コウノトリに無修正のキャベツ畑をつきつけるような下卑た快感
サイコ野郎め
(世界は地獄で満ちている。民族紛争の果ての浄化だとか、肥大化した軍隊の権力を維持するための民間人虐殺だとかの、泥沼の戦場にまで行かなくとも、もっと身近なところにだって、きっと転がっている……)
奏詩は道を歩いていた。
感情を表に出さない訓練は散々反復してきたので、見た目にはなんの違和感もなく、誰にも悟らせはしないものの、内心は気が気でなかった。
(オレもまた……地獄へ足を踏み入れようとしている。傍目からは想像もつかないだろうが、なんの変哲もないこの小洒落た喫茶店の中も、1つの地獄なのだ……)
「あっ、奏詩ちゃん! こっちこっち!」
自動ドアのセンサーに引っかかろうとしたその直前、横から声を掛けられ、踏みとどまった。
(来たか……地獄からの使者)
「……なんか、すごぉく失礼なこと考えてない?」
(流石は地獄からの使者……観察眼も鋭いな、麻薙葵)
「そんなことより、なんで外で待っていたんですか? 入ればいいじゃないですか」
「ん〜、その前にね、ちょっとあそこの席、見てみてよ」
窓越しに、葵の指した先を窺う。そこの席には、魂の抜け殻が鎮座していた。
「あれは……舞愛さん……ですか? 随分と変わり果てた姿みたいですが……」
「そうなんだよ。何かショックなことがあったみたいでねぇ……私1人では手に負えないかもって、奏詩ちゃんに応援を求めようかなぁって」
「ショックなことって……一体何をしたんですか」
「いやいやいや! 私が何かしたわけじゃないからね!? そのゴミを見るような目やめて!」
嘘は言っていない様子ではある。
(まぁ……性癖に核弾頭クラスの問題を抱えているものの、本質的には悪人ではないようだし、友人の心配をするというのもおかしくはない……か)
「あれ……? もしかして奏詩ちゃん、今ちょっとがっかりした?」
「は……? 何を言ってるんですか? がっかりする要素なんて何処にもないでしょう?」
「ふふ〜ん、そっかそか。ものすごぉくドスケベでありえないほどやらしぃ話を期待してくれてたのに、裏切る形になっちゃったんだねぇ。ごめんねぇ」
「だから何を勝手に納得してるんですか。謝られる筋合いなんて、まったくないんですけど」
「照れなくたっていいのに。奏詩ちゃんのむっつりすけべー。ま、そっちの方面も準備はしてるから、今後のお楽しみってことで、今日のところは舞愛ちゃんのことをどうにかしよ?」
「そっち方面も何もないんですけど? 意味がまるでわからないんですけど?」
上級国民が如く、頑なに認めようとしないまま、奏詩は葵と共に店の中へと入っていった。
「あれ~? 奏詩ちゃんと葵ちゃんだ~。2人もここで朝ごはん~?」
舞愛の視線がゆ~ったりと上がる。その目にはまるで覇気がなかった。
「うーん、これは重症だねぇ……舞愛ちゃん、もうすぐ1時だよ」
「1時かぁ~……そうだねぇ~……1時はいいよねぇ~」
「ギャンブルとか投資で全財産失った人みたいになってるんですけど、本当に何もしてないんですか?」
「だからしてないってば! ねぇ舞愛ちゃん、何かあったの?」
「んー……別に大したことじゃないんだよー。なんだかねー、真っ白に燃え尽きちゃっただけでねー」
舞愛は左右にくわんくわんと揺れながら答える。
「この間さー、奏詩ちゃんの歓迎会したじゃん? でもさー、途中でさー、葵ちゃんが奏詩ちゃんを、連れて行っちゃったでしょー」
「やっぱり葵さんのせいじゃないですか」
「ち、違っ……くもないかもしれないけど……ほら、まだ続きあるみたいだし、最後まで聞いてからでも遅くはないと思うよ?」
早くもないとは思いつつ、舞愛に話の続きを促すことにした。
*
それは葵が連れて行った後の出来事。
「あれ? 奏詩ちゃん……? 葵ちゃん……?」
食事の合間、ご歓談の最中に於ける、突然のことだった。
ちょっと目を離した隙に、2人の姿は皆の視界から消え失せていた。メアリー・セレスト号の都市伝説が如くに。
「聖神聖衣によるものかな。おそらくは葵のものだろう。相変わらず、行動の読めない人だ」
「聖神力を測定。空間接続による瞬間移動と結論」
翔子と朱音は冷静に状況を分析する。
「ど、どうしよう!? 探しに行かなくちゃだよね!? 何処に行っちゃったんだろう……」
慌てふためいているのは舞愛1人だけだった。
「いや、問題はないだろう。奏詩の実力はボクが保証する。仮に葵が何か、よからぬことを企んでいたとしても、奏詩ならば単独でも切り抜けるはずだからね」
切り抜けられませんでした。
「しかし主賓がいなくなってしまった以上、この会もこれでお開きかな。ボクたちもこれで失礼させてもらうよ」
「え、あの、2人とも、ちょっと待っ……どうしよう、深冬ちゃんっ」
店を出ていこうとする翔子たちに、けれどどう引き止めていいかも思い浮かばず、舞愛は助けを求めていた。
「どうしようもないし、する必要もないんじゃないかな。私も河嶋さんの意見に賛成だよ。歓迎会の目的なら、充分に達成されていると判断できる」
「そうじゃなくて、あたしはもっと、みんなで仲良くなれたらいいなと、思って……」
舞愛の祈りは届かなかった。翔子・朱音に続き、深冬まで退店してしまい、瞬く間に参加者は半減していた。
*
「みたいな感じでね。みんな帰っちゃったんだぁ」
「なんていうか……うん……その、本当にゴメン」
謝っている。葵が己のドスケベ根性を謝罪している。
(反省はしていても、今後の行動に反映されることはないんだろうけど)
奇妙な既視感を覚えた奏詩だったが、容赦なく黙殺し、全力でなかったことにした。
「気持ちはわからなくもないですけど……それだけのことで、こんな抜け殻みたいになってしまったんですか?」
些かばかり繊細すぎやしませんかと思い、率直な疑問を口にする。
もし女性という肩書きを持っていなかったなら、特殊な方面の方々から袋叩きに合っていたかもしれない。
「それだけじゃないんだよ。その後、あたしと文香ちゃんたちだけ残ったわけなんだけどね……」
*
「えーと……麻薙さんの事情はよくわからないですけど、私たちも帰りますね。またこういう機会があれば、誘っていただけると幸いです」
一気に人数が半減し、急加速した物悲しさへと、更に追い打ちを掛ける形で、文香も丁重に解散を申し入れる。
「……やっぱり、奏詩ちゃんがいなくちゃ、駄目なのかな……今までとおんなじように……」
「天宮さん? あの、大丈夫ですか?」
聖少女学園の現状は、相互不干渉という形で均衡が取れていた。
そこに如月奏詩という一石が投じられて波紋が生じ、多少の変化が起きただけのこと。
しかし舞愛からすれば、彼女の存在が特別であるかのように映ってもおかしくはない。
「文香ちゃんたちも、ごめんね。あたしがもっとうまくやれてたら良かったんだけど」
「いえ、私たちはそんな……というか、難しい事案だと思いますよ。聖女と一般人が友人関係を築くとかは。聖天騎士団の方々も、一般人と同じ所では暮らしていないわけですし」
「うん……でも、本当にそうするしかないのかなぁ……」
「……流石ですね、天宮さんは。聖少女学園に通う、すべての人のことを考えているなんて、なかなか出来ることではありませんよ」
「え……? や、別に私はそんな大したものじゃなくて……ただ、みんなで仲良くできたら楽しいだろうなぁーって」
「素晴らしい考え方だと思います。そういうことでしたら、協力させていただけませんか? 1つ、アイディアがあるのですが」
*
「アイディア……ですか?」
「うん。それがこれなんだぁ。美優ちゃんって、デジタルにも強いらしくてね。簡単なアプリを作ってくれたんだよ」
言いながら見せられた携帯端末の画面には、『聖女が答えるお悩み相談アプリ』なるタイトル名が表示されていた。
「文香ちゃんが言うにはね、あたしたちとの間に溝があるのは、どう接していいかわからない部分が大きいらしいんだって」
「でしょうね。下手に機嫌を損ねでもしたら、命の危険だってあり得ますから。聖女が軽い気持ちで一般人を殺害したところで、刑に処されることなんて、まずありません」
平民よりも武士の位が圧倒的に高かった江戸時代ですら、正当性を認められなければ切捨御免とはならず、辻斬りとして処罰されたそうな。
とどのつまり、触らぬ神に祟りなしというわけだ。武士とは違うのだよ、武士とは。
「だからね、こういう携帯アプリとかで、対面しないでコミュニケーションを取っていければ、徐々に距離を縮めていけるんじゃないかって」
「へぇ。いいんじゃないかな。デザインとかもシンプルだけど、ちゃんとしてるみたいだし。ね、奏詩ちゃん」
「その前に、肝心の相談は来てるんですか?」
波風を立てぬようにと、当たり障りなく会話を進めようとする葵をガン無視し、ドストレートに核心へと触れる。
「文香ちゃんたちもね、クラスのみんなに宣伝しといてくれるって」
「で、来てるんですか?」
舞愛は何も答えてくれない。
「ゼロ、というわけですね。当然といえば当然ですが」
「ちょっと、奏詩ちゃん! そんなはっきり言わなくても……」
葵が止めに入る。
好感度を稼ぐという観点からすれば、悪手にも思える行動だが、奏詩は止まろうとしない。
「中途半端に濁したところで、意味があるとは思えませんので、続けさせていただきます。そもそもの話、聖女は特別な存在として扱われてはいますが、あくまでそれは莫大で、代替不能なエネルギー資源を生み出せるという理由からです。極端な話、油田やら鉱山やらに、悩みを相談しようなどと思いますか?」
「……山の神様とかに、供物を捧げたりはしてたって」
葵の口から、なんとも弱々しい反論が紡がれる。
「聖神力による知識のインプット作業の高速化・大容量化は可能ですが、そんなことをしている聖女は極一部でしょう。尤も、それを活かして哲学だの心理学だのにどれだけ精通していたとしても、相談相手として適格とは思えませんが。人間の悩みは、人間でなければ、真の意味で寄り添うことは難しいでしょうからね」
奏詩の弁舌は留まるところを知らない。
別に言い負かしたいわけではないはずなのだが、津波のように次から次へと、溢れ出てきて止まらなかった。
「聖女と人間は、最早別の種族と考えた方がいいと、私は思います。性能がまるで違うのですから。舞愛さんが仲良くなりたいと理想論を語るのは自由ですが、押し付けるのはどうなんでしょうかね。上から見下ろす側としては気分がいいかもしれませんが、自己満足に付き合わされる方は、堪ったものではないんじゃないですか?」
「ストップ。言い過ぎだよ、奏詩ちゃん」
舞愛はもう、魂の抜け殻ではなくなっていた。目には涙を浮かべ、小刻みにふるふると震えている。
(……やはり、無理だ。こいつらとオレとでは、育ってきた環境が違いすぎる、生温い人生を送ってきた、幼稚な口から出る浅い理想論に、怒りと苛立ちが抑えられそうにない)
奏詩に自覚はないが、内包している感情はそれだけではない。
嫉妬や羨望というものも、大きなウェイトを占めているに違いなかった。
「すみません。なんだか私の方が情緒不安定みたいです。ちょっと頭を冷やしてきます」
立ち上がる奏詩を、舞愛は当然ながら、葵も引き留めようとはしなかった。
彼女を励ますための協力者として、奏詩を呼んだであろう葵にすれば、完全なる逆効果。大失策と言わざるを得ないのだから仕方ない。
(だからといって……こんなことをやっていたら、恋愛感情なんて抱かせられるわけもない。表情は誤魔化せても、感情を制御するのは相変わらず下手なんだよなぁ……)
一応晴れてはいるものの、雲ひとつないわけでもない、どうにも中途半端な空模様を眺めながら、出口の見えない思索に耽る。
理性と感情のせめぎ合いに上手く折り合いを付け、必要に応じて切り替えたりするのは咲人の得意とする領分であり、つくづく自分には向かない任務なのだと思い知らされ、嫌気が差す。
「奏詩ちゃん、少しは落ち着いた?」
ひょっこりと、カドから葵が顔を出す。
「……舞愛さんの方はいいんですか?」
「取り敢えずね。今になって相談が届いたみたいで、一瞬で立ち直ったみたいだから」
「……それはまた、随分と単純で羨ましい限りですね」
「も~、そういう風に、すぐ嫌味とか言うの、良くないと思うよ?」
確かに3割程はそちらの意味合いなのだが、残りの7割は寧ろ純粋な感心と羨望だった。
いい加減切り替えらんねえのかと、自分に辟易していた真っ最中だったのだから。
「あのさ……奏詩ちゃんが舞愛ちゃんに厳しく当たっちゃうのって……蒼汰くんだから?」
周りを警戒し、気配がなさそうなことを確認しながら、控えめに聞いてくる。
「……自分のことはあまりわからないものですけど……そうかもしれません。圧倒的に上の立場から、憐れみによる施しを与えようとしている姿は、見ていて気持ちのいいものではありませんから」
「ん~……多分、舞愛ちゃんの場合、そこまで考えてないと思うよ。変にギスギスしてるのが好きじゃないだけで、みんな仲良くハッピーでいてほしいなぁ、くらいの感覚じゃないかなぁ」
「だとしたら、余計に質が悪いかもしれませんね」
「……そういうものかな」
「そういうものです」
ネガティブな思考は行動力を抑制し、己の世界を拡げる妨げとなり、自虐心を育む悪循環へと陥らせる。
理屈ではわかっていても、そう簡単に抜け出せるものではないのが、人間の心の七面倒臭いところである。
「あっ、2人とも、こんなところにいた!」
舞愛は本当に、完全復活を遂げていた。
涙の跡も、抜け殻の面影も、一切合切残っていない。
「よし、じゃあ早速、学園に行こうよ!」
そして脈絡もないことをほざき出した。
「……取り敢えず質問しますけど、何をしに?」
今は平日の昼間。普通の学生ならば、必要なのは寧ろ学園に行っていない理由の方。
とはいえこの場にいるのは、聖女2人と偽物1人。スケジュールごときに縛られない身分だった。慣例的には。
「相談者の人がね、直接会って話したいんだって。だから学園で待ち合わせだよ」
「……重ねて質問しますけど、そこに私たちが何故同席を? 悩み相談なんて、勝手に他の人と共有するべきではないと思われますが。相談者の方も、いい気持ちはしないでしょう」
葵が監視の目を向けてきているので、あまり厳しい言い方にならないよう配慮する。
「でもね、相談の内容が、奏詩ちゃんに関係することなんだよ」
「……私に、ですか? 一体どんな内容なんです?」
「まぁまぁ、それは本人に聞くべきなんだよ。ひんけずだよ」
「……貧血?」
「百聞は一見にしかず、の略だよ」
「本人に聞くのであれば、一見ではないのでは……」
「さぁ、出発出発ゥ!」
完全なる誤魔化しのテンションを纏い、根拠のない自信に満ち溢れた舞愛が征く。
「……行きますか」
「ああなった舞愛ちゃんは、止まらないだろうからねぇ」
「暴走しがちな者同士ということで、深く理解が出来るのでしょうかね」
他人事のように言っているが、直情径行の奏詩もまた、控えめに言って同類である。
*
「はじめまして、よろしくお願いします! 千葉崎鵠です!」
聖少女学園で待ち受けていたのは、今の舞愛に負けず劣らずハイテンションな少女だった。
今はまだ絶賛授業時間中であり、この視聴覚室の利用者もおらずに無人だった。
千葉崎鵠は聖女ではないが、舞愛ら聖女絡みの用件があると申請されれば、教職員側も文句など言えはしなかった。
「うん、よろしくね。自己紹介は大丈夫かな?」
「勿論です! それで、早速なんですが、お願いさせてもらってもいいですか?」
鵠はまっすぐに、奏詩の方を見つめていた。その具合は、熱視線とでも呼ぶべきだろうか。
「お願い……ですか? 内容は私に関するものということでしたが、それは一体どういったものでしょう?」
「はい! それはですね、恋人になってほしいのです!」
はっきりと、彼女はそう告げた。
しかし、奏詩の耳までは届いても、脳内で正常に処理されることはなかった。
(恋人になる……か。そいつはまた、グレートにヘビーな問題だ……さて、どうしたものか)
外面的にはクールを装っているが、思考回路はショート寸前だった。
「ちょっと待ったぁ! そのお願いは聞くわけにはいかないよ! だって奏詩ちゃんは既に私のセフ」
葵の喉笛に、恐ろしく速い手刀が入る。団長の手刀を見逃さなかった人でも、果たして見逃さないでいられるかわからない程の手刀だった。
(うん……なんかよくわからないが、取り敢えず葵の口は封じられたのでOKとしよう。で、えーと、なんの話だったっけか……?)
「どうでしょうか、如月さん? 決して悪い話ではないと思うのですが……」
(ん……そうそう、初対面なのに、いきなり交際を申し込まれた、ということでいいんだよな。しかし、悪い話じゃないとは、大した自信だ)
素早い動作を行ったことにより、血行が改善されて思考の縺れがなくなったのか、どうにか状況を飲み込むことが出来ていた。
(告られるなんて人生で初めてのことだから、つい気が動転していたようだ。しかしまぁ、あり得ない話ではないか。聖女と恋人になりさえすれば、一生安泰は間違いなしの勝ち組確定なんだ。ダメ元で当たって砕けてみるというのも一興かもしれない、か)
「有り難い申し出ですが、お断りさせていただきます」
迷うことなく、奏詩は返事を告げた。
(ここに潜入しているのは聖女と恋愛関係になり、その相手を意のままに操れる状況を作り出すこと。一般人と交際するなんてのは百害あって一利なしだ。葵とセフレ関係だというのは、千害くらいありそうだが)
嘘は嘘を呼び、秘密は時と共に肥大化し、やがて限界を迎えて決壊するものだ。
その意味でも、奏詩に残された時間は決して多くない。
「待ってください! ちゃんとよく考えてくださいです!」
(思ったより粘るな。しかし、逆に考えればいい機会かもしれない。これから先も有象無象の一般女性に絡まれるのも面倒だし、一線を引いておくか)
「残念ですが、私はやはり、聖女がそういう関係になるのであれば、相手も聖女であることが望ましいと考えます。ですので時間をかけたところで……」
「だったら尚更じゃないですか! 聖女同士なら、何も問題ないですよね!?」
「は……? いや、鵠さんは聖女じゃないですよね?」
「当たり前じゃないですか! なんでそこで私が出てくるんですか!? はぐらかさないでくださいです!」
(ん……? なんだこれは? 話が噛み合ってない……よな?)
どういうことか、もう一度現状を確認すべく、さっと辺りを見渡す。
すると明らかに、何かを知っているであろうニマニマ笑いを、楽しげな舞愛が浮かべていた。
「もー、奏詩ちゃんってば、早とちりー。自分がモテモテだって自信満々すぎるから、そういう勘違いしちゃんだぞー」
つんつんと、脇腹を突付かれる。それがうざかったので、奏詩はすかさず井之頭流奥義アームロックを極める。
「ぎゃあああああああ! 痛い痛いっ! ギブ、ギブ~!」
戦闘状態でなければ、聖女といえども痛覚刺激をオフにしていることは少ない。
痛みを忘れてしまうことは、人間として良くないという理由から、非常時以外は痛覚制御を控えるべきだという思想が、現在の主流である。
この先、聖女たちが世代を重ね、順調に数を増やしていった暁には、どうなるかは誰にもわからないが。
「で、なんですか、勘違いって」
暫く腕の関節を軋ませた末に舞愛を開放し、改めて尋ねる、
「あうぅ……痛かったよぅ……あのね、鵠ちゃんが奏詩ちゃんのことを好きなわけじゃないんだよ。ね?」
「はい。全然違いますです。なんで私が如月さんのことを好きにならなくちゃいけないんですか」
(あれ、なんか身の程を知れ、みたいなニュアンスが込められてないか、これ? なんかオレが告ってフラれたみたいな空気になってる気がするんだが……)
内心もにょっている奏詩のことなどお構いなしに、鵠が続けて断言する。
「恋人になってほしいのは、如月さんと紅葉月さんなのです!」
「……え? なんで?」
誤解が解けた後も結局、彼女の依頼は頓珍漢で、さっぱり意味不明なもの。
少なくとも奏詩には、そうとしか思えなかった。
「絶対お似合いだと思うのですよ! 聖女同士なら問題ないですよね? というか、その条件だと、既に候補は相当絞られることになるですし、もう決めてしまっても……」
「いや、だからちょっと待ってください。話がまったく見えてこないので、順序立てて説明してもらえますか?」
「うーん、確かに。鵠ちゃん、ちょっと興奮しすぎて先走っちゃってるかもしれないね。ちゃんと1から話した方がいいかも」
「そう……ですか。わかりましたです。私が紅葉月さんと関わりを持ったのは忘れもしません。ちょうど2年前に、あの河嶋翔子さんが先代生徒会長さんとの決闘に勝利し、生徒会長の座に君臨した翌日のことです」
(1からって、そこから話すのか……)
戸惑いつつも、ここで口を挟んだら余計に拗れて結果的に遅くなる可能性も考えられたので、黙って先を促すことにした。
女性は話が長く、会議がなかなか終わらない、とは誰の言だったか。
「一応事前に取り決めた約束通りなのですが、前生徒会長の鑑さんは納得が行かなかったらしく、仲間を引き連れて復讐に来ていたそうなのです」
(物騒な話だな……つーか、そんな俗物すぎる聖女もいるんだな。ま、聖女への覚醒条件は、人格なんて関係ないらしいから、おかしな話でもないか)
弛まぬ努力の果てに手にした者ならともかく、降って湧いた強大な力を得ただけの者に、品性を期待しても仕様がない。
「翔子ちゃんもまだ、初等部に転入したての頃だよね。私もビックリした覚えがあるよ」
漸く回復した葵も話に加わってくる。
またセフレの件を蒸し返すようなら、何度でも手刀を叩き込む腹積もりであったが、どうやら杞憂に終わったようで何よりだ。
「ああ、確か初等部から高等部まで、それぞれに個別の生徒会組織もあるんですよね? それらすべてを統括する立場にあるのが、翔子さんが会長を務めている中央生徒会……でいいんですよね?」
組織図については大まかに目を通しただけなので、一応確認しておく。
転入してきたばかりの立場からすれば、別段おかしな質問でもないはずだろう。
「そうそう。まぁ端的に言って、中央生徒会の長ともなれば、聖少女領域の実質トップだからね。突然現れた新参者、しかも小学生に追い落とされました~なんて、素直に受け入れるのも難しいと思うよ。多分」
聖少女学園は小中高一貫教育の施設。
最も中心に位置しているのは中央管理棟と呼ばれる建物であり、それを囲むようにして初等部・中等部・高等部の建物が立ち並んでいる。
その中央管理棟は、大掛かりな行事や催事に用いられる多目的ホールなどを有する他、上層階には展望を望む高級レストランなども併設されており、更にその上、最上階にあるのが生徒会室という、通常の教育機関であればまずあり得ない、歪すぎる構造で成り立っていた。
それもすべては幅広い世代の聖女を受け入れるためだったのだが、現状たったの5人しかいないというのは、あまりにも宝の持ち腐れすぎるでしょう。
「しかし今も翔子さんが生徒会長を務めているということは、その復讐とやらは失敗に終わったわけですね?」
「はいです。まだセキュリティの完全な切り替えは済んでいなかったらしくて、生徒会長室に潜んでおいて、河嶋さんが入室したところに、6人がかりで襲いかかったらしいです。勿論聖神力を使った上でですけど、見事に返り討ちだったとか」
(聖神聖衣を用いない河嶋翔子の戦闘技術は拙いものだが、経験や天性のセンスだけで充分だったんだろうな。権力の座にふんぞり返っていただけの素人集団など、数を増やしたところで単なる烏合の衆でしかない)
「でもですね、そのときの戦闘で、壁面の一部が崩れてしまって、大きな破片が落下してきたのです。私の真上に」
「因みに鵠ちゃんはね、中等部の情報研究会として、翔子ちゃんにインタビューしに来てたんだって」
舞愛が補足するが、その情報は今あってもなくてもどうでもいい。
「あ、死んだ。って、その時は咄嗟に思ったです。恐怖とかは後から来たですね」
「そう、どう考えても絶望的な状況から、なんと鵠ちゃんは助かったんだよ!」
舞愛が力を込めて宣言するが、当たり前の結果すぎて誰も驚けない。
もし助かっていないのであれば、ここにいる鵠は死人ということになるのだから。
少し不思議系のSF作品なんかでも、おそらくもはや使われはしない手法だろう。
「成程。そのとき鵠さんを助けてくれたのが、深冬さんだったわけですか」
「はいです。それも身を挺してです。私を包み込むようにして、こう言ったのです。
『大丈夫だった? 怪我、してない?』
『は……はい、です……あの、でも、貴方の方が……』
『私は平気。聖女だから。キミが無事なら、それで充分だよ』
……って! ってぇぇぇぇぇっ!」
唐突に熱演の鵠劇場が差し込まれた。
「凄くないですか!? 聖女だからといっても、普段から痛覚遮断しているわけではないですよね!? どでかい神ハルコンの破片が背中に直撃したら、痛くないわけないですよね!? 血もダラダラ流れてたですし! なのに紅葉月さんは、私を心配させまいと、優しく微笑んでくれていたですよ!? わかりますですよね!? あの方の素晴らしさが!」
すげぇグイグイ来る。
「あぁ、深冬ちゃんが『王子様』なんて呼ばれたり、ファンクラブが出来たりしたのって、もしかしてそのことがきっかけだったのかな?」
耳がキーンとなりそうな高低差のテンションで、葵が得心していた。
「そうなるのも当然の成り行きなのです! あの方は私の憧れそのものなのですよ!」
自慢気にふんぞり返る。
自分が凄いことをしたわけでもないのに、他人の功績で誇らしげになれる感覚というものが、奏詩にはいまいち理解できなかった。
日本人がノーベル賞を取ったとか、日本初のコンテンツが数百億の売上を達成したとか、知らんがなである。かんけーしである。
「えっと……話を聞いた結果、尚更わからなくなったんですけど……なんでその流れで、深冬さんと恋人になるのが私になるのでしょうか……? 憧れの人というのであれば、鵠さん自身がそうなりたいと願うべきなのでは?」
憧れとは、理解から最も遠い感情であると、全身タイツを着る前のヨン様が言っていた。
「……如月さんが、さっき言ってたです。聖女は聖女同士で恋人になるべきだと。私もそれに賛成なのです。一般人なんかでは、あんな素晴らしいお方と、釣り合いなんて取れるわけがないのです」
打って変わって、冷めた口調で鵠が述べる。
決して納得はしていない。
到底受け入れられるものではない。
それでも、結局は諦めるしかない。
そんな行き場のない感情が見て取れた。
(……最低限の人間らしい権利や生活が認められている一般女性でも、色々とままならない部分はある、ということか。得てしてそういうものなのかもしれないな。なんの遠慮も我慢もしなくていい、望むままの人生を送れる者なんて、ほんの一握りの、最上級のトップ層だけなんだろうさ)
今更それを妬み嫉むつもりもない。
そんな暇があるくらいなら、ほんの小さなものでもいいから、目先の一歩を踏み出していたい。
その方がよっぽど建設的だ。
「そこまでは一旦良しとしましょう。その釣り合いが取れている相手というのが私というのは何故です? 聖女同士ということなら、候補は他にも……」
葵を一瞥し、言葉に詰まる。
「選択肢は多くないにしても、いるじゃないですか。学園内に拘る必要もありませんし」
それでもどうにか乗り切った。ナイスガッツ。
「いえ、相手は如月さんしかいないのです。これは先日、お2人がカフェにいるところを撮影したものですが……」
テーブルの上に、コーディネイト選び中に待ちぼうけを食らっていた時の写真がどさどさと広げられる。
様々な角度から、かなりの枚数が撮られていた。
(……妙な視線は感じていたが……この女だったか。それにしても……)
「あの、なんでこんなに撮影されてるんでしょうか……? 姿を見た覚えがないのですが……隠し撮りですよね?」
「そんなことはどうでもいいです。それよりも見てください、紅葉月さんの表情を」
大いにどうでも良くはないはずだが、言われた通りに深冬の顔を観察していく。
(……なんだ? 間違い探しか何かか……? 特に違和感は見当たらないが……)
「どれも優しくて柔らかい笑顔をしてるね。こういう深冬ちゃんって、あんまり見たことないかも」
「ほんとだー。奏詩ちゃん、なんの話してたの?」
葵と舞愛が、奏詩の理解を超えた洞察力を見せる。
それを聞いて改めて写真を見渡すが、やはり違和感は見つからない。
(バカな……何処が違うというんだ……? それにこの時、ロクに会話なんて弾んでないぞ。舞愛たちが一刻も早く戻ってくるよう、祈りを捧げるばかりだったはず……)
「おわかりいただけたですね。紅葉月さんを誰より幸せに出来るのは、如月さんしかいないのですよ!」
(いや、まったくおわかりいただいてないのだが。それにオレの意思はどうなっちゃうんだ?)
奏詩は暫く写真の観察を続けてみたものの、理解の糸口さえ見つからなさそうだったので、スッパリと諦めることにした。
(深冬に奏詩が相応しいとする根拠はともかく、任務達成に向けての助力が得られると考えれば、決して悪い話ではない……か。だがさっきの様子からすると、葵はまた反対してくるんじゃないか?)
折角手に入れたセフレを奪われてはたまったものではないと、猛反発を警戒して彼女の様子を窺う。
「うん、確かに鵠ちゃんの言うこともわかるかな。恋人になるかどうかは別にしても、奏詩ちゃんたちが仲良くなるようお手伝いするのはアリだよね、舞愛ちゃん?」
葵は落ち着きを取り戻したままだった。
(2人が恋人になるのであれば、蒼汰くんに「セフレの私も混ぜてよ」と提案することも自然なはず……! つまりこれは垂涎の3Pチャンス! 乗るしかない、このビッグウェーブに!)
などと下賤で卑猥な誇大妄想を繰り広げているに違いないと奏詩は結論付け、葵について考えるのもやめた。
「勿論だよ! それで、どうしようか? 仲良くなるためには、きっかけがいるよね? あ、あたしが不良のフリして深冬ちゃんをナンパするのを、奏詩ちゃんが助けるっていう作戦はどうかな?」
(こいつもクソみてぇな恋愛戦術しか持ってねーな。昭和に帰れ)
自分のことを棚に上げ、心の中で思うさまに罵倒する。
「下手に策を弄するのは、リスクが高いと思うです。まずはオーソドックスに、距離を縮めていくのがベストだと思うのですよ。今日この時間なら、紅葉月さんは弓道場にいるですから、早速会いに行くのです」
「なんでそんな行動スケジュールを把握してるんですかね……?」
(なにそれこわい)
「さぁ、如月さん、この小型インカムを付けてくださいです。お2人の会話が上手く行くように、こちらでモニタリングしながらサポートするのです」
「なんでそんな便利アイテムが準備万端なんですかね……?」
(なにそれもこわい)
千葉崎鵠という少女もまた、聖女どもに負けず劣らずやべー奴なのでは、という疑問を懐きながらも、チャンスであることに変わりはない。
と、無理矢理に自分を納得させ、奏詩は聖女学園高等部の外れにある、弓道場へと向かうのだった。




