことだろう。


「でも……私は……」


 深冬は奏詩の手を取ろうとはしない。


 しかし、完全に拒絶しているわけでもなさそうだった。


(やはりか。紅葉月深冬は他人を傷つけることだけが怖いのではない。彼女の話が真実であるならば、その精神はまだ3才児同等ということ……いや、経験速度と吸収量を加味すればもう少し上になるだろうが、それでも対人関係に不安を抱くのも無理はない)


 深冬はまだ、差し出された掌と奏詩の顔とを、期待と不安の入り混じった瞳で交互に窺い、逡巡し続けている。


(他人を傷つけることを恐れながらも、他人との繋がりを求めている……紅葉月深冬とはおそらく、そういう類の弱い人間だ。少なくとも、精神面に於いてだけは。ならば行ける。強引に距離を詰めて如月奏詩に依存させてしまえば、オレの任務は達成できる……! 躊躇う必要はない。ここで、落とす……!)


 強く心に念じ、奏詩は半歩だけ深冬へと踏み出して、そしてそのまま……静止した。


(バカな……何をしている……? オレの身体、何故動かん!? 行け、行けぇ! このまま深冬の手を掴みさえすれば目的は達せられるのだ……いや、いっそのこと、強く抱き締めてしまってもいい! そして甘い言葉の1つでも囁いてやれば、逆らう意思など容易く取り払えるはずなんだ……! なのに、どうして……? まさかオレもまた、怯えているとでもいうのか……? 未知なる状況に踏み出すことへ、恐れがあるとでも……?)


 あと少しで触れ合いそうで、けれどそうならないもどかしい距離のまま、暫し2人は沈黙の中、向かい合っていた。


 しかしそれも、決して長くは続かなかった。


 おずおずと伸ばされた深冬の手が、奏詩のそれと繋がれたことによって。


「深冬……さん……」


 その手の感触は、とても華奢で、シルクのように柔らかく、王子様などと呼ばれるにはおよそ相応しくなかった。


 1人のか弱い、少女のそれだった。


 少し乱暴に振りほどけば、簡単に離れてしまいそうなくらい、弱々しい力だった。


「えっと……その、頼りにしても……いい、のかな?」


 まだ不安そうに揺れる瞳で、深冬は細く尋ねてくる。


 彼女より身長が低くて助かったと、奏詩は思う。


 ここでもし、上目遣いなどという必殺要素まで加わっていたら、逆に撃墜されていたかもしれないのだから。


「……ええ、勿論です。困ったときは、助け合えばいいんです。人類の歴史は、そうやって紡がれてきたんですから」


 その脈々と受け継がれてきた歴史に、後ろ足で砂をかけるような存在が聖女なんですけどね。


(聖女は単体でも余裕で生きていけるはずだからな。おそらく宇宙空間へ放逐されても死なないだろう)


「うん……ありがとう。私は不安定な状態だと思うから、きっと色々、迷惑を掛けてしまうかもしれないけれど……」


 2人の繋がれた手はゆっくりと離れ、距離も開く。


 しかし、深冬の表情はいくらか和らいだままだった。


(……まぁいい。ここで一気に終わらせることは出来なかったが、着実に事態は進展している。もしかしたら、オレの中の直感が、今すぐ決着を付けに行く危険性を感じ取ったのかもしれないしな……少なくとも今の状況は悪くない)


 奏詩は思索を続けながら、再び弓を引く。


 先程外れた軌道から再計算し、誤差を修正して……。


 放たれた矢はまたしても、大きく的を外していた。


「……意外と難しいものですね。精密な挙動を行えば、正確に狙えるような気がしたのですが……まぁ、そんな単純では、競技としては成立しませんか」


 バリスタを参考にした邪神装甲を創るにあたって、弓矢系武器を扱う練習も幾らかはやってみた経験がある。その時の命中率は、決して悪くなかったのだが。


「いや……如月さん……狙いが上手く定まらない理由なんだけどね……」


「わかるのですか? 見ていただけで? 流石は経験者ですね」


「いや、傍から見ていれば、誰でもわかると思うよ……弦が、如月さんの胸に当たっているからだ、って……」


 奏詩は矢をセットせず、エア射撃のモーションを行ってみる。


 弦の弾性に接触した大きな胸元が、確かにばるんばるんと揺れ動いていた。


「……成程」


 痛みはない。何故なら奏詩の胸部は言うまでもなく偽乳であるのだから。


(ミスったな。しかしまぁ、無駄に大きくて邪魔だから、普段は胸の感覚を遮断しているとか、適当な理由でゴリ押せば、なんとかなるだろう)


 因みに如月奏詩のバストサイズは一般的に巨乳とカテゴライズして問題ないものであり、序列としては『葵>奏詩>舞愛>その他大勢』といった具合であるが、そうなるに至った経緯は別に、蒼汰自身の趣味ではない。


 疑似聖女変身薬『LGBT』の効果には個人差があり、変身後の容姿は任意で選択することが出来ず、人によって爆乳になったり貧乳になったり、安産型だったり美脚だったりと、所謂美女と呼ばれる整った外見ではある中でも、アピールポイントは人それぞれなのである。


 そんなわけで如月奏詩に変装して聖少女学園に侵入するには、変身後の外見に寄せて行わなければならなくなり、かなりボリューミーな特殊パッドを装着することに相成ったわけである。


 その素材にも聖神力の応用技術が使われており、変身してバストサイズが実際に大きくなった暁には、パッドの方は邪魔にならないよう小さく縮こまってくれるという優れものだ。


 と、そんな解説はどうでもいいとばかりに、終業のチャイムが鳴り響く。


「もうこんな時間だったんだね。ちゃんとした弓道部の人たちが使うから、片付けてしまわないと」


「すいません。長々とお邪魔してしまって。私も手伝いますよ。向こうの矢を集めてくればいいですか?」


「いや、それには及ばないよ。最近の矢にはこういう便利な機能もあるからね」


 矢取り道の場所を探そうとする奏詩を制止して、深冬は矢筒に付属しているボタンを押す。


 すると既に放たれ終わっていた数本の矢が、逆再生のようにゆっくりと浮遊して、自ら矢筒の中へと帰還してきた。


 奏詩の身体を避けるようなルート選択を行っているあたり、安全面も考慮されているようだった。


「……便利なものですね」


「まるで魔法だよね、聖神力って。物理法則に囚われないから、実現不可能だと思われていたような技術だって、簡単に実用化されてしまうんだ」


 それは本当に技術ですかね。


「それじゃ、私はこれで失礼するよ」


「あ、深冬さん」


 弓道場を出ようとする深冬の背中を呼び止める。


「また、何処かへ遊びにでも行きましょう」


 少しだけ振り返っていた深冬は、ほんの少しだけ口元を綻ばせて、


「……うん」


 とだけ、短く答えた。


 *


「終わりましたよ。途中から全然指示が来なくなりましたけど、あれで良かったんですか?」


 視聴覚室へと戻ってきた奏詩は、簡潔な報告と共に、結果の是非を問う。


 舞愛が床で蹲っている件については、敢えて無視する方向で。


「バッチリなのですよ! 紅葉月さん、とっても楽しそうだったのです! やはり私の目に狂いはなかったのです! ありがとうございましたなのです! さぁ、これから忙しくなるですよ! 今後の計画を練らないといけないので、私はこれで失礼するのです!」


 奏詩が何かを答える暇もなく、ハイテンションを維持したままの鵠は深々と一礼し、視聴覚室を飛び出していってしまった。


 機材類が入っていると思われる、バカでかいリュックを背負いながら。


「……まぁ、満足してもらえたのであれば、別に構いませんが」


 当事者であるはずなのに、どこか置き去りにされたような心境のまま、視聴覚室の扉を閉める。


「無理に出してる空元気、って感じもするけどねぇ」


 葵だけは普段通りな感じで、椅子に座って紅茶らしきペットボトル飲料を嗜んでいた。


「生まれついての境遇や才能で、選択肢の幅が限定されるなんて、今では珍しいことでもないでしょう」


 聖女戦争以降に限ったことでもない。有史以来の当たり前な話だ。配られたカードでうんたらかんたら。


「で、舞愛さんはあそこで何しているんですか? 宗教ですか? お祈りの時間ですか?」


「ああ、ちゃんと触れてくれるんだね。このまま一切スルーして終わらせるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」


 その手があったか、と奏詩は内心後悔せしめる。


「舞愛ちゃんは今、全身全霊で土下座してるんだよ。奏詩ちゃんだけに話してくれた深冬ちゃんの秘密を、盗み聞きして申し訳ないから、だって」


「ああ、そういう……だったら葵さんもしておいた方がいいんじゃないですか? 全人類に対して」


「範囲広っ! 私が全人類に対して失礼なことをしたとでも言うのかなぁ、奏詩ちゃんは」


「失礼というか、冒涜ですかね」


「あぁ、そうですかぁ。まぁ私も深冬ちゃんに対しては、多少の申し訳なさはなくもないけど、そこまで気に病む程ではない感じかなぁ」


「神経図太いですからね」


「本当に失礼だなぁ、奏詩ちゃんは。じゃなくて、深冬ちゃんは寧ろ、誰かに聞いてもらいたかったんだろうなぁって思うからさ。いや勿論、誰でもいいわけではないんだろうけど」


(その点に関してはオレも同意見だ。カウンセリングを受けているという事実を、わざわざ自分から話題に出してきていた。話の流れからしても、必要性があったようには思えない)


「ねぇ、奏詩ちゃん。ここに来る前にさ、深冬ちゃんと面識あったりしない? 何処かで会ってるとかさ。それで、無くした記憶に引っ掛かってる、みたいなさ」


「……なんですか、いきなり。そんなの、あるはずがないでしょう」


 バッサリと却下した奏詩だが、葵としては納得していないらしい。


 携帯端末を弄りだし、奏詩へとメッセージを送付してきたのだから。


『じゃあ蒼汰くんとならどうかな? お化粧してるとは言っても、顔は基本、元のままだよね?』


 口頭での会話を避けたのは、舞愛に聞かれないようにとの配慮からか。


『こちとらテロ組織の1構成員だぞ。自分で言うのもなんだが、単なる下っ端だ。潜入任務なんて特殊な事情がなければ、聖女と接触する機会なんて何処にもない』


 奏詩も応じて、目の前にいる相手と通信でやり取りするという、滑稽な手法に興じることとなった。


『それまではずっと、訓練みたいなのしてたの? 外に出ての任務とかはゼロ? ベテランの人たちのサポートみたいな形とかもなかったの? ジャニーズJr.的な』


 並行世界では、口に出すのも憚られるフレーズが飛び出す。


 だがこちらの世界では少年への性的加虐など、まったくもって問題ない。


 なんなら第二次性徴期頃にメスイキを覚えさせることで、女性ホルモンの分泌を促し、中性的な美少年を育成する行為は『ジャニーズメソッド』として確立されている程だ。


『ジャニーズJr.的かどうかは置いておくとして、ゼロではない』


『じゃあさじゃあさ、その任務を制圧するためにさ、深冬ちゃんが来てたとかは考えられないかな? ほら、翔子ちゃんなんかも時々、聖天騎士団のお仕事を手伝ったりしてるみたいだし』


『あり得ない。そんな状況で聖女と遭遇なんてしていたら、オレはこの場にいない』


(疑似聖女の力を外部に持ち出したのは、今回が初のケース。聖神力なしで聖女と対峙しては、勝つことは勿論、撤退すらもまず不可能だ)


『それに、聖天騎士団に協力していたのならば、当然記録にも残っているだろうし、記憶を取り戻すためここに転入する必要もない。面識のある騎士団員に、協力を仰げばいいんじゃあないのか?』


 結論ありきで話を進めようとしている葵に、釘を刺す意味合いも含めて、逆に質問を投げてみる。


『あ~、ロジハラ来たね~。これは勝ち目がなさそうだねぇ。う~ん……でもやっぱり深冬ちゃんは、奏詩ちゃんに特別な感情を持ってる気がするんだけどなぁ……』


『一目惚れとか』


『おそるべきうぬぼれ』


(くそが)


「うああああああああ!」


 議論が暗礁に乗り上げたのを見計らったかのように、舞愛が奇っ怪な叫び声をあげる。


「あたし、やっぱり謝ってくる! 大事な話を盗み聞きするなんて、良くないことだもんね!?」


 そしてすっくと立ち上がり、視聴覚室を飛び出そうとしたので、間髪を入れずに水を差す。


「盗み聞きされていたことを知らされるのも、不愉快なものだと思いますけど」


 狙い通り、ドアノブを掴んだままの姿勢で、舞愛はものの見事にフリーズしていた。


「確かに謝罪すれば、舞愛さんの気は済むでしょうけれど、深冬さんからしたらどうなんですかね。現状では秘密を知っているのは私だけだと思っているわけですが、下手に真実を知らせることは、徒に不快感を煽り、傷口を抉る行為となりはしませんか?」


「うああああああ~……そんなのダメだぁ~……」


 そして舞愛は力なく、再びドアのそばで崩れ落ちた。


『なんか深冬ちゃんにだけ、やけに配慮が行き届いてない?』


 とかいうメッセージが届いていたことは、この際気にしないものとする。


(配慮してるわけじゃなく、折角上がった好感度を下げられたくないだけだ)


 だったらなんでその気持ちをほんの少し、舞愛や葵に分けてやれなかったんだ。


「もうダメだぁ……おしまいだよぉ……八方塞がりなんだよぉ……」


 悲嘆に暮れる舞愛の肩に、奏詩は優しく手を置いた。


「そんなことはありませんよ、舞愛さん。四方八方丸く収める方法が、ちゃんとありますから」


「えっ!? そんなこと出来るの!? 一体どうやって!?」


 疑う様子もなく、降って湧いた一筋の希望に、舞愛は瞳を輝かせる。


 こういう人が変な詐欺とか宗教とか、オンラインサロンとか、プペルとかにハマったりするのだろう。


「いいですか、舞愛さん。現在の問題点は、聞かされてもいない深冬さんの秘密を、舞愛さんが知ってしまっていることなんです。ならば逆に考えるんです。秘密を話してもらえるような間柄になってしまえばいいんです。そして直接打ち明けてくれたときに、初耳のようなリアクションをしてしまえば、なんの問題もなくなります」


「お……おぉう……凄いよ奏詩ちゃん! その作戦、完璧だよ!」


(実現可能かどうかを別にすればな)


「よーし、こうなったら、絶対に深冬ちゃんと仲良くなってみせるよ! そうと決まれば、やるべきことは1つ! またみんなで遊びに行く計画を立てなくっちゃ! ということで奏詩ちゃん、葵ちゃん、また明日ね!」


 躁鬱病患者でもここまで激しく浮き沈みはしないであろうくらいに、あっさりと立ち直った舞愛は、意気揚々と視聴覚室を飛び出していった。奇しくも先程の鵠を想起させる行動だった。


「さて、取り敢えず目先の問題は先送り出来たようですし、私たちも帰りますか」


「キレイに丸め込んだねぇ……奏詩ちゃんって結構、悪い人だよね」


「テロリストですよ? 悪人に決まってるじゃないですか。何を今更」


「うん、まぁ今更なんだけどさ。そういえば蒼汰くんって、なんの目的で聖少女学園に潜入してきたの?」


 そういえばその辺りの話はロクにしていなかったなぁと思い至る。


 共犯者に立候補する人という時点で相当なレアケースであるというのに、動機も知らないままで話を進めるとは、前代未聞すぎて想像の埒外だった。


「……ま、その内話しますよ」


 色々と気疲れしていたこともあって、奏詩は一旦言葉を濁すことにした。


 *


 そして、その夜。


『んー……ま、確かにな……蒼汰の話を聞く限りでは、意外と狙い目なのかもしれねーな……』


 紅葉月深冬を籠絡対象にするかどうかについて、咲人に報告と相談を行ったところ、長々とした唸りの後、ようやっとそんな結論が導き出されたようだった。


『オレが直接見たわけじゃねーから、蒼汰の主観が混じってる可能性もあり得る。危険性がなくなったわけじゃねーけど、他の女だって、安全なわけじゃねーし。アリ寄りのアリかもな』


「それはもうただのアリでいいんじゃないか?」


『うっせ。で、どうすんだ? 紅葉月1本に絞っていくスタイルに決めるのか?』


 蒼汰は即答できなかった。


 咲人のお許しが出たのは何よりだったが、今すぐに結論を出してしまうのは些か抵抗があった。


 その最も大きな要因は、深冬が自称していた強大すぎるという力。


 盛っている可能性もないではないが、おそらくは純然たる事実なのだと、奏詩は感じ取っていた。拭い去れない不吉さが、彼女への過剰な接近を踏み止まらせていた。


 しかしあまりのんびりしているのも良くはない。勝機が見えたのであれば、余計な脇道に逸れるのは悪手となる可能性も大いに考えられた。


 蒼汰は少しの間黙考し、結論を伝えた。


「紅葉月深冬1本に絞るのは早計な気がする。他にもチャンスがあるなら、柔軟に対応していくべき……だと思うんだが、どうだろう?」


『いいんじゃないか? 実際に動くのは蒼汰だしな。オレに出来るのはアドバイスすることくらいだし。ただ、中途半端な対応は1番危険だぞ。選択肢を残しておくのはいいとしても、あれもこれもって手を伸ばしすぎるのは最悪だかんな』


「ああ、肝に命じとくよ。色々とありがとな、咲人」


『気にすんなって。んじゃ、またな』


 通信を終える。


(上手く歯車が噛み合ってきている感はある……が、調子のいいときこそ油断は禁物。気を引き締め直していくか)


 心を決めて気合を入れる。とはいえこれから取り掛かるのは、日課になっているお肌の手入れなのであるが。

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